31話 楽しいおべんきょうの時間
31話です。この回から2章がはじまります。まだ緩やかですが、徐々にストーリーが進行していきますので、まったりお付き合いください。
閲覧、ブクマ、評価ありがとうございます。励みになります。何卒今後もお付き合いくださいますよう。
31話 楽しいおべんきょうの時間
「これで合ってますか?」
「ああ。しっかり書けている」
その日天音は文字を習うためにユーウェインの執務室に訪れていた。
数字と文字について、本当はダリウスに教わる予定だったのだが、商会の件があったので躊躇していたところ、ユーウェインが手を挙げてくれたのだ。
ジャスティンもジャスティンで忙しそうだし、カーラも文字については教育されている側だ。
よって消去法でユーウェインが教育係りとなったわけである。
こちらの文字は、どの国でも同じものを使っている。
言葉については大まかに分けて4つ。
グィーゴール語
アルス語
ホルファウト語
古イアルトーグ語
それぞれの国は大陸の内東西南北で分かれている。
文字の発祥はアルス語圏で、文字の名前もアルス文字と言う。
文字は母音のみで21字。子音はわざわざ書き起さないようだ。
発音についてはまだ勉強中だが、それぞれの国で同じ文字を使ってもまったく別の発音になることもあるので注意とのこと。
中国語の、北と南で発音が別物というのと似たようなものだろうと天音は判断している。
数字については、0からはじまり1~10。数え方も10進法のようで安心した。
文字も数字も、天音のよく知る英語や英数字に似ている部分があるので覚えやすかった。
日本語のように難解だったらどうしようと心配していたが、杞憂だったようだ。
「でも案外文字の数が少ないんでビックリしました」
「はあ?これ以上の文字数が必要になることはほとんどないだろう?」
噛み合わない意見に、天音は首を傾げた。
文字が必要になる場合なんて、天音にとっては当たり前のように身近にある。
仕事に必須。私生活でも必須。そのようなことを伝えると、ユーウェインは訝しげに眉を寄せた。
「訊くが、お前の国では識字率はどれほどのものなんだ。
お前の話振りから察するに、文字が書けて当たり前のような国なのか?」
「そうですね。私の国の識字率は9割を超えています。
計数も簡単なものなら、誰でも」
平然と言った天音に対してユーウェインは今度は呆気に取られたような表情を見せた。
とても信じがたく、意味がわからない、とでも言うようだ。
「………識字率がそれほどまでに高いのは、何故だ?
どのような利益がある」
「ええと……歴史の話になると長くなるのである程度掻い摘んでなら。
識字率が高いのは、私の国が義務教育と言う、
一定の年齢の子供を学校で教育を受けさせているからでしょうか。
そして……例えば識字率が上がれば乳幼児の死亡率が下がります」
「は?関連性がわからないが。何故子供の死亡率が下がるのだ」
「正しい医療知識を女性が自由に得られるため……ですね。
文字が読めると知識の伝播が早いですし、
書物に書き記すことによって読み返しが出来るので
間違った知識が……あの、ユーウェインさん?どうしたんですか?」
「……何でもない。それはもうわかった」
何故かぐったりしたように見えるが、変なことを話しただろうか。
それとも提示した内容が求めていたものと違ったから、かもしれない。
もしくはカルチャーショックの可能性もある。
カルチャーショックなら、天音もこちらに来てから何度か受けている。
似たような状態なのかもしれない。天音は思わず同情を込めた視線をユーウェインに向けた。
しばらくして落ち着いたのか、ユーウェインははぁとため息を吐いて天音に向き直った。
「話がずれたな……文字の話だった。
そちらの文字は何文字あるんだ?
比べるとこちらのほうが少ないのはわかったが」
「ううーん、総数は辞典を参照しないとわからないです。
平仮名と片仮名……濁音合わせると160は越えるし……」
「……わかったもういい」
ユーウェインが遠い目をしてストップを掛けた。
総数がどのくらいか知らなかったので、天音はほっとして笑顔を見せた。
知ったかぶりな話はあまりしないほうがいいだろうという考えもある。
「……………これは手放せんな」
そう呟いたユーウェインの声はとても小さかったので、天音の耳には届かなかった。
◆◆◆
文字と数字の解説が終わると、今度は何とはなしに地域周辺の話に移った。
ユーウェインが治める土地は大森林地帯とこの開拓村、少しばかりの平野部だ。
驚いたことに死の山一帯は領地ではないらしい。
その事実を知って、天音は心配になった。
「家、大丈夫なんでしょうか」
不法滞在で接収されたりしないだろうか、とユーウェインに問い掛けると、否という答えが返ってきた。
そもそも死の山一帯は不可侵地域になっていて、誰の領地でもない。
生物がいないので住むにも適さないので不毛の土地扱いになっている。
そしてそれは山岳民族も同じのようだ。
「水がなければ荒地を踏破するのも難しかろう。
死の山にたどり着いたところで野垂れ死にするだけだ。
言っておくが、そのような心配はするだけ無駄だぞ」
それもそうか、と安心して天音はこくこくと頷いた。
家から持ち込んでいたノートはこちらに来てから2冊目の消費だ。
1冊は家に置いて来た。何となくキリが良かったからだ。
春になれば荷物を取りに行く予定はあるものの、引越しの際にどれだけ荷物を持ち出せるかも追々相談しなければならないだろう。
気を取り直して、天音は勉強の続きをすることにした。
「そういえば、森に狼とウサギ、シカがいるのは知っていますが、
他にどんな生き物がいるんですか?あ、キツネもいるんですよね」
「野ねずみにクマ。鳥類は猛禽類をはじめ、小ぶりの野鳥も多く生息している。
あとは蛇に虫………」
「虫のことはいいです」
天音はきっぱりと言った。蛇のぬるぬるも苦手と言えば苦手だが、虫はもっと苦手だ。
生き物のことを訊いたのは、注意事項があるかを知りたかったのだが、そんな気も失せてしまった。
このことに関してはまた知る機会もあるだろう。と無理やり自分を納得させる。
「……カモも今の時期は脂がのって美味い。
今度狩るか……」
「お肉を狩って来てくださるのは嬉しいんですけど
調理法に悩みますねぇ……」
「そうなのか?毎回違う味で、俺としては不満などないが」
出されるほうはそうかもしれない。
また、ユーウェインは味と言っているが、おそらく食感の違いを味の違いと誤認しているのだろう。
天音が悩んでいるのは、調味料バリエーションの少なさだ。
塩と酢、たまにハーブ。天音の知る範囲ではそれぐらいしかない。
そのことを伝えると、ユーウェインがふむ、と顎に手をやった。
「もっと香辛料の種類があればいいんですが。
ユーウェインさんはそういうの詳しくないですか?」
「……ちょっと待っていろ」
ユーウェインはおもむろに立ち上がって姿を消した。
そして、しばらくすると戻って来て天音の目の前にポンと革袋を置いた。
革袋の中は更に小さな袋に分かれていたので、天音は丁寧に一つ一つ机の上に取り出す。
「………?」
袋を空けてみると、芳しい香りがする。どこか覚えがある香りで、天音ははっとして顔を上げた。
「数年前にカルヴァフマル近くの国境を訪れたときに、商人から購入したものだ。
山賊から助けたもので、随分と安値で売ってもらったのを
今の今まですっかり忘れていた」
「忘れないでくださいよっ!?」
「貴重なものらしいが使い方がわからんから放置していた」
「……使い方ぐらい聞いておいてくださいよ……」
思わず突っ込むと、ユーウェインはポンと手を打った。
その発想はなかった、とでも言いたげな顔付きだ。天音は脱力して肩を落とす。
結局、香辛料らしきものの種類は全部で13種類あった。
それぞれ、辛かったり鼻がツンとしたり、いろんな楽しみ方が出来そうだ。
「それでこれ、使ってもいいってことですか?」
天音に持ってきたということは、これを使って何か作れということだろうか。
そう思って尋ねると、肯定の返事がかえってきた。
思いがけず降って沸いた幸運に天音の心は沸き立つ。
それと同時に、売ったほうがいいのでは、とも思う。
「売ればいくらかにはなるが、
食を豊かに出来るのならそちらのほうが良い。
俺は美味いものが食べたい」
「……………」
何というか、ブレない。いっそ見事なくらいだ。
ひとまず何にどんな風に使うかは持ち帰って研究という形にさせてもらった。
量が少ないため失敗が怖いものの、なるべく最適な使い方を模索したい。
そんな風に考えていたところ、ユーウェインのお腹の音が盛大に鳴った。
腹時計で判断するのもアレな話だが、夕飯の時間に近いらしい。
「……」
ユーウェインの瞳が作れ、と言っているのが天音にはわかった。
わかってはいるが、やはり何だか抵抗感を覚えてしまう。
とはいえ、作らないわけにも行かないだろう。
天音は香辛料を手にすごすごと部屋を出た。
さて何を作ろうかと倉庫を訪れたところ、シカ肉の存在を思い出した。
確か熟成が終わったとダリウスが言っていたはずだった。
天音はダリウスの元へ行きシカ肉を分けてもらって台所に入る。
(パイ包み……はパイ生地を作るのに時間がかかり過ぎる。天ぷら……天ぷらいいなぁ)
使いかけの油がまだ少し残っていたはずだ。この機会に使ってしまおう。
天ぷらだけだと少し食べごたえが足りないので、シカ肉のベーコン巻をフライにして、それをメインにしようと決めた。
また、あばら肉と野菜のスープに、乾燥キノコとカブの葉っぱを茹でたものを副菜にして全体の栄養バランスを整えよう。
メニューが決まったので材料を揃えると、天音は腕をまくって調理をはじめた。
シカ肉は手持ちのフォークを突き刺してしっかりと筋処理をする。
天ぷら用とフライ用と別々の大きさで切り分けたあと、なるべく柔らかくするため調味液に付けておく。
調味液は悩んだ末、料理酒と塩、ハーブを少々を混ぜたものを使うことにした。
あまり濃い味がついてもうるさくなるだけだから、量は控えめだ。
天ぷら生地は小麦粉と重曹を粉ふるいにかけたあと卵と水を入れて混ぜる。フライにも流用するつもりだ。
フライ用のパン粉は先日まとめて削っておいたものを使う。
肉を漬け込んでいる間に野菜の下処理を行った。
スープ用の鍋に水とあばら肉を入れて煮込んで灰汁を取り、塩で味を整えたあと野菜を投入する。
こちらはあとは煮込むだけだ。
軽く漬け込んでおいたシカ肉を取り出して、フライ用の方のベーコン巻を使うことにした。
こちらでは薄くスライスするなんて芸当は出来ないので、ベーコンを包丁で苦心しながらそこそこぶ厚めに切り取る。
塩をしっかり振りつつ、シカ肉を真ん中に巻き込んで串で挿しておく。
串は持ち込みの竹串だ。串焼き風にすれば取り扱いが楽だろう。
揚げ物用の鍋は持っていないが、古いフライパンは一応持ってきたのでそちらで代用する。
傾けて使えば油も少量で済む。カセットガスコンロに火を入れて油が熱するのをしばし待つ。
「あ~天ぷら久しぶりだなぁ~」
ついつい声が弾んでしまうのはご愛嬌だ。
和食で行きたいところだが、天ぷらは果たして余るだろうか。
ユーウェインの食欲を考えると、正直なところ死守するのは難しいかもしれない。
でも天ぷらは天音も久しぶりなので、何とかユーウェインから死守したいところだ。
油にパン粉を入れると、パチパチと音が鳴る。
揚げるのに丁度良い塩梅のようだ。
天音はフライパンを斜めに傾けて、次々と具材を投入して行った。
高温で油がはねるが、少々のことなら気にしない。
「よしっ。良い黄金色!」
天ぷらは重曹を入れたおかげでぷくぷくと膨らんだ状態で、とっても美味しそうな出来栄えだ。
黄金色を出すために二度揚げしている。
続いて、フライも揚げてメイン作業が終了。
油は大部分をポットに移したあと、茹でておいた乾燥キノコと小さく切ったカブの葉っぱを軽く酢であえて終了。
冷めないうちに、とダリウスに頼んで給仕をしてもらう。
そしてユーウェインが食べている内に天音も食べることにした。
残念ながら主食は黒パンだが、ご飯を炊いている隙にユーウェインが来てはたまらない。
サクサクとした食感の天ぷらとフライは思ったよりも良い出来で、天音はゆっくり舌鼓を打つ。
ダリウスには天ぷらは塩でとお願いしておいたので、味付けについては問題ないはずだ。
スープも即席にしては良い出来だ。
余った分は従士たちに持って行ってもらえるようにお願いしてある。
「お野菜も美味しい……幸せ……」
新鮮な食材を使ったので、満足度が高い。
このまま後片付けせずぐうたらしたいという欲望が頭をもたげる。
(いやいや、さすがにそれはダメだー)
そんな風にセルフ突っ込みをしながら食後のお茶を飲んでいると、やはりと言うかユーウェインがひょっこり顔を出した。
表情はもちろん渋面だ。だが、天音は素知らぬ振りを決め込んだ。
この間痛い目にあったので、反省したのだ。自分の欲望には忠実になると!
「………もうないのか」
眉間に皺を寄せてそう尋ねるユーウェインは何だか子犬のようだ。
天音が厳かに頷くと、途端にしょぼんとした顔になる。
訂正。子犬のようだ、ではなくて、子犬だ。この犬っころめ。
「まったく、人の分まで食べ過ぎないでくださいね」
天音はここぞとばかりに苦言を呈する。
犬っころだろうがなんだろうが、食べ過ぎは良くない。
しかも他人の分なら尚更だ。プリプリしながら反応を伺っていると、ユーウェインは唇を尖らせてこう言った。
「仕方なかろう。お前の作る料理が美味すぎるのが悪い」
……顔が赤くなるのを自覚した天音は、お茶を飲むことで危機をやり過ごすことにした。
32話は6月5日12時に投稿予定です。