2話 扉の外は冬景色
2話 扉の外は冬景色
「……へぷしっ」
某炭酸飲料のようなくしゃみをして、天音は目を覚ました。
鼻の奥がひんやりとしていて、身体も芯から冷えているのがわかる。
あまりに寒いので、もぞもぞと布団の中で丸まった。
先ほどまでコピー音に悩まされていたのに、物音一つしない。
ということは、夢を見ていたということ。
職場での天音のポジションは、中堅といったところ。
人間関係も良好なので、思い返してみたらおかしな話だ。
まるであれでは、いじめられているようではないか。
(それにしても、寒すぎない?)
天音の部屋は窓に面していないので、電気を付けなければ薄暗い。
あまりの寒さに起きることにして、ベッドライトのスイッチを押した。
――つかない。
(何だろ、コードが外れてるのかな?)
何度押してもうんともすんとも言わないので、仕方なしに立ち上がって電灯の紐に手を伸ばした。
――――つかない。
天音は首を傾げて考え込んだ。停電だろうか。
災害かもしれない。
どちらにしても、まずしなければならないことは……。
「……ブレーカー、確かめてみよう」
とはいえ、このような寒さでは風邪を引いてしまう。
季節は秋の終わりのはずだが、まるで冬のさなかのようだ。
天音はぶるりと肩を震わる。
薄暗い室内で明かりがないのは何とも心細い。
携帯の電源をオンにしてライト代わりによたよたとタンスに近づいた。
厚着をしたら、すぐさまリビングへ。
すると、自分の部屋より冷え込みがきつく、天音は驚いた。
――バン!
風が強く、ベランダ側から音が鳴る。
マンションのベランダには、佐波先輩の提案でシャッターが取り付けられている。
女の二人暮らしだ。一人で夜を明かすこともあるので、防犯のためだ。
「何だろ…寒いし、暗いし。ちょっと変だよね……」
広いリビングに天音の声がやけに響いた。
部屋の暗さといい、先ほどの大きな音といい。
天音はすっかり怖くなってしまっていた。
――こんなとき、佐波先輩が居てくれたら。
どんなに心強いことだろう。
けれど残念ながら、部屋には天音一人きり。
天音はよろよろと玄関先に向かった。
ブレーカーは上がったまま。つまり、停電の可能性が高い。
こうなると、しばらく待つか、電力会社に問い合わせするしかない。
――あれ?
スマホが通じない。不通音がリビングに響く。
かじかんだ手がより一層震える。
(どうしよう……)
身体は冷え切っていた。
凍死。その二文字が頭を過ぎる。
天音は慌てて頭を振った。
寒さの原因は気になる。
だが、まずは暖を取って気持ちを落ち着けよう。
電気が使えないとなったら、原始的な方法に頼るのが一番だ。
「そういえば、納戸に手回し式のランタンがあったよね。あれ使おう」
玄関の横には、備え付けの納戸がある。
主に佐波先輩のアウトドアグッズや、趣味のお酒など、雑多なものが棚に並んでいる。
その中に手回し式のLEDランタンを発見した。
早速発電を行い、ランタンに光を入れる。
「おお、結構明るい!」
これで暗い中でも室内の活動に支障がなさそうだ。
灯りがあるだけで随分違うものだ。
ついでに災害用リュックもリビングに移動させたあとは、キッチンへ。
――え?
天音は蛇口を回しっぱなしにしながら、声を失くした。
水が出ない。火が付かない。
(いったいどういうこと? 何かの事故?)
混乱しつつもガス栓を閉める。
再びランタンを取り、無言で玄関先に向かった。
◆◆◆
一人で夜を明かす時は、鍵と合わせてチェーンも閉めるように、というのが一緒に暮らす上での取り決めだ。
よって、今扉にはチェーンがかかっている。
ライフラインは全て機能していない。
災害を除くと、何かの犯罪に巻き込まれた……というのは考え過ぎだろうか。
(念のため、用心はしよう)
防犯窓から外を覗くが、薄暗くて何も見えない。
(誰もいない。変なのはうちだけ……?)
でもそれは変だ。
ここはマンション。戸建てと違ってライフラインは共有している。
もしこの部屋に異常があるとすれば、他の住人も同じ条件のはずだ。
天音はそっと扉の鍵を開けた。
ドアがいつもと違ってやけに重く感じられる。
元々、重い素材が使われているので重量感があるのは当たり前なのだが、恐らく気持ちが怖気付いているためだろう。
扉に体重を乗せて開けていく。
(………ん?)
扉の外は薄暗く、チェーン分の隙間からではしっかりとした視認が出来ない。
というより、暗い、ということにまず天音は疑問を持った。
採光窓のおかげで、日中の廊下は明るい。
電気代節約のため電灯もオフ。
それが、暗いとはどういうことだろうか。
また、音もない。
いつもなら車の音や鳥の声がするのに……。
「……んん?」
LEDランタンを地面に向けると、またもや謎を呼んだ。
見慣れた床がない。というより、地面だ。土だ、これは。
―――きゃっ。
その時、強風が吹いて、ドアが閉まった。
天音は驚いて後ずさる。
風は斜めよりの真正面から吹いてきていた。
しかし、部屋の向かい側には別の部屋のドアがあるはずだし、正面から風が吹くことはありえない。
恐らく扉の外に危険は少ないだろう。人がいる様子もまったくない。
状況をきっちり把握するためにも、外に出なければ。
意を決した天音は、おもむろにチェーンを外し始めた。
そして、扉が開く。
「ここどこ……?」
瞬間、目の前に飛び込んできたのは洞窟だった。
もちろん見慣れたマンションの廊下ではない。
ゴツゴツした岩で構成された洞窟は、人気なくひんやりとしていた。
ライフラインが断絶している原因はどうやらこの洞窟にあるらしい。
「何ここ……見たことないんですけど……」
突如として出現した洞窟は、数メートル先まで続いていた。
その先ではごうごうと吹雪が舞っていて、更に天音を驚かせる。
いくらなんでも、季節がいきなり代わるだなんてありえるだろうか。
今は秋の終わりのはずだが、目に映る現実は、冬のど真ん中。
「……スマホ、もう一回見よう」
天音は頭を抱えながら、ポツリと呟いた。
混乱することは後でも出来る。半ば思考を放棄したい気分だったが。
日付と時刻を確認すると、昨日から数時間も経っていない。
あらゆる公的機関に連絡を取ろうと試みるが、やはり電波は立っていなかった。
――家ごと拉致?
そんなの、聞いたこともない。
泣きたい気持ちだ。
ひとまず探索を諦めた天音は、部屋に戻ることにした。
◆◆◆
一縷の望みを抱きつつベランダ側に向かったものの、そちらも外は洞窟だった。
洞窟の向こうは海。
ゆるやかなカーブになっているためか、幸い海風は入って来ていない。
「はあ……」
ため息は幸せを逃がしちゃうわよ。今は亡き母親の言葉が胸に落ちる。
付きたくもなるというものだ。停電に続きガスや水まで止まってしまって。
あげくの果てに、外は見知らぬ洞窟。
笑い話にすらならない。
非常用のカセットガスコンロで湯を沸かし、ちらりとベランダの方向に視線を向ける。
(……佐波先輩、大丈夫かな)
ベランダに出していたラディッシュのプランター。
そろそろ収穫時で、佐波先輩と楽しみにしていた。
――佐波先輩のことはひとまず置いておいて。
問題は、天音自身のことだ。このままでは、命の危険性がある。
「出来ること、していくしかないなぁ……」
小さな呟きはそのまま寒い部屋の中にかき消えた。
――この日、森園天音は自宅で遭難することになった。




