SIDE∞-21 別離
「いよっしゃグッドタイミング! トドメはあたしがいただきます! もうだいぶ弱ってるみたいですが、〝復活〟されちゃあ面倒なのでもう一気に片付けますよ!!」
天井の穴から降ってきた空気を読めない奴ことウロボロスは、かぷりと左の手首にかみついてフェニフの眼前に着地した。
「えっ?」
顔を上げたフェニフが呆然とした。高まった魔力がウロボロス周辺の空間を歪ませ、まるでそこだけ世界から切り取られた地獄のような光景を生み出している。
「ちょっと待ちなさいウロボロス!」
香雅里が止めようとするも、獲物を前にしたウロボロスの耳には届かない。
ウロボロスが手を翳す。歪みが龍の顎に形を変え、大きく開かれたその奥の、どことも知れない空間がフェニフに迫る。
「〝貪欲〟の闇に呑まれて消えろ!!」
ウロボロスが開いた五指を閉ざすと同時に、龍の顎がフェニフを喰らう。
「いやぁあああああああああああああああああッ!?」
フェニフはどうにか足掻こうとしたが虚しく、顎は完全に閉ざされ、この世の終わりのような悲鳴と共に世界から消え去った。
「……」
「……」
「……」
静まり返る室内。
空間の歪みも消え、高まった魔力も落ち着いたウロボロスが誇らしげにガッツポーズを取る。
「よし」
「「よしじゃないッ!?」」
ゴッ!
左右から飛んできた二つの裏拳がウロボロスの両眼に直撃し、そのまま壁に激突させる勢いで殴り飛ばした。
「な、なにすんですか!? サミングじゃなかったからセーフですけど痛いもんは痛いんですよ!? アレですか? あたしにいいところシュバババシュキーン! って持っていかれたから妬んでるんですか?」
起き上がったウロボロスが顔面を押さえて抗議する。
「そうじゃないわよ! 今もうちょっとで和解できてたとこだったの。事情を聞けば、フェニフは妹を人質に取られて仕方なく従っていたみたいだし」
「んな事情知ったこっちゃねーですよ! ていうか、かがりんが幻獣を擁護するなんて珍しいですね」
「これでもちょっとは考えを改めたのよ。あとかがりん言うな!」
怒鳴った香雅里は深呼吸を一つして落ち着きを取り戻すと、この場で起こった出来事を簡単に説明した。
「とまあそんなわけだからウロボロス、フェニフ出してやってくんない?」
バツが悪そうに唇を尖らせるウロボロスに梓が軽い口調で言う。
だが――
「あー……それが、そのね」
ウロボロスは言い難そうにそっぽを向いて冷や汗を掻いていた。
「……どうかしたのですか?」
朝倉が首を傾げて問うと、ウロボロスは指を胸の前でつんつんさせながら渋々といった様子で答えた。
「なんと言いますか、ウロボロスさんの無限空間は〝無限〟なわけでして」
「うん」
「〝無限〟に広がってるだけじゃなくてですね、〝無限〟に存在しているわけです」
「つまり?」
「どこに呑み込んだのかアイドンノー!」
「「なにしてくれてんのよ!?」」
「ぶげふっ!?」
両サイドから顔面陥没パンチが飛んできた。同性とはいえ、幻獣の顔を殴るのになんの躊躇いもない二人である。
「い、いいじゃあないですかフェニフは最初からこうする打ち合わせだったじゃあないですか!? あといつの間にかがりんと梓っちはそんなに息ピッタリになったんですか!?」
「「なってないから!?」」
「なってる!?」
一字一句違えずタイミングも完璧にハモらせた二人を、息ピッタリ系の用語以外でどう表現したらいいかわからないウロボロスだった。
「ぐぬぬ……このままあたしの失態扱いになっちゃったら紘也くんに『誉めて誉めて』と抱きつくこともできないじゃあないですか。なんとか挽回を……あ、そうです。愛沙ちゃんとユーフェンバッハくんの黄金化を華麗に解除すれば――」
「あ、あの……ごめんなさい。私が解除しちゃいました」
「なんですと!?」
朝倉が介抱している愛沙は、意識こそ失っているが確かに黄金化は解けていた。
あの黄金化は並の錬金術じゃなかったはずだ。ちょっと齧った程度どころか、かなり極めた錬金術師でも解除は困難だ。錬金術の象徴とも言えるウロボロスにとっては楽勝で一瞬だが、朝倉真奈がそれほどまでの魔術師だったとは意外である。
意外過ぎて、計算が狂った。
これではどうやったら紘也に褒めて貰えるのか。彼が追いついて来る前に考えなければならない。
「で、どうすんのよ?」
「私たちにはどうしようもできないわね」
「真奈ちゃんなんとかならない?」
「……難しい……と思いますけど、いろいろ試してみます」
「ほら、ウロボロスも虱潰しに探す!」
「ホワッツ!? え、えっとですね、梓っち? 知ってますか? 無限空間開くのってかなり魔力使うから超疲れるんですよ?」
「いいからやる!」
「うぇーい……」
鬼の形相で睨まれては、流石のウロボロスも逆らうことはできず大人しく手首に噛みつくのだった。
∞
フェニフは無光の闇の中にいた。
出口などない、どこまでもどこまでも〝無限〟の闇が続く空間。地面に足をつけている感触もなく、それどころか重力の感覚もない。まるで星のない宇宙空間のようだ。
こうしてただ漂っているだけで、刻一刻と己の存在が削り消えていくのを感じる。
死ぬのだ。
いや、『死』ではない。
フェニックスの〝復活〟を持ってしても蘇ることのできない、完全なる消滅。
思考もうまく働かない。これでよかったのか。よくないのか。自分は生きたいのか。もう消えてしまいたいのか。存在が薄れていくに連れ、段々と自分の感情もよくわからなくなってくる。
なにもかもどうでもよくなってくる。
――それでよいのか?
どこからか、問いかけが聞こえてきた。
「誰?」
周りには誰もいない。
幻聴かと思ったが、この声には聞き覚えがあるようなないような……
――吾輩は構わぬが、お主にはまだ生への渇望があったはずだ。
生きる意味?
そんなものは……あったかもしれない。なかったかもしれない。
――思い出せ。
声は強く告げる。
――思い出せ、ライナ・リオ・フォレストルージュ。
「――ッ!」
もう忘却しかけていた己の名前を呼ばれ、フェニフ――いや、ライナはハッとする。
消えようとする意識に逆らい、失いかけていた記憶を掴み取る。
己の身を滅ぼしてでも守りたかった者のことを。
「レイナ……レイナッ!?」
思い出した瞬間、ライナは削られていた存在が戻ってくるような感覚に包まれた。これは……〝復活〟だ。だが、この空間ではその特性は無意味だったはず……?
――吾輩の力を甘くみるな。魔力が残っていれば〝復活〟は可能である。ただ、何度〝復活〟しようとも出られないのであれば、そういう意味では無意味とも言える。
「あなた、もしかしてフェニックス?」
合成幻獣となってから幾度か夢に出てきたが、実際に対話をしたことなどなかった。彼は意識を眠りに就かせ、体と力の主導権を全てライナに譲っていたのだ。
それが、今になってどうして呼びかけてきたのか?
そもそも、こうして二つの意識が同時に活性化できるものなのか?
――この空間のおかげだろう。合成されていた吾輩とお主の乖離が始まっている。故に、吾輩とお主はこうして対話できるのだ。
なるほど、それならライナも納得できる。結局はまだ存在の消滅は続いているのだ。
――今一度問う。ライナ・リオ・フォレストルージュ、お主はこのままでよいのか?
「よくない」
今度は即答だった。
「私は、生きる必要がある! レイナを守るために、レイナを悲しませないために!」
――そうか。ならば、お主は外へ出るべきである。
「それができるならやっているわ」
ライナの魔術を持ってしてもこの空間から元の空間に戻るすべはない。生きたいと思っても、帰りたいと願っても、出口がなければ諦めるしかないだろう。
だが、諦めたくない。
――吾輩の力でお主だけを元の場所へ送ろう。
「できるの?」
――我が〝聖炎〟でこの空間に穴を穿つ。恐らく一瞬であろうな。その一瞬の間にお主は外へと出るがよい。
「待って、あなたはどうなるの?」
――知っているはずだ。吾輩は死に場所を求めていた。完全に消えることのできる場所を探していた。この空間は吾輩の願いを叶えられる。吾輩は残りたい。眠らせてくれ。
それは、このフェニックスの悲願だ。ライナも夢という短い間だが、何度も追体験したから理解できる。ここで彼にも『生きろ』と説得することがどれだけ酷かわかる。
「そう」
だから、ライナはなにも言わない。言ってはいけない。
――ウロボロスには、感謝せねばな。
その声には、ライナがなにも言わなかったことに対する安堵の念も含まれていた。
――我が全霊を賭した〝聖炎〟を持って、お主を元の場所へと送り届けよう!
無光の闇だった世界が、赤く、そして白く塗り潰された。
∞
遅れて駆けつけた紘也は、そこで行われている作業の目的を悟ろうとして諦めた。
「……なにやってるんだ?」
朝倉は地面に魔術の計算式をずらずら書き並べ、香雅里と梓はなにやら気合いを入れて刀の素振りをしている。ウロに至っては自分の手首を噛み続けて空間の穴を開いたり閉じたりを繰り返しており……到着したばかりの紘也には同じ行動をループさせるような魔術をかけられているように見えた。
「ウロボロスがフェニフを異空間に閉じ込めたのよ。それがどこの異空間かわからないから、手当たり次第開いてもらっているの」
素振りをしながら香雅里が説明するも、それだけではさっぱりわからない。
「ウロはそれでいいとして、朝倉はなにをしてるんだ?」
「真奈ちゃんにはどうにか魔術で異空間を特定できないか試してもらってるの」
と説明する梓に、そこはひとまず納得しておく。
「お前たちは?」
「え? 気合いで異空間開けないかチャレンジしてるとこだけど?」
「バトル漫画か!?」
魔術師ならせめて魔術的な要素が欲しかったと思う紘也だった。
それに疑問は彼女たちの行動だけではない。
《フェニフとやらを金髪が喰らったのだろう? なにか問題があるのか?》
山田が言うように、悔しいことに山田の言う通り、フェニックスの特性を持つフェニフは元よりウロボロスが相手をする手筈だった。それはウロボロスがフェニフを喰らうことで〝復活〟を阻止できると判断したからだ。現状、予定通りに事が進んでいるのではないのか?
「あー、うん、その辺はかくかくしかじかって感じ」
「それで理解できるのは読心術が使える奴だけだからな?」
「そこは空気読んで悟りなさいよ! 何回も説明するのめんどいのよ!」
無茶振りを要求する梓から事情を聞くことは諦め、紘也は香雅里を見る。
香雅里は溜息をつき、これまでの経緯をざっくりと説明してくれた。要約するとフェニフは妹を助けるために錬金術師に従っていただけで、その妹が助かると知ってもう敵ではなくなっていたとのことだ。
そこにタイミング悪く突撃してきたウロが空気を読めずに作戦を実行してしまった、と。
それはしょうがない。
誰だってそうする。紘也でもきっとそうする。
「というわけだから、紘也さんも手伝っ――」
紘也が気合い組に誘われかけたその時だった。
轟ッ!! という爆音と共に、空間の一部が赤白く激しく炎上した。
「うわっ、なんだ一体!?」
「この炎……まさか……」
炎に一番近かった紘也と香雅里は急いで退避するが、とてつもない魔力の炎なのに不思議と熱くない。それどころか優しげな温かさを感じる。
「あたしの無限空間を焼き開いたんですか!? こんなことあり得ないですよ!?」
一番驚いているのは無限空間の持ち主であるウロだった。それだけこの事態が異常だと言える。
やがて赤白い炎は幻のように消え失せ、後には一人の少女を残していた。
燃えるような赤い髪をした、尖った耳が特徴的なエルフの少女だ。
「フェニフ? いや、でも髪の色が……」
戸惑う梓に、少女はゆっくりと立ち上がってルビー色の瞳を向ける。
「合成が解けたのよ。今の私はフェニフじゃない。ただのエルフ――ライナ・リオ・フォレストルージュよ」
「……よかった。自分で出て来られたのですね」
「私の力じゃないわ」
悲しげに言うと、ライナは一通り首を巡らし――すたすたすた。ウロに向かって早足で歩み寄った。
「な、なんですか? やるんですか?」
そう身構えるが攻撃していいのかわからないでいるウロを、ライナは思いっ切り握り締めた拳で殴り飛ばした。
「ウロ!」
「……マスター、やはりフェニフは敵です」
身構える紘也とウェルシュ。だがライナはこちらを振り向きもせず、殴られた頬を手で摩るウロに告げる。
「今のは、相棒を失った私の気持ち」
ライナは拳を下ろし――
「そしてこれは、その相棒からの言葉よ。――『吾輩を眠らせてくれて感謝する。ありがとう』」
深々と、その相棒の代わりとでも言うように頭を下げた。
「……」
「……」
「……」
誰もが理解が追いつかずポカンとする中、殴られた被害者のウロはとっくに〝再生〟した頬を摩り続けながら不愉快そうに唇を尖らせた。
「えーと……これ反撃したらあたしが悪者ですかね?」
「そうだな」
ライナからはもう殺気を感じない。というより、戦うにしてもさっきのパンチ一発が限界だったのだろう。酷く疲弊した様子でフラフラしている。
それでも彼女は――
「言いたいことはいっぱいあるでしょうけれど、レイナが無事だって言うのなら、まず確認させて」
守るべき人のために意思の力を振り絞り、決して倒れることはしなかった。




