SIDE100-15 熱刃
目を覚まして最初に見たのは、僕の顔を心配そうに覗き込む翡翠色の瞳に金髪の小人だった。
「あ! 目を覚ましたのですよ!」
「うっ……フィーちゃん?」
「大丈夫ですかユックンさん! 痛い所とかないですか!?」
朝倉から借り受けた、シルフのフィーちゃん。起き上がろうとすると背中に微かな鈍痛が感じられ、呼吸が苦しい。心配そうなフィーちゃんには少し悪いが、このまま状況を整理することにした。
とりあえず手足に感覚はあり、大したケガもなさそうだ。
周囲は薄暗く視界不良だが、慣れれば問題ない程度には明るい。
何やら縦に巨大な筒状の空間らしい。そして壁には用途不明の窓螺旋状の隙間が空いており、その先の高い位置にある天井にはいくつかの大小さまざまな穴が開いている。僕のちょうど頭上にも一つ、人間が通れそうな大きさの穴が開いていた。
どうやらあそこから落ちたらしい。
落ちたというか、突き落とされたというか……。
ああ、だんだん思い出してきたわ……。
「文句は……あとで紘也さんに愚痴ろう」
本人に言っても笑って誤魔化されそうだし。
それはともかく。
「くっさっ!?」
何だココすげえ臭う!
ようやく嗅覚が覚醒したのか、鼻を刺す刺激臭に涙が出てきた。
「フィーちゃん、僕どれくらい寝てた?」
「えっと……三分くらいなのです!」
こんな所で気絶三分か……梓に蹴り飛ばされると三十分くらい簡単に意識が飛ぶから、まあ、ほぼ無傷かな。
臭いのを我慢してゆっくりと深呼吸し、僕はようやく起き上がろうと全身に力を入れる。
「ふっ……うん?」
手に平にヌチャアっとイヤ~な感触。
非常に確認したくなかったが、現実から目を背けていても何も始まらない……。
「……………………うわ」
薄暗いことが幸いして、悲鳴を上げずに済んだ。
手の下にはR-18Gな光景が広がっていた。
「これ全部キメラの死体か……?」
辺り一面、何かの生き物の死体で埋め尽くされていた。この強烈な刺激臭はこいつらの血と腐敗臭だったか。いや待て、キメラは死ぬと魔力になって霧散していってたから……材料となった動物の死体か。
「ウロさん……なんてところに突き落としてくれたんだ……!」
よく見れば動物の死体に混じって割れた実験器具もある。失敗したキメラや不要となった動物の部位、破損したその他諸々をまとめて捨てているのだろう。よく破片が刺さらなかったな。
「とりあえず、長居は無用だね」
「ですね! さっさと脱出しましょう!」
「うん、そうだね」
上を見上げる。
僕が落ちてきたと思われる穴からここまでは、軽く二十メートルはある。さらに見る限りでは穴は垂直。壁を登れる梯子のようなものは一切なし。
「……………………」
「……………………」
見つめ合う僕とフィーちゃん。
「どうしましょう!」
「考えなしかい」
本当にこの子、上級精霊なんだろうか。
「とりあえず、落ちた穴に戻るのが順当かな? 多分上でウロさんも戦ってるし。問題は……フィーちゃん、僕をあそこまで運べる?」
「えーと、出来なくもないですが……!」
「ん?」
「えっとですね! 実を言うとユックンさんが落ちる時にフィーの風で衝撃を和らげたんですが、その時思ったより力を使ってしまいまして……!」
「え」
「ビャクちゃん始め三人を地上まで送り届ける分の魔力を考えると、結構ギリギリな感じです! 探索も考えるとかなりカツカツです!」
「……マジか……」
やべえ、どうしよう……。
「うぅ……すみません……! マスターが近くにいたらもう少し魔力供給できたんですが……!」
「いや、仕方ないよ。それより、僕が落ちる時に助けてくれたんだろ? ありがとね」
申し訳なさそうに涙ぐむフィーちゃんの目尻を小指の先で拭ってやる。
あの高さから落ちた割にほぼ無傷なのはおかしいと思ったら、そういうことだったか。おかげで助かったけど、どうしようかな……。
「壁は……あー……」
謎の螺旋状の隙間が空いている。
何の用途であるのかは知らないけど、あれを伝って登れば何とか上天井まではいけるかな。そこから先は……あ、ダメだ。天井をどうやって移動して穴まで行けと。没。
「いっそ壁に穴をあけるか」
隣のフロアに移動できたらめっけもん程度に試してみるかな。
「――擲弾銃、コード【M79GL‐1‐B】」
いわゆるグレネードランチャーが言霊により手元に具現化される。
僕の専門は銃火器で爆発物は畑が微妙に違うのだけれど、文字通り圧倒的爆発力を持つ手榴弾を弾丸として一緒に具現化できるM79グレネードランチャーは何かと便利だ。
「フィーちゃん、大丈夫だとは思うけど衝撃注意ね」
「はいです!」
コソコソと僕の背中に隠れるフィーちゃん。僕も念のため十分に壁から距離を取り、肩に担ぐ。
目標は壁中に彫ってある螺旋状の隙間。
正確に隙間のど真ん中に手榴弾を放り込めるよう狙いをつけて引き金を引く。
「ファイアっ」
放たれた手榴弾は寸分違わず螺旋状の隙間に呑み込まれる。そしてきっちり五秒後に
ドカンッ!!
と爆音と爆風を伴って爆発した。
「おーおー、意外と何とかなりそうだな」
意外と壁が厚かったらしく流石に一発では吹き飛ばせなかったが、隙間を起点に巨大なヒビが奔っていた。爆風で周囲の死体的なミテハイケナイナニカが四散したが、気にしてはいけない。
「あと三発も打てば壊せそうだな」
「ガンバですユックンさん!」
フィーちゃんの応援を背に、次弾装填――しようとして、僕はあることに気付いた。
「……ん?」
なんか……揺れてね?
ゴゴゴゴゴと地鳴りのような微かな振動が、フロア全体で発生している。
「まさか今の一発で、ってことはないよな……?」
上ではまだまだ羽黒さんたちも暴れているだろけれど、今の爆発が砦全体に及ぼす影響なんてほとんどないだろう。まさかこんなゴミ捨て場の真横に飛行に必要な機関を設置してるとは考えにくいし……。
「だったら何だこの揺れは……」
「ゆ、ユックンさん!?」
「え?」
フィーちゃんが天井を指さし甲高い悲鳴を上げる。
何事かと見上げてみ――ちょっと待て何だアレは!?
「赤い……刃?」
天井近くの螺旋状の隙間の開始地点とも呼ぶべき位置から、何やら巨大な金属物が生えてきていた。形状的にはミキサーの刃のような感じなのだが、何故か全体が赤々と光り輝いている。
「ユックンさん……すっごい嫌な予感がしますよ……!」
「奇遇だねフィーちゃん……僕もなんだ……」
二人して呆けてその刃を眺めていると、隙間から伸びきった刃はギシッと全体が軋むように揺れた。
そしてゴリゴリと嫌な音を立てながら、ゆっくりと、しかし確実に――螺旋の隙間に沿って降下し始めた。
「「ぎゃあああああああああああああっ!?」」
アレってもしかしなくても、ここのゴミを細かく切り刻むための刃か!? しかもご丁寧に真っ赤になるまで熱してゴミの嵩減らそうってか!? ヒートミキサー!? エンチャントファイヤー!?
「ユックンさん! 早く穴! 穴!! 穴開けて!!」
「分かってるって!」
最初の爆発で出来たヒビ目掛けて装填していた手榴弾を撃ち出す。それが爆発するのを確認する前に次発装填し、間髪入れずにまた発射する。
着弾から爆発までの五秒後がやけに長く感じる。
見上げると、徐々にスピードを増して赤い刃が回りながら下りてくる。
ドォンッ!!
最初の手榴弾が後の次発を巻き込んで爆発するのを確認したと同時に、僕は走り出した。
爆風と破片から顔を守りつつチラッと確認すると、周囲の煙と埃が爆発箇所に吸い込まれていくのが見えた。
何とか穴は開けることには成功したらしいと安堵したが、徐々にスピードを上げて滑り降りてくるヒートミキサーはもう残り十メートルを切っていた。
「ぬぅおおおおおおおおおおおっ!!」
全速力の勢いそのままに噴煙を突っ切り爆破の穴に飛び込む。
フワリとした一瞬の飛翔。
そして次の瞬間訪れたのは――自由落下。
「は?」
目の前に広がる広々とした夜の空間。
遠く眼下には月波学園の演習林が広がっていた。
てか死んだコレ。
「ユックンさんんんんん!?」
一陣の風が吹き、僕の体を持ち上げるように穴まで戻される。
厚さ五十センチほどの正体不明の素材で出来た壁に空いた大穴にギリギリで手をかけ、肘まで這い上がる。その間、全く息ができなかった。
な、何でよりにもよって最外殻なんだよ……!
死ぬかと思っ
ゴトン! ゴトゴト……
「……………………」
頭上ギリギリのところを灼熱の刃が通過した。
そしてその数秒後には、バキバキと骨が砕ける音と肉を焼く異臭がフロア中に充満する。
「は、はは、は……」
喉の奥から乾いた笑いが漏れる。
「ゆ、ユックンさん……?」
「は……はは………………………………………………………………あのクソ蛇目玉撃ち抜く」
「ユックンさん!? 今までフィーも見たことないどす黒いオーラが全身から溢れてますが大丈夫ですか!?」
「大丈夫だこちらには羽黒さんもいるし事情を話したら梓ももみじ先輩も止めはしないはず目標はザクロだザクロ……」
「ひぃっ!?」
「よっと……」
とりあえず穴によじ登る。
復讐劇はそれからだ。
「うわ……」
壁の穴に立ち足元を覗き込むと、細かく切り刻まれ加熱されたゴミ諸々は先程よりもだいぶ低い位置になるほど嵩が減っていた。アレに巻き込まれていたと思うと血の気が引ける。
「フィーちゃん、さっきはありがとね。危うく地上までパラシュートなしのスカイダイビングするところだった。魔力カツカツだったろうに」
「い、いえ……! ふぃ、フィーはとととと当然のことをしたまでですすすすすっ……!」
「……?」
はて、何かすげえ警戒されてるんだけど、僕彼女に何かしたかな。
「さて、どうしたものかな……」
ミキサーの刃は一方通行なのか戻ってくる気配はない。ひょっとしたら最初の爆発で装置に不具合が生じて勝手に下りて行ってしまったのかもしれないが、とりあえず助かったから良しとしよう。
問題は、壁一枚挟んだ向こう側が外だったということだ。
下界から見上げた時、何か突起物が何本か突き出しているように見えたが、ここはそのうちの一つなのだろうが、これでは脱出は出来ない。
「まいったな……」
「一度フィーがマスターの所に戻って魔力を補充して来て、それから元の穴から脱出するというのはどうでしょうか!」
「うーん、それでもいいんだけど、朝倉に帰りの転移魔術を頼むのを考えると、これ以上の負担はかけたくないっていうのがあるな。やっぱりここは、とりあえず僕を上まで運んでもらってクソ蛇を仕留めて魔力をフィーちゃんに補充するっていうのが順当だと思うんだ」
「今サラッと恐ろしい企みが聞こえた気がしますっ!?」
殺しても死なないだろうから手加減はいらないよね。
「というわけでフィーちゃん、僕を上まで運んでくれないかな」
「そうするべきなんでしょうけれど嫌な予感がします!」
「大丈夫大丈夫、よろ死く頼むよフィーちゃん」
「よろしくの発音が変でした!?」
何だかやけに拒絶されるなあ。そりゃ、僕はマスターじゃないから命令権はないけれど、この状況をどうにかしたいという意志は共通しているはずなのに。
かと言って他に案もないし、僕としては――
「うわあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「きゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
悲鳴が降ってきた。
その一瞬の後に、二人の人影が落下してきた。
「え!?」
今一瞬しか見えなかったけど、あれって紘也さんの――
「ひゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「ビャクちゃん!?」
思考中断。
その悲鳴を聞いた瞬間、体が勝手に動いていた。
最初に落ちてきた二人を追いかけるように降ってきた白く小さな体躯が目の前を通過するタイミングで穴の淵を蹴り、両腕に抱く。そのまま自分の背中が下になるように体をひねり、衝撃に耐えられるよう一瞬で覚悟を決める。
「ぐっ」
「ひゃっ!?」
「おぶっ!?」
背中全体に奔る衝撃により肺から全部空気が吐き出されたが、何とか意識を保つ。
ゆっくりと体を起こすと、腕の中には天使もかくやという白髪の狐耳の美少女が呆然と青い瞳をパチクリとさせていた。
「ビャクちゃん……?」
「……う?」
しばし見つめ合う。
ビャクちゃんは目の前の存在を理解するまで若干のタイムラグが生じているようだが、すぐに驚き、安堵、涙目と、表情七変化を見せた。
「ユタカああああああぁぁぁぁぁっ!」
「ビャクちゃあああああぁぁぁぁぁんっ!」
ヒシッと抱きしめ合う。
体格で勝っているはずの僕も驚くほどの力強さと必死さで腕を引き締めるビャクちゃん。その肩は震えていて、一人きりになってどれほど不安だったのかが伝わってきた。
「ユタカぁ……! 怖かった……怖かったよぉ……!」
「うん、うん……!」
「もう離れたくない、一生このまま離れないでいるぅ……!」
「うん、うん、ごめん、ごめんねビャクちゃん……!」
どうして先程はドッペルゲンガー如きをビャクちゃんと見間違えてしまったのだろう。
この目で見、この手で抱きしめると、全く違うのに。
次こそはという言葉は我ながら女々しいし、次はあってはならないと分かってはいるが、もし次ドッペルゲンガーがビャクちゃんの姿で目の前に現れたら、一目で看破してやろう。
僕は改めて、彼女を守り通すと決めた。
「うんうん、再会できてよかったね」
「愛沙……そろそろ下りてくれないか……」
「あ、ごめんねコウくん」
……………………。
そう言えば、先に降ってきた二人の事をすっかり忘れてた。隣にいたのに。
見れば、コマ切れにされ加熱された何かの肉片に埋まる諫早孝一さんの上に、スカートを押さえながら鷺嶋愛沙さんがちょこんと座っていた。
「お二人とも、ご無事ですか!?」
「うん、私は大丈夫だよぅ」
「俺もなんとか……」
愛沙さんが立ち上がり、埋まっていた孝一さんに手を貸す。
孝一さんの上に着地した愛沙さんはともかく、なんで下にいた孝一さんがほぼ無傷なんだよ。僕だってあの高さから落ちて、フィーちゃんに助けられても少し気を失っていたのに。
「俺たちの心配もいいんだけどさ」
パンパンと全身の埃(?)を叩き落としながら、孝一さんが僕らの方を指さす。
「そろそろその子も放してやってくんない?」
「「え?」」
ビャクちゃんと顔を見合わせる。
その子って、一体誰の事を言っ――
「きゅう」
「「……………………」」
抱き合う僕とビャクちゃんのお腹の辺りから、何やら小動物を締め潰したような声が聞こえてきた。
そっと抱き合う力を緩めて確認すると、そこには男物らしき上着を羽織った見覚えのない赤髪の少女が一人、漫画みたいに目をグルグルしにしながら気絶していた。
「えっと……」
誰ですかこの子と訊ねようとして、僕は息を呑む。
今までビャクちゃんしか見ていなかったが、その子は上着の下にはボロ切れのような服とも呼べない服を着ており、赤い髪もボサボサでろくに手入れもなされていないようだった。
それらの印象が強くて気付くのが遅れたが。
その少女は耳が長くピンと尖っており――顔立ちはフェニフと呼ばれていたキメラと瓜二つだった。




