32話 塩持てども
32話です。今日はシーンの都合上、少し文章が少なめになっております。次はたぶんマシマシ。
32話 塩持てども
「あ、もう塩がない」
塩壺の蓋を開けると、削り塩がなくなっていた。
いつもはカーラが補充してくれているが、今回に限って忘れていたようだ。
最近従士たちの分もスープを作ることが多くなっていたため、使用頻度が高くなっていたことが原因だろう。
カーラにいつも頼み続けるというのも何なので、天音は自分で岩塩を削ってみることにした。
塩は貨幣代わりになるぐらい高価だ。
そのため鍵付きの箱に仕舞われている。
更に柱に鎖ごと巻きつけられているので盗むのも一苦労だろう。
倉庫に入る前にカーラにひと声かけてカギ束を貸してもらった。
鉄錆の匂いがツンと鼻を過ぎる。
天音はこの匂いがあまり得意ではなかったが、こちらに来てから少しは慣れた気がする。
カギ束の中から倉庫のカギを取り出して重い扉を開けて、ランタンの灯りを奥にかざす。
倉庫はひと冬分の食料を貯蔵するわけだから、広目に作られている。
棚にはネズミ返しが付けられていて、被害の防犯になっているようだ。
カギを開けて革袋を取り出し、手のひらにコロン、と岩塩の塊を取り出した。
そこで、天音はあれっと思う。
「どこかで見たことある」
いや、見たことあるのは当たり前だろう、と自分で突っ込みを入れるものの、妙な既視感が拭えずに天音は首をかしげる。
不思議に思ってコロコロと角度を変えて観察することにした。
見たまんま、岩塩だ。色は付いていないが、透明で綺麗。
(まるで水晶みたい……な………)
そこまで考えて、天音は硬直した。
見たことがある。どこで?……洞窟で。
天音は急いで箱の片付けを行ってカギの始末をした。
気が急いて仕方がないが、戸締りはきちんとしなければいけない。
倉庫の扉を静かに閉めてカギの確認をしたあと、岩塩の塊をギュッと握りながら足早に廊下を奥へ奥へと向かった。
早歩きをして急いだので、ユーウェインの執務室にはすぐに着いた。
扉の前にはダリウスがいて、天音に目を止めるとにこりと笑った。
「どうしたのですかアマネさん。
旦那様に何か御用でも?」
「……っ……はい………あの、今、大丈夫でしょうか」
息を切らして深刻そうな顔をしている天音に何か思うことがあったのか、ダリウスはすぐに、取次ぎましょう、と言った。
◆◆◆
扉の向こうではユーウェインとジャスティンが議論をしているようだ。
「……塩の値段が上がりすぎですね」
「ああ。南がキナ臭い。
南部領も山賊が横行していて荷馬車が襲われることも多いようだ」
「それにしても、何の対応もしていないのはおかしな話ですよ。
毎回山賊に襲われるのなら公都に仲介を頼んで騎士階級の派遣を……」
「はん。そしてこちらにお鉢が回ってくるわけか。
礼金が貰えるなら考えても良いが、無料働きは勘弁したいものだな」
はからずも立ち聞きをしてしまった形になり、天音はダリウスの顔を不安げに伺った。
だがダリウスは平然とした様子でノックをする。
表情にこれといった変化はないので、聞いても問題ない内容だったのかもしれない。
ノックの音に内側から返答があった。部屋に入る許可が得られたので、天音はダリウスに促されて足を進める。
「どうした。何か問題でも起きたか」
元々天音が私用でここを訪れることはそうそうない。
ユーウェインに呼ばれることがほとんどだ。
そのためいくらか緊張しつつ、ユーウェインに向き直る。
椅子に座ることを促されたので、会釈してユーウェインの右斜め前に座る。
長卓の上には羊皮紙製の地図や資料と思しき木札が並べられていて、天音の視線に気付いたジャスティンがささっと片付ける。
「あのう……」
天音は話し始めたものの、何から話そうかと今更思い悩んだ。
そもそも何を尋ねるつもりだったのか、まだ決めていないことに気付く。
握りこぶしの中には小ぶりの岩塩。そう、岩塩の話だ。
洞窟に岩塩があったので、塩が高いのならそれを掘って使えば良い。
その提案に来た。これだ。
天音が気合を入れて顔をあげると、早くも待ちきれずに苛々し始めているユーウェインの苦々しい表情が目に入った。
頬に拳を当てて眉間に皺を寄せたユーウェインは、唇をへの字に曲げてまだかまだかと天音を見ている。
慌てて天音は話し始めた。
「あの、これ……」
「あん?岩塩がどうした」
手のひらの岩塩を見せると、それが何だという顔をされる。
その反応は想定内だったので、天音はそのまま会話を続けた。
「あのですね。これ、あそこにあったんです。洞窟もがっ」
「ジャスティン!」
「は、ダリウスと交代して扉の前で人払いをして来ます!」
ユーウェインは天音が話終わるのを待たずに椅子から立ち上がり、大きな手のひらで無理やり口を閉ざしていた。
(舌嚙んだ……!)
天音は涙目になりながらユーウェインを睨みつけるが、反対に睨み返される。
「あほか!不用意にそんな話を始めるな!」
「むぐ、むがー!」
ジャスティンと入れ替わりにダリウスが部屋の中に入って来た。
流石に血縁関係があるため息の合った交代だなぁと思いながら天音はジェスチャーを続ける。
しかしあほ呼ばわりはないだろう。しかも、ユーウェインは天音が話したかった内容を既に知っているかのような素振りだ。
「旦那様、女性に乱暴はよくありませんよ」
「やかましい!」
ダリウスの呆れた調子に反射的に叫んだものの、その後すぐに天音は解放された。
正直助かった。ユーウェインの手のひらは大きいので、鼻までカバーされて息苦しかったのだ。
手を離しついでに拳でおでこを軽く小突かれる。天音は不満げに唇を尖らせた。
「な、何なんですか?もう!」
「……あの洞窟から岩塩が採れるのは知っている。
俺も見たからな」
「はぁ?じゃあ何で……あ」
天音は昨日のお勉強会のことを思い出して口を噤んだ。
死の山付近は領地に入らないのだった。
「でも……宝の山じゃないですか?」
盗掘は問題だが、誰のものでもないのなら……と天音はおずおずと言う。
むしろ、死の山をグリアンクルの領地に出来ないのだろうか。
そう天音が質問すると、ユーウェインは静かに首を横に振った。
「……正直なところ、喉から手が出るぐらい欲しい。
だが、今のグリアンクルに余力はない」
「えっと……必要なのは人手、とかでしょうか?」
「人手どころか。
……信頼出来る兵士、信頼出来る人足、
邪魔が入ることも考えて防衛にも人手を割かねばならん。
また口の堅い商人、大量の資材……技術者。頭が痛くなるわ」
更にユーウェインの後ろからダリウスが説明を付け足した。
「ウチの実家を使うにしても、実家はトゥレニーの御用商人ですからねぇ。
塩の購買履歴も領主に開示要求されれば断りきれません」
御用商人という言葉に天音は驚いた。
トゥレニーは公国東部の大領地だったはずで、その御用商人ともなれば随分羽振りが良いのではないか。
そう尋ねるとダリウスはにっこり笑って頷いた。
「まあ、だからこそ私もジャスティンも、
良い就職先を斡旋して頂けたのですがね
……それはそれとして、旦那様」
「……トゥレニーに岩塩窟の所在が知れれば、
確実に取り上げられる。
あと5年の期限を待たずに異母兄の元へ、だな」
ユーウェインは吐き捨てるように呟いた。
「………5年の期限?」
「ああ、アマネさんはご存知なかったのですか?
ユーウェイン様はご領主であられますが、5年限定なのです」
ダリウスがあっさりと答えてくれたが、天音は仰天して思わず立ち上がってしまう。
「ど、え、聞いてません!」
「言ってなかったか?」
動揺してどもりながら宣言すると、ユーウェインはとぼけた調子でうそぶいた。
これは確実にすっとぼけている。天音は胡乱げにじろりと睨みつける。
「どういうことなんですか?
5年経ったら領主辞めちゃうんですか?」
気持ちを落ち着けるために椅子に座り直したものの、頭の中は情報過多でオーバーヒート気味だ。
ユーウェインが領主じゃなくなるかもしれないという事実は天音の気持ちを想定以上に揺り動かした。
こちらに来て始めて会った人で、天音の身元引受人であるユーウェインがいなくなると、天音は一気に不審者に逆戻りだ。
(それに、恩返しもしていないし……)
天音が難しい顔をしていると、ユーウェインはおかしそうに笑った。
「困るか?」
「はい!困ります!とっても!」
そこだけは自信満々に答えられる。天音は躊躇せずに叫んだ。
「そうか……まあ、条件が叶わなければ、
領主の位を返上することになるだろうな」
「へ?条件?」
ユーウェインは語り出した。
いわく、領地収入で得た大金貨100枚を献上すること。
後継をもうけること。
どうして後継が必要なんだろう、とぼんやり思うが、そちらよりも大金貨100枚のほうが気になった。
「……大金貨100枚ってどのくらいなんですか?」
天音の疑問に、ユーウェインはふむと顎を撫でた。
「………小さい城が建つな」
つまり、途方もない大金のようだ。
あとでダリウスに正確な価値を聞いておこうと天音は思った。
「それで、あの。どうやって条件を叶えるおつもりなんですか?」
話がそれかけていたのを修正する。後継については天音がどうこう言っても仕方ないので、スルーしておく。
尋ねておいてなんだか、天音は先日の特産品騒ぎについて思い返していた。
なるべく森の資材を使って特産品を作る。
また、交易品で領地収入を増やす。こんなところだろう。
ユーウェインも同じ意見のようだった。
「先日魔狼退治で得た魔石はいくらぐらいだ、ダリウス?」
「概算ですと大銀貨2枚程度ですねぇ。割と小粒でした」
魔石というのは、あのつるりとした石のことだろう。結構価値が高いのに驚いた。
通信器具代わりになるので珍重されているそうで、なるほどと天音は頷く。
「だが、まだ足りん。そこでだ」
そう言って、ユーウェインは笑顔を見せながら天音の両肩をポンと手で叩いた。
整った顔を無理やり笑顔にしているおかげで、妙な凄みがある。
肩から手が外される様子がないことに天音は訝しみながらユーウェインに笑い返す。
「………そこで?何でしょう?」
「アマネ。全力で手伝え。知恵を貸せ」
(あれ……何か変な方向に話が行ってない?)
頬を冷や汗が伝った。
33話は6月8日12時更新予定です。
皆様、良い週末をお過ごし下さい。
※追記
義兄→異母兄に変更。書き間違いです。訂正しました。




