23話 麦と兵隊とエトセトラ
23話です。黒パンってクッキーのような硬さじゃなくて、噛み切れない硬さですよね。スープなしじゃ食べられないので、顎が強くなりそうな環境です。
23話 麦と兵隊とエトセトラ
「……驚きですね」
「美味しい……柔らかいです」
2人は同時に感嘆の声を漏らした。
天音は素直な賛辞についついお尻がむず痒いような気持ちになってしまう。
こちらの人は食べ物を作るととても美味しそうに食べてくれるので、ユーウェインのアレはともかく、反応についてはとても喜ばしい。
黒パンの硬さを和らげるため、少し蒸したのも功を奏していた。
乾燥が硬さの原因のように思えるので、食べる前に一手間加えることであの硬さを緩和出来るのなら、とは思うが、そのあたりは燃料との相談だろうか。
「このチーズの焦げ付きがまた、酒が進みそうな……」
「あ、麦酒ありますよ。出しましょうか?」
「いやいや仕事中……なんですけどねぇ」
きっぱり断わるかと思えば、ダリウスは整った眉を下げて悩ましそうだ。
そんな様子に天音は親近感を覚えてくすりと微笑む。
仕事中に一杯やりたい、というのは万国共通なのかもしれない。
そしてふと酒好きな佐波先輩のことを思い出しそうになって、天音は慌てて記憶の蓋を閉ざした。
今反芻してしまうと懐かしさに涙ぐみそうになる。
「でも、これを毎日はちょっと難しいですよねぇ」
残念そうなカーラの一言で一瞬気が逸れたようで涙が引っ込む。天音はカーラに首をかしげながら尋ねた。
「それって、材料を毎日使えないからでしょうか?」
「そうですねぇ…小麦粉は毎日使えるほど備蓄はありませんし、黒麦も……」
カーラはそう言って一旦口を閉ざした。翡翠色の瞳は陰りを帯びていて、部外者の天音にも何か事情があるのだろうと察せられる。
思わせぶりな言葉に天音は表情を変えずにただ次の一言を待つ。
続きを発したのはダリウスだった。
「もう10年ほど前になりますか。小麦飢饉があったのですよ。それも大規模な。
公国は黄金の祈りを運ぶ風と言われるほど大きな穀倉地帯を所有しているのです。
ですが小麦の病気が流行り、一気に小麦不足になりました」
小麦粉を主食としていた街や村は食べるものがなくなり、餓死者が続出したと言う。
そして足りない部分をどこから調達したかというと、黒麦や大麦を主食としている別の領地からだった。
グリアンクルは公国の領地の一つで、公王から封土の許可を得て、ユーウェインはグリアンクルを統治している。
任期はまだ5年なので、開拓村は直接被害を被っていないが、例えば隣の領地トゥレニーは小麦不足から黒麦・大麦不足が連鎖的に広がり、当時は酷いものだったそうだ。
「……私、覚えてます。あの時はほんと、パンすら贅沢品で。
うちは子沢山で私は次女だったので、そりゃもう肩身が狭かったです」
「私も商会の四男坊でしたからねぇ。旦那様が拾ってくださらなかったら危ういところでした」
2人とも明るい声音でからからと笑っているが、話している内容は深刻そのものだった。
グリアンクルを含めて公国の領地は10年前の大飢饉が未だに色濃く影を落としていて、種苗を1から増やしている最中なのだそうだ。
そのため小麦粉の流通は制限されているし、黒麦や大麦もなるべく耕地面積を増やしてはいるものの、食うのにやっとと言った状態。
天音はほんのり心の奥で自分のことしか考えていなかったことを恥じた。
けれどそんな天音の内心を表に出したところで目の前の苦労を乗り越えた人たちが喜ぶわけがないので、しっかりと唇を引き結ぶ。
こちらに来てから、あまりにも自分のことで精一杯だった。
そのことが悪いとは思わないが、相手に対して気遣いを無くしてしまうこととはまた別のことだ。
「旦那様もあんな風に振舞っていらっしゃいますが、
おそらく村を豊かにされたいんでしょう。
まあ、滅茶苦茶な人となりは否定しませんがね」
ダリウスがおどけたように肩を竦めた。茶目っ気たっぷりな言い草に天音はつい苦笑を漏らす。
確かに、滅茶苦茶な人だなとは思う。常に泳いでないと死んでしまう回遊魚のように、というのは言い過ぎだろうか。
そのまま何となく雑談が続いたあと、天音はあてがわれた部屋へと戻った。
ダリウスとカーラの話を聞いて色々と考えさせられたが、頭が理解に追いつかず、知識が消化不良を起こしているようだ。
少し身体を休めることにする。
「……いっだぁ!」
ベッドに座って勢い良く後ろに倒れ込んだ天音は頭を打って悶絶した。
硬い布張り状態なことを失念していたのを瞬時に後悔する。
(はぁ……ユーウェインさんが帰って来たことは喜ばしいけど、問題が山積みだよう)
何もかもが天音の常識とはかけ離れていて、天音はここに来てはじめて生きて行けるだろうか、と疑問を持った。
けれど反面、生きていかねば、という反骨心も徐々に芽生え始めている。
食事については由々しき問題なので、色々と手を出し口を出し改善する方向で行きたい。
先ほどの話を聞いて同情しなかったといえば嘘になる。
ただ同情とは別に、改善していかなければ天音の生活も危うい、とも感じた。
天音の前途は多難なようだ。
◆◆◆
「失礼致します……」
こちらが旦那様の執務室です、と案内された部屋の扉を叩くと、扉の奥からおう、という声が低く響いた。
ユーウェインが帰ってきてから1日が経った。
昨日天音が作った具入りのホワイトソースは、朝には既になくなっていた。
確か数人分作ったはずだが素早いことである。
執務室には重厚な一人用の執務机に椅子があった。
敷物は何かの毛皮だろうか。ふかふかで暖かそうだ。
暖炉には薪がたっぷりと入れられ、部屋の中は十分に温められている。
扉を閉めたのはジャスティンだ。扉近くに控えていたらしい。
ジャスティンとも一週間ほどの付き合いになるが、仕事中は無表情を貫いているため、どうにも感情が伺えない。
かと言ってそれが不快かと言えばそうではなく、職務に徹するタイプなのだろう、と天音の中では結論付けられている。
「さて、昨日は急な注文に対応させてすまなかったな」
まるですまなそうに見えない顔で、ユーウェインは形ばかりの謝罪をする。
目尻はやに下がっているし、口元も満足げに歪んでいるのは、気のせいでは絶対ないだろう。
天音の内なる感情が伝わっているのか、ユーウェインは面白げにくつくつと笑う。
「顔に出ているぞ」
「それはそれは、申し訳ありません」
厭味はとんと効果をもたらさなかったようだ。
ユーウェインはさて、と話し始めると机の上で腕を組んだ。
「今後のことだが」
「はい」
天音はすっと背筋を伸ばした。手元には、先日書き記した生活費のメモがある。
これを元に色々と交渉をしよう、と天音は考えている。
薪代についてはダリウスから聞いたところ、半年から1年寝かしたものを使っていて、労働力以外金銭はかかっていないそうだ。
なので金銭的な代価を支払うとすれば、家賃も含めてユーウェインと直接交渉しかない。
「ダリウスさんに助けて頂いて、家賃と薪代を除いた概算の生活費を出してみました」
「見せてみろ」
日本語で書いているのでわからないと思いますよ、と一言添えた上でユーウェインにメモ用紙を手渡す。
「ふむ……改めて見ると、奇妙で複雑な文字だな」
「こちらが品目で、そちらが数字になります」
上から順番に品目と値段を読み上げろと言われたので天音は言う通りにした。
結局口頭で言わせるのならメモを見る必要はないんじゃと思うが、単純に好奇心が優っているらしい。
「なるほど、月に小銀貨6枚……まあ妥当なところだな」
「村をいろいろと見てまわったのですが、
こちらの村では専業と言うか……以前の私のような
計数を行う職業はないのですよね?」
天音の問い掛けにユーウェインは頷いた。基本的には村での生活は自給自足がメインとなる。
そして職方に弟子入りするには経験が足りていない上、天音は女だ。
鍛冶、なめし皮、材木屋など、力の必要な仕事ばかりで、女性が入る隙があるとは思えない。
「そこで、考えたんですけど……。
私が例えば食料の加工品を作って、買い取ってもらうとかはどうかなと」
「あのカキ……ジャム?のようにか?」
「そうです。食料品に限らず、縫い物や編み物も少しなら出来ます」
こちらの裁縫がどのようなやり方かはわからないが、時間はあるのだから、必死にやれば覚えるぐらいは出来るだろう。
そしてものづくりの延長線上に、村が少しだけ豊かになればwinwinなのでは、と天音はそう考えていた。
「それは問題ないが。カキジャムは何瓶購入できるんだ」
さらりと柿ジャムへの執着を見せるユーウェインに天音は少し考えてから返答する。
「8瓶ほど、と考えております」
「ほう……ならば1瓶あたり小銀貨2枚出そう」
小銀貨2枚×8瓶分=大銀貨1枚に小銀貨6枚、と瞬く間に暗算したところで、ジャスティンが声を上げた。
「お待ちください、それはどう考えても出しすぎです」
振り向くとジャスティンは眉間に皺を寄せてユーウェインを睨みつけている。
天音はどう反応して良いかわからずに2人のやり取りを内心あわあわしながら見守っている。
「ジャムがどのようなものか私は存じ上げませんが、聞くところに寄ると嗜好品なのでしょう?
大事な領収をそのようなものに、しかも小銀貨2枚も!
とんでもないことです。だいたいユーウェイン様は……!」
天音は普段寡黙な印象のジャスティンがこれほど多弁なことに面食らっていた。
どちらかと言うと、少ない言葉数でピシッとしめる。そんな印象が強かったのだ。
「まあ待て待て。お前は食べてないからそのように軽んじられるのだ。
アマネ、ジャムを持って来い」
「は、はあ。わかりました」
「ユーウェイン様!!」
後ろの叫び声を聞き流しながら、天音はダリウスに聞いて外の倉庫へと向かった。
ダリウスにジャスティンの豹変ぶりを話すと、いつものことだと言う。
「あれはねぇ、結構怒りっぽいんです。
きっちりしてるのは良いことなんですが、
まだまだ修行が足りません」
何だか随分と親しげな様子に興味を惹かれて聞いてみると、ダリウスとジャスティンは伯父甥の関係のようだ。
そう言われてみれば、顔立ちは似ていなくもない。
ジャスティンはまだ童顔なので長じればダリウスのような面長の顔立ちになるのかもしれなかった。
倉庫からジャム瓶を取り出したあと、すぐ天音は取って返す。
いつものことだと言われても言い合いの原因が柿ジャムにあることは明らかだ。
途中台所に寄り、カーラに黒パンを用意してもらって執務室へと戻った。
ノックをしてみたが、中で言い争いが白熱している様子だったので仕方なくそのまま扉を開ける。
「お待たせいたしました……」
「ですから、いつもいつも申し上げておりますが、もう少し地に足を付いた統治を言うものを……」
「おお、アマネ。ご苦労」
天音としては高価で買い取ってもらえるのなら万々歳だが、実のところ心情的にはジャスティン寄りだった。
何というか、こういう苦労性な部分とオカン系の面倒見の良さに、天音は大変シンパシーを感じている。
実際ユーウェインの対応を見ていると更に共感してしまうが、そこはそれ、分けて考えないといけない。
「ほれ、食べてみろ」
天音の手には柿ジャムを乗せた黒パンの皿がある。
用意したのは天音のはずだが、偉そうに指示をするのはユーウェインだ。
どうしてこうなったと頭を抱えたい気分だが、一応偉い人のはずなので、天音はひたすら黙っておくことにする。
「何ですかこれ……どろっとしてるし、まるで森に生息している毒キノコのような……」
確かにジャムはでろでろのどろどろだ。初めてだと戸惑うばかりだろう。
とはいえ食べてもらわないことには話が進まないので、お皿ごとずいと差し出す。
ジャスティンはおそるおそる手を伸ばして食べやすいように細長く切ってある黒パンを口に含んだ。
「え……」
「おお。目玉が飛び出ているな」
そうだろう、そうだろうとユーウェインがうんうんと納得げに頷いている。
ジャスティンは信じがたい、という表情で手元の皿を凝視していた。
しばらく膠着状態が続き、ふと思い出したように噛み始める。
そしてまた驚愕の表情を浮かべて、以下エンドレスだ。
その間にこっそりとユーウェインがお皿に手を伸ばしてつまみ食いをしているのも見えていない様子だった。
「どうだ、うまかろう?お前も賛成だよなぁ?」
「はあ、いえ、その、はい」
どうやら飲み込みづらかったらしい。結構長い間噛んでいたはずだが、噛み足りなかったのだろうか、げほごほと咳をしている。
天音が慌てて準備していた飲み物を差し出すと、顔は平静を装っているが耳を赤くして所在なさげだ。
手をふらふらとさせていたのでひとまずコップを持たせる。コップは蝋をひいた木製のものだ。
ジャスティンは水を一気飲みして、また咳き込んでいる。今度はむせたらしい。
「何だどうしたジャスティン。お前今目玉が飛び出るほど美味そうって顔だったじゃないか?」
ユーウェインがジャスティンの肩を叩き絡み始める。
しかし先ほどの軽快なツッコミとは裏腹にジャスティンの反応は薄い。
(この騒動、いつまで続くんだろうなぁ……)
天音はそうぼやきながらも決着がつくまで2人の様子を見守ることにした。触らぬ神に祟りなし、である。
24話は28日12時に投稿予定です。