SIDE100-03 犠牲
ターゲット:テオフラストゥス・ド・ジュノー
職種:錬金術師
潜伏先:月波市のどこか
戦力:契約幻獣二体・キメラ複数
「……何これ」
「依頼主から提供された情報」
「ふざけてんでしょこれ!?」
歩きながら兄貴が手渡してきた茶封筒を開くと、そう四行だけ書かれたペラい紙が一枚だけ出てきた。
「はっきりしてるのが名前と錬金術師ってことだけってどういうことよ!? 戦力不明なのはともかく、潜伏先が月波市のどこかって! そこまで掴んでるならもっと細かいところまで突き止めなさいよ!」
「まあまあ、梓さん落ち着いてください」
もみじ先輩が苦笑交じりになだめてくる。
「現在の月波市の状況を考えれば、仕方がないことだと思いますが」
「分かってますよ! でも曖昧すぎてイライラする!」
資料を横から覗きこんでいたユーちゃんに押し付け、前方を歩く黒い背中を睨み付ける。
さっきから淀みなく歩を進めているけど、この男、今回のターゲットがどこにいるのか見当がついてるの?
「月波市は世界魔術師連盟不干渉都市だからなー。逆によく月波市に潜伏してるって突き止めたよ。ま、それを言ったら僕ら八百刀流も同じようなものだけど」
「……そう言えば、そもそもどうして連盟があたしらに依頼よこすのよ」
あたしら八百刀流は、とある理由から世界最大規模の異能集団からもハブられている。
いくら兄貴が『瀧宮』を勘当され、表向きには八百刀流とは無関係となったとしても不自然すぎる。
「そこはアレだ。俺のコネ」
「……………………」
資料に目を通したユーちゃんが苦笑しながら資料を茶封筒に戻した。それを兄貴に返すと、兄貴はその辺のゴミ箱に放り込んだ。
いや捨てんなし。
「依頼主の話だと、この街の周辺までは追跡できたらしいが、不意に気配どころか姿形まで消えたらしい」
「そうなんですか……?」
真奈ちゃんが訊ねると、兄貴は肩を竦めながら返答する。
「連盟で保管されていた魔法具がいくつか行方不明らしいからな。大方、その中の何かを使って姿を消したんだろう。と言うわけで、今の俺らには何の手がかりもなし。下手したら街中粗捜ししないといけないかもな」
「はあっ!? この街どんだけ広いと思ってんのよ!?」
もし山中なんかに潜んでやがったら、真奈ちゃんのフィーちゃんの力を借りても数日はかかってしまう。
正直、こんな面倒臭いこと極まりない仕事はさっさと片付け、残り少なくなってきた夏休みを謳歌したいと言うのに!
「……………………」
前方を歩く兄貴。
後方、まるであたしらを避けているかのように(本当に避けているんだろうが)歩く部外者共。
ああ、思い出したらまたイライラしてきた。
「ユーちゃん、ちょっと後ろの奴らにちょっかい出してきていい?」
「やめろバカ。お前のちょっとはちょっとじゃない。さっきの騒動を忘れたのか?」
「あの商店街崩壊はあたしのせいじゃないもーん」
「その前だその前」
あの商店街、復興には少し時間がかかりそうねー。
「まあそれはともかく、目下の問題は――」
兄貴が誤魔化すように頭を掻く。
「奴さんがどこにいるか、だよな」
「あ、本当に分かってなかったんだ……」
「ほんっと、行き当たりばったりよね、あんた」
あたしとユーちゃんの非難の視線などものともせず、兄貴はただただ肩を竦める。
「おいおい梓」
「あ?」
「俺はあくまで計画的だぞ」
言いながら、兄貴は顎を上げて進行方向を指した。そこにあるのは、住宅街の中にあるにはやや不自然な、巨大な竹林。その入り口には、古びてはいるが趣のある朱色の鳥居が建っている。
「焔稲荷……っておいクソ兄貴。結局人任せ……元言い、神頼みかあんた」
「これが一番確実だろうが」
「ちょっと待ってくれ」
「「……?」」
声かけられ、あたしと兄貴は振り返る。
そこには、兄貴に殺気の篭った視線をぶつけるドラゴン娘三人組と、あたしたちを胡散臭そうな目で見る『葛木』を引き連れた男が、若干顔を青ざめながら立っていた。……えっと、秋幡紘也って言ったけ?
ちなみに、本当に霊感すらないようだった一般人二人組はその辺を歩いていた経先輩一行に押し付け、観光に向かわせた。仕事に一般人を連れ込むとか頭がおかしいんじゃないかと思ったが、真奈ちゃんに宥められてキレるのは我慢した。
それにしても秋幡紘也? どっかで聞いたような……?
まあいっか。
「何だ、小僧」
「ここが……焔稲荷神社?」
「そうですよ」
その質問には、ユーちゃんが答える。まあ実家みたいなもんだしね。
「月波市の土地神であり、僕ら『穂波』の守り神であるホムラ様が祀られて……って、どうしました?」
「……最悪だ……せっかくここまで避けてきたのに……!」
「???」
頭を抱える紘也さん。気になって彼の後ろのドラゴンたちに聞こうとしたら、なんか着物の幼女が八つに分かれた髪の毛を靡かせながら《くくく。ついに吾の復活の時が来たか……!》と気味の悪い八重の声音で笑みを浮かべていた。
「……入る前に魔力干渉で眠らすか? いや雑魚モードの山田にそれやると死ねるリスキーが……」
「紘也くん紘也くん、連れてっても邪魔なだけなんですからその辺の竹にでも縛りつけときましょう。どうせ自力じゃ蝶結びも解けませんよこいつ」
「マスター、奥の方が見つかりにくいです」
《やめい己ら! あと蝶結びくらい解けるわ!》
なんか寄り集まってぶつぶつ言ってる。……嫌な予感しかしないけど、スルーしよう。
「ま、この街のことは街の主に聞こうぜ。自分で言っておいてあれだが、いちいち街中探し回りたくはないだろ」
「……それについては、兄貴に賛成。さっさと行きましょ」
「あ、ちょっと!?」
こんな鬱陶しい仕事、さっさと片を付けちゃいたい。
紘也さんが何か言いたげだったけど、あたしは気にせず先頭切って焔稲荷神社の鳥居をくぐった。
C
「おお、御主らか……待っておったぞ」
ユーちゃんとビャクちゃんが古くなって開きにくくなった境内の扉を軋ませながら開放し、あたしらは中に入った。そこにはいつものように、炎を閉じ込めたような緋色の瞳に滝のように長い金髪の美女が、気怠そうに胡坐をかいていた。
すでにアルコールが入って気が抜けているのか、人化がやや解けてしまって獣の耳と九本の尻尾が見えている。
「……ん?」
でもなんか変な気がする……。何だろう、この違和感。
「羽黒よ。御主がここを訪れるとは珍しい。明日は雨かのう?」
「安心しろ。しばらくは真夏日、ピーカンだ」
「ふむ、そうか。では今宵はミオも交えて冷酒でもどうじゃ?」
「魅力的な提案ではあるがな、またの機会にしてくれ。あんたも、なにも俺がこんなにゾロゾロと人数引き連れて雑談しに来たとは思ってねえだろ」
「やれやれ……せっかちじゃのう」
「俺がせかせかと動くことが、あんたの利益にもつながると思うんだがな」
言って。
兄貴は無造作にホムラ様の顔を鷲掴みにし、自分の顔を近づけた。その土地神に対していきなりの暴挙に、あたしも、ユーちゃんもビャクちゃんも呆然として見た。ただもみじ先輩だけが「羽黒!?」と悲鳴を上げて二人の間に割り込んだ。
「な、なな! 何をしようとしてたんですか、あなたは!!」
「いや、別に――」
「距離が近すぎます! 最近私にもあまりしてくれないのに……!」
顔を真っ赤にしながら涙目で兄貴に言い寄るもみじ先輩。あたしらからすればいつもの見慣れた痴話喧嘩の光景なのだが……部外者組を放置して突っ走んな。ここに着いてから後ろの五人がどうしたらいいか分からずに呆然としてる。
「よいよい。もみじよ、少し落ち着け」
「ですが……!」
「あー。兄貴泣かしたー」
「梓もじゃ。茶々を入れるでない。……それで、羽黒。儂の口臭を確認して、何が分かった」
へ?
……口臭?
「率直に聞こう。あんた、何で酒を飲んでないのに人化が解けかかってるんだ」
「え、姉様、酔っぱらってないの?」
「ああ。ユウなら分かるだろう。こいつ、人化が解けるくらい酔うと、この境内が酒臭くなる」
「……そう言えば」
ユーちゃんとビャクちゃんが周囲の臭いをかぐ。あたしも倣って匂ってみるが、お酒の、とりわけホムラ様が好きそうな日本酒の甘い匂いはしなかった。
「つまり、だ。今のあんたは人化が不自由な程度には弱っているということだ。だがここで問題なのは、どうしてパワースポットたる月波市と繋がっているあんたが、弱っているかということだ」
「……………………」
兄貴の追及に、ホムラ様は疲れた笑みを浮かべる。
月波市は特殊な土地だ。本来ならこの世に存在し続けることのできない妖怪たちが、普通に人間として生活している。それを可能にしているのが、土地そのものの力。
月波市に住む妖怪たちは例外なく、パワースポットたる月波の大地から力を供給され続けている。
もっとも、それも無制限ではない。例えば、いつぞやの悪魔のように土地の力を悪用、乱用しようと企めば、その行為は一発で土地の主であるホムラ様の気に触れる。
それこそ、触らぬ神に祟りなし。
不用意に触れば、障りが返ってくる。
しかし、ではなぜホムラ様が弱っているということだ。
ホムラ様も、神と崇め奉られている存在であると同時に、妖怪だ。
その力が強大であると言っても、放っておけばいつかは消滅してしまう。現にホムラ様の妹分であるビャクちゃんも、この街に来た当初は力の供給源を持たずに、さらに悪魔による追い打ちもあって消滅の危機にあった。
さて、兄貴の言う通り、よくよく見れば酔っぱらって人化が解けている時とは違い、ホムラ様にはどこか活力がない。酔いとは違う虚脱感、脱力感。初めに覚えた違和感も、ホムラ様の気怠そうな様子が、いつもと少し違ったからか。
「俺も少し考えてみたが、この街と繋がっている限り文字通りの無敵であるところのあんたが弱っている原因ってのは、一つしか思い浮かばなかった」
「……申してみよ」
「土地の力が弱まっている」
兄貴がはっきりと言う。しかし腑に落ちない点があったのか、真奈ちゃんが首を傾げて訊ねた。
「あの……それって、少し変じゃないですか?」
「ん?」
「土地の力が弱まってるなら……その……街の妖怪たちも弱体化して危ないんじゃ? それにホムラ様の力だけが弱まっているっていうのも不自然だし……」
「うん、さすがは修二の弟子だな、嬢ちゃん。着眼点がいい。その通り、単に土地の力が弱まっているのなら、他の妖怪たちが未だにピンピンしてるのは変だし、土地神たるこいつだけが弱体化してるのは不自然だ」
「だったらなんで……?」
「簡単なことだろう。文字通り身を削って、自分の力を市民に分け与えてるんだ」
え……?
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ兄貴! この街に一体何人の妖怪が住んでると思ってるのよ!」
「だいたい八万人。もっとも、もみじや白狐の嬢ちゃんみたいに別の供給源がある者も少なくはないから、実際に土地という供給源を失っているのは五万人くらいか」
「それでも、五万……!」
呆れた。
驚きを通り越して、ただただ呆れた。
元々は強大な力を持った大妖怪であるということは知っていた。しかしそれでも、この数日、およそ五万の妖怪をこの世に留め続けることが可能な、その力に愕然とする。
「聞きましたか、かがりん? 野良幻獣が五万匹ですって。連盟的にはどうなんですか?」
「例の事件よりずっとずっと昔からこの街はそういう特徴なのよ。ここで暮らしてる妖魔は野良というか、土地と契約してる状態ね。それに連盟はこういう都市に直接干渉することはできない決まりなの」
「魔術界における都市国家って感じだな」
部外者組が他人事のように雑談してる。本当に他人事なんでしょうけどね。ていうか青い着物の幼女どこ行ったのよ? 見当たらないんだけど? さっきまで顔色悪かった紘也さんもなんか普通になってるし……。
いやそんなことはどうでもいい。
ホムラ様はここ数日、ずっとこの神社で力の供給源として居続けたわけでしょ?
それでも、いつかガス欠することは避けられないはず。
「姉様……」
ビャクちゃんが震える声で訊ねる。
その声にはどこか、怒りが含まれているように感じた。
「この街がそうなったのは……どうして?」
「……………………」
「答えて」
「……………………」
最初は沈黙を保とうとしたのだろう。しかしビャクちゃんの青く燃える瞳に射抜かれ、諦めたように小さく頭を振った。
「……何者かがこの土地の力を、儂に無断で吸い続けておる。最初は儂だけで対処しようと思ったのじゃが、奴め、この儂にすら気配を全く感じさせぬ。そのくせに土地の力だけは奪い続けておるのだから解せぬ……」
「じゃあ次」
ビャクちゃんは淡々と問い質す。
「最初に異変を感じたのはいつ? そして姉様、あとどれくらいもつの?」
「……………………」
ここに来ても、ホムラ様は沈黙しようとした。
ホムラ様が『自分から他者に干渉できない』という縛りを持つ妖怪である以上、自分から誰かに救援を求めることができなかったのは分かる。
しかしいくら何でも、人化に不自由するくらいまで自分勝手に動いていたというのは――土地神としてあるまじき行為。もしそれで犯人を見つける前に自分の力が底を尽きてしまったら、この街の五万の妖怪が消えることになったのだ。
ビャクちゃんは。
自分を、自分たちを今まで頼らなかったホムラ様に、怒っている。
「……一週間」
ポツリとホムラ様が呟く。
「土地の力が吸われ、儂が代替として供給源となったのは、一週間前のことじゃ」
「そんなに前から……!」
「そしてこの調子じゃと、儂の力が枯渇するのはおそらく……三日後」
「……っ!」
パンッと、乾いた音が響く。
ビャクちゃんが、ホムラ様の頬を叩いたのだ。ビャクちゃんの華奢な細腕に叩かれただけで、ホムラ様は弱々しく床に倒れ込んだ。
「本当に……! どうしてそんなになるまで誰にも言わなかったの!? 確かに私は本来の力を取り戻してないけど、そんなに頼りなかった……!?」
「……すまぬ」
「……姉様の、バカ……!」
「……………………」
「もっと……私たちを頼ってよ……! 家族でしょ……!」
言って。
ビャクちゃんはホムラ様に抱き付く。
それにホムラ様は苦笑を浮かべ、優しくビャクちゃんの背中を摩る。
「やれやれ……あの日と立場が逆転してしまったか……。のう、ユー坊?」
「全くです。ホムラ様は少し反省してください。後は僕らで片を付けますから」
「……頼もしいのう」
笑うホムラ様の姿は、やはりどこか弱々しかった。
「こうなってしまった以上、儂も思うように動けん。今回ばかりは、情報の出し惜しみはせんよ」
「そいつは助かる。ついでに、後ろの連中がこの街で暴れることも許可してくれ。今回の協力者だ」
「ん?」
兄貴が後ろで今まで無言を貫いてくれていた面々を指さす。怪訝な顔をするホムラ様の前に葛木が歩み出て、丁寧に一礼した。
「お初にお目にかかります、焔御前。『葛木』を代表して参りました葛木香雅里と申します。この者も申した通り、この度は御身が守護する土地にて無礼を働くことをお許しいただきたく――」
「あーあー、硬い硬い。それは構わぬが……」
適当な調子で部外者組を見渡し……ホムラ様の視線が金髪のウロボロスと赤髪ツインテールのウェルシュ・ドラゴンの所で止まった。
「……協力者とは言え部外者がこの街で暴れるのは、まあ、有事ゆえ目を瞑ってやろう。じゃが……」
「あ?」
「羽黒。そしてそこの金髪と赤髪。ちょっと並べ」
「何だよ」
「は? あたしに命令していいのは紘也くんだけです。何様のつもりですかあんた?」
「神様だよ聞いてただろ!」
紘也さんがまた頭を抱えた。にしてもあのウロボロス、恐い物知らずね……。
「いいから言う通りにしとけ。ウェルシュも」
「はいはい、わかりましたよー」
「……了解です」
三人が不承不承といった具合にホムラ様の前に並ぶ。特にドラゴン二人は天敵である龍殺しの兄貴を目の敵にしているから、力が衰えているとは言え神様を目の前にしても殺気をお構いなく放ち続けている。
「ふむ……。まあ何じゃ。御主らにはまず言うべきことがあってのう。御主、ちょっと離れていろ」
「あ、うん……」
腕の中にいたビャクちゃんをユーちゃんに預け、ホムラ様は緩慢な動きで立ち上がった。ちなみに、人化している時のホムラ様は――兄貴よりも背がデカい。
「さて……」
「「「???」」」
すうっと深呼吸し、ホムラ様はニッコリと笑った。
けど……その緋色の瞳は怒りに燃えている。
「儂の膝元で無意味に大暴れしよって!! この痴れ者共がっ!!」
バキバキッと盛大に殴り飛ばす音が二回聞こえた。悲痛な声が聞こえたと思ったら、天井から兄貴の肩から下が、床からはウェルシュ・ドラゴンの下半身が生えていた。
そして。
「にょわああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
ウロボロスはホムラ様にアイアンクローを喰らって喚き散らしている。こめかみに指が食い込んで……とても痛そうである。
兄貴も兄貴で、天井に開いた穴に頭を突っ込んでいる状態なのだが抜けないのか足をバタつかせて暴れている。
まああの商店街を吹っ飛ばしたのはこの三人……とりわけ、兄貴とウロボロスの罪は重いわけで……うん、仕方がないね。
「……ウェルシュはなにも壊してません」
そういえばそうだった。できれば兄貴だけは壊してほしかったけど、まあいいか。
「ざまあ!」
「……梓ちゃん、嬉しそうだね……」
いやいや真奈ちゃん気のせいだよ。