SIDE100-14 白姫
かつて『血濡れの白姫』と呼ばれていた吸血鬼の存在を知ったのは、僕がとある世界を気まぐれに訪れた時だった。
『餌』と寝床を求めてフラッと立ち寄った集落の寂れた教会で見つけた書物の内容に、僕は最初、鼻で笑った。
曰く、『彼女』はかつてこの辺りに存在した小国の王都の住人を贄として誕生した。
曰く、誕生より三日で小国の住人全てを食い殺し、滅亡させた。
曰く、小国滅亡より十日で周辺の四か国を食い滅ぼした。
曰く、その吸血鬼の封印のために、大陸全土の国家が滅びかけた。
はっきり言って眉唾だった。
馬鹿馬鹿しい。
伝承に誇張がふんだんに盛り込まれた妄想の産物だ。
こんなデタラメなモノが、僕を差し置いて存在しているはずがない。
そもそも歴史の割に妙に魔法文明の発達が遅れていたその世界において、大陸全土が滅びかけるような事態など、ほどほどの力を持った吸血鬼であれば容易なことだろう。
そう考えるのが自然だった。
とは言え興味がないわけではなかった。
魔法文明と伝承技術の未発達を差し引いても、大陸を滅ぼしかける吸血鬼というのはなかなか聞かないスケールだ。
こんな辺境の世界まで来てやったんだ、その力を吸収すれば土産ぐらいにはなるだろう。
例えこの書物の内容がガセだったとしても、その時はその時だ。腹いせにこの集落を食い滅ぼしてしまえばいい。なんなら、この伝説の吸血鬼の再来を演じてみるのも面白い。
どちらにせよ、尽きることのない生涯に潤いという名の暇潰しを求めていたのだ。
その書物が保管されていた教会にいた神父を殺し、偶然居合わせた少女の血を一滴残らず吸い尽くした後、僕は『彼女』が封印されているとされている地へ向かった。
……明確に覚えているのは、そこまでだ。
封印の地がどのような場所であったか、そもそもどのような封印が施されていたのか、細かい部分の記憶が曖昧だ。
ただ言えるのは、『彼女』に施されていた封印は、辺り一帯が聖域にすら匹敵する浄化された土地になるほど強大で、清浄な物だったということ。
そして僕は、『彼女』を封じるはずの術式により、『彼女』に近寄ることすら敵わなかったこと。
何よりも、それほどの封印がなされてもなお――『彼女』を封じるには十分とは言い切れず、微量ながらも魔力が漏れ出していたということに戦慄した。
結局、遠視魔法によって『彼女』の姿だけを確認しただけで魔力を使い果たし、僕はほうぼうの体で逃げ出した。
慌てふためき、飛ぶことも忘れ、何度も躓きながらその地からみっともなく逃げ延びた。
何だアレは。
ふざけるな。
あんなモノが存在していいわけがない。
そもそも何だあの封印は。
『彼女』どころか、あの地に踏み入っただけでこの身が消し飛びそうなほどだった。
この世界の魔法技術から考えると完全にオーバーテクノロジーだ。
いや、もしかしたら、本来はあのレベルの魔法がこの世界には存在していたのかもしれない。それを『彼女』がこの大陸を滅ぼしかけた際に、一緒に潰えたのか。
だとしたら、封印される前の『彼女』の力は一体どれほどの物だったのか――
その時、僕は自分の意志とは裏腹に、満面の笑みを浮かべているのに気付いた。
戸惑ったのは一瞬。
すぐに、笑みの正体を理解した。
欲しい。
あの絶望的なまでの力が欲しい。
食いたい。
あの力を――食いたい。
その欲望が、封印から漏れ出していた『彼女』の魔力に魅せられてのことだったのか、遠視で確認した『彼女』の姿が背筋が凍るほど美しかったからかは、今となっては分からない。
だがそれより数百年、僕はひたすらに『彼女』を求め続けた。
まずあの封印に近寄るために、そして『彼女』自信を取り込むために、それに見合った力が必要だった。
より純度の高い力を得るため、『餌』は魔力の高い人間に絞った。
より崇高な純潔を求め、高位の同胞を食らい続けた。
ただただ力を求めて。
僕は鬼喰らう鬼となった。
それはもはや崇拝にも等しい欲求だった。
だから数年前のある日。
『彼女』の封印が解かれ、一人の男の所有物となったと聞いた時、絶望した。
どこの馬の骨だ。
僕の『彼女』を奪った下郎は。
僕の中から殺意以外の感情が消え失せる。
殺す。
殺す殺す。
殺す殺す殺す。
殺す殺す殺す殺す殺す殺す。
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。
殺して殺して殺して――奪い返す!
「やってみな」
腹部に奔る強烈な衝撃。
それと同時に僕の体は後方に吹き飛ばされる。
「クソがぁっ!!」
両手の剣を構え直す。
『彼女』のために用意した、触れることすら危険な聖水とフェニックスの〝聖炎〟で鍛えた純銀の剣。ヒュドラの治癒力が無ければ、刃に触れるだけで消し飛んでしまう危険な代物。
だが――
「やっぱ剣術に関しちゃ素人レベルだな」
ポンポンと肩に漆黒の巨刀を当てる龍殺しの糞野郎。
「どんなにヤバい剣でも、当たらなければどうとでもなる」
「黙れ!!」
ヒュドラの影を伸ばし、龍殺しの動きを封じる。
直接影の毒牙から致死量の毒を注ぎ込めれば楽なのだが、奴の龍麟を貫くのは容易ではない。
「何度やっても同じだっつーの」
黒刀が閃き、目前まで迫っていた影が斬り捨てられる。影にまで僕の――ヒュドラの龍麟が張り巡らされているはずなのに、まるでものともしない。
あの黒刀の方がよっぽど厄介だ……!
影の表面からヒュドラの魔力の霧散が始まる。そこに僕自身の魔力を集中させて傷を癒し、消滅を食い止める。
ドラゴン族なら掠り傷一つで問答無用で滅殺するあの刃による傷は、僕自身の力で何とかなるにしてもこれではジリ貧だ。
対して僕の剣撃は掠りもせず、毒牙も通らず、頼みの〝毒血〟も――
「もみじ」
「はい」
影の切り口から溢れ出たどす黒い血が、勝手に巨大な槍となって僕に向かってくる。
「ちぃっ!」
手の平に龍麟を集中させて血の槍を弾き飛ばす。
流石は僕が追い求め続けた『血濡れの白姫』……!
僕の血すらも支配下に置くか!
しかも!
全盛期の一割以下にまで力を奪われた状態で、その上人化までしているのに!
「それ、もういっちょ」
「くっ」
血槍に気を取られている間に眼前まで龍殺しが迫っていた。すでに黒刀は振り抜かれており、回避は間に合わない。
スパンという音が聞こえてきそうなほどの勢いで、僕の右腕が双剣の片割れと共に吹き飛ばされる。
「お? とっさに右腕だけ龍麟消したのか。器用だな」
間一髪。
やはり龍殺しの刃はドラゴン族にのみ致命傷となり得るらしい。切れ味はそこらの名刀よりもよほど優れてはいるが、ただの刃で斬り落とされた体の部位はヒュドラの再生能力で瞬時に復活する。
しかし……!
「龍麟を引っ込めたんじゃただの吸血鬼だ」
「……!」
龍殺しの背後から強烈な魔力が漂ってくる。
視線が僕の意志とは関係なくそちらを向く。
「――跪きなさい」
その夜空の如き黒い瞳から目が離せない。
『血濡れの白姫』の魔眼から発せられる圧倒的威圧感に、思わず僕は膝をつきそうになった。それを左手に残っていた銀剣を床に突き刺して何とか堪える。
すごい……!
あれほど制限がかけられてなお、一声一睨みでこの威圧感!
その力の一端に触れる度に、僕の中の欲望が膨れ上がってくる!
「素晴らしい……!」
「何だ、その物欲しそうな目は」
龍殺しが軽薄そうな笑みを浮かべる。
「俺の女に色目使ってんじゃねえぞ、吸血毒蛇野郎」
「違う……彼女は僕の物だぞ!」
銀の剣を構え、僕は今一度目の前の男に突進した。
 




