SIDE100-18 白影
強制転移させられた先は、これまで見てきた通路や実験施設とは違った、妙にだだっ広い空間だった。壁や床は鉄板に鋲を打ち付けただけの強度と機能性を重視しただけのような武骨な作りになっている。
そして所々に拭いきれていない血痕と思しき汚れの存在を確認し、恐らくはキメラ同士を戦わせてより強い個体を選別する闘技場のような施設として使っているのだと予測をつけた。
出入りが可能そうなところは二つ。ここから見て両脇の壁にキメラを通すためのものと思われる巨大な吊り扉があるが、どうやらここから開けるには発破で吹き飛ばすしか方法はなさそうだ。
「う……ここは?」
「みんな、いるな!?」
「うん、大丈夫だよぅ」
「問題ないわ」
背後から一緒に飛ばされたらしいビャクちゃん、孝一さん愛沙さん、そしてフェニフの妹だというレイナの声が聞こえてきた。はぐれた人はいないようだ。
とりあえず状況確認を済ませた上で、最悪の事態には陥ってないと判断。
「よぉーこそ! 侵入者諸君! そして私の大切なモルモットたち!」
その時、闘技場を挟んで反対側からやけにテンションの高い声がスピーカーに乗って聞こえてきた。声のする方を向き、一段上がった所のガラス張りの部屋にヨレヨレの汚れた白衣を纏う男の姿を確認したその瞬間、僕は手元にベレッタM92を喚び出し、躊躇いなく引き金を引いた。
銃口から飛び出した銃弾は白衣の男に吸い込まれるように真っ直ぐに飛んでいき――直前でガラスにぶち当たって跳ね返された。
「おぉっと危ない危ない。子供がそんなオモチャ使うんじゃぁないよ」
「ちっ……防弾ガラスか」
しかも錬金術で強化しているのか、通常の防弾ガラスとは比べ物にならない強度となっているらしい。ほんの少しだけひびが入っているが、その程度だ。
白衣の男――テオフラストゥス・ド・ジュノーは両手を開いてオーバーな動作で高説を垂れようと口を開いた。
「さて、君たちをここに転移させたのは」
「――小銃、コード【M29‐6‐B】」
「って、おぉっ!?」
今度はマグナムでお馴染みM29を具現化させ、先程ひびを入れた強化ガラス目がけて一転集中発砲を行う。
ドン! ドン! と拳銃サイズの銃器からは考えられない反動と負荷が全身にかかるが、一発たりとも外さないように狙いをつけてぶっ放す。
流石に錬金術で強化された防弾ガラスと言えど、同箇所にマグナム弾を六発全て叩き込まれたら限界だったらしく、バリンと音を立てて砕け散った。
「おいおい君ぃ! 出合い頭にいきなり発砲は流石にないんじゃないかね?」
「次はそのドタマぶち抜くぞ」
「……怖いねぇ。最近のキレやすい若者怖いですねぇ……!」
そう言いながらも、ジュノーは喉の奥を鳴らすようにヒヒヒと笑っている。
「なるほど、これが八百刀流陰陽師か……初めて直に対面したが、この特異なまでに心身ともに戦闘に特化した一族は特筆に値す」
ドン!
「ぅおっと!?」
「ちっ」
危機感知は無駄に高い。
依頼では「捕縛」という事になっていたため、殺さないまでも四肢をぶち抜いて身動きがとれなくしておこうと思ったのに。
「避けるなジッとしてろ」
「ふう、前口上すら許してもらえない雰囲気ですねぇ。私、君個人に恨まれるようなことしましたっけぇー?」
「とぼけるな、ビャクちゃんを攫っておいて無事に明日を拝めると思うな。本当は今すぐぶっ殺してやりたいところを我慢してるんだ、大人しく撃ち抜かれてろ」
「んん? ……ああ、なるほど! 君がそこの狐の娘の契約者か! なるほど失敬失敬! 確かに持ち主に無断で持ち出したのはいけなかったですねぇー! 反省反省、私、天才だからきちんと反省もできるんですよぉ」
「……………………」
ビャクちゃんを物扱いしたことも含めなんかイラッとしたため、もう一発ドカンとぶっ放してやったが、再び錬金術によって出現した防弾ガラスに銃弾が受け止められてしまった。
「やれやれせっかちな若者ですねぇ。じゃあ手短に。……そこの狐とエルフをこっちに寄越せ。それは私の貴重なサンプルだ」
「死ね」
「交渉決裂」
パチン! とジュノーが指を弾く。すると闘技場の中央に魔方陣が浮かび上がり、仄暗く光を放ち始める。
「またキメラか。何体召喚しようとも、僕には無意味だぞ」
「そぉーんなことは知ってますよぉー! 君のような手数が売りの術者に物量戦を挑んでも無意味なことはしっかり学ばせてもらいましたからねぇ! ですから!」
ズズズズと魔方陣から出現したのは――人影?
右手に質素な剣を構えているようだが、でも、何かがおかしい。
確かに魔方陣から出現したのに、認識できない。視認もままならない。どうにも気配というか、存在感その物を感じない。そこにいるのにどこにもいないような、強いて述べるのであれば、異質なほどの無個性。
「ひっ……!」
「ビャクちゃん?」
背後からビャクちゃんが息をのむ気配がした。そして不安そうに僕の服の裾をキュッと掴んでくる。……なるほど。
「あれがドッペルゲンガーの正体か……!」
いや、正体がないのがドッペルゲンガーか。
「よくもさっきはビャクちゃんに化けて騙してくれたな」
「……………………」
ドッペルゲンガーは何も答えず、徐々に姿を変えていく。
雪のように白い髪の少女の姿を形作り始めたところで、またビャクちゃんに変身してこちらの不意を突こうとしているのかと思ったが、もうタネがばれている以上躊躇することはないとM29を構え直す。
そして変身を終えるのも待つ義理もないと引き金を引こうとして――僕は呼吸が止まりそうになった。
「……っ!?」
「え、誰だあれ」
孝一さんが首を傾げた。
それが一瞬の隙となった。
まずい。
彼女を前にした時は、一瞬たりとも気を緩めてはいけないのに……!
「あは♪」
一歩。
たった一歩の踏み込みで、彼女は僕の背後へと回った。
「え?」
振り向いた時には、既に彼女の姿はそこにはなく。
代わりに、一体の黄金の像が鎮座していた。
その像は、その瞬間まで何が起きたのか理解できなかったかのような表情を浮かべた、愛沙さんそのものだった。
「アイ、サ……?」
「おい、嘘だろ!?」
「人間一人を、一瞬で黄金になんて!」
ビャクちゃんも、孝一さんも、レイナも、誰一人反応できなかった。
けれど、愛沙さんには申し訳ないけれど、もう事態はそれどころじゃなくなっている。
「はっはっは! どうですかぁー? 私が連盟から持ち出した魔剣を改造して作り上げた、錬金剣の力は! 斬り付けたものを黄金に変える、まさに錬金術の集大成の一つ! そうですねぇ、あえて名付けるとしたら――『ミダス王の人差し指』などどうですかぁ?」
「……んなことはどうでもいいんだよ」
「おやおや、名前は大切ですよぉ? この極東では確か言霊と言って重要視されていたはずですが?」
「だから、そんなことはどうでもいいんだ! 何で! そのドッペルゲンガーがその姿をしているかが重要なんだ!」
ドッペルゲンガーは。
僕が最後に見たあの時の彼女の姿で剣を構え、再び闘技場の中央に立っていた。
「このドッペルゲンガーは私の最初の契約幻獣だ。もちろん色々改造してあるんだが、その特殊能力は! 他人の記憶を覗き込むことでも姿形だけでなく能力までも完全にトレースすることが可能なのだよ! まあ自分より上位の存在に変身した場合は五分ほどで元に戻ってしまうのが唯一の欠点だがね」
五分。
その五分が、地獄だ。
彼女から五分も逃げ続ければならないなんて、不可能に等しい。
最悪の状況だ。
だからこそ、僕は覚悟を決めた。
「ビャクちゃん、ごめん!」
「え」
トスッと背後で怯えるビャクちゃんの首元に手刀を入れ、意識を摘み取る。そして脱力したビャクちゃんを孝一さんに押し付け、今度はレイナに向かって指示を出す。
「対物障壁! 急いで!」
「わ、わかったわ!」
レイナが詠唱を始めるのを確認して、僕も言霊を紡ぐ。
こんな大物を具現化させたらしばらく使い物にならなくなるだろうが、背に腹は代えられない。
ここで全滅するよりよっぽどマシだ!
そして今この場で、最も時間稼ぎが出来そうなのは、僕だ。
「――艦載砲、コード【50三14‐1‐B】!!」
魔力が根こそぎ持っていかれるのを感じながら、歯を食いしばりながら太平洋戦争時に様々な軍艦に搭載された14㎝単装砲を具現化させる。かなり急いで作り上げたため非常に不格好で一発でも撃ったら粉々に吹っ飛びそうだが、構うもんか。
「こっちは準備できたわ!」
「よし!」
砲口をジュノーでもドッペルゲンガーでもなく、闘技場の左側の吊り扉に向ける。彼女の力を完全にトレースしているのであれば、こんな大砲の砲弾なんて当たるわけがないし、ジュノーの錬金術としての力を考えると、これを見た瞬間には既に対策を立てていると見ていい。
だからここは、せめて三人だけでも逃がすのが得策。
「てぇ!」
吊り扉目がけて砲撃を放ち、周囲の壁ごとぶっ飛ばす。
そして案の定、作りが甘かった単装砲は爆煙と共に粉々に吹っ飛び、闘技場全体に衝撃波をもたらした。レイナの障壁でどうにか耐えられたが、普通ならこれで全員仲良くあの世行きだ。
「孝一さん! レイナ! 行って!」
「穂波は!?」
「僕は残ってあいつを何とかします! それに愛沙さんを一人残していけないでしょう! ウロさん……錬金術の象徴であるウロボロスと合流すれば、打開できるはず! ここまで派手に爆破したらきっと向こうから見つけてくれますよ!」
もちろん、そんな希望は非常に薄い。
ここが城塞のどこに位置しているのかも分からないし、ウロさんがいるところから遠く離れている可能性の方が大きい。その上、羽黒さんたちが起こしている爆発に紛れてしまっているかもしれない。
それ以前に、彼女を何とかしなければならない。
これが、俗に言う「ここは任せて先に行け」という奴か。
「孝一さん……ビャクちゃんを、頼みます」
「……! くそ! 死ぬなよ!」
「死にませんよ」
精一杯の虚勢を張り、爆煙の中を駆けていく背中を見送る。
……さて。
「――小銃、コード【BM92‐30‐B】」
両手に二丁のベレッタM92を具現化させ、前方に向けて構える。
装弾数は十五発十五発で合計三十発。泣いても笑ってもこれ以上の銃弾はひねり出せそうにない。
「まったく、ユウお兄様は相変わらず無茶をなさいますわね」
突風が吹き、立ち込めていた煙が晴れる。
見れば、先程の衝撃波などなかったかのように、何事もなく彼女は同じ場所に立っていた。
「……お前に『相変わらず』なんて言われる筋合いはない」
「そう悲しいことを仰らずに――白羽はユウお兄様の中でも生き続けていたというのに!」
一歩。
もはや瞬間移動の速度で僕の目の前まで踏み込んでくるドッペルゲンガー。何発か発砲するも、全て剣の腹によって叩き落されてしまった。
「くっ……そ!」
後ろに飛んで距離を置き、再び発砲する。
しかし今度も銃弾は高速で駆け回るドッペルゲンガーに当たるどころか大きく外されてしまった。
「あは♪ あはは♪ ユウお兄様ユウお兄様!」
「その声で! その呼び名で! 彼女を汚すな!!」
パァン! と破裂音と共に銃弾が撃ち出される。しかしその後に発砲音は続かず、カチッカチッと虚しく引き金が鳴るだけだった。
「くそ!」
もう弾切れか……!
「バン!」
言霊を銃に込め、苦し紛れの衝撃波を撃ち出す。
しかしそんな物は彼女相手には牽制にすら使えず、一瞬にして懐にまで潜り込ませてしまった。
「お休みなさいませ、ユウお兄様」
剣先が右腕に触れる。
その部分から感覚が失われていき、身動きが取れなくなっていく。
「……!」
身じろぎ一つ。
声一つ上げることもできず。
僕は、意識を失った。




