§1.5 繋がる糸
二人は研究室を出て、図書館へ向かった。外に出ると、西の空に雲が広がり始めていた。
「あ、雲が出てきた。夜には降るよ」
樹が空を見上げて呟いた。
「傘持ってきてないや」
「大丈夫、9時過ぎまでは持つよ」
「よかった、早く本を探して遅くならないうちに帰ろ」
夕方の図書館は学生でそれなりに混んでいたが、医学書のコーナーは比較的空いている。
「筋肉の起始停止の本だよね」
「うん。解剖学の棚は見たんだけど、良い本が見つからなくて」
一瞬考えるような素振りを見せて樹は、
「それなら、基礎医学の491番台の、解剖学のところに良い本があるはずだよ」
「491番台?」
「日本十進分類法っていう図書館の分類システム。医学は490番台で、基礎医学が491、その中で解剖学が491.1、筋肉系は491.16あたりに配置されるんだ」
「へー、そういう仕組みなんだ」
(すごい……樹くんは本当に何でも知っている)
ユイは感心する。
二人は書架の間を歩いていく。樹は迷うことなく目的の棚へ直行した。
「これなんかどう? 『筋の起始停止アトラス』。図解が多くて分かりやすいよ」
「わー、これいい!」
「これも参考になるよ。『臨床のための筋解剖学』」
「ありがとう、本当に助かる」
嬉しそうに本を抱えながら樹に何度も感謝を伝えた。
「今日は本当にありがとう。レポート、頑張れそう」
「それは良かった。じゃあ、また今度」
「あ、でも連絡先知らないよね。LINE交換しない?」
ユイがスマホを取り出した。
「そうだね、した方が便利か」
二人はQRコードでLINEを交換した。樹の画面に「桜庭 結衣」という名前が表示される。
「桜庭……さん?」
樹は驚いたように呟いた。
「名前だったんだ……」
「え?」
「桜庭結衣さんだったんだ。ずっと『ユイ』が苗字だと思ってて――」
樹は「由井」や「由比」だとなんとなく思っていた事を、少し照れくさそうに話した。
「じゃあ、改めてよろしく、『桜庭さん』」
一瞬きょとんとした結衣だが、すぐに意味を理解して笑い出す。
『ちょっとやめてよ。今まで通りでいいよ』
その言葉に、樹はハッとした。そして思い出す。
「あ……、それって……」
一年程前、何気ない会話の中で結衣が樹の年齢を知って『樹さん』と呼んだ時、樹が全く同じことを言ったのだ。
「真似された」
「真似しちゃった」
二人は顔を見合わせて笑った。
「じゃあ、改めてよろしくね、結衣さん」
「うん、よろしく、樹くん」
スマホに「ITSUKI」という名前が表示された。見つめていた画面にすぐにメッセージが届く。変なクマが踊っているスタンプだった。
「なにこれ!」
結衣は思わず吹き出した。
「あ、ちゃんと届いた? 最近このスタンプにハマってて」
少し恥ずかしそうに樹はスマホを見せる。画面には同じクマのスタンプセットが表示されていた。
「かわいいけど、シュールだね」
「でしょ?」
結衣も負けじと、うさぎが転がるスタンプを送り返した。
「じゃあ、また連絡するね」
「うん、レポートのことでも何でも聞いて」
次回「§1.6 親友の警鐘」
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