SIDE100-22 末路
〈太陽の翼〉上層中央部――チャペル。
「《クソがぁっ!!》」
ようやく見つけたヴァドラは、手に付くもの全てを瓦礫へと変える勢いで暴れていた。
豪華絢爛の壁画も、厳かな内装も、見る影もない。
ただ十字架を模ったオブジェだけは触れられないのか、それだけが原形を留めている。
「《殺す!》《殺す殺す殺す!》」
その呪詛は、もはや吸血鬼のものなのかヒュドラのものなのか判別できないほど混じりあい、濁り切っていた。
「《毒殺してやる、斬殺してやる、屠殺してやる、射殺してやる、撲殺してやる、圧殺してやる、暗剣殺してやる、縊殺してやる、殴殺してやる、生殺してやる、焼殺してやる、格殺してやる、禁殺してやる、挟殺してやる、減殺してやる、絞殺してやる、的殺してやる、強殺してやる、虐殺してやる、爆殺してやる、故殺してやる、磔殺してやる、密殺してやる、活殺してやる、刺殺してやる、愁殺してやる、重殺してやる、封殺してやる、焚殺してやる、銃殺してやる、三重殺してやる、粛殺してやる、瞬殺してやる、扼殺してやる、閑殺してやる、蕭殺してやる、撃殺してやる、相殺してやる、捕殺してやる、畜殺してやる、誅殺してやる、罵殺してやる、謀殺してやる、秒殺してやる、併殺してやる、鏖殺してやる、抹殺してやる、薬殺してやる、要殺してやる、轢殺してやる、惨殺してやる!》」
不死身の化物は吠える。
「《思いつく限りの!》《ありとあらゆる方法で!》《殺し尽してやる!!》《なめやがって、なめやがって、なめやがって、なめやが――》」
「いい加減、しつけえ」
「《――っ!?》」
鼻っぱしに龍鱗を纏わせた拳を叩き込み、吹き飛ばす。
それでようやくヴァドラはこっちの存在に気付いたのか、充血しまくって白目と瞳孔の見分けがつかなくなった眼球をギョロリと動かしてこちらを見据えた。
「っかしいな、お前、さっきウロボロスに消し炭も残らず吹っ飛ばされて消滅したはずだろ。何しれっと復活してんだよ」
「《……龍殺し……!》」
ズルリと気持ち悪い動きでこちらを向き、両手に銀の双剣を呼び寄せて構える。
「《殺す……!》《殺す殺す!》《テメエも血濡れの白姫も、テメエの仲間も下の街の連中も、あのクソ錬金術師もフェニフもドッペルゲンガーも、全部全部全部全部!》《ぶっ殺す!!》《もう何もかもどうでもいい!》《俺が全部食らい尽くす!!》」
「その殺意、その執着、それにその生命力……認めてやるよ。お前は間違いなく、俺が今まで戦ってきた連中の中でも最強の分類だよ」
「《だったらどうしたァっ!!》」
ヴァドラの足元から九つの巨大な蛇頭が出現し、牙を剥き出しにしてこちらに突進してくる。それを拳で弾き、避けながら様子を窺う。
「どうもしねえよ」
右手に【龍堕】を構え、駆けだした。
「ただ誠心誠意、手順を踏んで、心を込めて殺すだけだ」
「《やれるもんなら!》《やってみろォっ!!》」
影の毒蛇が大口を開け、俺を呑み込もうと迫ってくる。
九つの方向から壁を破壊し、天井を抉り、床に穴をあけながら襲来する蛇頭。
動きはこれまで以上に速い。
だが、あまりにも直線的――隙だらけだ。
ズシャア!
一閃。
九つのうち、一つの頭をまずは斬り落とす。
ゴトンと音を立てて床に落ちた首は一瞬にして魔力となり霧散する。
ヴァドラがこれまで見せた再生能力を考えれば、この程度は掠り傷程度にもならない。ここで油断していれば、残る八つの首が間を置かず襲ってくるはずだ。
しかし。
「《イ……!》」
ヴァドラは硬直し、影もまた一瞬だけ動きを止めた。
《イ……ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?》
そしてチャペルに響き渡った、初めて発せられたこの世の物とは思えない八重の悲鳴。
残る八つの頭がのたうち回り、大きな隙を見せる。
それを見逃すはずもなく、俺は残る八つの首も順々に一つずつ斬り落としていった。
「《ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?》」
斬り落とされた首から煙と臭気を上げながら、再び悲鳴を上げるヴァドラ。
ヴァドラの悲鳴は徐々にその不気味な重なりを失っていき、ついには一つの青年の声だけが残った。
「《あああああああああああああああああ……!!》《なんだ!?》《この痛みはああああああああああああああああああああああああっ!?」
俺は【龍堕】の刀身に触れないよう床に切っ先を突き付けた。
「英雄・ヘラクレスが成した十二の功業の一つに、ヒュドラ退治がある。ヘラクレスは甥のイオラオスと協力し、ヒュドラの斬り落とした首の傷口を松明の炎で焼いて塞ぐ〝復活〟を阻止し、倒したらしい」
「焼いて塞いだ……どうやって!」
「流石に松明は用意出来なかったからな、代わりに刀身をあらかじめ念入りに炙っておいた」
「だが……だが、この痛みはああああああああああっ!?」
「ただの炎じゃ心許ないし、お前の再生力を考えるとウェルシュ・ドラゴンの〝拒絶〟の炎でさえ不安だった。だから今回は――フェニックスの〝聖炎〟を使わせてもらった」
漆黒の刀身に、先程フェニックスの炎の監獄を突き破った時から陽炎が立ち込めている。
ただの火傷程度であれば、吸血鬼本体の治癒能力で再生される可能性があった。それではせっかくヒュドラの首を焼き切っても意味がない。
ならば、再生されない火傷を与えてやればいい。
ただでさえアンデッドに有効な炎に加え、フェニックスの〝聖炎〟で焼かれては、一介の吸血鬼如きではどうすることもできない。
「ああああああああああっ!!」
ヴァドラ――否、名も知らぬ吸血鬼の足元から伸びていた巨大な蛇は徐々に魔力となって霧散し、そしてついには綺麗さっぱり消えてなくなった。
残ったのは、怨嗟の感情を剥き出しにする吸血鬼だけだ。
「貴様……! よくもボクの力を……!!」
「お前の力じゃねえだろ。アレはヒュドラの力だし、それを植え付けたのはあの錬金術師だ」
ただ、まあ。
「さっきも言ったが、お前のその執着心、俺は結構認めてんだぜ」
ただひたすらに貪欲に力を求め、吸血鬼の矜持すらも捨ててキメラとなったこいつの形振り構わない姿勢は、何だかんだ言って嫌いではない。
だから。
「認めているから、何だ! 大人しくボクに食われてやるって言うのか!?」
「ンなわけねえだろ。ただその執着心に免じて、一つだけプレゼントだ」
言って、俺は吸血鬼に背を向け歩き出す。
そしてずっと俺の後ろで待機していた彼女の脇を通り過ぎる。
「……っ!! く……!」
吸血鬼の声が震える。
「後は任せた。好きにやれ」
「はい、羽黒」
彼女は――白銀もみじは、慈悲の欠片も感じない血色の魔眼を細め、月のように輝く銀髪を靡かせながら吸血鬼に近付いていった。
その一歩一歩の歩みは全ての命を委縮させ、さらに一呼吸ごとに生を吸い尽くすような威圧感がある。少しばかり血を与えすぎたか……全盛期には程遠いが、溢れ出る魔力の影響か、黒かったワンピースも白く脱色され、当時を彷彿させるには十分の雰囲気を醸し出していた。
「血濡れの白姫……!」
吸血鬼は、念願の力を目の前にしながらも、上ずった声でかつての異名を口にするだけだった。
「こうしてまともに対するのは初めてですかね。ですが、その呼び名は好きではありません。今の名は――まあ、あなたには関係ありませんね。同族とは言え、あなたのような下級吸血鬼が口にできるほど、安い名ではありませんので」
「う……っ」
「ところで、いつまでそうして突っ立っているのですか――跪きなさい」
「……!」
その一言に込められた威圧感に、吸血鬼は抵抗もできずに膝を折った。
相変わらずというか何というか。
一度敵と認識したら、本当に容赦というものを知らない。
「正直、あなたが私に執着する理由が全くもって不明なのですが。羽黒のお願いですのでこうしてあなたと対峙していますが、正直、見ず知らずの相手から言い寄られるのは不快です」
「そ……それでも、ボクは……!」
吸血鬼は全身を震わせ、奮い立たせて、立ち上がる。
「ボクは貴女の力に魅せられた! 貴女に……血濡れの白姫にボクの心は囚われた!! もう千年近く経ったがその想いは変わらない! 一目惚れと言ってもいい! 貴女と、貴女の力が欲しい! だから――」
「気持ち悪い」
「……!!」
それは明白な拒絶の意思だった。
吸血鬼の生涯から見ても、決して短くはない年月を費やして求めてきた相手から、取りつく島なく拒否され、見下され、僅かに残っていた自尊心が崩れ去る。
誇りがあれば、拠り所がなくとも耐えられる。
拠り所があれば、誇りがなくとも生きていける。
だが両方失えば――なんにでもなる。
「く……はは」
「……?」
「はは……ははは!」
吸血鬼は嗤った。
ねっとりとした、どす黒い魔力が籠った笑みを、顔全体に浮かべる。
「だったら――だったら、貴女はいらない」
双剣を握る手に、力が戻った。
「最初から……あの聖域で貴女を見かけた時に、こうしておけばよかったんだ……殺してでも、貴女の力を奪い取る!!」
吸血鬼が床を蹴り、もみじに向かって駆けだす。
血走った瞳が赤い残滓を残す速度でもみじに接近する。
そして双剣を振りかぶって
ボキリ
両の腕ごと、双剣を毟り取られた。
「ぎ――ゃあっぶ!?」
悲鳴を上げる間もなく、吸血鬼は上半身を蹴り飛ばされる。
勢いよくぶっ飛んだ体の行き先は、チャペルの中で唯一原形を留めていた――巨大な十字架のオブジェ。背中からまともに受け身もとれずに叩き付けられた吸血鬼は、次の瞬間には目の前まで迫ってきていたもみじに、どうすることもできなかった。
「そう言えばこの双剣、やけに清浄な気配がしますね。さしずめ、純銀を純度の高い聖水と〝聖炎〟で鍛えたという感じですか」
「……!」
抵抗する間もなかったのだろう。
もみじが奪い取った双剣が自身の両肩を貫く様子を、吸血鬼は青褪めた表情で見つめていた。
「ィぎゃああああああああああっ!? ああ、あああああっ!!」
十字架に純銀の双剣で磔にされ、全身から煙を上げながら絶叫を上げる吸血鬼。しかし元来より奴が備えていた生命力によるものなのか、辛うじて遺されたヒュドラの再生力によるものなのか、即死には至らなかった。
「五月蠅い」
心底煩わしそうに、もみじは右手を吸血鬼の胸に突き刺す。
そして。
ズルリと。
赤黒い鼓動を無理やり引っ張り出した。
「がぁっ……」
「……呆れた」
もみじの掌の中で、ソレは変わらず鼓動を続けている。
体の方も、傷口からダクダクと血を流しながらも、未だに意識を保っていた。
「呆れた生命力。なるほど、羽黒が一目置くのも頷けますね」
「……ぁあ……」
「ですが、流石にもう限界でしょう」
もみじは右手に力を込める。
赤い鼓動はすぐにでも潰れてしまいそうだった。
「……待っ……くれ……」
「……?」
吸血鬼が、最後の力を振り絞る。
「せめて……貴女が手に、入らないなら……せめて、ボクを……貴女の力に……」
足元に血の海を作りながら、吸血鬼がえづく。
「ボクを……食ってくれ。せめて、ボクが貴女の力の一部に……なり、たい……!」
「は? 嫌ですよ」
「……っ!」
すっぱりと。
無慈悲に。
もみじは再び、拒絶した。
「非常時でもないのに、何故あなたのような雑魚を取り込まなければならないのですか。馬鹿馬鹿しい」
そう言って。
何の躊躇いもなく、右手のソレを握りつぶした。
「う……あ、ああああああああああっ!!」
断末魔を上げ、全身から溢れる煙がついに炎となった。
「嫌だ……イヤだ! 死にたくない! 死ぬのは嫌だァっ!! あああああっ!!」
絶叫をチャペル全体に轟かせながら、全身が灰となっていく。
それを何の感慨もなく、見届けすらせず、もみじは背を向けてこちらに戻ってきた。
「終わりました」
吸血鬼の断末魔が完全に途切れ、肉体も灰となり、魔力となって霧散した。
もみじが全身に浴びていた返り血も、右手の血糊も綺麗に消え去っている。
まるで路傍の石を蹴ってしまった程度の、感情の薄さ。
本当に何事もなかったかのように、もみじは俺の前に立っている。
「……? どうしました?」
「いや、なんでもない」
小首を傾げるもみじ。
さっきまでの苛烈さはすっかりなりを潜めている。
「……………………」
「羽黒、大丈夫ですか?」
「いや……ああ、そうだ。もみじ、手、大丈夫か」
「手?」
「あの銀の双剣、結構がっつり握ってたように見えたが」
「ああ、アレですか。柄に絶縁体でも仕込んでいたのか、普通に持つぶんには特に何ともなかったです。ちょっとピリッとしたくらいで、ほら」
そう言って、もみじは右の手の平を差し出した。
実際に見て触れてみると、確かに何ともないらしい。実に綺麗な手の平だ。
「ふむ、大丈夫そうで何より」
「うふふ、羽黒ってば、変なところで心配性なんですか――」
そこで、もみじの言葉は途切れた。
いや、まあ、俺のせいなんだが。
俺は少し屈んで背丈を調整し、もみじの手の平にそっと唇を押し当てた。
「……………………」
「上書きだ」
唇を離すと、もみじは顔を真っ赤にして目が泳いでいた。元々色白な分、紅潮すると実に分かりやすい。
「……。……っ! 羽黒! もう一回もう一回! できれば今度はこっちに!」
「うるせえ、今の状態でそっちにやったら根こそぎ精力持ってかれるわ」
目を閉じて唇をこっちに向けてきたもみじの頭を撫でながら、俺は歩き出す。
くしゃくしゃになった前髪を押さえながら、もみじは不服そうに上目遣いでこっちを見つめてきた。
「ふはっ」
「……なんですか」
思わず噴き出した俺を、そのまま軽く睨みつけるもみじ。
「いや、やっぱお前、人間臭いわ」
「へ?」
「さあ、連中と合流するぞ。いい加減、遅いと梓がキレそうだ」
「あ、待ってください羽黒!」
きょとんと首を傾げながら、もみじは小走りで俺の後ろを追いかけてきた。




