SIDE∞-02 逢着
まさかその日の内に移動するとは思わなかった。
しかも電車で。
「……」
紘也は呆れ顔で車内を見回した。車両一つ丸ごと貸し切って葛木家の術者たちを乗せている光景は、なんというか、一般人からしてみれば異界だろう。なにせ黒装束の怪しい集団が微動だにせず鎮座しているのだから……。
「これから向かう月波市って街は少し変わった土地になってるの」
向い合せた座席の通路側前方に座った香雅里がガイドブックのページを捲った。
紘也たちが軽く体を傾けて覗き込む。そこには月波市の簡易図が載っていた。ちなみに紘也は通路側後方、ウロは窓際後方、ウェルシュは窓際前方という座席順だ。あと山田は置いてきた。邪魔だから。
「ふむふむ、なんかすんごい規模の土地が一つの敷地になってますね。都市の二割くらいありませんか?」
ウロが興味深そうに地図の特異点を示した。確かにその一点だけが抜き出ているように見える。
「そこは月波学園っていう私立の学校よ」
「学校? まあ確かによく見たら『文』って書いてあるけど、でかすぎないか?」
敷地内に等高線が集中している箇所があるから山まで含んでいることになる。山があるだけなら葛木家も同じだが、あっちは敷地外の単なる私有地だ。
「小学校から大学まで一貫してる学園らしいわ。生徒数だけでも小さな町の人口より多いって聞いたことあるし」
「オゥ! いわゆる学園都市っぽい感じですか! つまりそこに潜入するってわけですね。なかなかスリリングで面白そうじゃあないですか。ウロボロスさんはメラメラボワーンって燃えてきましたよ!」
「……潜入捜査、カッコイイです」
どうしてこの幻獣どもはよくわからん部分でテンションを跳ね上げるのだろうか? 紘也も昔は友人たちと夜の学校に忍び込んで遊んだりしていたが、それとこれとはわけが違う。遊びじゃないんだ。
「やる気出してるとこ悪いけど、今回の件にこの学園はなんの関係もないわ」
「ホワイ? でも他に変わった場所は見当たりませんよ?」
キョトリとして地図を見直すウロ。学園以外の特徴と言えば、市のド真ん中に大きな川が流れているくらいだろう。どこにでもありそうな扇状地構造だし、紘也から見ても特に違和感はない。
「わかりにくいけど、この月波市はいくつもの地脈が丁度ぶつかった地点にあるのよ。だから土地に秘められたエネルギーは八櫛谷の比じゃない。そういう土地は世界でも珍しくて、『パワースポット』なんて呼ばれてるわ」
「パワースポット……元マスターから聞いたことがあります。契約してない幻獣でも自然に魔力が供給される土地だと」
「ああ、だから『人間と妖魔が共存する都市』が成り立つのか」
魔力を失い続ける妖魔(=幻獣)がどうやって都市規模で共存できているのか不思議だったが、ウェルシュの補足で紘也は得心がいった。
「でもそんな土地なら誰かが管理してるんじゃないか?」
「一応してるけど……今回はその土地を管理してる別の陰陽師と共同戦線を張ることになってるわ」
「別の陰陽師?」
「ええ」
八櫛谷を管理している日下部家と同じような感じだろうか? それにしては香雅里の物言いが少々煮え切らないような気がした。あまり懇意ではないのかもしれない。
「これは連盟から、正確にはあなたの父親から受けた指示なのよ」
――やっぱりか、あの親父。
葛木家を動かしているのだ。あの人が一枚噛んでいなければ逆に不自然だろう。
「理解してもらえたなら、なぜ月波市という土地で、地元の陰陽師と協力しないといけないのかもわかったんじゃない?」
「そうだな……その特殊地帯を『敵』が利用しているから、とか?」
「概ね正解。土地勘のない私たちだけじゃ動きにくいの。あなたが馬鹿じゃなくて助かるわ」
香雅里は満足げに頷いた。だが疑問もある。その土地に陰陽師の一族がいるのにわざわざ葛木家を出張させる理由だ。戦闘向きじゃないのだろうか?
いや、それよりもまだ肝心な部分を聞いていない。
「てか、その『敵』ってのは一体――」
《ほほう。では月波市とやらに行けば吾の魔力も回復するのか。これはよいことを聞いた》
ありえない声が聞こえた。
振り向けば、不適に笑う青い和服の少女が通路に立っていた。
「なっ!? 山田!? なんであんたがここにいんですか邪魔だから捨ててきたのに!?」
《ふっ。愚かな金髪よ。己に教える義理などな――おっ!?》
無駄に威勢を張る山田だったが、急に車両が揺れてバランスを崩し背後の肘置きに後頭部を強打。ぎゃん! と短い悲鳴を上げみっともなく蹲った。アホだ。
と――
「ヤマちゃんはわたしたちと一緒に来たのです」
「水臭いぜ、紘也。こういう面白そうなイベントにはオレたちも参加させろよ」
さらにありえない、いや、ありえてはならない姿がそこにあった。
「孝一!? 愛沙!?」
車両の後方から歩いてくる男女に、今度は紘也が驚愕の声を張り上げた。
均整の取れた輪郭にニヤリとした笑みを浮かべている少年が諫早孝一。長く艶やかな黒髪に赤いリボン、やや幼さを残した顔立ちをした少女は鷺嶋愛沙。どちらも紘也の親友にしてクラスメイトで、そしてただの一般人だ。
「今回はなにも教えてないのに、なんでいるんだよ?」
「山田が教えてくれたんだ」
孝一が当然のように言う。そうでないと辻褄が合わない。
「もうちょっとで乗り遅れるとこだったよぅ」
走ってきたのだろう、ふんわりとした笑顔の愛沙の額には僅かに汗が浮かんでいた。なのに孝一が汗一つかかず涼しい顔している理屈は不明。
キッ! とすかさず香雅里が苛立たしげに立ち上がって二人を睨む。
「まったくあなたたちは! 遊びじゃないし危険なことくらいわかってるでしょ! なんでついてくるのよ!」
孝一と愛沙は紘也が魔術師の息子だということはもちろん、ウロたちの正体も知っている。知っていて親友でいてくれているのだ。そこは感涙するほどありがたいのだが、こういう危険に『面白そうだから』と首を突っ込む癖だけは忘れてほしいと願う紘也である。
孝一は額に手をあて、どこか儚げな視線を紘也に向けた。
「紘也が行くところに、オレがいないのはなんか、寂しいだろ?」
「うっひょ孝一くんその台詞グッドです! ウロボロスさんのインスピレーションにビビビッとキタコレ! 帰ったらヒロヤズヘンタイコミック描き下ろしますッ!」
「……う、ウロボロス。そのヒロヤズヘンタイコミック、ウェルシュにも貸してください」
「ああ、紘也、お前はいつからオレに飽きてしまったんだ……」
「やめろ孝一、変態が湧く」
演劇でもしているかのような芝居がかった口調に、冗談とわかっていながら紘也は全身に鳥肌を立てるのだった。
「紘也くんは『受け』で孝一くんは『攻め』ですよね。場所は紘也くんの自室、いえここはあえて孝一くんの寮のベッドでえへ、えへへ、じゅるり……」
「そんでそこ! もしそんな気色悪いもん描きやがったら眼球抉り取ってやるからな!」
「ええぇ!? ヒロヤズヘンタイコミックですよ!?」
「マスター、ヒロヤズヘンタイコミックです」
「だからだよふざけんな!? なんでそれなら許されると思ってんだお前ら!? 見つけ次第原型を留めないくらい破り捨てて焼却するからな!!」
「ははは、紘也も必死だなぁ。流石にスルーできないか」
「ヤマちゃん、頭打ってたけど大丈夫?」
《あうぅ。愛沙は優しいな》
一気に騒然となった車両内。にもかかわらず、葛木家の術者たちは小指一つ動かさない。
「あ、あなたたちは本当に、本当にいつもいつもいつも……」
ただ一人、片眉をピクつかせて青筋を立てている次期宗主候補様を除いてだが。
「どうして揃うと話を聞かなくなるのよぉおおおおっ!?」
【次はぁ~月波ぃ~月波ぃ~。お出口は左側――】
∞
【ダァ閉まりまぁ~す】
月波駅に停車していた列車がドアを閉ざし、次の駅に向けて出発する。
その列車からぞろぞろと出てきた黒装束の謎集団に駅の人々が奇異の視線を集中させていた。しかし一人一人の眺める時間は短く、すぐに自分の用事を思い出したかのように立ち去っていく。
「流石に奇抜なものは見慣れてるって感じね」
香雅里はそんな人々の様子を横目で捉えつつ感想を呟いた。自分たちの格好を『奇抜』と認識できないほど香雅里の常識は崩壊していないが、いつ戦闘になるかわからない任務なのだ。私服で来るわけにはいかない。
それに顔も知らない相手と待ち合わせるなら目立つ格好の方がいいだろう。
「よーしせっかく他の街に来たんだ。探検しない手はないよな紘也?」
「いやだから、遊びに来たわけじゃないんだって孝一」
「ここって月波饅頭が名物なんだって。甘くておいしそうだよぅ」
「ふむふむ、中身はこしあん・ねりあん・白あん・カスタード・チョコですか」
「……バリエーション豊富です」
《むむむ? あ。あれは幻の銘酒『龍殺ろし』ではないか! 吾が封印される前ですら貴重だった物がこの時代にあろうとは……よし人間の雄。買え》
「買わねえよ!」
香雅里たちから少し離れて歩く秋幡紘也一行はもはや旅行者にしか見えなかった。
「あなたたち、そういうのは後にしなさい」
お気楽過ぎて溜息が出る。結局電車の中ではろくに説明ができなかったから緊張感を持てと言う方が無理だが、もう少し落ち着いてもらわなければ先が思いやられる。
「この駅で『瀧宮』の術者と合流することになってるから勝手な行動は――っていないし!?」
「今し方『探検だぁー』と言って駅から出て行かれましたが?」
「見てたのなら止めなさいよ!?」
彼らのお目付け役は完全に香雅里に押しつけられているらしい。大人がこれだけいて誰も注意しないとは……身内ながら涙が出るほど役割に忠実過ぎて困る。
――せめて一声かけてほしかったわ。
そうすれば少しくらいなら自由時間をあげてもよかったのに、と次第に引率の先生っぽさが板についてきた香雅里である。
「あー、たぶんアレだな。わっかりやすい格好してやがる」
とりあえず呼び戻すために携帯電話を取り出したその時、香雅里はこちらに向かって歩み寄って来る集団に気がついた。
黒いコートを羽織った長身の男と、彼の横にならぶノースリーブの同じく黒いワンピースを着た女性。さらに三歩ほど離れた後方を高校生と思しき私服姿の少年少女たちが困惑顔でくっついている。
一瞬で悟る。
彼ら全員が、只者じゃない。
「陰陽剣士の一族――『葛木』ってのはお前らのことで合ってるか?」
黒い男が慇懃無礼に問う。
「そっちこそ、八百刀流の『瀧宮』で問題ないかしら?」
「さて、どうだかな?」
「……」
なぜはぐらかされたのか知らないが……間違いなさそうだ。
そして『協力する気などさらさらない。こちらはこちらで勝手にやる』とでも言いたげな態度を微塵も隠そうとしていない。
やはり気に入らない。『瀧宮』は。
この世界魔術師連盟に加入できない一族は。
「葛木香雅里よ。一応私が責任者ということになってるわ」
だが協力者は協力者だ。気に入らないからと事を荒立ててしまうなら香雅里はここにいない。表面上の体裁だけは最低でも取り繕うつもりである。
「ああ、知ってる知ってる。次期宗主候補様だろ? 俺の愚妹と一緒だな。で、俺は瀧宮羽黒。勘当されちゃいるが『瀧宮』の術者で間違ってねえぜ」
「そう、よろしく。ところで――」
実はさっきから気になっていたことがある。
羽黒が荷物のように粗雑に背負った――意識を失っているらしい少女のことだ。
「その子、どうしたの? まさか敵にやられたとか?」
「うん? ああ、これは……そうだ、敵にやられた」
「!? いやそれ羽黒さんが気絶させて拉致ってもがもが!?」
なんか不穏な台詞を言いかけた少年が羽黒に口を押さえられて呻いた。彼の隣の白い少女――狐耳と尻尾が生えているから妖魔だ――と眼鏡の少女がその光景にあたふたしている。
――な、なんなの、この人たち?
本当に『瀧宮』の術者なのか怪しくなってきた香雅里である。
「つーわけで、俺はこいつの仇を討たないといけねえんだ。さっさと敵地へ乗り込むぞ」
強引に話を進めて羽黒が踵を返そうとしたが、
「あっ、ちょっと待ってくれないかしら?」
「あぁ?」
すこぶる嫌そうな顔で振り向かれた。
だが構わず香雅里は言う。彼らがいないまま敵と相対するわけにはいかない。
「こちらの主戦力と言える人たちが勝手に市内の観光に行っちゃったのよ。敵地に乗り込む前に捜すのを手伝ってもらいたいのだけれど、お願いできるかしら?」
即行で断られると思ったが、羽黒は隣の黒髪の女性と小声で一言二言ほど喋り――
「人捜しは有料だぜ?」
面倒臭そうな口調でそう告げた。