§1.2 交換条件
「患者さんへの説明ね……。実は、僕もそれに関連した研究をしてるんだ」
「え、どんな?」
「医学部の授業で使ってるAI学習アシスタント、知ってる?」
「あ! あの青い画面のやつ? 使ってる使ってる」
「実は、それの開発に関わってて。今、患者さん向けの問診システムにも応用しようとしてるんだ」
(学生なのに、そんなプロジェクトに参加しているなんて)
「へー、すごいね!」
素直に感心するユイ。
「それで、実は……僕からも、ユイさんに相談があって」
「私に?」
「うん。そのシステムで一番難しいのが、患者さんが『言いにくい』と感じる部分の判定なんだ。特に泌尿器科とか婦人科の問診で」
樹は画面を見せながら説明した。
「医学用語を使えば正確だけど、患者さんは余計に話しにくくなる。かといって、曖昧な表現だと診断に必要な情報が得られない」
「確かに……デリケートな話題だもんね」
「そこで、医学知識がある人が、どんな風に説明するか、どこで恥ずかしさを感じるかのデータが必要なんだ」
ユイは少し考え込んだ。
「でも、なんで私なの? 他にも医学部の人はいるでしょ?」
「うん……」
樹は少し視線を落とし、言葉を選びながら打ち明けた。
「実は、前からユイさんがこの研究に最適だと思ってたんだ。会話の中でも物事を的確に捉えていて、説明するの上手いなって感じてたから。でも、内容が内容だけに、どう切り出していいか分からなくて……ずっと言い出せずにいた」
彼は申し訳なさそうに顔を上げた。
「そんな時に、君からレポートの相談を受けたから……正直、これを口実に頼んでしまうのはフェアじゃないって分かってる。交換条件みたいに聞こえたら、本当にごめん」
「……」
「それでね、時期としても解剖実習が始まる前の今が重要なんだ。実習後は医学用語に慣れすぎて、一般の人の感覚が分からなくなるから、今しかないかなって……」
「なるほど……確かにそうかも」
「それに、ユイさんは真面目だから、恥ずかしくても正確に答えようとしてくれそうで。その反応パターンがAIの学習に最適なんだ」
少し顔を赤らめるユイ。
「つまり……私に恥ずかしい医学的な質問に答えてもらいたいってこと?」
「そういうことになるかな……。何度も言うけどごめん、変なお願いで」
再度、樹は再び申し訳なさそうに頭を掻いた。
「具体的には、どんなことを聞かれるの?」
警戒しつつも、ユイの瞳には好奇の色が浮かんでいた。
「例えば、性的な症状について患者さんがどう表現するか、医学生がどう聞き返すか、そのやり取りのパターンを分析したくて」
「性的な……」
ユイの顔がさらに赤くなった。
「もちろん、無理にとは言わない。でも、ユイさんのレポートは僕が全力で手伝うから。参考文献も教えるし、まとめ方のコツも」
樹の提案に、ユイは迷っている。
(確かにレポートで困っているし、樹くんは信頼できる人だと思う。でも……)
「うーん……どの程度の内容なの?」
「最初は基本的な医学用語の確認から。例えば、男女の興奮状態について医学的にどう説明するか、とか」
「それくらいなら……」
ユイは少し安心したような、でもまだ不安そうな表情を見せる。
「本当に嫌になったら、すぐやめていい?」
「もちろん。ユイさんが不快に感じたら、その時点ですぐ中止する」
「じゃあ……協力する。レポートも手伝ってもらえるし」
「ありがとう! 本当に助かる」
樹は嬉しそうに立ち上がり、デスクから機器をいくつか持ってきた。
次回「§1.3 最初の対話」
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