§1.6 親友の警鐘
図書館を出る頃には、すっかり日が暮れていた。結衣は借りた本を抱えながら、なんだか楽しい気持ちで帰路についた。
帰宅した結衣は、ベッドに倒れ込むように横になった。今日の出来事を思い返す。恥ずかしかったけれど、樹くんは優しかった。
(借りた本も的確だし、これならレポートも進みそう)
嬉しくなり、親友にLINEを送る。
「今日、樹くんにレポート手伝ってもらった! すごく助かった〜」
「研究の協力もしたんだけど、ちょっと恥ずかしかった……」
すぐに既読がつき、電話がかかってきた。
「もしもし、洋子?」
「結衣! 樹くんって、あんたがよく話してる理工学部の先輩? で、研究協力って何?」
電話の主は『田貫洋子』
結衣の高校時代からの親友で、男まさりのサバサバした性格とモデル級のスタイルと美貌を持ち、男性からは『近寄りがたい存在』と称される。少し抜けているところがある結衣を常に心配していて、保護者のような目で見ているため、何かと世話を焼いてくる存在。
医療AIの開発で患者の反応データが必要だということを、結衣は簡単に説明した。
「ちょっと待って。それって要するに、エロい言葉を男の前で言わされたってこと?」
洋子の言い方に少しムッとして結衣は反論した。
「そういう言い方しないでよ! ちゃんとした医学研究だよ」
「いや、でも二人きりでしょ? 大丈夫なの?」
結衣は声が少し強くなったことに自分でも驚きながら言った。
「洋子、樹くんはそんな変な人じゃないよ。失礼なこと言わないで」
声を荒げてしまったことに気づき、少しトーンを落とした。
「……ごめん、言い過ぎた。でも、樹くんは本当に紳士的だったし、嫌になったらすぐやめていいって言ってくれたの」
電話の向こうで、洋子が息をのむ。
(普段おとなしい結衣がここまで強く出るなんて――この子、もしかして、樹って人のこと……)
「……そう。結衣がそこまで言うなら良い人なんだろうけど」
「うん。本当に大丈夫だから」
「分かった。でも男の人って研究とか仕事になると夢中になっちゃうこともあるから、そういう時は遠慮しないで断るんだよ」
洋子は意味深にため息をついた。
「……うん、ありがとう」
電話を切った後、洋子の最後の言葉が少し引っかかる。
(樹くんがそんな風になるとは思えないけど……)
一方、洋子も部屋で電話の内容を思い返している。
(結衣があそこまでムキになって擁護するなんて……理工学部の樹くん、か……)
洋子は複雑な表情で、スマホの画面を見つめた。
窓の外で、ポツリと雨粒がガラスを打った。
次第に、梅雨特有のしとしとと降る雨音が部屋に響き始める。
梅雨の夜の雨は、まるで洋子の心配を映すように、静かに、でも確実に降り続けていた。
次回「第2章 踏み越えたライン/§2.1 二度目の研究室」
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