27話 ものづくりの季節
27話です。今回のお話は開拓計画の前哨戦といった内容です。
27話 ものづくりの季節
「……はぁっ」
開拓村にはじめて入った頃は、雪が降っていてもまだちらほら土の姿が見えていたが、そろそろ冬も深くなって畑も雪に埋もれてきた。
天音は洗濯場で自身の汚れものを洗いながら、何とはなしに吐いた息の白さを確かめていた。
そうやって気を紛らわせてないと寒くて適わないのだ。
水は氷のように冷たいので、指先は真っ赤になってヒリヒリしている。
(あとで保湿クリーム塗っておかないと……)
手持ちのクリームはあとどれくらい残っていただろうか、と天音は記憶の蓋を開けかけて、止めた。
あまりにも寒すぎて、思考が働かない。
これは長引くと不味いと思って、天音はより一層力を入れて汚れものを洗濯板に擦りつけた。
洗濯板はこちらに来てから材木屋に丁度良い木切れを売ってもらったのを自分で加工した。
日曜大工セットとは別に、彫刻刀セットも持ち込んでいたので、ギザギザを彫り込んだあと磨いたものを使っている。
防水加工を行っていないのでひと冬保てばいいだろうか。
春になったら新しいものを購入して蝋引きしてもらおうと考えている。
蝋引き用の蝋があいにくとこちらでは売っていないので、注文することになりそうだ。
購入代金は小銅貨8枚という値段だったが、安いのか高いのか天音にはよくわからない。
ダリウスやジャスティンが何も言わなかったところを見ると、ぼったくりではないのだろうと天音は思っている。
「終わったァっ」
天音は威勢良く顔を上げて立ち上がった。絞りもバッチリ、あとは部屋に干すばかりである。
汚れものの内訳は主に下着と内着だ。
洗濯用の石鹸も馬鹿にならないので、衛生観念と天秤に掛けて下着と内着だけは毎日洗うことに決めている。
洗濯後の汚水を所定の場所へ流して、エプロンで手の水気をしっかりと取ったあと、天音は洗濯物を持って裏口からこっそりと館内へと入った。
なぜこっそりかと言うと、今日はひっきりなしに来客があるからだ。
「アマネさん。今日は来客が多いので、
出来ればあまり出歩かないようにお願いします」
そんな風な申し出がダリウスからあったのは今朝のことだ。
ダリウスによると、今日は領主と職方衆との定例会議が行われると言う。
職方衆とはそのままの意味で、開拓村に住む職人たちの集まりのことだ。
今回は、春になれば隊商を組んで近くの街……トゥレニーまで商品を売りに行くので、その相談という名目で集まっているらしい。
商品内容は様々だ。鍛冶屋は鉄製の矢尻や鍋。材木屋は木、あるいは木製の加工品。
なめし皮屋は革や革紐。雑貨屋は主に仕入れに行くという話だ。
他、領主側では東の山岳民族との交渉で得た毛皮や毛糸などを街で換金すると言う話だ。
なめし皮屋と言えば、イーニッドの兄は皮なめし屋で徒弟として働いているようだ。
名前をトレヴァーと言う。天音はまだ会ったことがないが、生真面目な青年らしい。
「毛糸かぁ……いいなぁ……」
手回し式ランタンを付けて、天音は手荷物の中から手芸道具と布を取り出した。
洗濯物は暖炉近くに干しておいた。この時期だから乾きにくいのが難点だ。
実は雑貨屋へ趣いた時以来、天音は館の外には出ていなかった。
天音の格好はこちらでは随分と奇異に映るようで、イーニッドに相談したところ、ワンピースタイプの長衣を作ってはどうかとアドバイスを受けたのだ。
とはいえ布がないとどうしようもないので、ダリウスに頼んで使われていない布を分けてもらうことにした。
使われていないと言っても予備の布だ。きっちり料金は支払った。
大銅貨7枚というお値段。こちらも、おそらく相場なのだろうと天音は判断している。
イーニッドにだいたいの型を布に直接描き起こしてもらったところ、デザイン自体は単純なものだったので、自分で縫ってみることにした。
天音が持っている日本での服の上に、この長衣を被れば外を出歩いても悪目立ちしないだろう。
逆に人が集まっているところに奇妙な服でうろついていると、余計なトラブルを招きかねない。
ダリウスの判断は的確だったとしみじみ天音は思う。
「ん……もうちょっとで出来上がるかな」
そのまま、もらった布を縫うだけなら簡単だったのだが、持ち込んだ手持ちの布を裏布として当てていたため、少々時間がかかっていた。
ベージュの色をした布はそれなりに分厚くしっかりとしていたが、どうせ被るのなら暖かいほうが良い。
裏布は亡き母が購入していて、まったく使う機会がなかったフリース生地だ。
解れにくい素材なのも幸いだった。伸縮にさえ気をつければ縫い付けるのも難しくはない。
糸は用意してもらったものを使っている。これも、購入したものだ。
「よし。これはなかなか暖かそう」
腕の取り付けが終わって無駄な糸を糸きり鋏でちょいちょいっと切り落として、長衣が完成する。
試しに着てみると寸法はピッタリだった。
イーニッドはフリーハンドでさくさく型を描いていたが、かなり手馴れていたように思える。
(結構腕が良いんじゃないかな、イーニッドって)
年の差を感じさせないほどこちらの人たちはしっかりしている。
天音も一応成人して数年経っているが、しっかりしているかと言われれば否ではないか。
両親が亡くなったあと必要にせまられて出来るようになったことは多い。
それでも便利な世の中で暮らしていたため、根本的に甘いところがあるように思える。
(つまりは、まだまだ精神的に未熟、と……)
自分で考えたことに自分で落ち込みつつ、天音は長衣の試し着を終えた。
鏡がないので似合ってるかはわからない。
あとで誰かに確認をしてもらおう、と判断してひとまず長衣を畳み終えた。
◆◆◆
廊下の奥でガヤガヤと声がし始めた。どうやら職人たちが帰るようだ。
こっそり覗いてみると、むくつけき男性たちがあれこれと話しながら部屋から出て来るところだった。
「しかし、いきなり何だ……材料を融通しろとは」
「おい……声が大きいぞ」
「知るものか。死の山の魔女か何か知らんが、ご領主様ともあろうものが誑かされて……」
死の山の魔女。その単語に天音ははてと首を傾げた。
場所は天音が現れたあの洞窟の山で間違いないだろう。
しかし魔女という単語にはややマイナス方面の印象を受ける。
魔女と言うからには女性なのだろう、と予想するが、それに続く誑かされるという単語に天音はもしかしてと思う。
何だか気になって、天音はそのまま聞き耳を立てることにした。
「落ち着けって。誰かに聞かれたら問題になる」
「俺は間違ったことは言っていないぞ!職方内の仕事は職方内で完結させるべきだ。
お前もそう思うだろう、ダン」
「俺は……」
先ほどの2人とは別の声が廊下に低く響いた。声音からは感情が全く読み取れない。
「お前ンとこのドラもぼやいてただろうがッ」
「だから声を落とせ、ミック」
「うるせえっ」
ドラがぼやいていた。その台詞に、天音はさあっと顔を青くした。
おそらくだが、この話題の中心にのぼっているのは、天音自身だ。
死の山から来た魔女。何と禍々しい呼び名だろうか。けれど、材料を融通とは何の話だろう、と天音は考えてみるが、さっぱりだ。
「俺の女房は、心配性だ」
あの日顔を合わせるだけに終わったドラの旦那だろうか。ダンと呼ばれた男性がやにわに話し出したので、天音は慌てて頭を切り替えて話に耳をそば立てた。
「心配性だから、小さな愚痴を言ったのだろう。
だが、あの女性が来てから、うちのパンの注文は増えたぞ」
天音はダンの言葉に目を丸くした。
確かに、天音が来てから、というよりは正確にはユーウェインに柿ジャムを買ってもらってからだが、パンの消費量が若干増えていた。
ダンはそのまま話し続ける。
「俺はご領主様の考えはわからん。だが、注文が増えるのなら、問題はないと思う」
それだけ言うと、ダンはすぐ立ち去ったようだった。
残った人間はやがてボソボソと言っていたが、残念ながら天音は聞き取れなかった。
◆◆◆
「わざわざ呼び立ててすまなかった」
「いえ……」
ユーウェインの執務室に呼び出されたのは、その日の夕飯が終わってすぐのことだ。
いつもならこの時間帯は食器など洗い物が残っていたら手を付けたり、身体を拭いたりすることに使っている。
天音は少々緊張しつつユーウェインからの話し掛けを待っていた。
今日は1日中来客があったので気疲れがあったのだろう。
ロウソクの炎だけなので顔色はわからないが、皺の寄った眉間をグリグリと親指で押さえている。
どうも何から話せば良いのか迷っている様子だ。
扉付近にはジャスティンとダリウスが待機している。彼らの方向を見遣ると、苦笑を返された。
天音は時間がかかりそうだと思ったので、ユーウェインにこう申し出た。
「ユーウェインさん。お疲れのご様子ですので、
もし宜しければお茶でもいかがでしょう?」
「んあ?……ああ、では、頂こうか」
ユーウェインはびっくりしたような顔で応えた。
天音は会釈をして部屋を退出する。
ダリウスも同様に出て来たので、天音は何だろうと視線で問い掛けた。
「お手伝いしますよ」
天音はきょとんとしたあと、頷いた。手伝いは然程いらないし、ダリウスもわかっていると思ったが、何か話したいことでもあるのだろうか。
そんなことを考えながら天音は台所へと足を伸ばした。
お茶は、例のラベンダーティだ。この際ついでに味を試してもらおう。
つい先ほど火は落ちていたようだが、お湯はまだ温かい。
天音はカセットガスコンロで軽く沸騰させたお湯を使ってラベンダーティを入れる。
こちらに来てからカセットガスコンロの使用頻度が減っていたため、残り本数が少ないものの長持ちしている。
このまま無駄に使わなければ冬は越せるだろう、と言うぐらい緩やかな減りだ。
「おや。この香りはメフェヴォーラでしょうか?」
「ご存知なんですね。メフェヴォーラと品種が近いのだと思いますよ。
これは私が持ち込んだもので、ラベンダーという花のお茶です」
「ほう……お茶にして飲むこともあると聞いたことはありますが、
これは乾燥させたものですか?」
ダリウスは興味深げにティーパックを指さした。天音はダリウスの問いに頷く。
「乾燥させた花や実を使っています。ダリウスさんも毒見役として一杯いかがですか?」
「ありがたい。頂きましょう」
熱そうにラベンダーティをすすりながら、ダリウスは唐突に天音に質問をした。
量はそれほど入れていないが出来立てアツアツなので少し飲みにくそうにしている。
「アマネさん、先ほど聞いてらっしゃいましたよね?」
何を、とは言わない。具体的な訊き方ではないが、天音には何となくダリウスが言っていることがわかった。
「はい、聞いていました」
「素直な反応ですねぇ」
にかっと笑うと、ダリウスも同じように口角を上げた。
「ダリウスさんも聞かれていたと思うのではしょりますけど
一体何がどうしてああなったんですか?」
「いやあ……それは私の口からはとてもとても。
一つ言えるのは旦那様の気配りが少し足りず、
職人の一人が過剰反応してしまった……ということですかねぇ」
「なるほど……ああ、だからユーウェインさんがあんなにバツの悪そうな顔をしてたんですね?」
「そういうことになります。ですので、アマネさんは安心して旦那様とお話なさってください」
天音は納得して頷いた。ダリウスはその一言が言いたくて手伝いを申し出たのだろう。
それだけ言うとラベンダーティを飲み干したダリウスは先に部屋へと戻って行くことにしたようだ。
「ごちそうさまでした。なかなか興味深いお味でした。
それでは先に戻ります。お茶が冷めない内にお戻りくださいね」
「はい、ありがとうございます」
天音はお茶受けを用意してからお盆を手に取り、ゆっくりと部屋へ戻った。
「失礼いたします。戻りました」
ノックをして声を掛けると扉が開いた。
扉を開けてくれたのはジャスティンのようだ。
目が合うと無表情で天音を確認したあとそっと目を逸らす。
相変わらずツンツンしている。
「何だ?これは……嗅いだことのある匂いだが……」
「メフェヴォーラですよ、旦那様。と言っても違う品種のようですが」
「3人分お持ちしましたので、お茶請けと一緒にどうぞ」
卓の上に並べると、各々がそれぞれ手に取る。
ダリウスには先ほど毒見……もとい味見をしてもらっているが、3口くらいの量だったので入れ直している。
ジャスティンの様子を横目でちらりと見ると、案の定耳をピクピクさせていた。
わかりやすい反応に心の中でくすりと笑う。
「これは何だ?やけに茶色いが、堅焼きパンを更に固く焼いたものか?」
「煎餅と言います。私の持ち込み品で、コメという穀物の一種に味を付けて焼き固めたものです」
こちらでは硬い穀物を焼いたものは全て堅焼きパンの扱いを受けている。
その都度これはあれで、と説明をしているのだが、最終的には「堅焼きパンの一種」という風に落ち着くようだ。
ちなみにクッキーはこれからも出す予定なので名前を覚えてもらった。
「………っ」
一番劇的な反応をしたのはジャスティンだった。好みがドンピシャだったらしい。
耳を真っ赤にさせて、興奮したように頷いている。
「なかなか旨い。だが俺はクッキーのほうが好きだ」
「私はこっちの方が好きですねぇ。酒のアテになりそうですし」
今回は試しに出してみただけなので飲み物との組み合わせを考えていなかったが、しょっぱい系のほうが確かにお酒には合うかもしれない。
今度はお酒と一緒に出してみよう、と心の中でメモをした。
何となく空気が緩んだところで、ようやくユーウェインは話し始めた。
28話は6月1日12時投稿予定です。
本日はこれから、時間は未定ですが「中華鍋と僕」の第2話更新も行いますので、そちらも宜しければご覧になってください。




