SIDE100-12 贋者
ビャクちゃんが目を覚ましたのは、もうそろそろ日付も変わろうという時だった。その頃にはヒュドラの毒に中てられた羽黒さん、もみじさん、ウロボロスさんも完全復活し、わたしも仮眠と食事をとって魔力をある程度回復させることができた。
「ビャクちゃん!」
「そぉいっ!」
「あげふっ!?」
ただ、ユッくんは直後にビャクちゃんに飛びつこうとして梓ちゃんに鳩尾を蹴り飛ばされ、未だに患部を手で押さえて唸っていた。「梓、最近手が早くないか……?」と恨み言も口にしていたが、「喉を狙わなかっただけ温情だと思いなさい」と凄まれ、すごすごと部屋の隅に移動して大人しくなった。
当のビャクちゃんはと言えば、まだ覚醒しきっていないのか、布団の中で上半身を起こした姿勢のままボーっと周囲を見渡しているだけだった。
「お、白狐の嬢ちゃん起きたか。じゃあ改めて、当面の問題について話し合おうか」
と、騒ぎを聞き付けたのか羽黒さんと紘也さんたちが離れにやって来た。もみじさんが持って来てくれた一杯の水を受け取り、ビャクちゃんは小さく「ありがと」と礼を言って口につけた。
「なんだ、まだ本調子じゃなさそうだな。まあいい」
どかっと腰を下ろし、羽黒さんは続ける。
「単刀直入に言おう。白狐の嬢ちゃん、お前は戦線離脱だ。ユウのブースターになればと巻き込んだんだが、そうも言ってられなくなった」
「え……」
「敵さんが想像以上に厄介だったってことと、これからの作戦内容的に、白狐の嬢ちゃんを守りながら戦う余裕はない」
「作戦内容って……?」
「ノーコメント。白狐の嬢ちゃんは知らなくていいことだ」
「……………………」
ビャクちゃんが視線をわたしの方に向けてくる。その青い目から逃げるように、わたしは顔を背けた。これからユッくんがとるであろう作戦行動を伝えてしまえば、ビャクちゃんはきっと心配してしまう。取り乱したビャクちゃんを月波市に置いて行けば、ユッくんも十全に戦えないかもしれない。ここは心を鬼にして、沈黙を続けるべきなのだろう。
何よりも当のユッくんが、部屋の隅で難しい顔をして俯いている。
「……分かった」
その姿を見て、ビャクちゃんは諦めたのか、再びどこを見るでもなくボーっと視線を漂わせた。やはり疲れているのか今日は妙に聞き分けがいいなーと思いつつ、「よし」と手を叩いた羽黒さんに皆の視線を向ける。
「作戦開始まではまだ時間がある。ここにいても落ち着かねえだろうし、行燈館まで送るぞ」
「え、兄貴が送ってくの?」
「何か問題が?」
「送り狼」
「表に出ろ」
睨み合う梓ちゃんと羽黒さん。もはやこの程度のいがみ合いでは紘也さんたちも動じなくなったのか、溜息交じりに傍観している。
「……僕も行きますよ。この時間、行燈館の鍵は閉まってますし」
ユッくんが腰を上げ、ビャクちゃんが臥せっている布団まで近付く。そしてお姫様だっこの姿勢に持っていくと、そのまま部屋を出て行った。
「……ん? あれ!? 今すっごい自然な動きですっごいことして行かなかった!?」
「すごいよねー、ユッくん。あれを無意識でやっちゃうんだもん……」
ウロボロスさんが「アレですよアレ! あたしが望んでいるのは! さあ紘也くん! お姫様がお待ちですよ!」とさっきまでビャクちゃんが寝ていた布団に横になって騒いでいる。しかし紘也さんはそれには無反応でテーブルクロス引きの如く布団を抜き取り、さっさと畳んで押し入れにしまってしまった。空中に放り出されて半回転したウロボロスさんは「げぶっ」と顔面から床に叩きつけられた。
「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」
「はい、お気をつけて」
さらにそれすらもスルーして、ユッくんたちに続いて羽黒さんももみじさんに見送られて部屋を後にする。
さて……わたしはどうしようかな?
近くのコンビニまで行ってお菓子でも買ってこようかな。いや、別に深夜で小腹が空いたとかそういうんじゃなくって、甘いものは魔力回復の効率がいいというか……。
「朝倉」と、紘也さんが声をかけてきた。「一応、今後について打ち合わせしておきたいんだが、少しいいか?」
「あ……はい。大丈夫です」
後ろの方で、ウロボロスさんが「だから何でそっち行っちゃうんですかー!?」と慟哭しながら床をバンバンと連打していた。
C
「そう言えば、錬金術師って具体的には何なの?」
焔稲荷神社から行燈館へ向かう道中、白狐の嬢ちゃんはそう訊ねてきた。
「何かっつーと、まあ大昔の科学者だな。そもそもの錬金術の根本的な原理やら理屈は現代にも一部通用する化学なんだが、そこに四大精霊やら賢者の石やらオカルト的な要素も加わって、今じゃ科学と非科学の両面を併せ持つ学問って感じだな」
「賢者の石?」
「そう。錬金術の大きな目的は『不老不死』と『金の精製』なんだが、賢者の石はそれらを成し遂げるための必須ファクターとしてお約束のように挙げられている」
「……………………」
何か考え込むように白狐の嬢ちゃんが歩みを止める。それを心配そうにユウが覗き込むが、思考に耽っているのかノーリアクションだった。
そしてふと何かに気付いたように白狐の嬢ちゃんが顔を上げる。
「ねえ」
「何だ」
「私、ずっと気になってたんだけど……ハクロ、敵の錬金術師がこの街に留まっているのには何か理由があるんじゃないかって言ってたよね」
「ん? ああ」
……あ? それ言った時って……。
「……………………」
「ひょっとしてだけど、この街にその賢者の石があるんじゃない? それを狙っているとしたら……」
「賢者の石? 僕、この街にそんな伝説級のアイテムがあるなんて聞いたことないけど」
白狐の嬢ちゃんの意見にユウは難色を示す。しかし白狐の嬢ちゃんは食い気味に語った。
「普通に暮らしてたらそんなこと知らないと思うけど……。でも、妖怪たちが住んでて、色んな魔法使いもいて、神様が守ってるこの街になら、あっても不思議じゃないと思うな」
「あー……そう言えば伝説の龍殺しもすぐ身近にいるような街だし」
と、チラッとこちらを見るユウ。
「まあ……連中の目的が何にせよ、賢者の石が無事かどうか確認はしておいた方が良いか」
「え。あるんですか? 賢者の石。この街に」
「知らん」
「知らんて。じゃあ何の確認を?」
ポケットに突っ込んだままあれだけの激戦を潜り抜けたにも関わらずヒビ一つついていない無駄に丈夫なケータイを取り出し、アドレス帳を漁る。
「賢者の石の所在を知っている錬金術師を知っているだけだ」
「羽黒さんの人脈って、ホント謎ですね……」
「……ダメだ。繋がらねえ」
耳に当てたケータイを離し、メールに切り替える。まあこの時間帯だし起きているとは思っていなかったが……いや、根っからの研究者であり、四六時中賢者の石の一方的な囁きに睡眠時間を削られ続けているあいつがこの時間帯に起きていないはずがない。
「……まさかな」
一瞬何かがあったのではないかと思ったが、そもそもあの地下室は誰にも知られていないし、感知できないはず(もみじには即バレたが)。
「どうしました? もしかして、何か……」
「……いや、大丈夫そうだ」
メール送ったら即行で返信来やがった。どうやら三日ぶりのまとも睡眠だったようで、ようやく寝付いたところで俺の電話の着信音に叩き起こされたらしい。この一瞬で送られてきた返信メールにはつらつらと恨み言が書き連ねられていた。
「ねえ、一応その人に会ってみない?」と、白狐の嬢ちゃんが提案してきた。「もしかしたらその人はもう敵に捕まって、怪しまれないように偽物が返信してるだけかも」
「心配性だなービャクちゃん」
「……………………」
まあ、用心にこしたことはないか。
俺は「これから向うから色々準備しておくように」という旨を恨み言メールに返信した。
C
さすがに俺んちの地下室の研究施設に案内するわけにもいかないので、近くの公民館に呼び出した。当然のようにさっきよりも苛烈な内容になった恨み言メールが返ってきたが、ざっと目を通して了承の意を組むとすぐに削除してやった。
そう言えばこの公民館、春先の事件でユウが大暴れして一時廃屋みたいなことになってたな。もう復旧したのか。
「っと、いたいた」
街灯の光が微妙に届いていない、薄暗い非情階段に腰掛けている小柄な影。叩き起こされたというのに、いつものダボダボ白衣スタイルはそのままで出向いて来たらしい。
「こんな夜更けにこの俺を呼び出すとは本当にふざけた男だよ、君は。スポンサーでなかったら殴り倒している所だ」
「お前に俺を殴れるとは思えないが? 万が一当たったとしても痛いのはお前の拳だぞ」
「では君の食事に下剤を入れることにしよう。伝説の龍殺しでも内臓から崩してしまえば問題ないだろう」
「恐ろしいこと考えるな!?」
間違いねえ、こいつは本物だ……。
「それで、何か用か」
「いや、お前の無事を確かめたかっただけだ。もう帰って良いぞ」
「……君、いい加減に――」
「あなたが、賢者の石のありかを知っている錬金術師?」
と。
白狐の嬢ちゃんが問いかける。
「ねえ、賢者の石ってどこにあるの?」
「……ビャクちゃん?」
「ねえ、教えてよ」
「……………………」
その時、街灯が接触不良か何かでチカチカと音を立てて点滅した。薄暗い視界の中、一瞬だけ眩しいほどに辺りが照らされ――白狐の嬢ちゃんの仮面のような無表情な顔が見えた。
「ビャクちゃん……いや」
小声で言霊を呟き、ユウは手の平に具現化させた拳銃を白狐の嬢ちゃんに突きつける。
「お前は、誰だ」
「……何の真似? 私はあなたの恋人の――」
「僕の名前を言ってみろ」
「……………………」
刹那の沈黙。
そしてユウがトリガーを引くのと白狐の嬢ちゃんらしきソレが動くのはほぼ同時だった。
普段の彼女では絶対に考えられない身のこなしで銃弾を避け、そのまま姿勢を低くして俺とユウの脛を蹴飛ばしてきた。
「おっと」
別段痛みはない。明らかに牽制目的の攻撃だったが、まんまと意識を乱されてしまった。再び視線を前に向けた時には、この場には俺とユウの二人しかいなかった。
偽者も、俺が呼びつけたあいつも、影も形もなかった。
「どこ行った!?」
「おい、ユウ! お前は先に神社に戻って事情を説明しろ! そんでいつでも出れるようにしておけ! 白狐の嬢ちゃんが偽物だったってことは、本物は要塞の中だ!」
「くそっ……僕としたことが……!」
「その先は本人を取り戻してからゆっくりと自戒しろ。急げ!」
「羽黒さんは!?」
「俺はもう少し奴の痕跡を探す。すぐに追いつくから先行ってろ」
「……はい!」
最後にユウは悔しげに手にした拳銃を地面に叩き付けると、魔力となって霧散していくのを見届けることもせずに走り出した。
薄暗い路地へと消えていくその背中を見届け、俺は「さて……」と溜息を吐く。
「夜遅くにご苦労さん」
「全く。人使いの荒いスポンサーだ」
「ふわぁ~……」
声をかけると、物陰に隠れていたらしい二人が眠気を隠そうともせずに出てきた。白衣の子供錬金術師の工藤快斗と、その助手の間取彩萌である。
「お前の身を守る為でもあったんだがな」
「護衛対象を前線に引っ張り出すな。非常識だろう」
恨み言を口にしてはいるが、小僧はどこか満ち足りた……と言うか、有体に言って自慢げな表情を浮かべていた。賢者の石をその瞳に宿してはいても、やはり十歳児は十歳児だ。
「だがまあ、見事に騙されてくれたな」
「当たり前だ。あのホムンクルスは試作品とは言えこの俺の最高傑作になる予定だからな。まあこの短時間で容姿情報を加えてこの俺に似せたのは骨が折れたが」
「プラスぅ~、私が物陰から糸で操ってすっごい自然な動きを再現したおかげですよねぇ~」
「「……………………」」
「何で二人とも黙るんですかぁ~!?」
いや……あのホムンクルス、全くと言っていいほど身動きを取っていなかった気がするんだが。薄暗い所に座らせていたおかげで気にはならなかったが、下手したらバレていただろうな。
「とりあえず、アレは追い返せたが間取の元を離れたホムンクルスは身動きがとれんぞ。一応呼吸はしているからしばらくは気絶ということで誤魔化せるだろうが、偽物とバレるのも時間の問題だぞ」
「問題ない。敵の大将を一瞬でもぬか喜びさせちまえばこっちのもんだ。お前らは一応念のために研究室に戻らずに、学園高等部の雲海寮って所にいる藤村修二に保護を求めろ。奴も俺の協力者だから信用できる」
「はいはいっと。藤村教諭の事はこの俺もよく知っている。しばらく雲隠れさせてもらうとしよう。ところで……」
と、小僧は思い出したように訪ねてきた。
「アレは一体何だ? 姿を変えて騙す妖怪は腐るほどいるが、話を聞く限りあの拳銃使いの恋人に化けていたのだろう? 仕草すらも完璧に真似ることができるとはそうそう聞かないが」
「ああ。俺も仕草や口調からでは偽物だって気付かなかった。気を失っていたと見せかけて俺たちから情報収集していたんだろうが、本物の白狐の嬢ちゃんだったら知り得ない情報をぽろっと喋っちまってたしな。その辺の矛盾から考えて、念には念を入れてこっちからも偽物の掴ませてやったって所だ」
「ふむ。それだけ聞くと諜報員としてはイマイチだな」
「契約者の人格の問題じゃねえの? 結果を出さないと痛い目見るとか。ここに来てからはかなりガツガツ行ってたし、それでユウにもばれたようなもんだし」
「契約者にはどこも苦労しているのだな」
「おい」
「それで――アレは何だ?」
「……決まってんだろ」
標的と姿形を同じくし、少しずつ周囲の人間へも影響を及ぼし最終的に存在そのものを乗っ取り食らい尽くす。
そんなのは奴らしかいない。
「ドッペルゲンガー」