第9話
「ワン、ツー、スリー! いいわよ、だいぶ様になってきたわ!」
ベオさんの手拍子に合わせて、ステップを踏み、ホールの中をくるくると踊っていく私とウェンロッド。
ウェンロッドがリードしてくれて、不思議と踊れていた。
でもぎゅっと握られた手も、たくましい腕に支えられた腰も、なんだか温かくてくすぐったくて、なんだか……。
「うーん、ターンのところが少しまごつくわねぇ」
「やはり二人の身長差のせいでしょうか?」
「そうかも。歩幅が全然違うものねぇ。リルさま、もう少し身体の力を抜いて、陛下に身を任せてみたらどうかしら?」
小一時間ほどのダンスの練習も、もう三回目だった。
ダンスの講師だという妙齢のご婦人が来たのは最初だけ。
それ以降、知らない人と一緒だと緊張するという私の嘘を覚えていたベオさんの発案で、ベオさんとクレエドさんがダンスの練習に付き合ってくれている。
それなりにモテそうなクレエドさんはともかく、心は乙女のベオさんは、意外なことにとってもダンスが上手だった。
しかも男パートも女パートもできちゃう。
「じゃあもう一回、見本を見せるわね」
「え、またやります……?」
「なによ、アタシと踊るのがそんなに嫌なの? 陛下とリルさまのためよ、頑張りなさい」
「いえいえ、ベオ殿とというより、ご婦人パートなのがどうも……」
クレエドさんは複雑な顔をしつつも、観念した様子でベオさんと片手を繋ぐ。
するとベオさんが慣れた手つきでクレエドさんの腰にたくましい腕を回した。
そう、驚くことにこの二人が男女役をやってダンスの見本を見せてくれる。
しかも基本的にはクレエドさんが私の女パートで。
「仕方ないでしょ、アタシの方が背が高いんだから」
「ほんのちょっとじゃないですか……」
女性にモテそうなクレエドさんが女性パートなのは、なんか申し訳ない……のは半分だけで、実は見ていてとっても楽しいわ。
スマートで優雅に踊るクレエドさんと、マッチョで情熱的なステップのベオさん。
正反対の二人なのに、不思議と息がピッタリ。
「クレエドは伯爵令息だし、女相手に散々踊ってるから女役でも上手いなぁ」
「そういえばクレエドさんは魔法騎士団の団長だったわね」
庶民でもほとんどの人が魔法を使えるグレライン王国だけど、有能な魔術師は貴族出身者がほとんどらしい。
「じゃあベオさんも夜会でよく踊ってるのかしら」
「いや、あいつは……運動神経はいいし踊るのも好きらしいんだが、実は魔法が使えないんだ。だから貴族じゃない」
「えっ、あなたの異母兄弟なんでしょ?」
「ああ、でも魔力は必ずしも遺伝しないから。だから代々、うちは後宮なんてのを構えて子どもをわんさか作ってきたんだ」
「それじゃ……ベオさんみたいな元王子さまは他にもいるの?」
ウェンロッドは私の横に並んで二人のダンスを見ているけど、その表情が暗くなった。
「実は魔力を持ってないと王子として認められないんだ。魔力がなければ母親と一緒にか、もしくは子どもだけこっそり後宮から出される。それで子どもは庶子扱いになって、表向きは王族はみんな強い魔力の持ち主ってことになるわけだ」
「なかったことにされるってこと? そんなのひどいわ……」
あの明るいベオさんにそんな背景があっただなんて、信じられない。
「ベオの場合は母親が俺の母と従姉妹でさ、魔力はなくても勉強はできるし運動神経もいいからって、小さいうちから俺の従者につけたんだ」
「そうなの……だから仲がいいのね」
「えっ、いや、別に良くないけど」
「ふふっ」
即座に否定するところが初日のベオさんと同じで、笑ってしまった。
「おやおや、せっかく私が甘んじてご婦人パートを引き受けているというのに、お二人でおしゃべりに夢中ですか?」
「あっ、ごめんなさい! ちゃんと見てました……最初の方は」
「うふふっ、いいのよ、ラブラブな証拠よね。とりあえず二人でもう少し練習するといいわ。さあ、邪魔者は消えましょ」
それでクレエドさんとベオさんは練習場にしてるホールからさっさと出て行ってしまった。
「じゃあ、忘れないうちにやるか」
「え? ええ、そうね」
けれども……。
私、知らなかったんだけど、ダンスってめちゃくちゃ接近するのよね。
だってウェンロッドが私の腰を支えるのよ!?
母を除けば、人に触れられるのなんてふざけた囚人に手をつかまれるくらい。
間近で見つめ合うことも、手を握り合うことも、すべてが初めてよ!
ウェンロッドが初心者と思えない踊りっぷりで私をリードしてくれるから、なんとか形になってるけど……。
「やっぱりまだ動きが硬いなぁ」
「ごめんなさい、なかなか慣れなくって」
ゆったりとステップを踏み、ホールの中をくるくると回りながら会話を続ける。
こうやって話してた方が緊張しなくて済むから助かるわ。
「別に謝る必要はないって。第一、夜会のダンスなんてみんな適当だから。ベオやクレエド並みに踊れるやつなんてまずいない」
「えっ、そうなの?」
「国王になる前は何度か夜会に出たことがあるんだ。俺はダンスなんて踊らなかったけど」
「ふふっ、その頃から女の人が嫌いだったのね。でもどうして? すごくモテるでしょ?」
「俺が今まで会ってきた女たちはみんな、裏表がありすぎて信用できなかったんだ。俺は子どもの頃からよく兄に会いに後宮に行ってたんだけど、いろんな妃に迫られたからな」
「迫られたって……つまり不貞ってこと!?」
しかも何人もって、それは確かに女性不信になっても無理ないかも……。
「それに従兄妹のロラーナは、小さい頃は仲良く遊んだこともあるが……ずっと兄の後宮に入りたがってたのに、俺が王になった途端に俺のことが好きだとか言ってきて信用できない」
「ええっ、ロラーナはてっきりあなた一筋なのかと……」
「第一、あいつは俺や目上の者にはいい子ぶってるけど、下位貴族の娘を虐めたりいびったり、性格が悪いんだ」
それは分かる……。
初めて会った時も、アンヌに対してひどかったもの。
「でもリル、お前は違う。俺が相手だからって遠慮しないし、本音を言ってくれるし、裏表がないよな。それに俺が半獣の姿になっても怖がったりしないで、あの時は俺を馬まで連れてってくれただろ?」
「そんな、私は愛想よくするのが苦手なだけよ? それに動物の耳を見た時はビックリしたけど、怖がってる場合じゃなかったし」
そして裏表がないっていうのは、違うの……。
だって私は、あなたを殺そうとしてるのよ?
罪悪感で思わず視線が下に落ちる。
するとさっきから少しずつ痛んでいた右足の踵がズキリと疼いた。
「あの、なんかこの靴、痛くって。少し休んでいい?」
「えっ、痛いって、怪我でもしたのか?」
途端にウェンロッドの顔が近づいたかと思うと、そのまま私を横向きに抱き上げた。
わわわっ、これ、俗に言うお姫様抱っこってやつ!?
「ちょ、歩けるってば!」
「誰も見てないんだから気にするなって。俺が運びたいんだよ。それにしてもリルは軽いなぁ、ちゃんと食べてるのか?」
慣れない浮遊感に、思わずウェンロッドにしがみつく。
それもまた恥ずかしくて、顔がものすごく熱い。
「た、食べてるけど、少食な方みたいで……」
ウェンロッドはホールの壁際にある椅子のところまで行って私を座らせると、膝をついて私の靴を脱がせてくれた。
「うわっ、血まみれじゃないか!」
「皮がむけちゃったのね、痛いなぁとは思ってたんだけど」
この靴はベオさんが「そろそろ本番と同じフォーマルな靴で踊ってみましょう」って持ってきてくれたものだった。
サイズはちょうど良かったんだけどなぁ。
「回復魔法を使えるやつを連れてくるから、ちょっと待っててくれ」
「いいわよこれくらい。すぐに治るわ」
「何言ってるんだ、遠慮するなよ。それに次からはもう我慢しないですぐ言うんだぞ」
我慢しないで、か。
そういえばプロポーズの時に言ったわね、これまで私が我慢してきてことをすべて叶えてくれるって。
でも私、我慢するのが当たり前になっちゃってるから……。
「私ね、辛くても我慢しなさいって、よく母に言われたの」
ホールを出て行こうとしていたウェンロッドは足を止め、再び私の前に腰を落として目線を合わせてくれた。
「どうしてそんなことを?」
「どんなに辛くても、いつか幸せがやってくるから我慢しなさいって。母はオールラム王国の歴史学者だったの。特に聖女信仰が専門でね、それで聖女を産んだもんだから奇跡だって言われたわ」
次々と母のことが思い出される。
母は私たちを産むまで仕事人間だったから、男を見る目がないって言われてた。
母はお城に勤めてて職場の後輩だった父と結婚したけど、あまり上手くいかなかったみたい。
代わりに母は私たちのために色々やってくれたわ。
過去の聖女がみな短命なのは、呪いの魔女を監禁し、魔女の方が心を病んで先に死んでしまうからだって主張して。
だから母が亡くなってマルムド監獄に入れられたけど、監禁はされなかったし、心を病むこともなかった。
でも……そんな母を、私は殺してしまった。
母は結局、私の呪いの魔女の力で衰弱して、そこを流行病にやられて――。
でも母は私に言ったわ、自分の死は私のせいじゃないから気にするなって。
そんなことより、いつか自分が幸せになれると信じて、それまで我慢して頑張るのよって。
幸せなんて来ないのにね……あっ、もしかして今の状況のことかな?
仮の一時的なものだけど。
「どんなに辛くてもって、オールラム王国じゃ、そんな嫌なことばかりだったのか?」
「えっと……そうね、少なくとも私はずっと孤独だったわ。たった二人の友達には、いつもほんの少しの時間しか会えなくて。それで人との会話に慣れてないから無愛想だって言われるし。実は今だって、どうやって笑えば良いかわからなくて」
「別に、本当に面白いと思う時だけ笑えばいい。もう我慢も無理もしなくていいんだ。誓うよ、俺はもう二度と、お前を孤独にさせないから」
ウェンロッドが真面目すぎる眼差して私を見つめる。
ああ、胸が苦しい。
どうしてあなたはそんなふうに、まっすぐに……。
それなのに私は、あなたを殺すためにここにいる。
だってそうしないと、ポリーおばあちゃんとビスルドおじいちゃんが殺されてしまうから。
それにそもそも私の呪いの魔女の力がなくても、このまま放っておけばウェンロッドは神獣になってしまうし……。
気がつけば、頬を涙が流れていた。
両手で顔を覆うと、今度は嗚咽が漏れる。
ああ、気づいちゃったわ。
こんなに苦しいのは……私はウェンロッドが好きだからなのね。
ふいに背中に温かいものが触れた。
それはウェンロッドの腕で、無言のまま抱きしめられる。
ああ、ウェンロッド……あなたを失いたくない。
でもどうしたらいいの?
「そんなに辛い思いをしてきたんだな……かわいそうに。そういえば、ひと月後のパーティーにはセルドのやつも来るんだ。一発ぶん殴ってやろうかな」
そう言ってウェンロッドが笑った。
私はその胸の中で、セルド王太子の名前に凍りつく。
もしひと月後まで、ウェンロッドが元気だったら……。
セルド王太子はどうするんだろう?