SIDE100-04 妖樹
「……?」
「どうしました? もみじ先輩」
「今、何か聞こえませんでしたか?」
「気のせいじゃないですか?」
どこか遠く、と言ってもそれほど離れていないところで何かが爆発したような音がした気がするのですが……そしてその後、よく知った男の子の悲鳴が聞こえたような……。後ろを歩く梓さんに確認しても、つっけんどんな返事しか返ってこないので参考にはならないようです。
まあ、梓さんの気持ちが分からないでもありませんが。
「……………………」
私の前を歩く羽黒の背中に睨みを利かせ。
「……………………」
最後尾を歩く香雅里さんに遠慮会釈なしの殺気を放ち続けています。
「……居心地が悪いです」
梓さんと香雅里さんに挟まれて歩くウェルシュさんが気まずそうに呟きます。私は気にしない方ですが、確かに少し居づらいかもしれませんね。
そして、この空気の原因となった一人は――
「……違う……………………ここでもない……」
何やらブツブツと呟き、時折木を蹴飛ばしながら山道を進んでいます。山に入ってからずっとこんな感じなので、私も気にはなっていたのですが。
「羽黒」
「あ?」
「さっきから何をなさっているのですか?」
「ん? んー、まあ何て言うかね。さすがの土地神も、気配の薄い対象の居場所をピンポイントでは特定できなかったわけだ。それで、この山の主の一人に話を聞こうと思ったんだが……はー……あのオッサン、どこにもいやがらねえ……」
「主?」
この街の主は、ホムラ様だと思っていましたが……。
「そりゃまあ奴はこの土地を守る神だ。けどそりゃ、月波市っつー特殊な土地が悪用されないよう監視するためだけの神だと言っても差し支えはない。奴が全部ひっくるめて守るんなら、八百刀流なんざ必要ないからな」
「まあ、そうですね」
実際は妖怪としての縛りで、ホムラ様は自ら動くことはできないのですが。そこで梓さんたち八百刀流を仮の手足として、土地が悪用されるのを防いでいるとか。
「で、まあ八百刀流も人間である以上、目の届きにくい場所もあるわけだ。特にこんな山中はヒトとしての意思のない小妖怪共の溜まり場になりやすい。そうなると種族間の闘争も自然と発生するわけで」
「なるほど。そういったことが無暗に起きないよう、土地神とは別の『主』がいると」
野生動物の群れのリーダーのようなものですか。学生委員会の各長という見方もできますか。
「いや、どっちかっつーと、町長は一番偉いが町民個々人までは把握できない。町内会長はそれほど権力が強いわけじゃないが町内の個々人を把握できる、と言った方が正確だな」
尋ねると、そう訂正が帰ってきました。
なるほど。そっちのほうが分かりやすいですね。
「……で? 今あなたは何を探しているんですか?」
と。最後尾に黙って付いてきた香雅里さんが羽黒に訊ねます。
「ヒント。この山の中で最も多いものは何だ」
「えっと……」
「空気に決まっています。当たり前です。『龍殺し』はバカのようです。ウェルシュはマスターと同じチームがよかったです」
「ウェルシュ・ドラゴン、バカはてめえだ。黙ってろ」
「……………………」
ああ……また一つ、殺気が生まれてしまいました……。羽黒の性格は十分に理解しているつもりですが、こう無駄に喧騒を生む言動は控えてほしいのですが……。
「まあ普通に考えて……木でしょ」
ボソッと梓さんが呟きました。
それを聞き取った羽黒が軽薄な笑みを浮かべながら「正解」と答えます。
「山の事は山の妖怪に聞け。特に山の中で最も数が多い樹木系、つまり妖樹に訊ねるのが一番早い」
「……まあ、一理あるんじゃない? 兄貴の提案にしては真っ当だし」
「梓。一言余計だって言われねえか?」
「ねーわよ」
「ったく、誰に似たんだか……」
間違いなく羽黒でしょうね。
まあ梓さんは素直ではないので、間違っても口にはしませんが。
「話を戻すけど……」
と、香雅里さんが眉間に指を当てて苦い顔で訊ねます。
「それで、あなたは何を探してるの」
「何ってそりゃ、この辺りの妖樹のまとめ役だよ」
「……こんな広い山の中、その妖樹を探すのも敵の手掛かりを探すのも手間は同じだと思うんだけど? だったら素直に手掛かり探しに集中した方が――」
「おいおい、せっかちな嬢ちゃんだ。急がば回れって言うだろ。先に妖樹を探した方が結果的に早く決着がつくって」
「それで今、道に迷っています。やはり『龍殺し』はバカです」
「迷ってねえし。バカはてめえだウェルシュ・ドラゴン。あのオッサンと最後に会ったはガキの頃だから記憶があやふやなだけだし」
「バカはやっぱりあんただクソ兄貴! あたしらをそんな曖昧な記憶で道連れにすんじゃない!」
吠える梓さん。
それに便乗してウェルシュさんも淡々と羽黒の悪口を並べていきますが……羽黒はそれくらいで悔いたり懲りたりは絶対ないんです……。香雅里さんもイライラと眉間のしわを深くしています。
その時。
頭上から、ザワッと何かの気配がしました。
あまり覚えのない、妖怪の気配。
「おっと、ようやくお出ましか」
羽黒も気付いたようで、頭上を見上げながら二、三歩ほど後ろに下がります。そしてさっきまで羽黒が立っていたその場所に、ドスンと音を立てて――赤ら顔で厳めしい形相をした僧侶の巨大な生首が降ってきました。
高さ一メートルくらいでしょうか? 仁王様の仏像の顔だけを巨大に掘り出したかのような迫力です。
「おわっ!? 何これグロ! てかキモ!?」
「な、何なの!?」
「……………………」
梓さんと香雅里さんが驚きつつも身構え、ウェルシュさんも無言で臨戦態勢に入りました。しかしそれを羽黒が「まあ落ち着け」と軽いノリで抑えます。
「ようタンコロリン。久しぶりだな」
『んん……? 何じゃい何じゃい』
……喋りました。
『昼間から喧しい連中が来ておるようじゃから脅かしてやろうと思って落ちてみたら、何じゃい、瀧宮の小倅ではないか。ずいぶんとデカくなりおって。何年ぶりじゃ?』
「とりあえず、あんたに人を脅かしてやろうって気力があって安心した。土地の力が枯渇してるのは気付いてんだろ」
『ああ、今は拙僧らも焔御前殿のおかげで持ち堪えておる』
「そうか」
粛々と話を進める羽黒。
いえ、これはさすがに私も説明が頂きたいのですが……。
「あの、羽黒。この方は……?」
「タンコロリン。収穫されずに放置された柿の妖怪だよ。食うと力が湧き――って、そんなことはどうでもいいか」
「……タンロリコン?」
「違えよバカ火竜。タンコロリンだっつの」
「食べられるのですか……じゅるり」
「おいバカ、そこに食いつくな。あとこいつは食っても美味くないからな?」
「兄貴、食ったことあるんかい!」
「めっちゃ渋かった。そりゃ収穫されないはずだ」
『熟しとるはずなのじゃがなあ』
……いや、それは今関係ないのではないでしょうか……?
「まあともかくだ」
羽黒が脱線した話題の軌道修正を行います。いつも脱線させる要因の一人なので珍しいですね。
「今この街に起きている異変。その原因をぶちのめしに来た。タンコロリン、この山の中で何か不自然なことはなかったか?」
『不自然なこと、のう……』
首だけの妖怪なのに、なぜか首を傾げている、という表現がしっくりとくる表情を浮かべるタンロリコン……じゃなくてタンコロリン……さん? ただでさえ厳つい顔をさらに歪ませて『むむむ……』と唸っています。
「何か思い出せねえのか? 些細なことでいいんだ」
『うーむ……そうは言ってものう。拙僧のようなある程度力のある妖ならばともかく、名もない小妖怪共は、ここ数日はとんと大人しくしておるしのう……』
「そうか。結局無駄足っぽいな……」
溜息を吐く羽黒。
「それでどうするの、瀧宮羽黒。手掛かりは得られず、振出しに戻ったわけだけど」
「しゃあねえだろ。当てが外れた以上、こっからは人海戦術だ。あんま得意じゃねえが、地道に探索していくしかねえだろ」
『すまぬのう……………………いや待て!!』
「おおっ!?」
羽黒と香雅里さんが相談していると。突然タンコロリンさんが大声をあげました。クワッと目を見開き大口を開けたので、軽くホラーです。
「何だよいきなり!」
「鼓膜が破れるかと思った……」
『そうじゃ思い出したわい! いやあ、言われてみればアレは不自然じゃったわい!』
「だから何だよ」
突然の大声に機嫌を悪くしたのかイライラとタンコロリンさんに先を促す羽黒。それにしても大声に驚いて不機嫌になるなんて、子供っぽくて可愛いですね。
『いや何、何もなかったんじゃよ』
「……干し柿にすんぞオッサン」
『短気じゃのう。そうではなく、ここ最近、弱っているとは言え不自然なほど小妖怪共の闘争がない場所があったんじゃよ』
「何?」
『不自然じゃろう? 毎夜毎夜どこかしらで縄張り争いを起こす小妖怪共が、その場所では大人しくなるどころかそもそも近寄らんのじゃ』
「……なるほどね。名もない小妖怪はどっちって言うと動物に近いから、本能的にヤバいところには近寄らないんだ」
梓さんがタンコロリンさんの話に納得したように頷きます。
……それにしても、そんな小妖怪までこの世に留まるよう力を振り分けているホムラ様には脱帽ですね……。早く何とかして負担を取り除かないと……。
「にしても、小妖怪の本能レベルでしか察知できない気配消し、ね。……たぶんそれも紛失している魔法具の効果なんでしょうけど……。あなた、その場所ってどこかわかる?」
『ここから北西に一里ほどの、大きな窪みじゃ』
「……………………」
香雅里さんの問いに答えるタンコロリンさん。
えっと、一里って大体四キロくらいでしたね……それで、ここから北西っていうと……。
「おい、めっちゃ斜面急なとこを行かねえとダメじゃねえか!?」
農学部付属演習林の地形図を頭に思い浮かべたのか、思わず絶叫する羽黒。確かにここから北西に四キロというと、これまで以上のなかなかにハードな登山になりますね。
「もみじ先輩、一度林道に出てから登った方が良くないですか?」
「そうですね……」
梓さんがスマートフォンのGPSアプリで出した地図を提示しました。
なるほど、少し歩いたところに林道があるようですね……ここから道に沿って登っていった方が楽そうですが……。
「でも梓さん。そのことをどうせなら羽黒に直接伝えたらいいのでは?」
「……………………」
すっごく嫌な顔をされました。
そんなにですか。
「ウェルシュなら飛んで行けます」
「てめえだけ飛んでってもダメだろうが!」
ウェルシュさんが人化を解けばみんなを運べそうですけど、そうすると契約者の紘也さんの負担が大きいですし。何より羽黒は乗らないでしょう。
「……まあいい。一旦林道に出よう。ケータイは……圏外だな。梓、式神飛ばして向こうに手掛かりがあったことを伝えろ」
「何であたしがやんのよ。兄貴がやればいいじゃない」
「式紙持ってねえ」
「……ったく」
舌打ちしながらもポケットから細長い和紙の束を取り出す梓さん。何でそんな物を持ち歩いているのか疑問ですが、そもそも映画館に行く恰好でこれまで普通に登山している辺り、やはり彼女も異端な異能集団・八百刀流の一員だと改めて分かります。
「真奈ちゃんたちがどこにいるか分からないから質より量でいっか。向こうはフィーちゃんを飛ばしてるだろうから、むしろそっちに引っかかりそうだけど……ま、大丈夫でしょ。飛べ!」
和紙の束を空中にばら撒く梓さん。すると細長い和紙が両脇を蝶のように羽ばたかせて宙を舞っています。
「へえ……これだけの式神を同時に……」
香雅里さんが感心したように呟きます。しかし――
「おやおやあ? 葛木のお嬢様はこれくらいのこともできないんですかあ?」
「……」
あ、香雅里さんも黒装束の懐から護符を取り出しました。量は梓さんと同等、いえ、一・五倍はありそうです。
「行きなさい」
香雅里さんの掛け声で鳩のような形になった護符が四方八方に飛んでいきます。
「何か言った? 瀧宮のお嬢様?」
「はん! だったらアタシはその三倍の式神を飛ばせるわよ!」
「張り合うな、阿呆」
「あたっ!? 何すんのよクソ兄貴!」
羽黒に叩かれ、一瞬にして標的を変更する梓さん。
さすがは羽黒。梓さんの扱い方を心得ていますね。基本的に突貫暴走型の梓さんは、標的を与えて行動を制御した方が扱いやすいのですよね。
「んじゃ、タンコロリン。情報提供ありがとさん」
『おう。大峰の小僧と兼山の小娘にも、たまには顔を見せに来いと伝えい』
「無茶言うな。もう俺らも山に来て遊ぶような齢じゃねえっつうの。じゃあな」
タンコロリンさんに背を向け、歩き出す羽黒。その後を私と梓さん、そして香雅里さんが続きます。
「……おいウェルシュ・ドラゴン。行くぞ」
「……………………」
唯一、なぜか一歩も動こうとしないウェルシュさんにイライラと声をかける羽黒。しかしウェルシュさんはジッとタンコロリンさんの方を見て微動だにしません。
「おい」
「……………………」
「おい聞いてんのか、ボケ火竜」
「……………………」
無言を貫くウェルシュさん。
そしてタンコロリンさんを凝視しながら、口元に手の平を持って行き、
『……何じゃ、火竜の小娘よ』
「……………………」
『……?』
「じゅるり」
『さらばじゃ!』
ウェルシュさんが涎を拭うのと同時に、タンコロリンさんは落ちてきた時の逆再生をするように空中に飛び跳ね、木々の枝の隙間に這入り込んで見えなくなりました。
一体どうやったんでしょうか……?
「食べ損ねました……」
「不味いっつっとろうが。どんだけ食い意地張ってんだ、お前は」
呆れ顔で肩を竦める羽黒。
厳つい僧侶の生首の形状をしている時点で、そうそう食べようとは思いませんが……。
「ですが、もうそろそろお昼時も過ぎる頃です」
時計を見ると、すでに午後一時を回っていました。お昼ご飯を食べていないなら、空腹も仕方のないことだと思います。
「え、もうそんな時間? お腹が空くわけね」
「梓、お前もか」
「えーそうですよ? どっかの誰かさんがバーガー店に入った瞬間に拉致ってくれたおかげで何も食べれずに空腹ですよ」
「ああそうかい」
頭を掻きながら溜息を吐く羽黒。
「……林道を登ってしばらく行った所に栴檀食堂があったな。そこで休憩すっか」
「羽黒、栴檀食堂は不定期開店ですよ? 今日やっているかどうかは……」
「なあに、もし閉店してても、何とかなるさ」
「……?」
妙に自信ありげな羽黒。
何だか少し嫌な予感がしますが、私たちは大人しく羽黒の後を付いて行きました。