SIDE∞-13 牢獄
「大変よ、秋幡紘也!」
朝倉と簡単な打ち合わせをしていた途中、葛木香雅里が血相を変えて部屋に入ってきた。
「どうしたんだ、葛木?」
彼女がここまで慌てているのも珍しい。なんとか館ってところに白を送って行った羽黒たちになにかあったのだろうか?
そんな嫌な予感を覚えた紘也だったが、葛木が次に口にした言葉はもっと最悪だった。
「さっき連絡があったんだけど……諫早孝一と鷺嶋さんがホテルに戻ってないそうよ!」
「え?」
紘也は香雅里がなにを言ったのか一瞬理解できなかった。葛木家が予約していたホテルの場所は孝一たちにもきちんと伝えてある。時刻はとっくに二十二時を回り、孝一だけならともかく愛沙もどっかで夜遊びしているとは考えにくい。
なにかあったとしか、思えない。
「孝一と愛沙を案内していた奴らは?」
名前は聞いてないからわからないが、瀧宮梓や穂波や朝倉と同じ学校の知り合いだったはずだ。
「真っ先に確認を取らせたわ。でも、月波学園の敷地内で別れた後は知らないって」
暗い表情をする香雅里。本来ならあの二人を連れてくる予定はなかった。勝手について来たのは孝一たちの責任だが、作戦から外しただけで安心していた紘也たちの危機管理も足りていなかった。
話を聞いていた紘也の契約幻獣たちも不安と怒りで表情を曇らせる。
「怪しいですね。そいつら二・三発ボコったら白状するんじゃあないですか?」
「……孝一様と愛沙様を誘拐して、なんの意味があるのでしょう?」
《意味など知るか。吾の愛沙をかどわかすなぞ。そやつら命がいらぬと見える》
「あ、あの……先輩たちはそんなことする人じゃ……ありません」
朝倉が必死になって弁護するが、彼らのことをよく知らない紘也たちから疑いを払拭させるのは難しい。
「そうね。彼らはなにもしてないと思うわ」
だが、意外にも葛木はあっさり朝倉の弁護を受け入れた。
「諫早孝一と鷺嶋さんは月波学園の敷地内で別れたのよ。丁度、私たちが演習林に向かっていた時間帯にね」
「! てことは」
「ええ。私たちが転移した後もフェニフの魔法陣が残っていたのなら――」
孝一と愛沙は紘也たちを見かけて追いかけ、フェニフの転移魔法陣を発見し、触れてしまったのだとしたら。
「二人は〈太陽の翼〉の中かもしれないわね」
∞
〈太陽の翼〉最下層・北側フロア――牢獄。
薄暗く乾いた冷たい石造りの牢の一つに、白髪狐耳の少女――白は閉じ込められていた。
あの時、目の前に現れた『なんだかよくわからないモノ』を見ただけで、白は意識を失った。目覚めてみればこの通り、どことも知れない牢屋の中だった。
あの時なにが起こったのかは記憶が曖昧ではっきり思い出せない。ただ、自分の中からなにかが……いや、全てが写し盗られたような感覚だけが今もはっきりと残っている。
怖い。
怖い。怖い。怖い。
もしかして自分じゃない自分が最愛の人の隣にいるのではないか、そんな確信にも似た悪寒が白を支配していた。
「ユタカぁ……」
最愛の人の名を呼ぶ。彼ならきっと助けに来てくれる。でも、もし気づいてもらえなかったら? 自分はずっとこの冷たい牢獄に捕らわれたまま、最終的に合成幻獣の材料になってしまうのではないか。そして最愛の人と戦わされたりするのではないか。
思考がどんどんネガティブな方向に堕ちていく。
自分から外に出ようにも、両手に嵌められている特殊な手錠が術を全て無効化してしまう。この牢の隙間なら変化すれば抜けられそうなのに、どうにもできないのが歯痒い。
「誰か……ユタカ……助けて」
弱音と共に一粒の涙が白の頬を流れたその時だった。
ガコン、と。
牢の外。壁に設置された通気口の鉄格子が最小限の音を立てて外された。
にょきっと生えてきた腕が鉄格子をそっと床に置き、何者かが匍匐前進で通気口から出てきた。
「ふー、よっこいせ。あー、狭かった。こんなところを通るなんてゲームみたいでテンション上がるな!」
「コウく~ん、おしりが引っかかって出れないよぅ~」
「ありゃ? 待ってろ愛沙、今抜いてやる」
「ひんっ!? 痛いコウくん痛いぃ!? もっと優しくしてほしいのです!?」
「なかなか抜けないな……愛沙、ちょっと太ったんじゃないか?」
「むぅ、コウくんそれ失礼だよぅ」
あまりにも場違いな二人の緊張感のない遣り取りが眼前で繰り広げられていた。
「おい愛沙、あんまり大きい声出すなよ。見つかったらシャレになら…………あっ」
先に出てきたコウくんという少年と白の目が合った。
「うわっ!? やっべ見つかった!?」
「コウくん違うよぅ。この子、牢屋に入れられてるみたい」
なんとか通気口から抜け出た少女に諌められ、少年がマジマジと白を見詰めてくる。
「ん? あー……あれ? 君、月波市の陰陽師たちと一緒にいた子?」
言われて、白も思い出した。
秋幡紘也たちと合流した時、一緒にいた一般人の二人だ。確か藤原経たちに月波市を案内させていたはずだが、それがどうしてこんなところにいるのだろう?
「なんで、あなたたちがここに……?」
訊かずにはいられなかった。ほぼ進入なんて不可能な天空移動要塞にただの一般人が紛れ込むなどありえないのだ。
「まあ、なんというか、不幸な事故というか……」
「えっと、いろいろあったのです」
二人は困った風に笑う。まったく要領を得ないが、本意じゃないってことだけは充分に伝わった。
誰かに助けてほしいと願ったが、一番来てはいけない人たちが来てしまった。巻き込まないように置いてきたはずの人たちを、白の都合で巻き込むわけにはいかない。
「逃げて。ここは危険だから」
だから、白は彼らに助けは求めない。
だが、少年の方――諫早孝一は何気ない口調で告げる。
「逃げるって、どこに?」
「!」
彼は現状の全てを把握している。逃げる手段がないことも。助けが来るまで隠れているしかないことも。全てわかっていて、それでも飄々としている。
恐らく、隣の少女――鷺嶋愛沙を不安にさせないために。
「とりあえず、状況を教えてくれないか? 君がここに捕まってるってことは、紘也たちも?」
「えーと……」
白はここに捕まるまでの経緯を言葉にできる範囲で簡潔に説明する。黙って聞いていた孝一はなにかを考えているのか顎に手をやり、愛沙は「大変だったんだねぇ」とほんわかした声で慰めてくれた。
「つまり、選択肢は二つだな。ここを出て紘也たちを探し合流するか、比較的安全そうではあるここに残って助けを待つか。ビャクちゃんだっけ? 君はどうしたい?」
指を二本立てた孝一が白に問いかけてくる。
自分から動くか、残って待つか。
先程までは後者の選択肢しか取れなかった。
迷う必要はない。答えは最初から決まっている。
「ユタカに会いたい!」
ここを出て次に敵に見つかると命はないかもしれない。だけど、いつ助けがくるかわからないのにじっと待ってなどいられない。待ち続けた結果、合成幻獣にされてユタカと戦わされるくらいなら死んだ方がマシである。
その答えを最初からわかっていたように孝一は満足そうに微笑んだ。
「オーケー。そんじゃ、まずそっから出してやらないとな。愛沙、その辺に鍵ないか?」
「うーん、なさそうだねぇ」
トコトコとその辺を歩き回った愛沙が小首を傾げる。ゲームじゃないのだから、ご丁寧にも近くに脱出方法が用意されているわけがなかった。
「しゃーない。抉じ開けるか」
「え?」
孝一がどこからともなく針金を取り出した。
「じゃじゃーん! ピッキングツ~ル~!」
「なんで持ってるの!?」
「コウくん、ドロボウさんみたいだねぇ」
そのまま牢屋の鍵穴をカチャカチャし始める孝一。その時になってようやく、白は重大なことを思い出した。
「あっ! あの、確かにここから出たいけど……たぶん無理。ここの鍵、魔術でかけられてるみたいだから」
この二人はどう見ても一般人だ。魔術師でもないのならここの鍵を開けることなんて不可能だろう。一瞬希望を見せられたが、結局、最初から選択肢は一つしかなかったのだ。
「ああ、それっぽいな」
しかし、孝一は別段驚いた風もなく冷静に針金をカチャカチャし続け――
「お、愛沙、見てみろ。あそこの壁の染みちょっと紘也に似てないか?」
「え? どこどこ?」
ガキッ! ガキッ! ガチャッ!
「ええっ!?」
愛沙が釣られて壁の方を向いた瞬間だった。孝一はやはりどこからか取り出したサバイバルナイフで牢の両端に刻まれていた魔法印らしきものを引き裂き――何事もなかったかのように針金をカチャカチャって牢の扉を開いたのだ。
「ふう、開いた開いた」
わざとらしく額の汗を袖で拭う。
「コウくん、ヒロくんに似た染みってどれ?」
「悪い、愛沙。見間違いだったみたいだ」
愛沙がこっちを向いた時には既に、白の手錠すら開錠されていた。
――一般人?
的確に魔術を消し去ったこの男は、本当にただの一般人なのか?
「あ、あなた、一体なにをしたの!?」
訊かずにはいられなかった。自分は本当に彼について行っていいのか? そんな心配が沸々と込み上がってくる。
「なにって、ピッキングだろ?」
「ピッキングだねぇ」
「絶対違う!?」
「オレ、手先は器用なんだ」
「コウくん、図工得意だもんねぇ」
「手先の問題違う!?」
「まあいいじゃないか、出られたんだから。それより異変に気づかれたかもしれんから、早くここから離れないとな」
「な、なんなの……」
明らかに正体を隠している。だがそこを追求したところでのらりくらりとかわされるだけだろう。まるでハクロを相手にしているみたいでげんなりする白だった。
わけもわからないまま牢屋を出る。
と、その時――
「待って!」
三人の誰でもない声が響いた。
「誰だ?」
孝一が鋭く誰何する。声は白のいた牢屋の隣から聞こえた。そこもやはり同じような牢屋になっており、三人で恐る恐る中を覗き込むと――襤褸のような布を纏っただけの少女が閉じ込められていた。
「お願い! ここから出るのなら、私も連れて行って!」
赤い髪に尖った耳をした少女は、必死の形相で白たちにそう訴えかけてくるのだった。