SIDE100-01 拉致
「んーっ! この餡蜜、美味しい!」
「うん、そりゃよかった」
夏休みのある日。僕は女の子と二人、とある和食が美味しい小料理屋に来ていた。
いわゆるデートというやつだが、高校一年生であるこの身には少々渋い店のチョイスであると我ながら思う。
しかしながら、僕とテーブルを挟んで反対側に座る女の子の姿が、その程度の違和感など些細なものにしてくれていた。
「ねえユタカ、そっちのかき氷も少しちょうだい」
「いいよ。じゃあビャクちゃんの餡蜜も一口ちょうだい」
「うん!」
そう言って、笑いながらスプーンを僕の目の前のかき氷の山に差し込む少女は、文字通りの意味で人間離れしていた。
まず目立つのは、その白い姿。
背中まで届く、新雪さながらの純白の髪。さらに古びてはいるが手入れのよく行き届いた白い着流し。そして氷の結晶のような淡い色合いの碧眼も相まって、美しい雪の精霊を連想させた。
だがそれ以上に人間離れしているのは、その頭と腰から生えた、獣の耳と尻尾だろう。
ピンと長く伸びた耳と、嬉しそうにワサワサと動いている尻尾は、狐のそれと酷似している。
いや、その物と言った方が正確か。
彼女は人間ではない。
少なくとも千年は生きている、妖怪化した白狐である。
それも、数か月前のとある事件で力の大半を失ってしまっているが、かつては神とすら呼ばれた強大な力を持った妖狐だったという。
この月波市には、そんなモノが普通に、あくまで人間として暮らしている。
ここは、そういう土地なのだから。
「どう?」
「ん、冷たくて美味しい! もう少しちょうだい?」
「あーあー、あんまり急いで食べると……」
「んっ!? あ、頭が痛い……!」
……もっとも、僕は彼女が力を失った後に初めて出会ったので、その全盛期の頃は全く知らないのだが。そもそも、かき氷を急いで食べて頭を痛めているこの少女からは、千年の重みを全く感じない。
それもまあ、仕方がないと言えば仕方がない。
彼女は、件の事件で記憶と半分以上の魂を奪われたのだ。
自分の名前も、友も、ただ一人の家族以外、全てを忘れていた。
結果として、壮絶な兄妹喧嘩とか悪魔に願った少女とか、まあ話せば長くなるようなドンパチの後、彼女は魂と、不完全ながらもここ数百年の記憶を取り戻すことに成功したのだ。
しかし、記憶を取り戻した後も彼女は彼女だった。
全く変わらない。
可憐で儚げで、守りたくなる白い少女。
そんな彼女に。
僕は惹かれたのだった。
名前も未だに思い出せていないけれど。
彼女は僕の姉さんに貰った『白』という名前の女の子として、僕の隣で笑っていてくれる。
そして、僕の名前を呼んでくれる。
「……ユタカ?」
と。
ビャクちゃんは不思議そうに僕の顔を覗き込んだ。
「ん?」
「どうしたの? ボーっとしちゃって」
「いや、別に」
「……?」
小首を傾げながら、耳をピクピクと動かす。
……やべえ可愛い。あの狐耳、フニフニしたい……。
普段学園に通っている時は、なけなしの力を使って、尻尾か耳のどちらかのみを隠すという中途半端な人化をしているが、今日は夏休み。完全にオフである。そのため、気張らずに耳も尻尾も出しっぱなしの状態なのだが……。
「改めて見ると、完全に萌えキャラだよな……」
「え?」
「いや、こっちの話」
狐の耳と尻尾。白髪。和服。加えて美少女……。
以前、嫉妬に狂った部活の先輩たちに襲撃されたことがあるが、改めて考えると仕方がない気もする。
うん、しゃーない。
「ただ、ビャクちゃん可愛いなーって」
「……っ!?」
一瞬にして、見えている皮膚が真っ赤になった。元々色白な分、凄く分かりやすい。
「どうしたの?」
「……ユタカってさ、凄くサラッとそういうこと言うよね?」
嬉しいんだけどさ、と小さく呟くのが聞こえた。
「でも案外、僕が一番ビックリしてたりするんだよね」
「どういうこと?」
「いや、ビャクちゃんとこうやって二人でいる時間が多くなって初めて、意外と普通に女の子に対して可愛いとか言えるキャラだったんだなって知った」
「い、今まで自覚なかったんだ……」
「恥ずかしながら」
でも周囲の女性陣がアレだしなあ。
かと言って、ビャクちゃん以外とこういう関係になったとして、今みたいにすんなりその女性を褒められたかというと……うん、意外と微妙である。
……いや、それはともかく、恋人と一緒にいるのにそんなことを考えるのは失礼というやつだろう。
「ところで、そのかき氷はどう?」
「すっごい美味しかった! 氷がフワフワしてた!」
「だろうね」
僕の所の戻ってきた皿、結構中身がなくなってるもん。
おかしいな……餡蜜とかき氷の前に、お昼ご飯としてキツネうどんを二杯は平らげてるはずなんだけど。
どうして僕の周りには、可愛い顔してよく食べる娘ばかりなんだろう……。いや、変に小食な子よりはよっぽど好印象だけど。
「はいユタカ」
「ん?」
と。
ビャクちゃんは不意にずいっと自分の餡蜜をこっちに押し出してきた。
「何?」
「もー。さっき自分で言ったじゃない。一口ちょうだいって」
「あ、そうだった。それじゃ、遠慮な……く?」
スプーンを餡蜜の皿に突っ込もうとした瞬間、ビャクちゃんは何やら思いついたかのように「あっ」と声を上げて皿を引き戻した。
「……………………」
テーブルに衝突するスプーンの先。
えーっと……。
「ビャクちゃん?」
「んふふ~。ちょっと待ってね」
あからさまに何やら企んでいるような笑みを浮かべるビャクちゃん。
……そう言えば、この娘が記憶を取り戻して変わったことが一つだけあったな。
それは、とても表情豊かになったこと。
記憶を失っていた時は、笑っていてもどこか不安げな光を瞳の奥に宿していた。
それが今は、心の底から笑っている。
そして何より、何を考えているのかが、顔を見ただけで少しは分かってしまう。
「はいっ」
そう言って。
ビャクちゃんは自分のスプーンで餡蜜の中から白玉と小豆を掬い上げ、僕の方に差し出してきた。
「えっと……」
「……………………」
おいおい。
「こういう時は……『あーん』って、言うんだっけ……?」
「……………………」
マジですか。
マジっすか。
こんなの漫画や小説の中でしか見たことないっすよ。
「ねえ、ユタカ……?」
「……………………」
少しずつ近づいてくる白玉と小豆。
そしてその向こう側には、ほんのり頬を桜色に染めたビャクちゃん。
「あ、あーん……?」
「……………………」
ここはどこの天国ですか?
分かった夢だ。
夢に違いない。
夢ならばしょうがない。
よし、いただきます!
「あ、あーん」
何でだか分からないけど、目を閉じていた方がいい気がした。
そっと視界をシャットアウトすると、餡蜜の甘い香りが少しずつ近づいていくのが分かる気がした。
もう少し。
もう少しで、もはや二次元にしか存在していないと思っていたアレが実現する!
などと、ほんの数秒の間で一気にそんな思考が脳内を横切った瞬間――
「デート中悪いが、お前をこれから拉致連行する」
引き締まった筋肉質な腕が、僕の喉元を締め上げた。
「んがっ!?」
思わず悲鳴を上げる僕。反射的に振りほどこうとするも、その力は僕の予想を遥かに超えて強靭で、全くビクともしなかった。
というか、今の声……!
「……っ! ……っ!?」
喉を締め上げられて声が出ないほどガッチリとホールドされて、背後の人物が誰だか見えないが、あの軽薄そうな声と目の前に立っているもう一人から、簡単に予想はできた。
「えっと、な、何……?」
「申し訳ありません。少しいいですか?」
驚きのあまり餡蜜の乗ったスプーンを落としてしまったビャクちゃん。その横に、黒髪長身の女性が申し訳なさそうに微笑みながら佇んでいた。
ビャクちゃんを白とするなら、彼女は黒。
腰まで届く艶やかな黒髪に、夜空のように澄んだ綺麗な黒い瞳。さらにクソ暑い時期だというのに、ノースリーブとは言え真っ黒なワンピースを着ていた。
白銀もみじ。見間違うことは絶対にない。うちの学園の生徒会長だ。
で。このヒトがここにいるということは……!
「よーし、ユウ。無駄な抵抗はやめて俺についてきてもらおうか」
「……っ! ……っ!」
ユウ。
僕に多々あだ名はあるが、そう呼ぶのはただ一人。
「あの、羽黒? ユウさんが窒息しそうですよ?」
「ん? 別に大丈夫だろ」
大丈夫なわけあるか。
もみじさんの心配を無下に一蹴する、この最悪な性格。
間違いない、というか、もみじさんがいる時点で間違いなどあり得ない。
この二人は、僕とビャクちゃん以上にツーマンセルなのだ。
瀧宮羽黒。
彼を表す言葉は『最悪』の一言に尽きる。
付け加えるなら、もみじさんを夜空のように広く澄んだ黒だとしたら、羽黒さんは深海のように深く淀んだ黒だ。
「は……くろ、さん……!」
「おうそうだ。さあ行くぞ」
「ちょ、待っ……僕、デート中……!」
締め上げられながらも、掠れた声を捻り出す。だが、羽黒さんはそんなのは無関係だと言わんばかりに、僕を引き摺るように立ち上がらせた。
そして。
「女将。勘定、ここに置いてくぞ」
「……っ!?」
僕の財布を抜き取り、中からテキトーに千円札を二枚ほど抜き出し、テーブルに置いた。
ちょいっ! 勝手に僕の財布を! お釣り……はないけどさ(実はお勘定は二人で二千円ジャストだった)……でも非常識じゃね?
「はいはい、つーわけで、さっさと歩く」
「……っ!!」
自分で歩くから手を離せ! いい加減視界が霞んできたわ!
僕は羽黒さんに引き摺られながら、ビャクちゃんはもみじさんに先導されて、僕らは訳が分からないままに黒い二人に店の外に連れて行かれた。
「はい入った入った」
「ぐあっ!?」
そして、店のど真ん前に停めてあった、おそらくは羽黒さんの私物と思われる、趣味丸出しの黒いスポーツカーに放り込まれた。
比喩ではなく、僕は決して広いとは言えない座席に一回転して座らされた。そしてその隣に、キョロキョロしながらビャクちゃんがもみじさんに案内されて腰かける。
ちっ。出口を塞がれた。反対側の扉は車道に面していて出ることができない。
「本当に何なんですかいきなり!」
何食わぬ顔で運転席に座る羽黒さんと、当然のように助手席に腰掛けるもみじさん。バックミラーに映る羽黒さんのその姿は相変わらず全身黒ずくめで、その顔には軽薄な笑みを張り付けている。
「単刀直入に言うと、仕事手伝え」
「嫌です」
即答。
しかし羽黒さんは何も言わずに車のエンジンをかけ、そのまま走り出した。
……この人、本当に拉致連行しやがった。さすがに走り出した車から抜け出すほどの行動力はないし、何よりもまずビャクちゃんを置いていけない。
「……仕事なら梓にも手伝ってもらえばいいじゃないですか」
もはや諦めはついた。というか、この人は災厄そのものなんだから、抵抗しても無駄なのだ。
巻き添えにする人物を増やして、僕とビャクちゃんに降り注ぐ被害を軽減すべく、今となっては、羽黒さんの唯一と言ってもいい身内の名前を出す。
正直、実妹の彼女は羽黒さんを毛嫌いしているため素直に力を貸すとは思えないが、結局は巻き添え食って協力することになるのは目に見えている。
「……………………」
すると、羽黒さんは黙って僕の後ろ――最後尾座席を指さした。
この車、六人乗りだから、前の二人と僕とビャクちゃんを合わせてもあと二人乗れるわけだけど……。
「ぶっ!?」
振り向いて、驚きのあまり吹き出した。
「ど、ども……」
日本人形のような艶のある黒髪に、牛乳瓶の底のようなレンズの眼鏡の少女。ビャクちゃん以上にオロオロとしている彼女の横に、亜麻色の髪をショートカットにした幼馴染が白目を剥いて気絶していた。
というか、羽黒さんの実妹であるところの、瀧宮梓本人だった。
「あ、朝倉……説明を頼む……!」
絶賛気絶中の梓の隣でオロオロしている友人に声をかける。しかし彼女は「えっと、その……」と混乱しきっていて言葉も出ないようだった。
改めて運転席の方を見ると、羽黒さんは笑いながら説明してくれた。
「梓にも協力してもらおうと思ってな。まあ普通に声かけても話にならないだろうから、首に手刀かましてやって、そのまま拉致ってきた」
「それは正真正銘、犯罪的な意味での拉致だっ!?」
「ついでに一緒に歩いてたその嬢ちゃんにもご同行をお願いした」
「いや明らかに狼狽してるじゃないですか! どうせろくに説明もしないで連行したんでしょうが!」
「なぜ分かった」
「あんたが最悪だからだ!」
車内に響く僕の絶叫。しかし梓は変わらずに深い眠りに落ちている。
どんだけの力で気絶させたんだよ……。
「はい、どうぞ」
と、助手席でずっと微笑んでいたもみじさんが座席越しに何やら茶封筒を手渡してきた。
「今回のお仕事の資料です。読んでおいてくださいね」
「はあ……」
と言うか、僕らは参戦確定なんですね。今更だけど……。
「読んでも意味がないと思うがな」
「はい?」
羽黒さんが苦々しげに呟く。
「今回は、とある陰陽師一族との共同戦線だ」
「……え?」
一瞬、羽黒さんの言っている意味が分からなかった。
僕らが他の陰陽師と共闘?
僕ら、八百刀流陰陽師が?
「な……」
何の冗談です? と。
僕は口にしようとした。
しかし、後ろの座席にいる梓を思い出して、すぐに口を噤む。
もう一度確認すると、ビャクちゃんと朝倉が梓の顔を心配そうに覗き込んでいた。
もしかして、梓を気絶させたのは口答えさせないためじゃなく……?
「連中もそろそろ、この街に到着しているはずだ。合流したらまっすぐ向かうぞ」
そう言って、羽黒さんはアクセルを全開にしてスピードを上げた。
何か……何か嫌な予感がする。
僕は冷や汗が背中を伝うのを感じていた。