10話 Thriller~マイケルさん殺○未遂事件~
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10話 Thriller~マイケルさん殺○未遂事件~
天音は朝型人間だ。
元々朝早く起きるのは苦ではない反面、徹夜に弱かった。
寝不足になると途端に体調がすぐれなくなる。
したがって、徹夜で看病というのは随分体力が削られる行為であった。
鏡で目の下のクマを確認すると、ふうとため息をつく。
遭難してから化粧品に手をつけていない。乾燥を防ぐために化粧水のみ使用している。
色気を出す状況ではないので、クマがあっても放置せざるを得ないのが物悲しい。
男性は未だ目覚めず、天音は途方に暮れていた。
見知らぬ相手が家にいるのは結構なストレスだったが仕方ない。
熱はある程度下がっているようだったので、もう少し様子を見て薬を再度投与するか判断するつもりだ。
昨日の副作用のこともあるので、あまり身体に大きな負担をかけない方がいいと思っている。
おかゆは作りおきしてあるので、目が覚めた時にでも食べてもらう予定だ。
天音は手早く朝ごはんを済ませて外にいるラクダをベランダ側に移動させることにした。
緊急事態だったので忘れていたが、獣に襲われでもしたら大変だ。
今のところ外で獣の姿は見ていないにしても、なるべく環境を整えてやりたいという気持ちが強い。
リビングの隅に何とか男性を移動させて通り道を作る。
ダンボールを敷き詰めてフローリングを汚さないようにしてから、ラクダを迎えに行った。
おとなしい気質のようで、特に暴れることもなく部屋の中へと移動してくれたのにはほっとした。
草食動物は臆病で暴れると手がつけられないという話を聞いたことがある。
確かにこの図体で暴れられては止める術もなく家具が半壊してしまうだろう。
取り扱いは要注意だ。
コブが扉にギリギリ通るか通らないかぐらいの高さだったので心配したが、ラクダのほうが気を回して屈んでくれる。
おとなしいだけでなく、賢さも持ち合わせているようだ。
「そうそう、こっちの方に来てね」
注意深くダンボールの方向に誘導させていた、その時のことだった。
「そ、それはだめー!!!!」
こたつの上で日光浴をさせていたマイケルさんに、ラクダの鼻面がにゅいっと近づいたのだ。
慌てた天音は手綱を引っ張るが、女の細腕で巨体の行動をどうにか出来るはずもない。
あえなくマイケルさんのテリトリーに侵入を許してしまう。
ラクダはしばらくの間、くんかくんかと不思議そうに匂いを嗅いでいたが、一瞬の後、ぱくりと壺の部分を口に含んだ。
天音はあまりの衝撃に頭が真っ白になって何の反応も出来なかった。
呆然としている間にも、マイケルさんの壺が一個、二個とラクダの餌になっていく。
(美味しいの!?それ!?)
呆気に取られていた天音だったが、はっと気が付いた時には残数2という無残な状況になっていた。
隙を突いてマイケルさんを保護して素早く佐波先輩の部屋に避難させる。
「マ、マイケルさん……ごめんね……」
ぼろぼろの様体となったマイケルさんは、生気なく残った壺を俯かせている。
どうも遭難以降、予想外のことが起き過ぎていて、突発的な出来事に弱くなっている気がしてならない。
寝不足と体調不良のダブルパンチで余計に気持ちが萎んでしまう。
マイケルさんに犠牲を払わせてしまったことで落ち込みつつも、ラクダの移動を完了させた。
マイケルさん捕食は悲しい事件だったが、ラクダを責めるわけにもいくまい。
お腹が減っていたのもあるだろうと諦めるしかない。
食べられないように、既にカラカラに乾いていたさつまいもペーストは家の中に入れておいた。
さて、問題は男性の投薬だ。熱はまだ下がりきっていない様子で呼吸が荒いのが見て取れる。
薬の量に悩んだが、1錠でも副作用が出てしまったため、更に半分に砕いたものを飲ませることにする。
経口補水液も何度か口に含ませて水分を取らせたあと、おかゆを……というところで、男性が唸り声を上げた。
「う……」
意識が戻ったらしい。うっすらと目を開けた男性に天音ははっとして声を掛けた。
「大丈夫ですか?意識はありますか?」
言葉が通じなくても、ボディランゲージで何とかならないものだろうか。
そう思いながら懸命に話しかける。
男性はしばらくの間ぼーっとしたように天井を見上げていたが、その内意識が回復して来たのか何度か瞬きをし始める。
「……ジャ…スティン、……ぶじ…か…」
途切れ途切れの言葉は日本語のように聴こえて、天音を驚かせた。
目が覚めたばかりで天音を認識していないようだ。誰かと間違えている。
「あの……?大丈夫ですか?」
ともあれ言葉が通じるのはありがたい。疑問は後にしてコミュニケーションを取り続けることにする。
と、そんな時、ふいに男性と目があった。
彫りの深い顔立ちはぱっと見で人種が違うとわかる。
色合いも日本人にはないもので、瞳は深い緑だ。
「……ジャスティンではないな」
低い声に気圧されてつい後ろに下がりそうになるのを必死に堪えて、天音は頷こうとしたが、その前に男性が動いた。
あっという間の出来事だった。
男性は右手で天音の首を抑え床に押し倒すと、左手で腰元を探る素振りを見せる。
恐らく天音が納戸に置いた短剣を探しているのだろう。
咄嗟のことで受身を取り損ね、したたか肩を打った天音は痛みでそれどころではない。
「……チッ。お前は誰だ。武器を何処へやった」
短剣が見つからず、男性は舌打ちをしてギロリと天音を睨む。
眼光が鋭く凄みがあるため、抵抗する気力がガシガシと氷をアイスピックで削るように無くなって行く。
どうやら不審者扱いされているようだ。洞窟にたどり着くまで一体何があったのだろう、と警戒ぶりに驚く。
そういえば、怪我をしている上、発熱しているというのに随分と滑らかな動きだった。
武装もしていたから当たり前だが、兵士や軍人さんなのかもしれない。
そんな取り留めのないことを考えていると、更に首元の力が増した。
早く答えろ、ということらしい。
天音は必死に声を出そうとするが、首がいい感じに締まっているので上手くいかない。
正直なところ、抵抗手段がまるでないので万事休すだ。
こうなると素直な態度で相手の軟化を待つほかない気がしている。
「………っ!……くるし……っ」
身振り手振りで声が出ないことを伝えると、やっと力が緩まった。
途端に息がしやすくなり、げほごほと咳と涙が出て来る。
「もう一度訊く。お前は誰だ。武器を何処へやった」
冷徹な視線を崩すことなく男性は再び質問を繰り返した。
そしてもちろん、首は絞められたままだ。
「……天音。森園、天音と言います。武器は床を傷つけるので、玄関脇の部屋に置いてあります」
引きずる時に苦労したのだ、と付け加える。
「……モリゾー…アマネ。モリゾー?」
それは佐波先輩が付けたあだ名です。と言いそうになるのを天音は堪えた。
「モリゾノです。……その、説得力がないかもしれませんが、危害を加える気はないので、放して頂けると助かります……」
やんわりと反抗的な意図がないことを態度で示したが、伝わっただろうか。
男性は、しばらくの間モリゾ、モリゾー、モリゾーノと発音を繰り返していたが、諦めたようにため息をついたあと、首から手を外した。
天音はほっとしてゆっくり瞬きと深呼吸を繰り返した。
「アマネ。ここは何処だ」
先ほどよりざっくりと警戒度を下げた男性は、視線を外すことなく質問を重ねた。
あっさりと苗字を呼ぶことを断念したことについてはスルーすることにした。
とりあえずコミュニケーションが取れる段階になったので、天音は一息つく。
「……わかりません。山の中腹にある洞窟というぐらいしか、私も情報を持っていません」
「山?」
「はい。ほんど木も生えていないので、元は禿山かと……山の向こうは雪原と森です。こちら側は海……崖になっていますが」
玄関、ベランダ側と指をさして説明する。
「死の山か…なら帰還は何とか……」
男性は場所に心当たりがあるらしい。
しかし、何と不吉な名前だろうか。天音はげんなりしながら首元をさする。
「……ミァスは?コブのついた、オスの森ラクダがいただろう」
ミァスと言うのか……天音は立ち上がってベランダ側のカーテンを開けてみせる。見せたほうが早いだろう。
寒さに強いようで特に震える様子もなく、のんびりとアクビをしている様子に後ろで男性がほっと息をつくのがわかった。
「餌は少しだけ生野菜を与えました。あまり量はあげられませんでしたが……」
「問題ない。コブに栄養があるので大量に食事を必要とするわけではない……感謝する」
森ラクダに餌をやっていたことで警戒心はほぼ薄れたようだった。
男性は長く息をついて、ふらりと腰を下ろす。
やはり発熱している状態では厳しかったのだろう。少し汗をかいているようだ。
「ところで、そろそろそちらのお名前を伺っても宜しいでしょうか」
天音はなるべく正確に聞こえるよう、はっきりとした口調で問い掛けた。
不思議なことに男性はその質問に訝しげな表情を見せる。
「……ユーウェインだ。グリアンクルのユーウェイン」
「ユーウェインさんですね。グリアンクルというのは、地名ですか?」
訊きながら、机の上に置いておいたノートにメモを取って行く。
念のため書き記しておこうと思ったのだ。
「そうだが……おい待て、何を書いている」
怪我人の男性もとい、ユーウェインは更に顔を顰めて止めに入った。
天音が怪しげな行為をするのではないかと疑っているようだ。
仕方がないのでノートを開いてペンを動かす素振りを見せる。
「記録を取っています。忘れっぽいので」
冷静な対応をしているように見えて、実は天音は随分と立腹していた。
徹夜で看病、尚且つラクダによるマイケルさん殺草未遂事件。
そして先ほどの1件で、かなり機嫌が悪くなっている。
佐波先輩の自主練に何度かお邪魔したこともあるので暴力に対して過剰に忌避するところはないが、それにしてもあんまりである。
こうなると、遠慮せずに文句を言いたい気持ちがむくむくと沸き上がってくる。
しかし短気は損気だ。何もわからない状態で怒りをぶつけられるほど天音は子供ではない。
震える声を抑えて、まずは現状説明をしようと試みた。
「貴方は昨晩、あちらにいるラクダさんに連れられていたところを私が発見し、治療を行いました」
更に治療に使った薬や食料を口頭で述べて行く。
緊急事態とはいえ無断で口に得体の知れないものを入れたのだ。
細かな説明をするのは義務だろう。
「…………」
ユーウェインは眉を寄せてただじっと聞いている。
最後まで話を聞こうと判断したようだ。
「私は医師ではありませんが、怪我を負った人間を雪山に放り出すなんて夢見の悪いことは出来ません。なので出来る限りの治療をしました。また、経過観察もさせていただきます」
例え首を絞められた相手でも、と付け加えようと思ったが止めておいた。
文化圏が違うなら仕方の無いことかもしれないし……。
「……よろしく頼む。村に帰ってからになるが対価は支払おう。約束する」
(村!やっぱり近くに村があるんだ!)
驚きと喜びに心を躍らせた天音だが、何とか表情には出さずに踏み止まる。
「いえ……」
対価云々は正直なところどうでも良かった。
今後働ける環境にさえたどり着ければ、と思う。
「対価よりも、実は……」
ぐぅうううううう。
大きな腹の音が鳴った。
天音ではない。目の前のユーウェインからである。
ユーウェインは無表情を貫いて、聴こえぬ振りをしているが、昨晩は一口二口だったのでお腹は減っているはずだ。
「………」
「…………先に食事にしましょうか?」
話し合いは後からでも出来る。苦笑いを浮かべて天音はそう申し出た。
ユーウェインの耳はかすかに赤くなっていた。
10日は1日更新をお休みして、11日12時から11話が再開となります。
11日~15日は連続更新となりますので宜しくお願い致します。