SIDE100-08 鬼事
既に何と何を合成されたのか分からないほどボロボロの満身創痍キメラが最期の力を振り絞って牙を剥き出しに突進してくる。それを何の感慨もなく斬り伏せて、あたしはようやく一息ついて太刀の血糊を払い落した。
「はい、ラスト一体、終了っと」
全身に浴びた返り血はすでに魔力となって霧散を始めている。それでも、鏡を見たらきっと凄惨な姿に自分でもげんなりするかもしれない。
これでも花の女子高生ですから。
「さて」
振り返り、同じく太刀の血糊を拭っていた葛木に声をかける。
「そっちはどうよ」
「……………………」
無言でそっぽを向かれた。
ですよねえ笑いが止まりませんわクスクスっ。
「こっち、四十八体。うち十二体は十メートル級の大物。最大サイズは十五メートルってところかしら?」
「……………………」
「そっちの成績はどうですかあ? かつらぎせんぱあい」
「……………………んたい……………………」
「ええ? 聞こえませんよお?」
「……………………」
ブチッと、何かが切れる音がした気がする。
「二十三体! うち十メートル級の大物は三体、最大サイズは十二メートルよ文句ある!?」
「んん? あれあれえ? 二十三? 四十三の間違いじゃなくう? あたしと張り合ったにしては二十ほど数が少なくないですかあ?」
「くっ……!」
いやあん、このいかにも「屈辱よ!」って顔、最高ね!
太刀の持ち手に開いた穴に指を通し、クルクルと回しながらあたしは微笑む。
やっべ、超楽しい。
「それで、ここに飛ばされた時の約束、覚えてるわよね?」
「……………………」
そっぽを向かれるどころか踵を返して小走りで逃げ出しやがった。
逃がすか♪
「かっがりーん、約束を破るのはイケナイことだぞぉ」
「誰がかがりんよ離しなさい! てかどこ触ってんのよ!?」
すぐに追いつき、あたしは葛木の首と腰に両腕を回してちょっときつめに抱きしめた。
「だってあんたが逃げるんだもん。こうしちゃえばどこにも行けないでしょー? クスクスっ」
「耳元で喋らないでくれる気色悪い!! もう分かったわよ、どこにも逃げないから離しなさい!!」
ジタジタと暴れる葛木。さすがに可愛そうになってきたので縛めを解いてやる。
「総討伐数と十メートル級以上の大物の討伐数、最大サイズのそれぞれで勝ったらお互い何でも言うことを聞く! ええ覚えていますとも! 私の完敗よ! 何でも三つ言うことを聞いてあげる! さあ『瀧宮』のお嬢様! この私めに何なりとお申し付けくださいませ!?」
「……………………」
逆ギレ、というかただのヤケクソだった。
顔を真っ赤にして涙目で捲し立てる葛木のその姿は、それはそれで眼福……いやいや。何にせよ、追い詰められると意外と自暴自棄になるタイプっぽかった。危ないなあ。
「でもまあ、ぶっちゃけ、対多殲滅特化の八百刀流相手に二十体も倒せば上々なんじゃないの? 甘ちゃんだと思ってたけど、案外やるじゃん」
「……………………」
さっきとはちょっと違う感じに頬を赤くする葛木。しかしすぐにガアッと歯(牙?)を剥き出しにして怒鳴り返してきた。
「ふ、ふん! 別に瀧宮に褒められても全く嬉しくもなんともないわよ! ええ、これっぽっちも! あなたに褒められるくらいなら――」
「紘也さんに褒められた方が嬉しい?」
「ブフッ!?」
轟沈。
何これ面白い。
強い奴と根性ある奴と弄りがいのある奴は大好きよ?
「とりあえず何してもらおっかなー」
「くっ……」
あえてゆっくりと考える素振りをする。
そして五秒ほど悩んだように見せかけてから、あたしはこう言った。
「氷、出して」
「…………………………………………は?」
素っ頓狂な声。
予想外過ぎて意味が分からないという顔をしている。というか、こいつはどんな無理難題を吹っかけられると思って警戒していたんだ?
「氷よ、氷。ほら、あんたさっきから氷系の技出してたじゃん。あれで氷作れないの?」
「……作れるけど」
「ならさっさと出しなさいよ。言うこと聞くんでしょ?」
「ぐぬ……!」
歯ぎしりをしながら、葛木は手にした太刀に力を籠め、そして腹いせのつもりなのか、あたしの頭上に直径二メートルはある氷塊を発生させた。
おっと。
「危ないなあ、もう」
それを、あたしもまた、手にしていた太刀で一閃する。
キンッ!
「ほいほいほいっと」
キンッ! キンキンッ!
何度も氷塊を斬りつけ、床に落ちる頃には良い感じのサイズに粉々になった。純度の高い質のいい氷だったらしく、気泡もなく透明で美しい破片が足元に積み重なる。
「はいこれ」
「え?」
そのうちの一つをさらに一口大のサイズに削り、葛木に投げて渡す。
「水分補給。ここ、標高高いからか気温そんなに高くないけど、あれだけ動き回ったら汗くらいかくわよ。小まめな水分補給は大事にしなよ」
あたしも氷を一粒つまみ、口に含む。
うん、上がった体温に冷たい氷が心地いい。
「……これ……」
「え? 何?」
葛木産の氷を堪能していたら、何か呟く声が聞こえた。
「なーによ。ハッキリ言いなさいよ」
「これ、大気中の水分とかそんなんじゃなくて、私の魔力を凍らした氷なんだけど?」
「氷には変わりないでしょ」
「まあ、水分補給にならないこともないけど、こういう使い方は想像したこともなかったわ。あ、ありがとう……」
へえ。
「別に感謝されることじゃないわよ。あんたの出した氷だしねー」
それに、まだまだ命令権は二回分残ってるしねー。
C
「それにしても」
水分補給を済ませ、あたしたちは要塞の中の探索を開始した。
ここまで結構無茶苦茶に走り抜けてきてしまったため、ユーちゃんの銃声はもう方向確かめる指標とするには困難なレベルで小さくなってしまっている。まあ向こうも走り回っているのだろうし、逆に言えば、それはユーちゃんが未だ健在である証とも言えて、少しだけど安心の種でもある。
もっとも、それは同時に、ビャクちゃんが未だにユーちゃんと合流できていないということを示してはいるが。
「あたしは錬金術とか全然知らないけど、ここって研究施設……で、いいのよね?」
怪しげな実験器具やら全く読めない書類の束がいたるところに保管されている。葛木と二人、ひたすらにキメラを狩って来たため道中の設備は巻き添えを食って大方破壊されたが、それでもまだまだ広大とも言える施設が目の前に広がっている。
「ここで合成幻獣を作っていたということかしら」
葛木が覗き込む巨大なカプセルのような形をした水槽。
そこには妖しさ爆発な蛍光緑の液体が溜められており、無駄にでかいトカゲとラクダが合わさったような謎な化物が静かに漂っていた。
液体は粘性が高いのか、時折未完成のキメラの口から吐き出される気泡がゴボッと音を立て、ゆっくりと水槽の上部へと浮上していく。
「うえー……きっしょ……」
「……………………」
葛木も気分が悪くなったのか、水槽に反射してしかめっ面が見て取れた。
「これ全部、未完成のキメラってこと?」
あたしはげんなりと目の前の光景に溜息を吐く。
葛木が覗き込んだ物の他にも、このフロアにはまだまだ多くの水槽が怪しげな液体と共にゴボゴボと音を立てている。
ざっと見渡しただけで、五十は超えている。しかも、フロアの奥には扉もあり、実験施設がまだまだ他にもありそうな気配をかもし出していた。ここが要塞のどの辺りかは分からないけど、規模から考えるに、この階層全体が実験施設として使われているとしても全く驚かない。
実際にさっきまで戦っていたキメラの数を考えると、それくらいの規模がないとむしろおかしい。
「少なくとも、この空中要塞に最初から備わっていた施設ではなさそうね」
「あー、確かに、壁の煤け具合に対して施設が新しいしね」
この列をなす水槽群なんか、あからさまに新品だし。
「とりあえずさ。葛木」
「何よ」
鬱陶しげに振り向く葛木。
さっき弄り倒したことを根に持っているらしく、初対面の時よりも剣呑な雰囲気だ。冗談通じない奴ねー。
「この水槽、全部壊しちゃいましょ」
「壊す?」
「そ。キメラなんて、百害あって一利なしだしね。空の水槽も壊しちゃえば利用されることもなくなるだろうし」
「……」
一瞬だけ虚を突かれたような表情を浮かべる。しかしそれはすぐにヤレヤレと呆れ半分な笑みを湛えることとなった。
「全く、さすがは『瀧宮』のお嬢様。発想が野蛮ね」
「何よ」
「でも――」
葛木は青白く輝く太刀を手元に具現化させ、前を見据えた。
「効率的な意見は嫌いじゃないわ」
「……はっ」
笑い、あたしもまた、体内に戻していた太刀を喚び出そうと力を集中させ――
「施設は壊されてもまた直せばいいけど、ここはマスターの最高傑作の一つでね。面倒事を増やされるのは困るなぁ」
「「――ッ!?」」
いつからいた。
確かに気を緩めていたのは否定のしようのない事実だし、言い訳しようとは思わない。
けど、いくらなんでも、こんな一メートルと離れていない至近距離に立たれて声をかけられるまで気付かないなんて……!
「くっ……!」
あたしたちは本能的に飛び退り、そいつと距離を取った。
見覚えがある。
ここにあたしと葛木を転移させた女の片割れ――確か、ヴァドラと言ったか?
――吸血鬼が混ざっています。
ここに飛ばされる前のもみじ先輩の言葉を思い出す。
もみじ先輩の言葉を信じるなら、こいつは、吸血鬼と何かのキメラ。そのもう一方の何かが分からない以上、無暗に突っ込むのはいささか危険か。
まあ流石に、もみじ先輩以上の化物ということはないだろう。
が。
本当にいつの間に?
転移魔法か?
それとも吸血鬼らしく、影を使って出現したのか?
だけどそれ以上に……何だこいつ。
「ふぁあ……ガサツな戦闘音が聞こえてきたから赴いてはみたが……やはり、彼女ではなかったか。まあそうだろうなあ。ボクが敬愛してやまない血濡れの白姫はもっと優雅に、そして美しく、舞うように殺戮なさるのだから」
欠伸交じりに独り言を呟くヴァドラからは、先程山頂で見せたギラギラとした好戦的な気配など露程も感じさせず、かと思えば、セリフの後半からはうっとりと何かに、何者かに憧れるような微笑を見せた。
もみじ先輩の夜空の如き黒でも、兄貴の海底のような深い黒でもない。
ドブ沼を腐敗させたような、吐き気を催すようなどす黒い微笑だった。
驚いた。
この世にあのクソ兄貴並みの嫌悪感を触発される黒があったなんて。
「正直、こんな小娘を二匹甚振ったところで面白くもなんともない。かと言って、放置してここを破壊されてマスターの無駄に長い説教を聞く破目になるのは御免被りたいところだが。さてさて」
あたしたちが身構える中、ヴァドラは憂鬱そうに思考に耽る。
さっき唐突に背後を取られたことを考えると、迂闊に動くこともできない。
警戒心剥き出しで身構えていると、フッと、ヴァドラが顔を上げた。
血のように赤い瞳を歪に細めて、嗤っていた。
その瞳を見た瞬間、周囲が例の殺気に包まれた。
重く、鋭い、ねっとりとした粘着質な殺気。
「そうだ、こうしよう! おい小娘共!」
「……何よ」
葛木が冷や汗を頬に垂らしながら答える。
「これからボクと、鬼ごっこをしようか!」
「「……………………」」
は?
「鬼……ごっこ……?」
「そう! 鬼ごっこ! ボクはこの遊びが大好きなんだが、今から十秒だけお前たちに猶予を与えよう。どこにでも逃げ遂せろ。十秒経ったら――殺しに行く。お前ら二匹を殺すことができたら、ボクの勝ちだ」
こいつ……何考えてる?
横目で葛木の方を見る。
「ちょっと葛木。あいつ、あたしらを十秒間だけ見逃してくれるそうよ」
「どうやらそうらしいけど……ちなみに、私たちが勝つルールはあるの?」
ダメ元だったのだろう。葛木は引き攣った笑みを浮かべながら問い返す。
ヴァドラは嗤う。
薄気味悪く――嗤う。
「あっははあ。これは不思議なことを聞く。お前たちが勝つルールなど、生き残るルートなど、あるはずがないだろう。あるとすれば、『僕に殺されなかったら勝ち』になるだろうね。というか、ボクは質問を許した覚えはないぞ、小娘。それでは早速始めようか! じゅ――」
「っ!? 瀧宮!?」
「――抜刀、【大鵬】!」
ヴァドラが勝手にカウントを始めると同時に。
あたしは右手に抜身の太刀を喚び起こし、ヴァドラに向かって突貫する。
「――う、九、八……」
まさかこっちから攻撃を仕掛けてくるとは全く予想していなかったのか、ヴァドラは、虚を突かれたように棒立ちのまま、呑気にカウントを続けていた。
「鬼ごっこの必勝法って知ってる? 単純明快、鬼殺し!」
殺られる前に殺れってね!
十秒も待ってくれるんなら是非もない!
半分以上吸血鬼なら、心臓を貫けばその時点で終了する!
「獲った!!」
太刀の切っ先が、ヴァドラの左胸に吸い込まれるように突きつけられる。
だが。
――ガギィンッ!!
「なっ……!?」
硬質な金属同士がぶつかり合ったような、耳障りな音がフロア全体に響き渡る。
全体重を刃に乗せた、渾身の突きだった。
しかし、その切っ先は、ヴァドラの胸に突き刺さることなく、弾き返された。一瞬鎧でも着込んでいるのかと思ったが、服は貫通しているらしい。
いや、それよりも、この感触は――!
「……五……四……」
「瀧宮!」
「……!」
葛木の叫び声に、あたしは我に返る。
慌てて大きく飛び退り、葛木の横に立って太刀を身構える。
「……一……零……。あっははあ!」
嗤う。
鬼が嗤う。
「ボクとの鬼ごっこで、最初の十秒のうちに逃げなかったのはお前が初めてだよ、小娘! それどころか、真っ先にボクを殺しにかかるとは! なるほど、鬼ごっこの必勝法は鬼殺しか、いやいや盲点だった! それにしてもその度胸、気概、躊躇いのなさ、戦闘センス! 実に気に入った! どうだ? このボクの眷属になる気はないか?」
「……はっ! 実に魅力的なお誘いだけどね、美丈夫。生憎あたしは、全身黒ずくめの男が死ぬほど嫌いなのよ!」
「そうか……それは残念だ」
本当に、半ば本気のお誘いだったのだろう。少しだけガッカリとした表情を垣間見せ、ヴァドラは溜息を吐いた。
「それでは非常に心苦しいが――殺すとしよう。鬼ごっこの始まりだ」
ゆらり、と。
ヴァドラの足元の影が揺らめく。
その瞬間、あたしは反射的に言霊を唱えた。
「――抜刀、二百本!」
ヴァドラの頭上に百本以上の抜身の太刀が具現化し、刃の雨の如く降り注ぐ。しかしこの程度では傷一つ付けられないことは百も承知。
こんなのは、ただの時間稼ぎ。
「ぬ……」
鬱陶しげに太刀を払うヴァドラ。
視界を一瞬でもいいから塞ぐ為に放ったものだ。
そして残り、ヴァドラの頭上に具現化させなかった八十本ほどの太刀の行方。
――ガッシャアアアン!!
けたたましい音と共に炸裂する破砕音。
このフロアの見渡せる限りの水槽に、寸分違わず突き刺さるように具現化させた。
貫かれ、割れるガラス製の水槽。
禍々しい液体が溢れ出し、気色の悪いキメラの未完成品がデロンと床に横倒しにされていく。
あっという間にフロア中が、破砕されたガラスの破片とキメラの死体が漂う謎の液体の海と化した。
「葛木ィッ!!」
叫ぶ。
あたしは叫ぶ。
「二つ目の命令権執行! 文句は後で聞くから今は黙って走れ! 逃げるよ!!」
「え……!?」
「吸血鬼は流れる水を跨げない! 逃げるんなら、今しかないんだ!!」
あまり知られていない吸血鬼の弱点の一つ。
流水を跨ぐことができない。
キメラであるヴァドラにそれが通用するかは怪しいものだが、それでも、謎の液体とガラスの破片、それにあたしの太刀を頭から被って極々小さな隙は生じた。
生き延びるには、今しかない!
「走れ!」
葛木の手首を乱暴に掴み、緑色の液体で浸水して滑りやすくなったフロアを駆ける。さすがの葛木も無駄口を叩く余裕はないのか、大人しく手を引かれるがままに走っている。
フロア奥の扉に到着した際、あたしはチラッと背後を確認した。
あたしたちとヴァドラとの間に、水槽から溢れ出る液体がさながら滝のようになっていた。その向こう側で、ヴァドラが憎々しげにこちらを睨んでいる。
どうやら流水を跨げないという弱点は通用したらしく、ひとまずの窮地は脱したという所か。
いや、最初にあいつは、あたしたちの背後に唐突に現れた。転移の魔法陣を使ったのか、吸血鬼のスキルで影を渡ってきたのかは知らないが、安心できるような状況では全くない。
むしろ、敵前逃亡したことで、敵の姿が見えなくなってしまったことで、不利となったかもしれない。
だがとりあえず、今は撒かなければ。
壁を破壊してでも、床に穴をあけて下の階層に下りてでも、逃げなければ。
あたしの予想が正しければ、アレは、あたしや葛木の手に負える代物じゃない。
口惜しいことこの上ないが。
あいつは。
ヴァドラは。
あのクソ兄貴の専門対象と見て――間違いない。




