エアリーの想い
空に夕月が見える頃、城塞都市ルーガスを流れる唯一の川、ゲド川の川沿いには多くの食べ物の屋台が並んでいる。
その匂いに誘われて、お腹を空かせた都市の人々が屋台の前でいくつもの列を作っている。
屋台で買った物を家に持って帰る者もいれば、屋台の裏側にある緩やかな坂の川辺で食べている者もいる。
そんな人々を眼下に見ながら、大樹の木の枝に座っているイクプロウと少女エアリー。
イクプロウは機嫌良く少女エアリーが持って来たお土産を口の中にパクパクと放り込んでいた。
「うまい!これは鹿屋の羊羹だな!!」
「当たり。前にここの羊羹食べた時、イクプロウがとっても気に入ってたから買っておいたの」
「ん~。この程良い甘さがたまらぬ」
舌鼓を打つイクプロウを少女エアリーは穏やかな瞳で見つめている。
その視線に気づいたイクプロウは、逡巡した後、羊羹を食べるのを止めた。
「どうしたの?・・・味、おかしくなってた?」
イクプロウの異変に気づき声をかける少女エアリー。
「否、羊羹は全く問題ない。唯、お主は食べることができぬというのに、調子にのって食べ過ぎてしまった」
イクプロウの言葉に少し驚いた表情を見せた少女エアリーだが、一瞬にして屈託のない明るい笑顔になった。
「前にも言ったでしょう?あなたが気にする必要はないわ。それに私がそんなふうに気を使われるの嫌いなの、知っているでしょう?」
「・・・・・そうであったな」
大樹の根本では屋台で買った物を持ち寄り、都市市民が酒宴を開いている。賑やかな声が響き渡り、自分達の頭上にイクプロウと少女エアリーがいるなど、誰一人気づいていない。
少女エアリーは両足をブラブラさせながら視線を眼下へと向けた。
イクプロウはそれを横目で見ながら、ふと頭の中に浮かんだ疑問を口にした。
「エアリー。お主いつまで子供の姿でいるつもりなのだ?ラフはいないのだから元の姿に戻っても良いのではないか?」
イクプロウの問いをきっぱりと否定する少女エアリー。
「ダメよ。いつあの子がこの場に現れるか分からないし、今はまだ私がこの都市にいるって知られたくないの・・・・。それにイクプロウ。あなたの目は真実を映すこともできる目なのだから、望めば私の本当の姿なんて見えるでしょう?だから元に戻る必要なんてないわ」
「それはそうだが・・・」
顔をイクプロウとは反対の方向に向け、頬を膨らませる少女エアリー。
(理由をつけてはいるが本当の姿に戻るのが面倒くさく、嫌なのだろうな・・・・)
イクプロウは苦笑し、すっかり暗くなった夜空に目を向ける。
空には星の光が瞬いているが、この都市の光に比べるとそれは微かな光であった。
少女エアリーもイクプロウと同じ方向に視線を向け直し、ポツリと呟いた。
「九年前。あなたに相談せずにラフに預けたこと、怒っている?」
「・・・・・」
長いようで短い沈黙の後、イクプロウは大きな溜息をついた。
そして、少女エアリーの膝の上に飛び乗り、真正面から返答した。その両目に迸るような強い意志を込めて。
「確かにあの時は怒った。否、まだ怒っておる。あやつに儂を預けてさっさとあの場から去っていったお主に」
「・・・・・」
「あれからあやつは必死で自分のなすべきことを考え、やり遂げ、お主を探す旅に出た。そしてその九年間、儂はあやつを教育し直した。まだ未熟な部分もあるが、この広大な世界で儂だけでお主を探し出すことはできぬ。だから、この九年間を使ってあやつを人から人間へと成長させていったのだ。お主と・・・・友達であるお主ともう一度旅をする為に!」
九年間分の想いを少女エアリーに向かって吐き出したイクプロウ。
暫くその余韻に浸っていたが、普段は冷静な自分が少し(?)熱く語ってしまったのに恥ずかしくなり、そっぽを向いてしまった。
膝の上に存在する友達の温かさと重みを感じながら、少女エアリーはその肢体を優しく何度も撫で続けた。
その口元には緩やかな弧を描いている。
なぜなら、イクプロウが本気で怒っているわけではないことを、少女エアリーは分かっているのだ。
「ありがとう、イクプロウ。私の代わりにあの子を人間にしてくれて。やっぱり私よりあなたの方が適任だった・・・・・あなたに預けて正解だったわ」
「・・・・まだまだ生意気な所はあるがな」
賛辞の言葉に頬を染めるイクプロウ。
「それでいいの。初めて会った時のあの子は人でしかなかった。・・・だけど私ではあの子を人間にしていくことはできなかった。だって・・・」
「お主は自己中心的な人間だから、か」
自分の言葉を紡いでくれたイクプロウを見つめて微笑する。
「そう。私はあの子よりも自分が大切。だからあの時も、あの子より私自身の願いの為に一人で旅を続けたの。あの子が一緒だと旅の邪魔になると分かっていたから・・・だからすべてあなたに押しつけたの」
悪びれることなく本心をしっかりとした声で話す少女エアリーの言葉に、イクプロウは悲しむわけでも落胆するわけでもなく、平然と受け止めていた。
ラフと旅する前、エアリーと長い間旅をしていたイクプロウには完全ではないにしろ、彼女の性格や思考はある程度理解していた。
どんな時でも彼女は自分を第一に考え、幾度となく自分は彼女の言動に振り回されてきた。
しかし、彼女は認めないだろうが、少なからず自分よりも他人を気にかけ、考えている時もあったように思う。
でなければ、自分は今ここにいないし、ラフと出会った時も、最初は興味本意で近づいたにしろ、後で簡単に切り捨てることもできたはずなのに、彼女はそうしなかった。
それに彼女よりも、どちらかというとラフの方が自己中心的ではないかと、ラフとの旅でイクプロウは思うようになっていた。
「エアリー。儂はお主がいかなる思考、言動をしようと気にはせぬ。お主は儂を自由にしてくれた。まだ途中ではあるが、世界も見せてくれた。お主を信頼することはあっても、失望することはない。もし、お主とラフがそこに流れている川に溺れたなら、間違いなく儂はお主を助けに行く。それが儂にとっての絶対だ」
その例えはラフがちょっと可哀想じゃないの、とも思ったが、確かにイクプロウの行動基準は【エアリー>イクプロウ>その他>ラフ】だったなと思い苦笑してしまう。
イクプロウは皆に対等ではなくてはいけないのに・・・・。
「何だ?何かおかしかったか?」
「い~え。とても嬉しいわイクプロウ。あなたは最高の友達ね!」
満面の笑みをイクプロウに向け、両手で持ち上げると額に軽くキスをした。
途端、イクプロウの顔は真っ赤に染まりコテンと横に倒れてしまった。
「・・・さてと」
イクプロウを膝から木の枝に優しく降ろすと、少女エアリーは枝の上に立ち、西の方角へと目を細めた。
イクプロウは少女エアリーを見つめた後、同じく西の方角を見る。そこには必死に走っている愚か者、ラフのの姿を捉えることができた。
少女エアリーは視線を動かすことなく、イクプロウに聞こえない声で小さく呟いた。
「大きくなったね・・・ラフ」
「?何か言ったか?」
「何も言っていないわ」
苦笑するエアリーを訝しい目つきで見つめるイクプロウ。
「じゃあ、イクプロウ。私は行くわね。久しぶりにあなたとゆっくり話すことができたし、ラフがこっちに向かって来ているみたいだし」
「・・・・ラフには会ってやらぬのか?」
正直イクプロウにとってはどうでも良い質問なのだが、社交辞令としてラフの為に聞いてあげた
。
その問いに笑顔で返答する。
「当然会わないわ。九年前にあの子に言ったでしょう?あなたを私に返しに来てって。それが果たされていない今は会うつもりはないわ」
「『契約』か・・・」
イクプロウの言葉に眉をひそめると、首根っこを摑まえて持ち上げ、怒りの瞳で見つめる。当のイクプロウは両手足をバタつかせ困惑している。
「イクプロウ。何度も言っているでしょう?『契約』じゃなくて『約束』!友達なんだから言葉を間違えないで!!」
「す、すまぬ・・・」
圧倒され畏縮するイクプロウを認めると、にっこりと微笑み口を開いた。
“時の神クロノスよ。汝と我の前に存在せし者、イクプロウをラフ=コンフューズの元へと導け”
突然、イクプロウの体が金色に輝き出し、徐々にその体が透け始めた。
自身の透けていく体を見ようともせず、唯、目の前で苦笑している少女エアリーに視線を注いだ。
そして大きなため息をついた。
「・・・次に会う時は、あやつがお主との『約束』を果たす時だな」
「・・・・・・」
返答する前にイクプロウは少女エアリーの前から姿を消してしまった。正確にいえば少女エアリーの魔法によってラフの元へと飛ばされてしまったというのが正しい。
少女エアリーは西の方角へと目を向けた。
その視線の先にはラフと、彼の頭上から突如として現れたイクプロウを確認することができた。
「イクプロウ・・・その『約束』が果たされることを私は望んではいないの」
瞬間。大樹周辺で突風が空を舞った。
大樹の枝には誰もいなくなり、都市の人々の賑やかな声だけが、いつまでも続いていた。