20話 ハローワークはどこですか?
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20話 ハローワークはどこですか?
館を出て歩きながら天音はいくつかジャスティンに質問をしていた。
館近辺の施設のこと。食料は何が取れるのか。
村にある店のこと。それから年齢層、男女比率のこと。
確認すればわかるが事前知識は重要だ。
ジャスティンにとっては迷惑は話だろうが、天音も生活がかかっている。
今後どのような方針を選ぶにしてもなるべく情報を得てからにしておきたい。
村人は若くないと開拓出来ないという基準で、10代後半から30代前半あたりをメイン層として選ばれているようだ。
そのため若い男性が多い。家族単位で来ているのは職人たちだけだ。
女性は村人の誰かと婚約済の者がほとんどで、天音の世話をしてくれているカーラも従士の一人と婚約しているらしい。
従士というのは騎士直属の軍人のようなものらしい。
騎士、というのはこの場合ユーウェインを指す。
領地を頂くと自動的に騎士になるようだが、そのあたりのことはまだ天音にはわからない。
ちなみに、昨日出会った門衛のマルコ・パーシーコンビは、半農の兵士ということだった。
他にも衛士はいて、シフト制で昼夜の仕事をまわしている様子だ。
「あちらにあるのが薪小屋です。
森に近すぎるとボヤがあったときに困りますので……少し離してあります。
鶏小屋も森とは反対側ですね」
「柵があるのにですか?」
「イタチや野ねずみにやられることもあるのですよ」
「なるほど……」
鶏小屋があるのは朗報だ。卵に肉、そして鳥の羽。
使いどころはたくさんある。
豚はいないのか、と訪ねると、今はいないという返答が返ってきた。
このあたりは冬が寒いので豚の生育に適さないようだ。
ただし保存食の関係で、夏に乳離れしてある程度育った小豚を購入して秋に潰す。
潰した肉を保存して冬に備える、というサイクルを毎年繰り返しているらしい。
天音の感覚では北海道など寒い地方でも畜産が行われているイメージが強かったので驚いた。
確かにイノシシは暖かい地方にしかいないので、三芳家の害獣対策の話を思い返すと、イノシシの話題が出たことはない。
寒さの対策を完璧とは言わないまでもある程度出来る現代ならでは、ということだろうか。
また、外国産の豚は森に放牧しているところも多いが、やはり対策がしっかりしているのだろう。
よくよく考えれば豚は大食らいだから、森の中にドングリの木が数本あったところで足りるわけがない。
そして放牧している内に子豚は狼にやられて終わりだ。
「ちなみに、豚はおいくらになるんですか?」
「だいたい小金貨1枚~1.5枚程度でしょうか。
食費もそれなりにかかりますので、最終的には小金貨2枚程度の経費がかかる計算になります」
貨幣の話題になったので、天音はここぞとばかりに貨幣価値を訊いておくことにした。
金貨ともなると市場にほとんど流通していないようで、一般的に目にするのは小金貨以下である。
一番価値が低いもので鉄銭というものがあるが、こちらもあまり使われる機会がない。
小銅貨10枚で大銅貨1枚。
大銅貨10枚で小銀貨1枚。
小銀貨10枚で大銀貨1枚。
ここまでは計算が簡単だった。天音は手に持っていたメモ帳に忘れないよう書き記しておく。
大銀貨4枚で小金貨1枚。
小金貨10枚で大金貨1枚。
銀から金への換算は流動的らしい。
というのも金は国家間の取引でも使われるため、よその国から重さの違う貨幣が混じることもややあるからだ。
このあたりはややこしいので改めて勉強する必要がありそうだと天音は思った。
「ええと……豚の食費の中に保存料…塩などは含まれていますか?」
「そうですね。普段から与えるものと屠殺して保存する際に使うものと、両方」
「そうですか……あのう」
天音はユーウェインに確認しようと思って忘れていた、ひとつの質問を口に出す。
歯切れが悪いのは、現実を直視したくないからかもしれない。
「塩はいくらぐらいなんでしょう」
塩味を利かせた料理を食べたときのユーウェインの反応を思い出す。
表面にはあまり出ていなかったが、あの時のユーウェインは確かに驚いていた。
あれは、味付けが濃いから、という理由ではなかったような気がする。
「そうですね……ここ十数年は高くなっていますから、
相場はひと袋小銀貨1枚大銅貨5枚と言ったところでしょうか」
ジャスティンは顎に手を添えて慎重に答えた。
ひと袋で大人一人、半月は持つと言う。
「一ヶ月で……小銀貨3枚ですか」
「?そうなりますね。我々従士の給料が月に大銀貨2~5枚程度ですから結構な出費になります」
もう少し値段が下がれば良いのですが、とジャスティンはぼやき混じりに呟いた。
天音は目まぐるしく計算を働かせる。
持ち込んだ食料や調味料の存在はこの際除外して、月々にかかる最低限の生活費のことを考えると塩の値段が高いというのは気が重い。
自給自足がメインとなっているためある程度は覚悟していたが……。
(まずは最低賃金大銀貨2枚からスタート……)
きっとこの村には職業斡旋所はないに違いない。
天音は無性に日本が恋しくなった。
◆◆◆
しばらく歩くとちらほら建物の姿が見えて来た。
昨日は暗くてどのくらいの間隔で建てられているのかわからなかったが、今ははっきりとわかる。
土地自体が余っているか安いか……おそらく両方だろう。
田舎の農村のように家と家との間隔がかなり広い。
南側は平野部になっているため畑が多いようだ。
村の中心に森から小川が流れていて、その水を利用して農業を営んでいるらしい。
「村の北側は森に近いこともあって職人たちの住まいが多いです。
鍛冶屋、材木屋、なめし革職人もいますし
雑貨屋もあるにはありますが……ほとんど開店休業状態ですね」
「お客さんがあまりいらっしゃらないのですか?」
「そうですね……
ここ1年で随分と人が増えましたが
まだまだ常時店を開けておくには程遠いでしょう」
道なりに進んでいくともくもくと煙突から煙を出している建物が見えて来た。
「あの建物が雑貨屋兼パン屋です。
我々の食生活の生命線ですね」
行ってみますか?と言われて天音は少し悩んだ末頷いた。
朝が早いので迷惑かもと思ったが、パンの値段も確認しておきたいところだ。
お店の中がどんな風になっているのかも気になる。
「いらっしゃい、ジャスティン。おや……そちらのお客さんは、例の?」
店にカウンターは一つ、大きなものが扉を開けると設置されていた。
精算はまとめて行うようだ。
壁にかかる棚には細かな雑貨品がポツポツと置かれている。
値札がかけられていないのに内心驚きつつ、こんなものかとも思う。
訊けば答えてくれるだろうが、お客さんがいなくて開店休業状態というのも頷ける話だ。
店の中は焼けたパンの香ばしい匂いで一杯になっていた。
店頭にパンを置いていない、ということは、受注生産がメインなのだろうか。
カウンターの奥から出て来たのは、天音より年上と思われる恰幅の良い女性だった。
カーラもそうだがこちらの女性は貧相な体つきの天音と比べて体格が良いようだ。
「やあ、ドナ。そうだよ。村の案内をしてるんだ」
「はじめまして、天音です」
ジャスティンは気やすげに手を上げて応えた。
天音はジャスティンの後ろからひょっこりと顔を出して自己紹介する。
ドナは一瞬天音の方を訝しげに見た。
どうも身なりが完全に異国風なので奇異に映るらしい。
「ああ、まあ、ゆっくりしていっておくれよ。私はドラ。パン焼き女さ」
笑顔を見せてはくれているものの、ドラの頬がひくひくと動いている。
天音のほうもどう反応をしたら良いのかわからず、奇妙な沈黙が降りた。
「ああ、そうそう。あとでパンのほうは受け取りに来るよ」
気まずい空気を見るに見かねた様子のジャスティンの助け舟に天音はほっとした。
怜悧そうな印象とは裏腹に、気遣いの人のようだ。
天音は心の中でジャスティンに声援を送った。
「助かるよ。ユーウェイン様はいつ帰ってくるんだい?結構な人数連れて行ったけど」
「さあてね。ついでに兎でも狩るつもりなんじゃないか?」
「ははは。言えてるね。もし大量に獲って来たらうちにも卸しておくれ」
「卸す前に俺たちの胃袋に消えてしまうさ」
ドラも見知った間柄のほうが話しやすいようだ。
そのまま会話がとんとんと弾んでいた最中、奥からもう一人出て来た。
大柄の男性だ。髭が濃く背も高いため、天音たちを見下ろす形になる。
鋭い目つきは天音を非難しているかのようにも見える。
ドラの夫だろうか。そう思って会釈をするが、男は天音をじろりと睨むとそのまま店の奥へ戻ってしまった。
「……ごめんねぇ。うちの亭主、無愛想だからさ!」
「いえ……」
天音は苦笑いをして答えた。
その後、パンの値段を訊く機会に恵まれ、情報を得ると天音たちはそそくさと店をあとにした。
歓迎されていない状態で長居をするのも憚られる。残念だが、時間を置いて仲良くして行くのが最善だ。
館の人間はそれぞれパン3日分で大銅貨1枚を個別に支払って焼いてもらっているようだ。
パンの種類は2種。朝に天音が食べた黒パンと、保存食として使われる堅焼きパンだ。
天音の分はすでにダリウスが注文を終えているとのことなので、安心して帰途に着く。
「……そういえば、こちらは随分とパンの種類が少ないんですね。
ドラさんに頼めば他の種類も作ってもらえるのでしょうか」
館に帰り、天音が何の気なしにそう呟くと、ダリウスが慌てたように天音に言った。
「アマネ様。それはあまり口に出されない方がよろしいかと」
「え?」
ダリウスの話によると、パンを焼く権利はパン職人に一任されているようだ。
こちらでは緩いものの、大都市ではパン焼き職人ギルドというものが存在していて、パンの種類や焼き方、値段などの統制を行っているところもあるらしい。
「どこまで本気やらわかりかねますが、
ユーウェイン様があなたを料理番として雇うと宣言された話は
村人にも伝わっております。もちろん、パン焼き職人のドラにも」
そういえばドラの態度はどこか妙だった。
積極的に話をするでもなく、時折天音の方を伺っては視線を外し……と、居心地が悪かったのを覚えている。
料理番として雇われれば、今は使われていない館のパン焼き窯の使用権も与えられるため、既得権益の阻害に繋がる。
食い扶持を減らされる心配があるため、警戒しているようだ。
「ええっ?私、きちんとお断りしましたけど」
「アマネ様ご自身の返答はこの際関係ないのです。
すでにアマネ様が、さまざまな調理法を知る料理人という事実は
伝わっておりますゆえ……」
「私、料理人じゃないんですが……」
天音はそう言いながらも、頭の隅で先ほどのドラの反応を思い出していた。
人見知りや異国人への偏見で態度が変、というのはありうる話だが、ダリウスの言を考えると、警戒されているほうがしっくりくる。
こういった誤解はなかなか解けない。短いながらも社会人経験のある天音は諦めて肩を落とした。
ひとまずパンの焼き方について注文を付けるのはなしだ。
余計な軋轢を生んでしまう。
自分で食べたくなったら竈を借りて作るしかない。あるいはガスカセットコンロで自作だ。
それも、バレたらアウト。ユーウェインにも内緒で作らないと取られてしまう可能性がある。
「ご忠言、ありがとうございました」
「いえいえ、お聞き届け頂けたようでこちらもほっといたしました」
村での生活は想像していたよりもずっと厳しいかもしれない。
天音は職業斡旋所が更に恋しくなった。
21話は25日12時に投稿予定です。