2.書初 【前編】
新年開けて二日目といえば書初めだ。
宇宙人と魔王という地球外生命体の二人に日本の文化を体験してもらおうと、半紙と墨と硯と筆を用意した。
慣れない二人が墨を飛ばす可能性は高い。
被害を抑えるべく、新聞紙を床と机の上に引き出したはいいのだが。
「ターナ! 新聞紙、そっち広げてくれる?」
「新聞はこれでいいのか?」
「そちらはまだ新しいものですから、こちらを使った方がいいかもしれませんよ」
「ありがたい。ヤマシィ、それをこちらに渡してくれ」
「あ、これも使えそうですよ」
「両方共くれるか?」
「いいですよ、どうぞ」
「あ、ちょっと! ターナ、踏んでる! 私の本!」
「ああ、すまなかった」
「すいません、フオン。僕も踏んでいたようです。……角は折れてないようですが」
「気を付けてよ、二人ともー!」
でかい男二人と女一人(私のことだ)が動くには、2DKの部屋でも狭かった。
女ひとり暮らしとしては十分な広さ。
これで、家賃はとあるツテを利用できた為に破格の値段と、人が聞いたら絞め殺されてもおかしくないほど恵まれた部屋なのに。
書初を始めるのすら一苦労だった。
* * *
「……こんなものかしら?」
漸く床と机の上を新聞で埋めることに成功する。
新聞紙を引くだけで数十分かかってしまった。お正月は有限なのに、時間がもったいないなぁ、と思う。
これを後で片付けるのも正直面倒くさいのだが、始めてしまったからには仕方ない。
「じゃ、次。墨をすって」
私の指示に、ターナとヤマシィは揃って首をかしげた。
「墨をするとは?」
「どうすればいいんですか?」
渡した墨を二人はしげしげと見つめた。
「……この紙にこすりつければいいんじゃないのか?」
「大分粉っぽくなりそうですけど。いいんでしょうか」
「粉が飛んでもいいように、新聞紙を引いたのではないか?」
知能レベルはかなり高く、学習能力も高い二人だが、地球における知識は大分偏っており揃って変な所でぬけている。
「硯を用意したでしょう」
それを承知で全部を教えない私も私なのだが、二人がどういう発想をするのか少し興味があった。
硯を指し示し、ヒントだけ与えてみた。
「硯、とはこの窪みのある石のようなものか」
「この中にこすり付ければいいんでしょうか。でも、そうするとこの紙はどう使えば……」
「この窪みに粉を溜めて、筆で紙にこすり付ければいいんじゃないのか? 書初には筆も使うようだから」
「なるほど。しかし、この筆に粉が絡みますかね」
「……水でもいれればいいのか?」
どうなんだ? とほぼ完璧に近い答えをあげたターナ達に、
「だいたい合ってるわ」と私は頭を縦に振った。
うーん、これくらいなら聞かなくても想像できるか。
教えてくださいの言葉を密かに期待していた私としては残念である。
「水と一緒にその硯ですればいいのよ」
「出来上がった黒い水で、この紙に何かかけばいいのだな?何か書く行事なのだろう?」
「何を書きましょうか」
「新年の抱負とかなんだけど……そういえば、二人は文字は書けるの?」
日本の文字は読めるようだが、書けるかどうかは聞いていなかった。
「僕の星の文字なら、書けますけど。共通語以外でも、30ヶ国語くらいなら」
「わたしも、魔界の文字なら書けるのだが……そういえば、あれを人間が見ても大丈夫なのか?」
「……え、何。ヤバそうなことは御免よ!」
「……大丈夫だ、と言いたいが正直自信がないな。……魔界で使われる文字は、呪力を孕んだものだから」
「ジュリョクって何?」
「……お前たちの世界の娯楽書でも、魔法という概念は出てきたかと思うが、それと似たようなものだ」
「端的に言うと?」
ターナは一瞬目を伏せ、すぐに顔を上げるとにやりと笑った。
「何か、起こる」
「何かって」
「さて、なぁ。この世界にきてから、呪符はそういえば書いたことがなかったから、魔界と同じ効果が現れるのかどうか、威力はどの程度なのかわからん」
「試してみます? 『現在のポイント』を僕の持っている機械に保存しておけば、失敗しても少なくともその地点まで復元することはできますから」
何、そのWINDOWSのシステムの復元みたいな機能は・・・。
呆けて口をあける私の目の前で二人はどんどん話を進めようとした。
「ふむ、やってみるか」
乗る姿勢を見せた魔王ターナを見て、私は二人を止めた。
「やめてちょうだい!」
何が起こるかわからないのに、そんなことさせられるか。答えは否だ。
「やるなら外にして! 万一、その復元とやらも失敗したらどうするのー!」
「それもそうか。……それとも、その復元とやらは100%成功するものなのか?」
「98%って所ですね。ほとんど成功しますが、不測の事態も無いとは言い切れませんし……そもそも、魔王の呪力というものを体験した事が無いので。未知の要素が入ることになりますから」
「――やっぱり止めてくれるかしら?」
「そうだな、止めておこう。そうするとわたしは何を書けばいいのか迷うな」
私とて、何を書かせれば安全なのか迷う。
まさか、こんな罠があるとは思わなかった。
「僕も迷います。何語で書けばいいのか……そもそも、フオンに読めない物を書いてもつまらないでしょうしね」
それもそうだった。
ヤマシィの書く宇宙人の言葉。
間違いなく私には読めそうにない。
「……絵でも書くか?」
「それはいいですね。絵ならフオンもわかるでしょう?」
「……そうして」
なんとかまとまったようで、私はほっとしたようにため息をついた。
安堵の吐息は、すぐ様、怒声に取って代わるのだが。