悪役令嬢は怯えていた
私は悪役令嬢だ。
自分が乙女ゲーム『バラ色の貴方と』の悪役令嬢であるイザベラに転生したと気付いたのは5歳になるかならないかだった。
悪役令嬢のイザベラは主人公に婚約者の王子を奪われないようにいろんな悪事をして断罪されるポジションだが、そんな彼女は幼い時に母親を病気で亡くし、父親が母親が亡くなってすぐに再婚。義母が弟を生んだことで孤独になっていく設定で、一人になりたくない、愛情に飢えている故に婚約者に執着するヤンデレ気質だった。
前世の記憶が戻ってすぐの頃はそんなイザベラのようになってたまるかと奮起していたけど、それは早々に挫折した。
寂しいのだ。
暖かい暖炉で家族だんらんをしているはずなのに輪っかの外に追いやられている日々が、近くに行って手を伸ばしているのに手が届く前に別の方に行ってしまい、どんどん距離を置かれていく日々が。
話しかけても返事がない生活が。
泣いても誰も来てくれない。
頑張っても褒めてもらえない。
悪さをしても叱ってくれない。
誰も私の傍に来てくれないのだ。
寂しくて、寂しくて、苦しくて、必死になって誰かを求めた。
だから――。
「初めまして、イザベラ嬢。カーディナル・ローズガーデンです」
そっと手を差しだしてくれた少年が微笑んでくれただけで嬉しかった。私を見てくれて声を掛けて、挨拶をしてくれている。
そんな人初めてだった。
「よ、よろしくお願いします……」
緊張して声がどもりながらも必死に挨拶をして、差し出してくれた手を取った。
それからずっと怯えつつ、頑張ってヤンデレにならないように、彼のために何かできないか努力を続けた。
王族である彼には常に重責が伴う。そんな彼を支えられるように、外交に役立つように、いろんな国の言葉を覚えた。
彼が何か計画を進めたいようであったらその計画に必要な資料をまとめ、地理や歴史とか幅広い分野で参考になるものを探した。
それでいて、負担にならないようにそこまでしたのだからと主張しないで、彼の側近候補を通して私が用意したとは伝えないように口止めして渡すようにお願いした。
ゲームのイザベラのように毎日押しかけて会いに行かない。手紙を山ほど出すようなことをしないで必死に会いたいのを我慢して、遠目で見るようなこともしないで家でじっとしていた。
部屋でじっとしていると遠くから楽しそうな父と義母と弟の笑い声が聞こえてきてそれに必死に耳を抑えて湧き上がってくる孤独に耐え続ける。
会いたいな。そんな気持ちが湧き上がってくるけどその感情のまま会いに行ったら迷惑だと涙をこらえて、ベッドの中で丸くなってやり過ごそうとする。
「大丈夫……」
私は大丈夫。王子に縋り付いて王子の足を引っ張って王子の負担にならない。
「王子の幸せのために我慢できるから……」
いつかヒロインがきても笑って祝福できるように――。
そんな風にいつか来る日まで耐えていたが。
「やっと、時間が出来たんだ」
王子は酷い人だ。諦める準備をしているのにわずかに出来た時間を私と会うために、招待状を出してお茶会に招いてくれた。
「中庭でばらに囲まれてお茶を飲むとロマンチックだと母上が言うからイザベラと一緒に体験したかったんだ」
乙女ゲームのEDで王子とヒロインが愛を確かめ合う場所。
ゲームと同じような言葉を王子は悪役令嬢に向かって告げる。
ヒロインに告げる言葉そっくりそのまま告げてくるのに流石に耐えられなくなって、私はぼろぼろぼろと涙を流しだしてしまった。
ひどい。私を捨ててヒロインに愛をささやくくせに私に綺麗な思い出を与えて、私を夢中にさせようとするなんて、私はこれ以上好きにならないように気持ちを抑えてるのに。
「イザベラにはずっとお礼を言いたかったんだ」
「お礼……?」
「うん。君がまとめてくれた資料。後、君が地域住民に説明してくれたから地域住民の説得も早く済んで、予定よりも早く計画が進んだことが多くて、それに関して何回かお礼を言おうとしたのに君の実家に連絡しても娘は忙しいのでと断られるし、会う機会もなくて困っていたんだよ」
私だと伝えないで渡してほしいと用意した資料は側近たちが気を利かせてあんなに言わないでと伝えたのに私だと伝えていたようだ。
そのお礼を言うためだけに貴重なゆっくりできる時間を私なんかのために使わせて申し訳なく思った。そして、あんなに迷惑かけないように気を使ったのに、王子の迷惑になっている自分が嫌になった。
「嫌い………」
泣きながら思わず漏れてしまった。
自分が嫌だ。期待しないように、負担にならないようにしていたつもりなのに結局は王子の負担になり、王子にこんな時間を使わせる自分が嫌いだ。そして、そんな行いをしてくる王子を期待してもしかしたらゲームの展開は起きないんじゃないかなんてありえない夢を抱いてしまう自分が嫌だ。
これはきっと王子を好きにならないように、ヤンデレにならないように自制している私に対する強制力だ。
「なんで、これ以上好きにならないように我慢しているのに!! 期待しないようにしているのにそれを邪魔するのっ!!」
溢れる言葉は止まらない。八つ当たりだ。王子は悪くない。
芽生えて来ようとする“もしも”を抱く自分の弱さが悪いのだ。
「イザベラ。どういうこと? 好きにならないようにって……」
王子の声が聞こえてくるのでもうやけくそとばかりに、すべてを話していた。
前世の記憶のこと。
乙女ゲームのこと。
ヤンデレになって王子を困らせる悪役令嬢になること。
家族の中に入れずに寂しいと。
誰も私を見てくれないと。
王子だけが優しい言葉を掛けてくれたこと。
「だから、王子を好きになっちゃだめだと……」
泣きながら必死に告げていた。
「だって、好きになったら王子に嫌われちゃうと……」
でも、すべて吐き出してしまいずっと押し隠していた心が訴える。
「嫌いになるなんて……好きだって思う心をこれ以上押さえつけられないよぉ」
好きになってごめんなさい。重い感情を向けないように気を付けるからと必死に謝り続ける私を王子はそっと抱きしめる。
「そんなこと言わないでくれ」
優しい声。だから、そんな優しさは……。
「抑えつけなくていい。我慢しなくていい」
涙を拭う手。
「君の声に気付けなくてごめん」
王子はそっと謝ってきた。
王族は常に民の声を聞き、民を助けるための存在だと言われて育った。
だから、国として足りないことを見付け、そのために計画を練ることの重要さを知っていた。そして、その大事な計画を支えてくれたのは婚約者のイザベラだった。
自分はなんて素敵な婚約者を得たのだろう。彼女さえいれば自分はこの国を守っていける。そんな事を思っていた。
彼女にお礼を言いたくても常に忙しいと彼女の家族に言われて会いに行けず、やっとお茶会の名目で会うことが出来たのだが、そこで自分の愚かさに気付いた。
常に支えて助けてくれた。そう思い込んでいて、彼女自身ときちんと向き合っていなかった。忙しいという彼女の家族の言葉を素直に信じてしまった。
彼女は自分が愛情を求めたその行動が僕の負担になるから、という理由で気持ちに蓋していたことを。彼女の家族の言葉を鵜呑みにして、彼女が家族の輪から外れている事実に気付いていなかったこと。
寂しいという弱音すら彼女にとってはヤンデレという自分に迷惑かける重荷になると思って吐いてくれなかった。
(民一人救えないで……一番近くの存在が苦しんでいるのに気づけなかった自分で何が王だ)
王族失格だ。
(乙女ゲームとやらの自分を殴ってやりたい)
一番傍の存在の悲鳴を聞かずに断罪する。それで民を守れる王になれると思い込んでいる愚か者。
「大丈夫。ずっとそばに居るよ」
君が泣かなくなる日まで――。
それから数年後。乙女ゲームが始まって、
「なんで王子がこっちを見ないのよ!!」
乙女ゲームヒロインが一人喚く中見事ヤンデレになった王子は愛する婚約者のために今日も愛をささやくのだった。
いくら転生してそんな人物にならないと誓っても環境でなってもおかしくないと思ったので。