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黒電話の三郎さん

作者: 若松ユウ

 私が九十年ほど前にこの家にやって来たとき、世の中に私の仲間は少なくて、好奇の目で見られていたように思う。

 私の声を風邪引きのそれだという人もあれば、もののけの仕業だと断じる人もいたりして、おもしろさ半分おそれ半分で使われていた。

 さいわい、軍靴の足音が届かない区域にあったこともあり、戦火に見舞われることはなく、また家屋が頑健な地盤の高台に立地することもあって、自然災害の難も逃れてきた。


 さて。そろそろ私の正体を明かしておくとしよう。

 私の正体は黒電話、専門的には3号電話機といい、のちの戦後昭和に量産された600形と違い、身体の大半はベークライトという樹脂で作られている。

 村で唯一の酒屋の電話として、大旦那様の商談交渉から丁稚坊やの注文取り、果てはあきないとはまったく関係ない奥様の世間話まで、あらゆる人と人との通話をつないできた。

 そんな私が自我を持ち、最近になってかりそめにも人の姿を得るようになったのは、文子お嬢様の存在が大きい。


「りーんりーん、もしもし?」

「おやめなさい、文子。お電話で遊ぶんじゃありません」


 手を伸ばせば電話台に届く年頃になると、文子お嬢様は大人の真似をしてよく私のダイヤルを回し、両手で受話器を持って話すふりをしたものだった。


「本当におかしな人だわ、きよ……――あっ、お父様がいらしたから、また明日ね」

「おい、文子。誰と話してたんだ?」

「クラスメイトのきよちゃん。明日は体操の時間があったかしらって」

「そうか。混む前に風呂屋に行っとけよ」


 女学生になると、文子お嬢様はご学友経由で知り合ったボーイフレンドきよし様と秘かな交際を楽しんでいた。

 私には両思いのように感じたが、お二人の縁は結ばれることはなく、文子お嬢様は奥様がお選びになった殿方と夫婦となった。

 もし、潔様とご結婚されていたら、子宝に恵まれないことを責められなかったかもしれない。

 もっとも、お店をたたみ、文子お嬢様お一人となった今では、考える必要のないことかもしれないが。


「三郎さん。わるいんだけど、ミシンの針に糸を通してくださる? きょうはお天気が良くないから、よく見えなくて」

「ちょっと前を失礼。……これでよろしいですか?」

「ありがとう。助かるわ」

「お役に立てたようで、なによりです」


 細かいものが見えづらい、高いところのものが届かない、あまり遠くまで歩いて行けないなど、ちょっとした不便はあるものの、だいたいのことはお一人でなさるので、大きな不自由は発生していない。

 加えて、突然現れたエンビ服の若造を、三郎と名付けて家に置いておく柔軟さと器の大きさを備えた人は、なかなかいるものではないように思う。


「お茶にしましょう、三郎さん。いただきもののバターサンドは、まだあったかしら?」

「水屋の一番上にありますよ。持ってきます」

「助かるわ。お願いするわね」

「お任せください」


 この一風変わった共同生活が、未来永劫いつまで続くとは思っていない。

 それでも、一日でも長くお嬢様のお手伝いしていたいと思うのは、身勝手なエゴだろうか。



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