女の身――茜
幼さを持っている人間は、丸腰で居れば最強だと思う。特に計画もなく一日じゅう山で遊んで泥だらけ傷だらけで帰ってきたり、大人たちに一人前に異議申し立てをしたり。現に私がそうだった。
私は、三百年前に既に存在した反幕府派の人間が、全国の脱藩浪士の腕を腐らせないよう、密かに作った道場の師範の下に生まれた。とはいえ、書物なんて残っていないから正確には分からないから、“気づいたら存在していた”という方が正しいのかもしれない。正確なのは、代々この道場を受け継いできたと言う事実だけ。強者たちが集うこの危険な場所を刺激したら少なからず血が流れる、血気盛んな若者たちが何をしでかすか分からない。だから藩も幕府も、こちらから動くまで手を出しづらかったようだ。刀は正義の為に人を殺めるものだ、それが道場の精神である。とにかく、私はそんな環境に生まれた。
私には相馬という兄がいる。母と私と三人でたくさんの若者たちの腹を満たすための炊事をしていた。しかし兄にもついに木刀が渡された。ある程度時間が経てば、それが冷たく重い凶器に変わることを私は知っている。ついに兄も修行を開始することになったのだ。
「父上、茜はそれを持てないのでしょうか」
「幼女が何を言う。さっさと戻れ、修行の邪魔だ」
共に汗を流し、共に食事をし、共に語らう青年たち。私は、そういうものに興味があった。私がいるところは母と二人の釜の前。これは当たり前なのですか、と母に尋ねたら、当たり前なのです、と鸚鵡返し。例え木刀でも女が修行するなんて有り得ないと分かっていても気持ちを抑えられないのは、私が特異なのだろうか。
おかしいのだろうか、女の私が刀を持つという事は。
「茜」
夏の日だったと思う。雨が続く季節が終わり、じりじりと太陽が地を焼く。そんな日に、私は兄に手を引かれて調理場を離れた。母は何も言わなかった。何も言えなかった、それは今だから言えることだ。
「兄上、何処に行くのでしょうか。茜はまだ夕餉の支度が残っております」
「茜、お前はそこにいるのを望むのか」
「兄上、いけません。怒られてしまう」
「そのような心持で、刀を持ちたいと、毎日せがんでいたのか。お前は」
「父上……」
連れてこられたのは道場だった。誰もいない、凛とした空気が流れている。たまにあるこの無人の時に気付くと、家事を抜け出してはこの空気を吸っていた。凛とした、生と死の境目の様な空気が好きなのだ。
「三百六十五。何の数字かわかるか、茜」
師範席にいる父は、私にそう尋ねた。兄は私の後ろで道場の鍵を閉める。父が殺められてしまっては、この道場は終わりだ。
「お前が、私に請うた回数だ。自分にも修行をさせてくれとせがんだ回数だ。相馬、間違いないな」
「はい」
「茜、女が刀を持つという事は、長い道場をひも解いても、恐らくないだろう」
「はい」
「だがこの乱世……兵は多い方がいい。従って指導者も多いに越したことはない」
「どういう、ことでしょうか」
父が目を閉じて訪れた、一瞬の静寂。夕餉を共にするときに見せる顔だ。私は父の子の顔が怖くて仕方なかった。家族といる時でさえ気を抜かない父は、私の作った料理を食べる顔で人を殺すかもしれないと思うと怖かった。自分もその横に立ちたいと願っているのに。
子供はある意味強い。もっと奥にある紅い惨劇を知らない。
「明日から、道場入りを許す」
「え……」
「まずは木刀だ。勘違いするな。相馬の練習相手だ。相手に教えられる技量がなければ、本当に力がついたと言えない」
「あ、ありがとうございます……!」
あの日から、何年たっただろう。女子に何が、と蔑んでいた青年たちの小言を持ち前のしぶとさで耐え、私は師範代である兄の右腕として刀の所持を認められるまでに成長した。
それは大人になるという事で、私は気づいてしまった。刀は血を吸って成長すると例えていた父の言葉の本当の意味。
「今しかない、倒すならば、今しかないぞ」
「腕がなるな。国を変えるんだ、俺たちのこの刀で」
ほんの数時間前に青年たちが言っていた。
血が流れる。誰かがを切らねばならないという、その恐怖に足がすくんだ。