36話 今日こそ醸します
36話です。先日「酒よ」で書けなかった部分がやっと書けました。呑んだくれが冷静に何か説明してくれるわけがありませんでした。
36話 今日こそ醸します
順序が入れ替わってしまったが、天音は気を取り直して酵母菌……天然酵母の仕込みに入ることにした。
りんごやぶどうがあれば一番良かったのだが、りんごの自生木は開拓村周辺では少ないようだ。
また、果実は農民たちの密やかな楽しみになっているため、館では敢えて収穫を行っていないとダリウスは言っていた。
ぶどうは本来は領地で栽培したものを葡萄酒に加工して領地保有の酒として貯蔵される。
貴族階級の客人が来た場合に必要になるが、辺境地のグリアンクルにそういう方面での客人はほとんどいない。
よって製品を購入して済ませているとのことだ。
(まあ、収穫時期を考えても、ぶどうは残ってないよね。腐っちゃうもの)
消去法で残ったいくつかの選択肢の内、使えるだけの量があるものが手元にある柑橘類……クァカトラというオレンジ色のフルーツ、ということになる。
「よし、下処理終わった~」
クァカトラの汚れを綺麗に取り除いて、煮沸消毒済の耐熱ガラス瓶に収納する。
水はあらかじめ煮立ったものを冷やしてある。それを瓶から溢れるぐらいたっぷりと入れる。
空気が入るとそこから雑菌が繁殖しやすくなるのだ。
蓋を閉めても尚水が漏れ出るくらいが丁度良い。
天音は蓋がきっちり閉まった事を確認したあと、同じものを2つ作った。
酵母菌や麹菌については叔母からの聞きかじりだが、ある程度ファジーにやってみて経験値を貯めていったほうが良いようだ。
材料を無駄にするのは勿体無いが、酵母菌が成功すれば色々と使いでがある。
3つに瓶を分けたのは失敗する可能性も踏まえてのことだ。
特にカビには注意しなければならない。カビが出来た時点で、その瓶の中身は使えない。
瓶に熱湯を掛けて、表面を殺菌する。
「発泡スチロール箱に雪を入れて……」
簡易の冷蔵室を作ってその中に瓶を入れて行く。
温度計は持ち込んだ道具類の中に幸いなことに入っていたので、雪の量を調節しながら温度を整えた。
冷蔵庫の温度がだいたい3~6度ぐらい、というのを考えると、同じような温度帯が望ましい。
天音は温度計が4度くらいを指したタイミングで発泡スチロール箱の蓋をキッチリ閉めた。
この状態で温度変化の少ないところに一週間ほど放置だ。
1日に1度は様子を見て、雪の増減が必要になる。
泡が出れば成功、カビが生えていれば雑菌を殺しきれなかったということなので失敗。
失敗した場合は、弁償をしよう。
それだけ頭に入れて、天音は満足そうにうんと頷いた。
◆◆◆
身近に酒呑みの友人がいたお陰で、天音もおぼろげだがお酒の種類だけはある程度頭に入っている。
とはいえ酒を呑まないのでやっぱりにわか知識状態だ。
そんなわけで、酒呑みの話は少し聞いておきたいと思っていた。
「いやぁ……先日は失礼しました~」
天音の元を訪れたティムは、全く悪いと思っていない様子でへらっと笑った。
職務放棄は問題だが最終的には目的を達成したわけだし、天音としても怒りがあまりないので、苦笑で返しておく。
気になるとしたら、目の周りに少し青タンが出来ている部分だろうか。
ジャスティンあたりに手痛い制裁を加えられたのかもしれない。
従士同士の関係性は女の天音にはピンと来ないが、ティムがあっけらかんとしているのでどういう反応をすれば良いか戸惑っていると、目の前に酒瓶をかざされた。
お詫びに麦酒を、と渡されたが、呑む機会もないので倉庫行きになりそうだ。
とはいえ、味見ぐらいはしておきたい。
そう思って匙でほんの少し味を確かめてみた。
印象としては、こちらの麦酒はビールよりも雑味が多い。
ホップのような素材は入っているようなのでそこそこ泡立ちもあり、香りは天音の知っているものよりきつめだ。
「これってどこで作られたものなんですか?」
「ここから南西にある村だよ。たまに伝令に行くことがあって、その時に貰った」
グリアンクルの周りにもそれなりに村があるようだ。
歩いて1~2日ぐらいの距離に点在しているとのこと。
馬で行けば半日で着くので、お互い何か問題があったら助け合う手はずになっているとティムは言った。
グリアンクルでの麦酒作りに言及してみると、館の倉庫にある麦酒は開拓村で作られたものだそうだ。
各家で作られた麦酒の内、一部が税金替わりとして館に納品されている。
残りは各家で消費される流れだ。
(生産量は自家消費+αかぁ……)
産業にするには心もとない生産量だ。
酒は怪我の消毒に使われることも多いようで、嗜好品以外にも用途がある。
だが天音が先ほど味を試した時、然程アルコールが強いようには感じなかった。
「……麦酒って、怪我したところに振り掛けたりします?」
「いや?他に酒がない時ならやるけどね。
大概誰かが強い酒を持ち込んでるから、そっちを使うことが多いかな」
強い酒は北方のイアルトーグという国で作られることが多いようで、鍛冶屋のリッキーもそちらの出身らしい。
赤鼻で地肌の色がわからなくなっていたが、肌は基本的に白いようだ。
(度数が強いお酒かぁ……蒸留酒とかあるのかな~)
アルコールと水の沸点の違いを利用した仕組みはそれほど難しくないので、あるところにはあるのかもしれない。
「それじゃあ、お酒楽しんでね!」
「はは……ありがとうございました」
あまり長い間引き止めても申し訳ないので、単純な世間話程度でティムとの会話を終える。
天音は相変わらず台所で考え事をしている。
最近、ダリウスもカーラも忙しいので火の番をする人間がいないのだ。
一旦火が消えてしまうといざ湯を使うとなった時に即対応が出来ないため、日中は基本的に火は付けたままになっている。
カーラはイーニッド程ではないが裁縫の腕があるので、イーニッドの手伝いに行っている。
明日には試作品が出来るとのことで、追い上げにかかっているとのことだった。
天音の背後ではパチリと火の爆ぜる音がする。
背中が温たくて心地よい。天音はラベンダーティを楽しみつつゆったりと思考を巡らせる。
そういう理由で手持ち無沙汰な天音は先ほどの酒の話題について軽く情報を整理していた。
酒について色々と情報収集を行っていたのは、特産品関係で何か使えるものがないか、というのと、衛生のことを考えると消毒方法は多い方が良いという意図があるからだ。
鶏の卵を料理に使う際、糞があまり付いていないものを選んで貰っているが、サルモネラ菌など食中毒が怖いので、殻の表面をアルコールで拭いてから使っている。
養鶏をするなら綺麗な風通しの良い小屋で生育して、更に卵を商品に使うならせめて消毒手段を増やしたい。
加熱すれば菌は死滅するが手についていたらおしまいだ。
蒸留酒は原価が高すぎるので、やはり石鹸を使うのが一番だろうか。
天音だけでなく、作る人全員に周知しなければ意味がないので、衛生方面の教育の必要もある。
石鹸はラードと塩、そして灰が材料のはずだ。灰は手に入りやすいがその分消費も多い。
畑の土作りにも使うので、畑の雑草取りで刈った草を焼却して畑に使用することもあるようだ。
いわゆる焼畑農業というやつだろうか。
そんな理由もあって、石鹸作りをするのなら、大量の灰を手に入れることが必須になりそうだ。
とはいえ、試作品段階では然程必要にはならない。
制作は冬が開けて春になってからなので、予算を決めるのはそれからになる。
天音はつらつらと出て来た考えをそのままメモに残して行った。
◆◆◆
翌日、今度はジャスティンに連れられて天音は材木屋を訪れていた。
ジャスティンは酒は呑めるが弱いので、リッキーと馬が合わない。
そのため鍛冶屋来訪はティムと交代になったようだ。
火の番は一時的に手が空いたカーラに任せて来た。
昨日頑張ったおかげで無事完成の運びとなったようだ。
疲れの残る顔でそう言ったカーラにねぎらいの言葉もそこそこに館を出て来たが、あとでケアをしておこうと思っている。
ティムの青タンについて訊いてみると、やはりジャスティンの仕業だったらしい。
仕事を放棄して呑んだくれたのがマイナス評価となったようで、鉄拳制裁となったようだ。
軽く拳で小突く予定が勢いで力加減を誤ってしまった、と少し渋い顔をしている。
とはいえティムが羽目を外してジャスティンに怒られるのはそう珍しいことではない、とのことで、天音は呆れ声を漏らす。
彼らも長い付き合いのようなので、天音が口を挟むことではないと思ってしばらく関係性を観察しようと決め込んだ。
材木屋はテディという男が任されている。
農民や従士が秋までに切り出した木を預かり、適当な大きさに切り分けて管理乾燥させるのが主な仕事だ。
この村には木こりという職業があるわけではなく、皆持ち回りで切り出しに行っているようだ。
資源が豊富にあってそれほど取り合いにならないのが理由かも知れない。
「こんにちは。テディと言います」
人の良さそうな顔付きの男は薪割りをしているところだった。
今割っているのは来年度使うものだそうだ。
時間がある時にこうして割って、乾燥用の倉庫に貯蔵しているのだと言う。
他には簡単な家具や道具も作れるようで、作業に使っている小屋には色んな道具が乱雑に置かれている。
木桶や木製の道具はテディに頼めば作ってもらえるようだ。
もし作るとしたら蒸留用の装置はリッキーとテディに頼むことになりそうだが、まだ先の話だ。
「春から色々と作る予定なので、
ご協力よろしくお願いしますね」
今回は顔出しだけで終わり、天音とジャスティンは館へと戻る。
報告のためダリウスの姿を探すが、執務室にいるらしい。
カーラにはまだ火の番をしてもらうことにして、天音も執務室へと向かう。
ジャスティンはこれから従士たちとの訓練があるらしく一礼して去っていった。
「失礼します」
「ああ、アマネか。ちょうど良かった」
ノックして声を掛けると早速ユーウェインから反応があった。
昨日話していた調査のスケジュールが確定したらしい。
「試作品はミックからの完成連絡があり
明日持ち込みが行われる。
調査は2日後を予定しているが、どうか」
「私の方は問題ないです。
何人くらいで行くんですか?」
「狩りを行えるのがそろそろ最後になるからな。
なるべく人数を連れて行く予定だ。
今回はジャスティンも連れて行く。あいつは短弓が得意だからな」
短弓と言われても天音にはピンと来なかったが、ジャスティンは体格が小さいので見合った弓を使っているということだろう。
言われてみれば今まで狩りに行く時は常にジャスティンはお留守番だった。
ジャスティンは従士長という職務上、領主がいない場合の代行をしなければならない。
今回はダリウスがその役割を代わるとのことだ。
確かにいつも留守番だとストレスも多そうだ、と天音は納得顔でふんふんと頷く。
「服装は……まあ、今来ているものの上に
外套を用意させるので着ておけ」
天音お手製の長衣は概ね好意的に受け入れられている。
内布についてはカーラに羨ましがられた。
来年は毛糸を編んで挑戦してみる、と息巻いていたのが印象強い。
着てみたら防寒性は抜群で、本来はこの長衣の上にサッシュベルトのようなものを付けるらしいが、今年は無理そうだ。
代わりに、革紐でウェストを調節している。
「外套って、ユーウェインさんが着ていたようなものですか?」
襟があって革紐でくくるタイプの外套を思い浮かべる。
「そうだ。
一週間以上はかかるだろうから、ダリウスに準備内容を確認しておくように」
天音はこくんと頷いた。
しかし従士たちはどこに泊まるのだろうか。
疑問に思って訊いてみると、例のツリーハウスの他にも小屋は点在しているようだ。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「ああ」
しばらく振りの外出だ。天音は少しドキドキしながら準備に思いを馳せた。
37話は11日12時に投稿予定です。