SIDE∞-10 不滅
地上――山道を抜けた大きな窪みのある広場まで彼らは辿り着いていた。
「アレに紘也たちは入ったのか?」
広場にはフェニフにより展開された転移魔法陣が発動状態のまま残されている。時間が経てば自然と消える予定の魔法陣だったが、その前に紘也たち一行を追ってきた二人に見つかってしまったのだ。
「さっきはあの辺にでっかい城みたいなのが浮かんでたよな?」
そう言いながら諫早孝一は天を仰ぐ。太陽がだいぶ西に傾いている空には僅かな雲が流れているだけでなにもない。
なにもないように見える。
だが実際、巨大な空中要塞がそこに存在していることは事実である。視認できたのは一時的だった。今は見えないし静かなだが、あの要塞の中では激しい戦闘が繰り広げられているのだと思われる。
「えっと、あの魔法陣がヒロくんたちの居場所に繋がってるんだよね?」
「たぶんな。あ、待て愛沙。迂闊に近づかない方がいいぞ」
孝一は恐る恐る魔法陣に歩み寄っていた愛沙の肩に手を置いて止める。ここまで追ってきたのはいいものの、流石に敵地まで乗り込んでしまうわけにはいかない。
――オレだけならいいんだが。
「愛沙、これ以上はやめた方がいい。戻って紘也たちの帰りを待とうぜ」
「そうだね。わたしたちが行っても邪魔にしかならないもんねぇ」
愛沙も孝一も一応は分を弁えているつもりだ。ならばなぜこんなところまで来たのかと言えば、親友を想っての心配と単なる好奇心、もしかしたら力になれるかもしれないという希望からである。
「無駄足になったけど、まあ登山なんて滅多にやらないし、いい運動になったと思えばいいか」
「うん。森林浴みたいでわたしは気持ちよかったよ」
「そういえば途中にドアの壊れた休憩所みたいな建物があったけどアレは一体……」
適当な雑談をしつつ来た道を引き返そうとする二人。
するとそこに、ドスンとなにかが勢いよく落ちてきた。
それは仁王像の顔だけを巨大化させたような真っ赤で厳つい生首にしか見えなかった。
「きゃっ!?」
「なんだなんだ!?」
突然落ちてきた衝撃的な物体に一般人が驚かないわけがない。愛沙は無意識に孝一にしがみつき、そのせいで孝一も堪らずよろけてしまった。
『そうじゃそうじゃ、やっぱりそういう普通の反応してくれると脅かし甲斐があるんじゃよ。最近の月波市の人間は拙僧が落ちても大して驚いてくれんからつまらん。おお、そうじゃ笑っておる場合ではない』
落ちてきた生首――タンコロリンは満足げにガッハッハと笑っていたが、なにかを思い出したように真剣な顔になって目をくわっと見開く。
『おい小僧に小娘、ここは危険じゃ。さっさと帰れ――ん?』
だが、脅かされた孝一と愛沙は生首が喋ったことよりも重大な事態に言葉を失っていた。
よろけた拍子に、二人は触れてしまったのだ。
背後にあった転移魔法陣に。
「「あっ……」」
なにかを言う暇もなく、二人の体は光に包まれて消え去った。
『…………………………………………………………………………拙僧知ーらない』
厳つい顔の目を点にして鼻水を垂らしたタンコロリンは、シュバッと逃げるように飛び跳ねて木々の緑の中へと紛れて消えた。
∞
〈太陽の翼〉下層・北東側の回廊。
結界を破って外縁部から内部に侵入した秋幡紘也と朝倉真奈は、閑散としただだっ広い回廊を〈太陽の翼〉の中心部へ向かって進んでいた。
「こういう構造物ってのはだいたい中央部に全フロア直通のエレベーターがあるもんだ」
「……そうなんですか? 普通はもっと……複雑になっていると思いますが」
「だろうな。いくら鉄壁の要塞でも侵入者対策をしてないわけがない。だからそのエレベーターは最上階のボスを倒してパッと帰る時しか起動しないお約束だったりする」
「……ゲームの話……?」
朝倉は呆れたように目を平らにして紘也を見るが、そのゲーム脳はあながち間違いでもない。これだけ巨大な要塞だ。効率的に移動する手段が一つや二つ用意されていなければ逆におかしい。そして侵入者には使用できないように非常時には停止させておくのも常套手段である。
「使えないなら……行っても無駄なんじゃ……?」
「いや、ゲームならそうだけど、現実なら強引に突破できるかもしれない。あんた確かシルフと契約してただろ? エレベーターの扉さえ抉じ開ければ、あとは風の力で昇降できるんじゃないか?」
「あっ……はい、たぶん」
紘也の意図を理解した朝倉はコクリと頷いた。たとえエレベーターが結界かなにかで封印されていても、紘也と朝倉の力があれば解除することだって容易いだろう。
「生憎だけど、そんな都合のいいエレベーターなんてないわよ」
「「――ッ!?」」
突然降ってきた声に紘也たちは足を止めた。
前方に輝きが収束したかと思えば、エメラルド色の髪をした尖った耳の女性が姿を現したのだ。赤と白を基調とした鳥の翼に似た衣装を纏った彼女は、紘也たちをこの要塞に招き、バラバラに転移させた張本人であるエルフだ。
正確には、エルフをベースとした合成幻獣だと思われる。
「フェニフ……だったか?」
「今はそう呼ばれているわね」
身構える紘也に彼女は淡々と返した。そして握っていた長杖を突きつけ、やはり機械的に告げる。
「ただ戦闘力のある連中よりあなたたちの方が厄介だと判断したの。だから先に消えてもらうわ」
長杖の尖端、猛禽類の頭部に似たそこに白みがかった赤い炎が灯る。問答無用で射出された火球は、朝倉が即行で展開した結界に弾かれた。
「フィーちゃん……っ!!」
『はいです、マスター!!』
朝倉の呼びかけで妖精のような女の子が空間から出現した。彼女――精霊シルフは出て来るや否やすかさず突風を巻き起こしてフェニフを吹き飛ばそうとする。だがしかし、フェニフも不可視の結界を張っていたのか、衣服と緑髪がバタバタと激しく靡くだけで微動だにしない。
「精霊にしては温い風ね」
トン、とフェニフは長杖で床を小突く。次の瞬間、彼女を中心に緑色の魔法陣が広がり――紘也たちの背後に転移した。
「しまっ」
「本物の風魔術を見せてあげるわ」
フェニフが長杖を翳す。すると複数の魔法陣が空中に展開され、そこから渦巻く豪風が放たれ紘也たちを襲った。
と、紘也の首から下げていた六芒星のアミュレットから真紅の炎が壁となって現れる。ウェルシュ・ドラゴンの〈守護の炎〉による自動防御壁だ。
何本かの竜巻は炎が防いでくれた。でも数と範囲が違う。炎の脇を擦り抜けた竜巻は紘也たちを容赦なく弾き飛ばした。
「がっ」
「あうっ……」
『ギャー!?』
なんとか直撃は避けたが、それでも三人とも何メートルも吹っ飛ばされて転がった。打ちつけた体が死ぬほど痛い。けれど紘也は無理やり痛みを忘却して立ち上がる。
フェニフはすぐ目の前まで接近していた。
「ぐはっ!?」
「紘也さん……っ!?」
長杖の柄尻による鋭い突きが紘也の腹部を捉えた。くの字になって呻く紘也に朝倉が悲鳴を上げる。
「女の子が痛めつけられるのは見たくないでしょう? だからあなたから先に殺してあげるわ。安心して。できるだけ苦しまないようにするから」
冷酷に告げるフェニフ。だが、この程度で死を覚悟するほど紘也の諦めはよくなかった。
「そう簡単に……」
突きつけられた長杖を掴む。
「死ねるかぁあっ!!」
「――ッ!?」
フェニフは反射的に長杖を放して飛び退いた。あのまま握っていれば紘也の魔力干渉で全身を魔力的にズタボロにされていただろう。獣のような直感である。幻獣だが。
「チッ」
舌打ちし、紘也は奪った長杖を武器にして構える。杖術なんて経験したことないが、武器がないよりはマシだ。間接的にでも触れさえすれば紘也の魔力干渉は効果を発揮する。リーチが長いに越したことはない。
「か、返しなさい!」
フェニフは掌から赤白い火炎弾を撃ち放つ。杖を失えば魔術を使えなくなるわけではない。魔術師にとって杖は所詮補助具である。それはエルフも同じだろう。
フェニフの火炎弾は朝倉とフィーが弾く。
その隙に紘也は走った。長杖を振り被り、女性の見た目に騙されることもなく――というか余裕がない――必死に振り下ろす。
触れるだけで危険だと悟ったフェニフは回避しようとするが、朝倉がなにかの魔術を使ったのか、その動きが一瞬だけ鈍る。
「はぁあああっ!!」
紘也の振るった杖がフェニフの左肩に落ちる。
触れる。
魔力を杖に流し、接触部から敵の体内に干渉。徹底的に掻き乱す。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああっ!?」
絶叫が響いた。
瞬間、どういうわけか苦悶の表情だったフェニフの体が赤白く燃え上がった。
「うわっ!?」
まさに目の前にいた紘也はその熱波で思わず長杖を手放して後ろに跳んだ。カランカランと乾いた音を立てて転がる杖の向こうで、その本来の持ち主は自らの炎に包まれてもがいている。
「え? なんで?」
紘也にはわけがわからなかった。魔力干渉はしたが、相手の力を暴走させるような真似はできないはずだ。
「紘也さん……なにをしたんですか……?」
「いや、わからんけど」
事態について行けず呆然とする紘也と朝倉。フィーは燃えるフェニフに驚いたのかいつの間にか消えている。意味不明な現象をただ見守るしかない二人の前で、フェニフは炎の中で崩れ落ち、やがて燃え尽きて灰となった。
「終わった……のでしょうか?」
「た、たぶん。いや待て、『炎』に『灰』……まさか!?」
気づいた紘也は朝倉の手を取って一目散に駆け出した。
「逃げるぞ朝倉!」
「ひゃっ……ど、どうしたんですか紘也さん?」
「あいつはたぶん〝復活〟する!」
「えっ……!」
朝倉も気づいたようだが、どうやら一足遅かった。
不自然な風に乗ったフェニフだった灰が、二人の周囲を取り囲む。そして一気に点火し轟々と燃え上がった。
「くそっ」
「熱っ……」
炎の渦に取り囲まれ、紘也たちは逃げる術を失った。
「無駄よ。私は死なない」
炎の一部が収束し、元のフェニフの姿に戻る。冷淡な瞳は炎に囲まれる紘也たちを冷ややかに見据えていた。
「呼び名からしてそうじゃないかと思っていたが、お前、エルフとフェニックスの合成幻獣だな?」
幻獣フェニックス。
永遠の時を生きる鳥の姿をした不死身の幻獣だ。炎を纏っている伝承もあり、『火の鳥』とも呼ばれている。五百年ごとに自らの身を焼き灰になって転生することから〝復活〟の象徴とされ、その灰や涙には〝再生〟や〝解毒〟の効果が、肉には〝不死〟をもたらす効能があると言われる。
不死身の幻獣と言えばウロボロスと同じである。
つまり、敵に回すと死ぬほど厄介な相手だ。
「エルフの魔術にフェニックスの特性……なんてもんを合成しやがったんだ」
「知ったところで遅いわ」
赤白い炎が範囲を狭めていく。この炎で焼き尽くすつもりかと思ったが、フェニフはそこまで悠長に待っていなかった。
いつの間にか拾っていた長杖を縦向きにして翳し、炎を纏わせる。もう片方の手には炎の矢を生みだし、それを弓に見立てた長杖に番えた。
先程の火炎など比べ物にならない熱エネルギーが矢から感じられる。アレを朝倉の結界で防げるかどうかは正直なところ、わからない。
「死になさい」
酷薄に告げ、フェニフは炎の矢を放った。
しかし、それは紘也たちに届くことはなかった。
轟! と。
紘也たちの背後から物凄い勢いで押し寄せた紅炎の津波が、フェニフの炎を全て呑み込んで消し去ったのだ。
紘也たちの頭上を背中に竜翼を生やした人影が通過し、眼前に降り立つ。
「マスター、やっと見つけました」
彼女――ウェルシュ・ドラゴンは紘也たちを振り向いてどこか嬉しそうに赤いアホ毛をピコピコさせた。なぜか背中にはぐったりとした穂波を担いでいる。敵にやられたのだろうか?
「助かった、ウェルシュ」
紘也が礼を言うと、ウェルシュは少し頬を紅潮させてアホ毛をさらにピコピコさせた。犬の尻尾みたいだった。
「ユッくん……!」
「大丈夫です、真奈様。魔力の消耗によって気を失っているだけです」
ウェルシュは担いでいた穂波を朝倉に預けると、苦々しい表情をしたフェニフと対峙する。
「あのエルフを〝拒絶〟すればよろしいですか?」
「いや、逃げるぞ」
「……え?」
普段はあまり表情が動かないウェルシュだったが、紘也の指示に目を丸くさせた。
「あの……マスター、ウェルシュの見せ場が……」
「あいつはたぶん、お前じゃ勝てない」
紘也ははっきりと言う。ただの〝再生〟や〝不死〟持ちの幻獣であれば、ウェルシュの〝拒絶〟で消滅させることは可能だろう。
だが、フェニックスは違う。
フェニックスは〝不滅〟だ。消滅させても〝復活〟する。〝再生〟よりも性質の悪い特性は、相対してしまったら逃げるしかないだろう。
それでもただ一つ、フェニフをどうにかできる希望はある。だからこそ今は逸早く彼女と合流するしかない。
紘也ははっきりと、フェニフには聞こえない程度の音量で勝てる希望を口にする。
「ウロを探すぞ」
 




