第5話
「あのっ、ウェンロッド陛下はもう大丈夫なんですか?」
ベオさんとクレエドさんがウェンロッドの部屋から出てきたから、私は身体が沈みすぎる豪華なソファから立ち上がってそう尋ねた。
すると二人は顔を見合わせて、軽くうなづく。
「アタシは何か飲み物を用意するから、メアリルさまへの説明はクレエドに任せていい?」
「ええ、いずれは話さなければなりませんからね。さあ、お座りください。陛下のこと、そしてなぜあなたがグレライン王国に呼ばれたのかをご説明します」
それは願ってもないことだわ。
私はすぐにソファに座り直す。
向かいにはクレエドさんが腰掛けた。
「まず陛下についてです。陛下の左目やその近くの髪が銀色なのはご存じですよね?」
「はい、オッドアイだなんて珍しいなって思っていました」
「あれは生まれつきじゃありません。色が変わったのは今から四年前、陛下が十六歳の頃のことです。当時は陛下の兄上、システッドさまが国王でした。当時の陛下は若いながらもその強い魔力を武器に、すでに一個師団を任されていたんです」
脳裏に、さっき見たばかりのウェンロッドの魔法が浮かんだ。
「確かにすごい炎だったわ……私は初めて魔法を見たからどうすごいか分からないんですけど、襲って来た人が魔法の発動が速いって言ってました」
「ふふっ、今の陛下は高速詠唱も通り越して、無詠唱で魔法を使えますからね。長いグレライン王家の歴史を辿っても、あれほど魔力と魔法の才に恵まれたお方はいらっしゃいません」
そんなにすごいの?
それなら化け物みたいに強いって言われて、獅子王って二つ名で呼ばれてるのは本当なのかも。
「その時の陛下は、自分の師団を率いて地方の反乱を鎮めに出陣していました。反乱は無事に収まりましたが、その帰り……補給に立ち寄った、とある町でのことです。オールラム王国には魔獣しかいないと聞きますが、グレライン王国には魔獣の他に神獣という存在がいます。聖女がいない代わりでしょうか? 神獣は聖女と同じく瘴気を祓い、魔獣を寄せつけません」
「あっ、本で読んだことがあります。神獣は魔獣から人々を守ってくれるから、大切にされてるって」
するとクレエドさんは少し悲しげな笑みを浮かべた。
「確かにそうです。しかし神獣は多少の智慧はあれど神ではありません。特に長く生きると力が暴走して凶暴性が増してくると言われています。陛下が立ち寄った町の、すぐ近くの森に棲む神獣もそうでした」
「凶暴性……」
「そしてその凶暴性を鎮めるためには、生贄が必要なのです」
「い、いけにえ!? それって、馬とか羊とかですか?」
クレエドさんは悲しい顔で首を振る。
「じゃあ、まさか……」
「そうです、人身御供です。しかもその神獣は長く生きすぎたのでしょうね、年々欲する生贄の数が増えて、その町の人々は困り果てていました。それを知った陛下は彼らを放っておけず、その神獣を討伐してしまったんです」
「討伐……殺したってこと?」
クレエドさんの表情の暗さに、なんだか嫌な予感がする。
「そういえば魔獣は殺してもいいけど、神獣は殺してはいけないって本で読みました。神さまの罰があたるって」
マルムド監獄の古い図書室で読んだ、他国について書かれている本だったと思う。
でも人間を生贄にささげないといけないなんて……それなのに退治したらダメって、ひどくない?
「はい、罰として神獣に呪われてしまうそうです。神獣は魔物から人々を守るために重要な存在……だからでしょうか? 神獣を殺めた者は神獣の呪いによって、今度は自らが神獣になってしまうと言われているんです」
「殺めた者って、ウェンロッド陛下が!?」
さっき見た、ウェンロッドの頭の獣の耳を思い出してゾッとする。
実は綺麗な毛皮でフサフサしてるから、ちょっと可愛いなとか思ってたのに。
「それじゃ、あの動物の耳みたいなものは……」
クレエドさんはうなづいた。
「古い文献によると、神獣を殺めた者は五年とたたずに立派な神獣に変化してしまうそうです。しかし陛下は神獣の呪いを受けたとほぼ同時に、我が国になくてはならない存在になりました。陛下が神獣を討伐した遠征、ちょうどその時を狙って、ここ王都ではクーデターが起きていたのです。第二王子のカインさまが私兵を率いてシステッドさまを襲いました」
そうだったわ!
それでシステッド国王は亡くなって、反逆者となったカイン王子を、王都に帰還したウェンロッドが見事討伐、そして王位についたはず。
その私の記憶どおり、クレエドさんの話が進む。
「というわけで、陛下は新王となったわけですが、神獣の呪いは少しずつ進行していきました。我が国の魔術師たちが総力を結集して解呪を試みましたが、成果は上がっていません。今の陛下は魔法を使うと一時的に神獣化が進み、半獣の姿になって暴れてしまうまでになりました」
「それでさっきの……でもグレライン王国は、ベガルダ大陸屈指の魔法大国のはずです。どんな呪いだって解呪できるんじゃ?」
「ええ、それが呪いであれば」
「え?」
「正確には、陛下にかけられているのは呪いではありませんでした。神獣は神の眷属、ゆえに神獣の呪いは、すなわち――神の祟りだったのです」
「そして祟りは人には解けないわ。それこそ神の怒りを鎮めない限りね。それでありとあらゆる伝手を使って突き止めたのが、聖女なら神の怒りを鎮められるって伝承だったの」
それはドアに立つ、トレーを持ったベオさんだった。
「聖女なら……それで、私を?」
「ええそうよ。なにせ古すぎる伝承だから、どうやって鎮めるのかまでは分からなくって。だからとりあえず妃として側にいてもらえば、何とかなるんじゃないかって考えたわけ」
目の前にいい香りの紅茶のカップを置かれたけど、とても手を伸ばす気になれない。
これで私がグレライン王国に来ないといけなかった理由が分かった。
でも私は聖女じゃないわ、ウェンロッドが受けた祟りはどうにもできない。
そこで、襲撃者が襲って来る直前のことを思い出した。
あの時、ウェンロッドは私を慰めてくれてたわ。
でもあれは私がかわいそうだったからじゃなくて……もしかして神獣の祟りを鎮めるために私が必要だから、それで?
そういう打算的なやつ?
だって彼、女嫌いなんでしょ?
……でもその方がいいのかもしれない。
どういうわけか、ウェンロッドは噂に聞いてたような嫌なやつじゃなさそうだし、目の前のクレエドさんもベオさんも良い人っぽい。
それなのに私はみんなに嘘をついて、最終的にはウェンロッドを――。
「そう深刻にならなくていいのよ? 聖女が祟りを鎮められるって話は大昔に引退した賢者さまの話だったから、今はその方と大勢の魔術師たちが、お城に眠る古い文献を片っ端からあたってるの。だからそのうち具体的な方法が分かるはずよ」
「そう……ですか……」
私はよっぽど青ざめていたのか、ベオさんが慰めてくれた。
それが余計に申し訳ない。
その時、バターン! という激しい音とともに、ウェンロッドの寝室のドアが開け放たれた。
そして鎧を外したシャツ姿のウェンロッドが出てくる。
その髪色は真紅で、左のひたい部分だけ銀色が混じった元通りの姿だった。
あの獣の耳のようなものも綺麗に消えている。
「陛下! もう起き上がられて大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫だ。それよりメアリルは……」
「今ちょうど神の祟りについてお話したところです。聖女でなければ祟りを鎮められないため、我が国にいらしていただいたと。ですので、もう無理にご結婚いただかなくても問題ありませんよ」
クレエドさんが微笑みを浮かべてそう説明すると、ウェンロッドは大股で私の方にやってきた。
「いや、さっき決めた。俺はメアリルと結婚する」
「「「……ええっ!?」」」
私もクレエドさんもベオさんも驚きで声を上げる中、ウェンロッドは絨毯の上に片膝をついて私の手を取った。
「なあメアリル、俺の妃になってくれ。お前とならやっていける」
やっていけるって、何を!?
もしかして国王と妃としてってこと?
ななな、なんで私!?
ウェンロッドは切なげに眉を寄せた。
「嫌か? 俺はお前が嫌がることはしない。それに今までお前が聖女だからと我慢してきたこと全部、俺が叶えてやる。約束だ」
「我慢、してきた……」
私がこれまで我慢してきたこと……。
それは普通の女の子としての、すべてだった。
そして私自身、そして周りの誰ひとりとして、それをどうにかしようとなんて考えなかった。
唯一、母だけが――。
「なあ、いいだろ? メアリル」
「……リルと、呼んでくれない? その名前は好きじゃないから」
気がついたら、そうつぶやいていた。
なんでそんなことを言ったのか、自分でもよく分からない。
「リルか、分かった。じゃあリル、俺と結婚してくれるか?」
「あ……えっと、そうね、もちろんよ。そのために私は来たんだもの」
そう答える私の胸の中には、涙が出そうなくらい熱い感情と、凍えるほどの冷たい感情がごちゃ混ぜになっていた。