SIDE∞-20 猛毒
圧縮された莫大な魔力を込めた拳がヴァドラの顔面を陥没させた。
隕石のような勢いで吹き飛ぶヴァドラの身体が天空要塞を何層にも渡って貫く。
気がつけば外周部の地面に減り込んでいたヴァドラの前に、金の竜翼を羽ばたかせてウロボロスは降臨した。
「こんなもんでくたばっちゃいませんよね? 〝再生〟を待っててあげますから早く出て来てくださいよ」
一点集中したとてつもない勢いでギャグのごとく人型に穿たれた穴を覗き込むと、まだ意識のあるヴァドラが驚愕と恐怖と悔しさが入り混じった表情をしていた。
「おのれ……なんで僕の〝毒霧〟が効かない……っ!?」
ヴァドラが攻撃を受ける度に血を猛毒の霧に変えて散布していたことには――当然、気づいていた。
「ハン! 一度喰らったもんをなにも対策せずに来るとでも思ってたんですか? あんたの毒の成分はきっちり分析して『効かない体』に人化を再構成してますよ」
「……馬鹿な。不定形や無貌の存在でもない限り、幻獣の人化はそいつの本質が顕れるはずだ。造り変えるなどできは……!?」
ハッとするヴァドラ。ウロボロスはニヤリと口の端を吊り上げる。
「気づくのが遅いですよ。ええ、そうです。ウロボロス流錬金術でちょこちょこシュピピーンっと弄ればすぐでした」
物質を金に変換することだけが錬金術ではない。特に魔術的な視点に置けば人体や魂の方に重きがある。
ウロボロスは錬金術学の象徴――人体錬成、不死薬、賢者の石、人間が未だ到達できない領域すら扱える。人化した己の肉体に毒無効を付与することなど容易だ。
人化は解けなくなったが、元よりそうするつもりはない。
「あんたのご主人が錬金術師の時点であたしには勝てないんですよ!」
ヴァドラが穴から這い出てくるまで待ち、ウロボロスは至極凶悪な笑みを浮かべて指をポキポキと鳴らした。
「さて、愛沙ちゃんとユーフェンバッハくんを金ピカにしてくれちゃったお礼の続きといきましょうか」
「八つ当たりだ! やったのはマスターだぞ!」
「知ってますよ? だからあんたのご主人の『作品』からぶっ壊してるんじゃあないですか?」
無論、ウロボロスにかかれば彼女たちを元に戻すこともできるだろう。だが瞬時に、というわけにはいかない。流石に人体の黄金化を解除するのは作業が繊細過ぎて戦闘中には難しい。それに黄金化の式を調べる必要もあるため、テオフラストゥス・ド・ジュノーを捕縛する方が手っ取り早いだろう。
それはあの龍殺したちがやってくれる。
「……くそっ、僕はウロボロスなど相手にしている場合じゃないってのに!」
唸るヴァドラは、どうも白銀もみじに執着しているらしい。因縁があるなら譲ってやってもよかったが、ヴァドラの一方的な感情ならウロボロスには関係ない。
ここで潰す。もう二、三回ほど瀕死にした後で呑み込んでくれる。さっきは殴り倒したから今度は斬り刻んでみよう。
そう考え、ウロボロスは空間から刀身が半透明な黄金剣を取り出した。
異変が起きたのはその時だった。
《代われ、吸血鬼》
ヴァドラの口から、今までのヴァドラのものではない九つに重なった声が発せられた。
《もう寝るのも飽きた。こいつは俺が破壊する》
多重声はヤマタノオロチと似ているが、そちらよりずっと低く重く、そしてどこか凶暴性を感じさせる口調。
ヴァドラに混ぜられているヴァンパイアではない方の幻獣――ヒュドラだ。
「ヒュドラ、貴様……」
《待ちわびた。ようやく俺が俺として破壊を行える。ククク、ハハハハハッ!》
高々に笑うと、ヴァドラの纏っていた空気が一変した。
《よう、ウロボロスだったか?》
妙に落ち着いているものの、激しく高揚しているような気配を身に纏ったヴァドラが確認する。
「ヒュドラの意識がヴァンパイアを乗っ取った……てことですかね?」
《細かいことはいい。一つ質問させろ。てめえは、何回壊せば壊れるんだ?》
「何回? このウロボロスさんに回数を訊くんですか?」
滑稽な質問に笑いが込み上げてくる。
「無限に決まってんでしょうがっ!」
《そいつはよかったぜ!》
心底嬉しそうに叫んだヴァドラが飛びかかってくる。両の袖が弾け飛び、龍鱗と龍爪で凶悪な変貌を遂げた腕が引き裂きにかかる。
ウロボロスは紙一重で避けるが、すぐにその『隠された攻撃』にも気づく。
「毒手ですか」
《吸血鬼が使ってた弱ぇ毒とは違うぞ。少しでも掠ればてめえを内側から破壊し続けるぜ》
ヴァドラの影が九つに割れて実体化し、龍頭の形となってウロボロスを襲う。ウロボロスは大剣を振るって全て斬り落としたが、それらは影であるためすぐに繋がり意味を成さなかった。
ゆらりとのたうつ龍頭の影が鎌首をもたげ――轟ッ!! と猛毒の吐息を吐き出した。
地が腐敗し、壁が溶け、辺り一面が一瞬で瘴毒の沼地へと変わる。
――〝猛毒〟の個種結界!?
今、この場はヴァドラの……いや、ヒュドラのホームになった。ウロボロスは咄嗟に全身を龍鱗で多い、口元を手で塞ぐ。
この毒はまずい。人化に毒耐性をつけたところで意味がなさそうだ。
《オッラオラァアアアアッ!! ギャハハハハハハァーッ!!》
哄笑しながら九頭龍の影を操るヴァドラ。飛び上がってかわそうとしたウロボロスを追尾し、剣で斬り弾かれても一瞬で〝再生〟して襲ってくる。
ヴァンパイアの肉体に宿ったヒュドラ。普通の人化であればオーバースペックであろう力を躊躇いなくぶっ放してくる。
下手に呼吸もできない。――正直、厄介だ。
――ヴァンパイアのままだったら楽だったんですけどねぇ。
思いながら、仕方なく、ウロボロスは口元を覆っていた腕の手首に噛みついた。
〝貪欲〟の特性で己の血を吸い、〝循環〟の特性で巡らすことで魔力を増幅するドーピングだ。
《魔力が高まったな! いいぜいいぜ! もっと楽しませろ! 壊させろ!》
狂ったように叫ぶヴァドラが九頭龍の影で四方八方からウロボロスを取り囲んだ。
だが、そこには既にウロボロスの姿はなかった。
ヴァドラの背後の空間に穴が開き、そこから黄金の剣が伸びてヴァドラに突き刺さる。
《ごふっ……ああ?》
血を吐き、串刺しになった自分を見て不思議そうに眉を寄せるヴァドラに、空間の穴から飛び出したウロボロスは圧縮魔力弾をほぼゼロ距離からぶつけた。
ヴァドラは激しく吹き飛びながらも魔力弾を打ち弾き、肉体の〝再生〟が終わらないまま口から猛毒の破壊光線を吐き出した。空間に引っ込むことでウロボロスは光線を回避する。
明らかに今までより強い。
ドラゴン族は幻獣の中でも最強種の一角。ヴァンパイアではその力を十全に扱い切れなかったのか、それとも理性的な戦い方をしていたのか、力自体が眠っていたのか。
結果が現状になっている以上そんなことはどうでもいいが、今のヴァドラの戦い方は自分を含めた全ての破壊に遠慮がない。
空間から奇襲を仕掛けているが、段々と反撃が速くなってくる。
しかもヴァドラもウルボロスと同じ〝再生〟の特性がある。チマチマとした攻撃ではなく、超威力の一撃をぶつけなくては倒せないだろう。
――……早くケリをつけないとまずいっぽいですね。
体を鱗で覆っても、口を手で塞いでいても、ヴァドラの瘴毒が全身から少しずつ染み込んできている。やがて完全に毒が回れば、ウロボロスとてまたしばらく動けなくなってしまう。
〝循環〟は切れない。それをすると〝無限〟の魔力が〝有限〟になってしまうからだ。魔力が切れれば〝再生〟もできず、そもそもこの世界に存在できなくなって消滅する。
契約しているからそうはならないにしても、紘也に負担はかけたくない。
と――
〝猛毒〟の結界の外に、気配を感じた。
――心配なんてする必要なさそうですね。
本当は信頼などしたくないが――ウロボロスは安心すると、空間に穴を開けて堂々とヴァドラの眼前に姿を現した。
《どうした? モグラ叩きはもう終わりか?》
「そうですね。一度も叩かれなかったんで0点。――あんたの負けですよ!」
言い放った、次の瞬間。
紅の劫火が、世界を燃やした。
焼き尽くされたのは、もとい、〝拒絶〟されたのは〝猛毒〟の結界だけ。
クリアになった視界に、紘也を背中に担ぎ、山田の襟首を片手で乱雑に掴んで飛ぶ赤い竜翼の姿が映った。
ウェルシュ・ドラゴンの〝拒絶〟の炎。
まったく、いいタイミングだった。
《新手か? いいぜ、全部まとめて破壊してやんよ!》
結界を消されたのにヴァドラは破壊の対象が増えて喜んでいる。
だが、それも今の内だ。
ウロボロスの大剣が剣身を伸ばし、蛇のように蜷局を巻いてヴァドラを捕縛した。
《これで捕まえたつもりか?》
「いいえ。あんた程度の龍鱗なら、ウロボロスさんの龍鱗で鍛えられたこの剣で――」
くいっと。
手元の柄を一気に引く。
「ぶった斬れるんですよ!」
瞬間、ヴァドラを囲んでいた剣身が締まり、その体をざく切りに解体した。
《な……に……》
驚愕に目を見開いたヴァドラのパーツが地面に落ちるよりも早く、ウロボロスが魔力を掌に収斂させて切迫した。
「消滅するまで、吹っ飛びやがれです!!」
極太の魔力光線がヴァドラの肉塊を呑み込み彼方へと吹き飛ばした。
「ウロ、大丈夫か?」
地面に下りた紘也が駆け寄ってくる。最愛の人から心配の言葉をかけられただけで眩暈がしそうだった。
「はい、大丈――うっ」
笑顔で返したウロボロスは口元を押さえて紘也の方へとよろけた。倒れかけたウロボロスを紘也が抱き留める。
「おい、どうした!? 本当に大丈夫なのか!?」
「ヴァドラの毒が回ってきたみたいです。紘也がブチューチュパチュパって口づけしてくれたら治る気がします! いえ治ります! 寧ろそれでしか治りません!!」
手を口元から放し、目を閉じてムチューと唇を突き出す。
ゴン! と後頭部に衝撃が走った。アウチ。
「大丈夫そうだから一旦みんなのところに戻るぞ」
抱き留めていた腕を無慈悲にも放した紘也は、両手を広げて唇を突き出したままのウロボロスをスルーして去って行くのだった。
 




