斬るか斬られるか――茜
耐えて、努力して、耐えて――結果、自分にどれほどの力があるか。試したいと思うのが人間の常だろう。ましてや、誰がいつ国の主権を握るか分からない状況だ。長く続いた幕府は急速に力をなくしている。攻めるなら、今だ。時が読める武士は誰もがそう思っている。
数百年前、百姓が太閤にまで上り詰めたらしい。しかし、人たらしの猿と称されるその人物の栄華は続かずに、狸と言われる大名に天下を盗られ、狸は征夷大将軍になった。
「栄華は続かない。盛者必衰という事ですよ、茜。この世に変わらないものなんて、ないのです」
「それでは、今のお殿様も変わるのでしょうか」
「当たり前です」
「この道場も、でしょうか」
「……そうかもしれませんね」
米をといでいた母の顔は、一瞬優しくなった気がする。私の知る中で、一番好きな母の顔。料理場から道場に場を移すまで、私たち母娘は幾度となく語り合った。そして、いつも母は言うのだ。変わらないものなんてない、ほら、季節だって移ろうでしょう。命だって散るでしょう。茜、茜、人も変わるのですよ。
今になって思えば、母は変わってほしかったのかもしれない。我が子のように育てた青年たちが、無為に命を散らす前に変わってほしい、と。
「茜さん」
誠が私の名を呼び、咄嗟にいつもより目つきをきつくして振り返る。面倒や危険を感じたら目で威圧するべし。父の教えである。目は口ほどにものをいう。状況判断が出来ず目が泳ぐ人間は、刀を持っても死ぬだけだ。
「どうしましたか?」
「またまた。師範代から聞いているでしょう。ちょっと、こちらへ」
誠の後ろ、道場を降りた庭に気配を感じる。視線を移したら斬られるかもしれない、気配の感じ方は、父に充分鍛えられている。それほど殺気がないことを感じ取ってから、誠の背中を追う。大丈夫、これぐらいなら致命傷は負わずに済むだろう。女ながらに道場の指導者だ。なめてもらっては困る。
庭には、誠をはじめ約十人の門下生がいた。中には最近見ていなかった顔もある。庭に下り、膝をつく青年たちの先頭に立っている彼らを見て、昔、書物で読んだ浪士たちを思い出した。主君を失った侍達が、討ち入りする――糸をぴんと張ったようなこの空気は、きっと、それが善い悪いは関係なしに、報いるために固い決意をしている浪士たちをつないでいたのだろう。
「私にも、入れと言うのですか。師範代と共に、あなたたちを率いて父を斬れと」
「ここに集っている私たちは、皆その決意を固めていますよ」
「道場破りなんて……なんでそんなことを」
「下剋上ですよ。別に師範を恨んではいませんがね。師範には、俺たちの代に師範についていたと言う運命を恨んでいただきたい。もし、こちらについて頂かないのなら、茜さんも斬らせてもらいます」
宣戦布告じゃないか――来るものを拒まず、去る者は消す。下剋上を目指す二番手にはうってつけの作戦だ。もし失敗した時に責を負うのは兄と私だ。
「いずれは幕府にも食いつこうと考えております」
「え……」
「俺たちは、ここで鍛え上げたこの腕を有効活用したいのですよ。茜さんだってそうでしょう。鍛錬は、いつか日の目を見るためにやるものです」
そうだ、そうだと後ろの若手が声を上げる。
「師範はどうであれ、私はあなたたちの遊びに興味はありません。幕府云々はともかく、刀を抜かずとも下剋上は成し遂げられる」
「……そこが女の未熟な所だ。なあ」
「お、おう……」
ヒソヒソと声が聞こえる。女のくせに、生意気なんだ。なんで刀を持っているんだ。それは私の心に火をつけるには十分すぎるほどだ。道場にあげてもらってから、ずっと隠してきた私の心の醜い部分を、若者たちの錆びた刀でえぐられる。
「もし、私が斬るとしたら……あなたたちです」
「てことは、今日から一瞬たりとも気を抜かぬよう。忠告しましたよ。しましたからね」
「私を斬るのですか」
「先ほど申し上げた通り」
「そこで、何を話している」
低音の響く声。
父が、後ろに立っていた。