千子・無銘・村重
それから数年。
私は相変わらず刀を打っていた。
刀を打つだけの機械と化していた。
そんな私に大名が褒美を出すという話を持ってきた。
何をそんなに上機嫌なのか私にはわからなかったが、その時ふとこの大名を困らせてやろうという悪戯心が湧いた。
「何でも。というのであれば・・・。
それでは、大名様の一人娘を嫁に頂きとうございます」
最悪、私が打った刀で持って大名に打ち首にされるかもしれないがそれも良いかと思った。
しかし、私の想像とは裏腹に大名は二つ返事でそれを承諾したのだ。
二日後。
私の元には本当に大名の娘がやってきて、更にはそこから一週間もせずに婚約の式まで執り行われた。
慣れない嵐のような日々だったがそれが過ぎ去るとそこには私と娘だけが取り残された。
「刀鍛冶と聞いていたのに、顔は悪くないわね」
娘の名はつばねと言った。
つばねは一言で言うなら自由奔放だった。
父である大名に不自由なく育たられたということもあるのだろうが、
彼女自身の性質がそうさせたのだろう。
それは今にして思えば時代錯誤なほど大きな翼だった。
あの時大名が二つ返事で承諾したのも、貰い手のいない彼女の厄介払いが目的だったのかもしれない。
と数週間過ごしてから私は気が付いたのだった。
しかし、そんなつばねとの生活は思っていたほど悪くはなかった。
彼女はわがままではあったが、横暴という訳ではなく。
そこいらの町娘と違い学があった。きっとそれは彼女の好奇心によるところが大きいのだろう。
だからか、彼女の言うことには偶に関心することがあった。
「私は世界がゆっくりと巡っているのを見るのが好き。
川や、雲や、町の人々もそこにそうあるべき姿でいるのが一番美しいと思うの」
私は初めて、私と同じ様に世界を見る人間に出会ったのだった。
その日は仕事終わりに兄に誘われて飲みに出掛けた。
私が大名の娘と結婚したことの祝いということだった。
普段は断るのだが、今回はあまりにしつこいので私の方が折れた。
「まさかお前が結婚するとは、しかもあのつばね様ときたものだ。全くうまくやりやがって」
酔った兄はそんなことを言い出した。
兄は千子流をまとめるうちに丸くなった。
父が死んだ時のような鬼気迫るような姿はここ数年とんと見なくなっていた。
流派は大きくなったし、地位も手に入れた。金もだろう。
何がどのように作用したのかは分からないが、兄はその他と同じ普通の人になることが出来たのだ。
「何にせよ。お前は少し変わったな」
兄は別れる前にそう言って笑っていた。
兄が言ったことはよく分からないままに日々は続いた。
人間。自分自身の変化には気が付きにくいものでそれが内面のことなら尚更だった。
それは私の瞳をもってしても同じようであった。
そんな折、つばねとの間に子供が出来た。
幼少から刀を打ち、何かが欠落しているのか、それとも何かが余計だったのか。
つばねと出会い少しずつその何かを互いに埋め合わせ、在り来たりで尊いものを遂に私も手に出来る時が来たのかと思った。
私も兄のように普通の人間になれるのかもしれない。
その頃は刀を打ちながら生まれてくる子の事ばかり考えていた様に思う。
とある雪の日。
鍛冶場から帰ると家が燃えていた。
庭の白い雪は炎を反射して赤く色付き、その中でつばねが腹を守る様にして冷たくなっていた。
背後に数人の気配を感じた。
血の一滴に至るまで冷たく冴えた心に、私の才能は初めて人間を殺す為に総動員された。
素手の私に対して3人の浪人が襲いかかって来たが我に返った頃には皆、死んでいた。
浪人が手にしていたのは、私が打ち大名に納めたはずの刀であった。
「お前が悪いのだ、鈍ばかり作るようになってしまってつまらん!
こんなものお前の父親や兄の作る見た目ばかりの刀と同じであろう?
今にして思えば、お前につばねを与えたのが間違っていたのだと思い直してな。あれも失敗作のような娘だったな」
返り血に濡れた私を見て大名はそう言った。
「お前の方こそ気が付いていなかったのか?この頃お前の打つ刀で人を切っても何も感じないのだ。
妻が出来、子供が出来、冴えた刀が打てなくなったのだな。実に惜しいが今のお前に以前の価値はない。」
言い終えると脇に置いていた一本の刀を抜いた。
「この一振りを覚えておるか?これはお前の最高傑作だ。これを遺作ということにしてくれ」
私が生み出したのだろうか。
この狂った人斬りを。
私が踏み外してしまったのだろうか。
繰り返される自問の中で振り下ろされた刀を正座の姿勢のまま体捌きで受け流す。
刃の向きは入れ替わり大名の腹に深く突き刺さった。
復讐というには呆気の無いものだったが、代わりに私は得体の知れない何かに取り憑かれてしまった気がした。
姿を隠して、小さな村を転々としながら生活をしたが、刀を打つことは止められなかった。
そしてあの日以降打った刀は無銘とした。
しかし、製法が限りなく同じ兄の流派の刀と私の刀は比べられ続けた。
無銘村正、村正擬き、偽村正など、世間では好き勝手に呼ばれた。
噂を聞いてやってきた行商人が刀を買いたいと尋ねて来た。
「お噂には聞いていたんですが、やっと見つけることが出来ました。
あぁ申し訳ない、私は螺烈という者で行商をしているのだが、この辺で出回っている刀の製作者を探していたところで」
「世間では何やら偽物の様に扱われていますが、本物はこちらの方でしょう?
少し前から妖刀に凝ってましてね。村重さんの無銘村正は顧客からの評判が良いんですよ」
この男は私の名まで知っている。
これ以上関わるのはまずいと直感が告げていた。
しかし、男が紡いだ次の言葉が私に取り憑く何かを目覚めさせたのだった。
「しかし刀の出来は素晴らしいのですが、もう少し呪いの方も洗練できると思っているんです。
素人が申し訳ないですが、こと呪いについては並の人よりは詳しいんです。
こんな刀を作るくらいですから、貴方はこの世界をぐちゃぐちゃにしたいんではありませんか?」
「私が貴方に呪術を本当の呪いをお教えしましょう」




