§3.2 最後の応答
「でも患者さんは特に言いにくくて、適切な治療が遅れることもある。医学的にはどう説明する?」
結衣は息をのんだ。
(まさか、そこまで踏み込んだ質問が来るとは……)
「ひと、一人で……ですか?」
「そう。医学的には自慰行為とかマスターベーションとか呼ばれるけど、結衣さんはどんな言葉で説明する?」
覚悟を決めて震える声で答える。
「医学的には……自慰行為、または……マスターベーションと呼ばれます」
「一般的な呼び方は?」
その問いに、結衣の頬がカッと熱くなった。
「オ……オナニーとも……言います」
その単語を口にした瞬間、恥ずかしさで本当に消えてしまいたくなる。
「女性の場合、具体的にはどんな風に? 一般の人に分かるように」
「女性の場合は……クリトリス……じゃなくて、一番敏感な豆みたいな部分を……指で触ったり、こすったりして……」
声がどんどん小さくなっていく。
「それで気持ちよくなって……あと、胸の先っぽ……乳首も、自分でつまんだり、転がしたりすると……感じる人もいます」
「膣への刺激は?」
「指を……中に入れたり……最近は、その……大人のおもちゃ? バイブレーターとか……使う人も……」
結衣はもう限界だった。でも、(今日で最後だ)そう思うと、なんとか続けられた。
「男性と違って……女性は連続で……何回もイケる……じゃなくて、頂点に達することができます」
樹は優しく頷いた。
「ありがとう、結衣さん。本当によく頑張った」
樹はそっとタブレットを置いた。
「これで、必要なデータは全部集まった。本当に、本当にありがとう」
まだ顔を赤らめたまま、結衣はスマートウォッチを外した。まだ手が少し震えている。
「終わった……んですね」
「うん。結衣さんのおかげで、素晴らしいデータが取れた。これで多くの患者さんを救えるシステムが作れる」
二人の間に、静かな時間が流れた。結衣は深呼吸をして、ようやく顔を上げた。
「私、頑張りましたよね?」
「うん、本当に頑張った。こんなに恥ずかしいことを……僕のお願いのために」
樹は立ち上がって、封筒を取り出した。
「今日の分の謝礼」
震える手を伸ばし封筒を受け取ろうとした結衣の指先が樹の手に軽く触れた。一瞬、時間が止まったような気がした。
「あ……ありがとう」
結衣は顔を赤らめながら封筒を受け取った。樹も何か言いたそうにしていたが、結局何も言わずに手を下ろした。
妙な沈黙が流れる。
「それで……」
少し緊張した様子で樹は話し始めた。
「前に話した食事の件、どうかな? 本当にお詫びと感謝を込めて。今週の金曜日の夜とか」
結衣は少し迷ってから、小さく微笑んだ。
「……いいですよ。付き合います」
「本当に?」
「うん。でも、高いところは苦手だから」
二人は顔を見合わせて、少し照れくさそうに笑った。
「じゃあ、気楽な居酒屋とかでいい?」
「うん、その方がいい」
樹は嬉しそうに頷いた。
「金曜日の18時に、駅前で待ち合わせでどう?」
「分かった」
結衣は立ち上がり、荷物をまとめた。研究室を出る前に、振り返った。
「樹くん」
「ん?」
「今日は、ちゃんと私のペースに合わせてくれて……ありがとう」
「当たり前だよ。前回は本当にごめん」
「もういいよ。じゃあ、金曜日に」
「うん、楽しみにしてる」
ドアが閉まった後、樹は一人でガッツポーズをした。
(やった! 研究も完了したし、結衣さんとご飯も食べられる)
一方、エレベーターの中で結衣は頬を押さえていた。
(私、デートの約束しちゃった……! 初めてのデート。しかも相手は樹くん。どんな服を着ていこう。洋子に相談しなきゃ。)
次回「§3.3 変身」
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