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闇路

 ガキの頃を思い出す度、自分はすべてのことに対して無関心なガキだったと思う。

人間のように感情豊かでもなければ、人形のように感情がないわけでもない。

ただ、人として存在しているだけだった。

自分がそんなふうになったのは、血と金で成り立っていたあの場所で過ごした日々が原因ではない、否定することはできない。

でも、俺はあの場所で過ごした日々を、今までも、そしてこれからも決して忘れない。

あの場所で過ごしていたからこそ、あの日、俺はエアリーとイクプロウに出会うことができ、外の世界に目を向けるようになったのだから・・・・。




 空には満月が光り輝き、(とこ)に就いて夢の世界へと誘われた人々を、優しく見守っている。

森林都市レンベーナは都市のほとんどが森に覆われ、平地は僅かしか存在しない。

その為、他の都市に比べると人口は極端に少なく、公共施設や娯楽施設等はない。

人間が住むには不自由を強いられる都市だが、ここの都市市民はそんなものはまったく気にしていない。

なぜなら、彼らは自然を愛し、自然と共に生きるのが当たり前なのだから、不自由に感じる理由など、何一つない。

また、この都市は他の都市ではもう見ることができなくなった動植物が数多く存在している為、自然保護の観点からも公共施設などが建てられることは、この先もないのだ。

 そんな中で、レンベーナの都市市民は自給自足の生活をしながら、日々穏やかに過ごしている。

広大な森の中を彼らが手を加えているのはほんの僅かで、そのほとんどは未開拓の森となっている。

森の奥深くに行こうとすると濃い霧に阻まれるので、都市市民は誰一人としてその先に行った者がいない。

しかし、一人の女性が濃い霧の前で立ち止まり、ジッと霧を黙視している。

女性は腰まである長い銀髪に青い瞳、そして、男女問わず誰もが一瞬にして心奪われる美女だった。


「この霧、どう思う?」


視線を動かさず、女性は自分の左肩に乗っている小動物に問いかけた。


「間違いなく魔法だな。この先に入れぬよう、意図的に作られたモノだ。入れば二度と外に出る事は叶わず、森の中を死ぬまで彷徨うはめになる」


小動物の言葉に女性は臆することなく、薄っすらと笑みを浮かべている。


「霧だけならまだしも、そんなことができるなんて、結構「力」のある魔法使いがこの中にいるのかしら?」


「それは会って見なくては判らぬ」


「そうね。じゃあ会いに行きましょう。この霧の先にいる魔法使いに!」


女性は霧へと向かって歩き始めた。

笑みを絶やさず、軽い足取りで小動物と共に深い森の中へと姿を消した。





「勝者!№七十四!!」


明瞭な審判の声が闘技場に響き渡ると、すぐさま、その後に大歓声が続いた。

楕円形のこの闘技場は真ん中に丸いステージがあり、その周りを囲うように階段状の観客席がある。

ステージと観客席の高低差は二十m以上あり、観客席からステージへ行くことも、またその逆を行くこともできない造りになっている。


「ニ週間ぶりの試合。なかなか楽しませてもらえました」


「私、今回は№二十二に二百万ゲル賭けていましたから大損です」


「次の試合はいつ開催されるのかしら?」


「早く次の試合が見たい!今度も№七十四に賭けるぞ」


観客席は人で埋めつくされ、先程まで目の前で繰り広げられていた試合に、みんな興奮冷め切らないようだ。

そんな彼らとは対照的に、ステージは静まり返っていた。

ステージ上には、審判、勝者№七十四、敗者№二十二がいる。

前者の二人は立っているが、後者はうつ伏せになって倒れている・・・・正確には赤い血を流して、既に事切れている。その血は№七十四が握っている剣に、そして、体や衣服にも付いている。

№二十二は、四十代位の男性であるのに対し、№七十四は、まだ十歳にも満たない少年だ。

ボサボサに伸びた黒髪に爪、体中にたまった垢や痣に切り傷。

薄手のシャツやズボンも、全く洗濯していないのか汚れや血糊がひどく、ボロボロになっている。

その容姿を見ると、安定した生活を送っているとは決して言えない姿だ。

審判の勝敗を聞くと、少年は自分がその手で殺した男性を一瞥することもなく、気だるそうに剣をステージに放り投げ、ステージ下で控えていた二人の男達へと足を進めた。

少年が目の前まで来ると、男達は薄気味悪い笑みをうかべながら手に持っていた手錠を少年の両手足首にかけ始めた。


「これで四連勝・・・今回も生き残れるとは大したガキだな」


「ああ。きっと今日はまともな飯が食えるだろう」


少年は自分に手錠がかけられていくのを顔色一つ変えることなく、当たり前のよう黙って見ている。

手錠をかけ終えた男達は少年を間に挟んで、後の扉に向かって歩き始めた。

その様子を、観客席の一部に作られた天蓋の中から見つめる男がいた。

男は肩まである黒髪で肌は白く、整った顔立ちをしている。

もうすぐで四十になるというのに、男は実年齢よりも若く見える。

グラスに注がれた酒を一口喉に流そうとした時、天蓋に入ってくる者がいた。三十代位の金髪碧眼の男で、見た目は人懐こい印象を受ける。


「ロデュースさん。今日の賭け試合、随分儲けたんじゃないですか?」


「・・・主催者としては当然の権利だ。それと勝手に主催者専用の天蓋の中に入ってくるな、ルードン」


苦笑いのロデュースを尻目に、ルードンは天蓋の中に入り込み、テーブルの上に置いてあったグラスに酒を注ぎ始めた。


「気にしないで下さい。あなたと僕の仲じゃないですか?それにしてもこの賭け試合を始めて約六年・・・年々観客は多くなりますね」


眼下に広がる観客席を見渡した後、ルードンは酒を一気に飲み干し、新たに酒を注ぎ始めた。

その様子を訝しげに見るロデュース。

彼は酒を(たしな)む者ではないからだ。


「それは当然だな。身分を問わず、誰でも一ゲルさえあれば気軽に賭けることができ、そして、人の生死を生で見ることができるというのは、堪らない魅力があるものだろう?」


腹黒い笑みを浮かべるロデュースに、背筋に冷たいものがはしるルードン。

一見、貧弱そうに見えるロデュースだが、この賭け試合を六年前に考案、企画、実行した、裏世界では名の知れた実力者である。

ロデュ―スとルードンの付き合いは、十五年前に裏世界で“労提所”をルードンが起業する際に、ロデュ―スが投資してくれたのが付き合いの始まりだ。

“労提所”とは、身寄りのない子どもや無職の大人達を集めて教養し、労働者として企業や個人に売買する場である。

表世界では人道的ではないと非難される所もあるが、裏世界ではかなりの人間が利用し、業績は年々右肩上がりだ。

そんな店が起動にのり始めた頃、“労提所”から賭け試合に使う労働力を買いたいとの依頼をロデュースから受けた時には、少しだけ驚いた。

この店に来る客は、死ぬまで使える労働者を求めて店に来るのであり、それは彼も同様だった。

彼も今までに何十人かの労働者を買っていき、彼らはロデュースの屋敷で掃除や料理等、今も労働者として使われているはずだ。

しかし、彼は一回で終わる、言わば使い捨ての労働者を求めた。

自分が育てあげた傑作達を使い捨てにされてしまうのには、多少胸が痛かったが、ロデュースには返しても返しきれない恩があるのは事実だし、周囲が恐れるロデュースを、ルードンは兄のように慕っていたので、快く承諾した。

おまけに購入金額にかなりの上乗せをしてくれたようで、ルードンとしては二倍嬉しかった。

今思えば、この賭け試合の為に彼は自分の店に投資してくれたのかもしれない、とルードンは考えるようになっていた。


「そうですね・・・・。あ、ロデュースさん!今の勝者№七十四、あの少年はどうしたんですか?僕の店にはいなかったと思うんですけど・・・・・・僕の見忘れかな?」


鼻で笑うとロデュースは椅子から腰を上げ、ルードンの隣に並んだ。

若干ルードンの方が背は低いようだ。


「あれはな。俺が仕入れたんだ」


「あなたが直接?珍しいですね・・・何か興味をそそられるものでもあったんですか?」


軽い嫉妬混じりにルードンは酒を口に含むロデュースの横顔を見つめる。


「三年前だったか・・あれの両親は元々表世界で武具店を経営していたんだが、今の世は銃世界。剣なんて売れず、借金ばかりが脹らんで、ついに親子三人裏世界から追われるようになった。親子は必死で逃げたが、裏世界に足を踏み入れたら最後、死ぬまで逃げられない。親子はついに捕まって死を覚悟した。が、俺がある取引を両親にもちかけた」


「一体何を・・・・?」


ルードンに顔を向け、口元に弧を描くロデュース。


「子供を俺に寄こせ。そのかわり借金はチャラにしてやる」


「・・・・・」


「両親はお互いの顔を見合わせた後、安堵した表情で言ったよ。“どうぞ。こんな子供でよかったら”とな。その時の子供の顔は見物だった」


口から笑いがこぼれるロデュース。

ルードンは黙って彼の話を聞いていた。

親が子供を平気で売る。

この裏世界では取り立てて珍しいことではない。

だからこの話しの続きには、ロデュースが興味をそそられた箇所があるはずだと、ルードンは確信していた。


「その子供、それからどうしたと思う?壁に飾ってあった骨董品の剣を使って両親を殺した」


「・・・・・」


「普通の子供なら泣き叫んだりするのだが、あれは違った。・・・・それにあれの目がオッドアイというのもあり、興味深くてな」


「!!」


ルードンは“親殺し”よりも“オッドアイ”の単語に驚愕し、一歩後ずさった。


「ロデュースさん!オッドアイはこの世界では“災いの眼”なんですよ!!そんなモノを手に入れたりしたら・・・しかも大衆に曝すなんて・・・」


ロデュースはルードンの顔面に右の掌をかざして後に続く言葉を制止した。

口元は弧を描いている。


「確かに“オッドアイ”を手に入れた者は、次々と災いが降り注ぐと言われているが、あくまでも言い伝えだ。俺は気にしない。ここの観客達も気にしないだろう。逆にめったに見ることのできない物を見れて喜ぶだろう・・・俺と同じように」


無邪気な表情に、輝く瞳のロデュースを見て、ルードンはそれ以上何も言えなくなってしまった。

ただ、№七十四が去っていった方向を、嫉妬まじりに忌々しげに見つめ続けた。


「ルードン」


我に返ったルードンはロデュースに目を向けた。

彼の瞳からは輝きが消え、真剣な面持ちへと変わっていた。


「普段は裏方に徹して表には出てこないのに、今日はどうした?何か用か?」


ロデュ―スの問いかけに、自分が何の為にここに来たのかを思い出したルードン。

覚悟を決め、ロデュースの目を真っ直ぐに見つめた。


「実は、この地下都市ダグーに侵入者が入り込んだようです」


言葉の意味が分からず首を傾げるロデュース。

地下都市ダグーは、五つの大陸の地下にそれぞれ存在する都市の一つであり、裏世界でもある。

表世界の人間は、この地下都市が存在することすら知らないが、仮に知ったとしても、表世界と裏世界を繋ぐ入口は、各地下都市に一つしかないので、容易に捜し出す真似はできない。

しかし、裏世界の人間が表世界へと行き来することはできるので、裏世界の人間が仲介すれば、表世界の人間でも裏世界へと行くことができる。

但しその場合、地下ごとの市長の許可が必要不可欠となる。

思案するロデュースの頭の中で、何かが閃いた。

そして、ゆっくりとルードンへと顔を向ける。


「まさか・・・あの霧を抜けてきたのか?」


ロデュースの目は一心にルードンへと注がれる。

暫しの沈黙の後、ルードンは意を決して頷いた。


「はい。はっきりではありませんが魔法使いが感知したようです」


ロデュースの目が大きく見開かれ、手からグラスが滑り落ちた。

大きな音が響き渡った後、当たり一面グラスの破片が飛散し、グラスに残っていた僅かな酒も、ゆっくりと下へ下へと流れていく。

森林都市レンベーナの森の中には、地下都市ダグーと表世界を繋ぐ唯一の入口が存在する。

それは、簡単に人に見つからないように作られてはいるが、万が一を考え、ロデュースはルードンの“労提所”にいた二人の魔法使いを使ってあの霧を創り出させ、霧の中に入った者を永遠に彷徨えるようにした。

ロデュースは椅子に腰掛けると目を閉じた。

天蓋の中はシーンと静まり返り、気まずい空気が流れる。

ルードンの額には汗が浮かんでいる。


「・・・ルードン」


「はい・・・・」


目を閉じたまま、ルードンの名を呼ぶ。

その声はとても落ち着いていた。


「心配するな。お前を責めたりはしない。あの魔法使いは六年前お前の店から俺が購入した時点で、既に俺の物であり、お前には何一つ非はない」

「しかし・・・役に立たない物を売ったとあっては、自分の名にも傷がつきますし、ロデュース様にもご迷惑がかかります。それならば・・・・」


「ルードン!」


有無を言わさぬ声に、言葉に詰まるルードン。

ロデュースは薄っすらと笑みを浮かべている。


「何度も同じことを言わせるな」


「はい・・・申し訳ありません」


項垂(うなだ)れるルードンを見て、更に笑みが濃くなるロデュース。

彼は新しいグラスに酒を注ごうと、背もたれから背を離そうとすると、すかさずルードンがグラスを手に取り酒を注ぎ、ロデュースへと手渡した。

その酒を口に含むと、目の前に広がる闘技場を見た。

ほとんどの観客はこの闘技場を後にしたようだ。


「魔法使いには現状を維持させろ。それで問題はないはずだ・・・それと“死察団”を使ってその侵入者を探させ、発見次第、俺の前に連れて来い」


「その場で殺さず・・・あなたの前にですか?」


通常、裏世界に侵入した者、または侵入しようとした者は、その場で殺害するのが裏世界でのルールとなっている。

それなのにそれをしないということは・・・ルードンの頭の中に疑問が浮かび上がる。

そんなルードンの悩みを見抜いたロデュースは、満面の笑みで言い放った。


「俺の予想通りならば、高位の魔法使いがこの地下都市に侵入したはずだ。この世にはもう存在していないと言われていた、大魔法使いが」






 闘技場の横には、電流の流れるフェンスに囲まれた、地上四階、地下十階の建物がある。

地上四階は、闘技場関係者の職場兼宿直施設、地下十階は賭け試合に出場させる者達を収容しているが、地上と地下では内部の造りがまったく異なる。

地上四階はすべての物が整理整頓され、ゴミ一つ落ちていない清潔な空間であるのに対し、地下十階は掃除という言葉は存在しないと思えるほど、汚れ荒れ果てている。

地下十階は、地上とを結ぶ螺旋階段が中央にあり、そこからアリの巣のよう部屋が、否、牢屋がある。

牢屋内では、狂ったように叫んだりする者、ここから逃げようと必死に壁を叩く者、諦め大人しく過ごしている者等、試合までの間、様々に過ごしている。

地下一階にいる№七十四は、諦め大人しく過ごしている者の一人だ。

壁に寄りかかり手足を伸ばし、何も考える事なく、真っ黒な瞳と黄金色の瞳で目の前の扉を眺めているだけで、№七十四には感情はまったく存在していなかった。

すると、扉の鍵が開く音がした。

扉が開くと、一人の男が牢屋内に入って来た。

その手には木のトレーが握られ、上には小さなパンが一つとスープ、見るからに硬く小さな肉が一切れ乗っているだけの、冷たく質素な食事だ。

男は床にトレーを置いた。

動作は機械的で終始無表情、腰に拳銃を下げている。


「食事だ。今日はロデュース様のお計らいにより、肉も与えられた。感謝しろ」


そう言うと男はさっさと牢屋から出て行き、鍵を閉めた。

靴音が段々小さくなっていく。

扉からトレーへと目を移した№七十四は、食事を摂ろうと手を伸ばした。

その手は骨が浮き上がっている。


「それだけで足りるの?」


 突然、女の声が聞こえた。

ゆっくりと牢屋の中を見渡したが、自分以外誰もいない。

空耳が聞こえたと思い、気にせずトレーに手を伸ばしたら、


「ねえ、それだけの食事で足りるの?」


やはり、女の声が聞こえる。しかし、周りには誰もいない。

すると、今度は違う声が聞こえる。

女性ではなく男性のようだが、力強さを感じる声だ。


「エアリー。お主は今魔法を使っているからこの少年には儂らの姿が見えておらぬ」


「あら?ごめんなさい。すっかり忘れていたわ」


”我を(おお)いし大地の加護、大地の神ガイアの元へと還れ”


女の言葉と同時に、№七十四の前に一人の女と一匹の小動物が現れた。

女はここに十人の人間がいれば間違いなく十人が必ず心奪われる美女であるのに、少年はまったく驚きもせず、淡々とした気持ちで一人と一匹を見た。


「初めまして。私の名前はエアリー=ミューズ。こっちは友達のイクプロウよ」


エアリーはスカートの裾を軽く両手で持ち上げると会釈し、エアリーの左肩にのっている小動物イクプロウも軽く頭を下げた。

見た目はライオンのように見えるが、瞳は円らで、長い尻尾の先に黄色のリボンを付けている。


「・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・」


ギュ~ギュルルルルル~~~!!


無言で見つめ合う二人と一匹だったが№七十四の腹が盛大に響き渡り、何事もなかったかのように№七十四がトレーへと手を伸ばし、黙々と食事をし始めた。

苦笑するエアリーは服が汚れるのも気にせず床に座り込み、食事をするやせ細った№七十四を見つめた。


「一般的な反応だと、「何で?どこから現れたんだ?!」って、驚いてくれてもいいと思うのだけれど・・・・・・やっぱりそれだけじゃ食事足りないわよね」


「無理もない」


イクプロウも床に足を降ろし、エアリーと同じ動作をする。

すると、少年が自分を凝視している事に気づく。

食事はあっという間に完食してしまっていた。


「どうした?パンが美味ではなかったか?」


「・・・イクプロウ。こんな所で食べる食事が美味しいわけないわ。もっと明るく綺麗な所で食べたいわよね?」


「・・・・・・」


口を開きかけたイクプロウだったが、指摘したら三倍返しで捲し立てられ、暫く口をきいてくれないことが予想されたので考え直し止めた。

代わりに№七十四が口を開いた。


「・・・・しゃべった」


「しゃべった?・・・・ああ、イクプロウのことね・・・あなたも話すことができるのね」


軽く頷く№七十四。

自分達が姿を現してからも話さないのを見て、失語症なのかと思っていたが、話すことができるのだと分かって少し安堵したエアリーだった。

№七十四の表情を正確に読み取ることはできないが、不思議そうな表情をしてイクプロウを見ているように見える。


「でも、私の魔法より、イクプロウの発話に反応するなんてくやしいわ」


ふて腐れるエアリーを(なだ)めるイクプロウ。


「儂は競った覚えはないのだから、気にするな」


「・・・・・分かっているわ」


二人のやり取りを黙って見ていた少年が、再び口を開いた。


「まのうなら・・・みらこと・・・あれ」


普段話すことが極端に少ないのか、上手く話すことができないようだが、恐らく「魔法なら見たことある」と言っているのだと推測できる。

その言葉に反応するエアリーとイクプロウ。

瞬時に№七十四と額が当たる距離まで詰め寄るエアリー。

一切の気の緩みも許さない真剣な表情だ。

しかし、一般的な生活を送っている者達ならいざ知らず、その顔に№七十四が圧倒されることはない。


「どこで?どこで魔法を見たの?」


「どろか・・・・は、しらない。ろでゅーすの、まのうつかえが、いつどみせれくれら」


ゆっくりと顔を放し、顎に指先を軽くのせたポーズで思案するエアリー。


「やっぱりここに魔法使いはいるようね・・・情報通りだわ」


「しかし、場所が特定できないとなると、探すのには一苦労しそうだな。この建物もセキュリティが厳しいから、魔法使いがいるかもしれないと侵入してはみたが・・・」


「ここじゃないようね。今や魔法使いは絶滅危惧種扱いですもの。大事に大事にどこかに隠しているんだわ」


エアリーとイクプロウの話している内容が理解できない、否、理解しようともしない№七十四は、そのまま眠りに就こうと目を閉じようとしたら、エアリーがこちらに顔を向けた。


「ごめんなさいね、勝手にあなたのお部屋・・・ではないけれど、お邪魔してしまって。お詫びにここの扉は開けておくから」


自身の長い銀髪に右手を潜りこませ、ヘアピンを取り出すと、それを鍵穴に差し込みガチャガチャと音を立てて作業する。

数秒後、カチッと音が鳴り、重い扉が開いた。

それを黙って見ていたイクプロウが一言。


「こういう時、魔法を使用した方が格好が良いと思うが・・・」


「魔法は無闇に使わないの!それに人間は楽をしてはいけないものなのよ」


「しかし、扉を開けただけではここからは出られないぞ。階段を上がったら地下と地上を繋ぐ扉は閉じているし、例えそれを抜けることができたとしても、何十人もの人間が地上を警備している。それらをすべて欺くのは容易ではないだろう」


「イクプロウって心配性ね」


「お主が捕まるのは見たくないからな」


エアリーから目を逸らし、長い尻尾を左右に振りながら、顔を真っ赤にして話すイクプロウ。


(こんな仕草を動物がすると、通常三割増しで可愛くなるはずなのに、声と外見があまりにも違い過ぎるイクプロウの場合は、口を開いた時点で可愛さが十割減してしまうわね)


と、冷静に思いつつ、気を取り直して満面の笑みで答えるエアリー。


「だからこういう時に、魔法があるんでしょう?」


「・・・先程、無闇に」


「さあ、始めるわよ!」


イクプロウの言葉を完全無視し、目を閉じ呪文を唱え始めた。エアリーの周囲が金色に光り輝き出す。


”眠りの神ヒュプノスよ。汝と我の前に存在せし者以外、全て眠りへと誘え”


金色の光が粒子へと変わり、壁や床を抜けて建物全体に行き渡ると、エアリーとイクプロウ、そして№七十四以外のすべての者が夢の世界へと誘われていった。


「さてと、次は地上と地下を繋ぐ扉ね。これは魔法でなくても大丈夫!」


腰に手を当て、ヘアピンをイクプロウと№七十四に向かってチラつかせ笑みを向けた。

笑みを受けたイクプロウは大きく溜息をついた。


「そうだな。魔法が無効になる前に行くか」


「さぁ、あなたも行きましょう」


自分の魔法に自信を持っているエアリーにとって、今のイクプロウの言葉は聞き捨てならないが、過信もしてはならないことを知っているので、反論することなく№七十四に笑みを向け、手を差し出した。

しかし、彼はまったく動かない。唯、目の前に差し出された手を凝視している。

エアリーとイクプロウは顔を見合わせ、№七十四に近づく。

近づくと分かるが酷い異臭がする。しかし・・・我慢だ。


「まだ時間はあるが、急がねば本当に魔法の効力がなくなるぞ。それとも動けないのか?ならば・・・」


「いからい」


「何だと?」


「・・・・行かないって・・・言ってるのよ」


イクプロウは振り向き、エアリーを見つめた。驚きも、憐れみも、笑みもそこにはなかった。

№七十四に向き直り問う。


「何故だ?こんな所にずっといるつもりか?こんな所に居ても・・・」


「・・・ここからでれ・・・どごへいくろ・・・・・・でれても・・・いぐどころ・・・ない」


「・・・・・・」


№七十四の顔をジッと見つめるが、その顔は無表情で変わらない。

イクプロウは№七十四がいるこの場所をゆっくりと見渡した。このような場所は何度も目にしたことがある。こんな、人が生きる場所ではない所を・・・。

エアリーはそんな場所に踏み入れると決まって捕まっていた者達の牢屋を解放する。

すると彼らは大喜びで逃げ出していったのを思い出すが、この№七十四と呼ばれる少年は彼らとは異なるようだと、イクプロウは少し興味を持った。

そして横目でエアリーを見つめると、いつものように微笑みが戻っていた。


「・・・分かりました。行きましょう、イクプロウ」


「何?」


「この扉、眠りの魔法が消えたら閉まるように別の魔法をかけましたから、逃げるなら今のうちですよ。それでは、情報ありがとうございました」


来た時と同じように会釈すると少年に満面の笑みを向け、エアリーはさっさとその場から去っていった。

慌てて後を追うイクプロウ。


「お、おい!エアリー!儂は足が短いのだから待ってくれ!!」


一人と一匹の靴音が遠のいていく。

エアリーの魔法でいつもより静寂に包まれた地下の空間では音が響き渡る。

エアリーに追いついたイクプロウは、定位置であるエアリーの左肩に乗っていた。

一人と一匹の(一匹は歩いていないが)進む道にいる人間は、みんな死んだように眠っている。


「あの少年、あそこから・・・」


「分かっているでしょう?あの子、逃げないわ」


「しかし、エアリー・・・」


急にエアリーは歩みを止めた。

顔は真っ直ぐ進行方向に向けられている。


「イクプロウ。あの子をここから連れ出すのはとっても簡単よ。でも、あの子を連れ出した後は私には責任が持てないわ・・・・・・他人の命なんて」


「エアリー・・・・」


イクプロウに微笑みを向けるエアリー。

彼女は再び歩みを進めた。

数時間後、魔法の効力が消え去り、目を覚ました警備員達が建物内を徹底的に見回った。

その時の巡回報告書には、『異状なし』との記載がなされていた。

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