第4話
ウェンロッドに連れて行かれた先はお城の地下で、そこにいたのは漆黒の大きな馬だった。
地下に馬ってだけでも驚いたのに、ウェンロッドはその馬にひらりと飛び乗ると、私を自分の後ろに引き上げた。
そして私が横向きに座ってウェンロッドの腰にしがみつくと、地下通路を走り出したのだった。
それは街中を通らずに王都の外に出るための通路らしくて、しばらく行くと外につながる門があり、さらに門から馬を走らせることしばし。
紅葉で色づいた林の中、小さな泉のほとりでやっと止まった。
「お尻がガチガチ……知らなかったわ、馬がこんなに揺れるなんて……」
地面に座り込んでつぶやいていたら、馬を木に繋いだウェンロッドが戻ってきた。
「馬に乗ったこともないのか? まあそりゃそうか、お前はお国の大事な聖女さまだからな」
鼻で笑ってるようなその言い方にカチンとくる。
「私は貴族の生まれじゃないけど、庶民の女の子だって普通は馬に乗らないでしょ!? あのロラーナって人だって、馬に乗ったことなんてないはずよ!」
あっ……ついムカっときて敬語を忘れて言い返しちゃった……。
でもウェンロッドは気にするそぶりもなく笑う。
「はははっ、確かにロラーナが馬に乗ってるところなんて想像できないな。だが俺が王位についてからは、女や子供も馬に乗れるよう訓練させる法令を作ったんだ。それに魔力があるものは魔法、そうでないものは剣技を習わせてる。いつどこで戦が起こるか分からないし、真っ先に犠牲になるのは女子供だ」
「えっ、法令? 国民全員がやるってこと? すごいわ……」
オールラム王国じゃ考えられない。
でも……もし同じ法令があったとしても、私は対象に含まれないわね、きっと。
「それにちょっと羨ましいかも、みんなが馬に乗れるなんて。私は動物が好きだけど、馬も犬も猫も、触れたことすらなかったから」
「は? 触ったことがない? なんでだ、動物が好きなら犬でも猫でも飼えばいいだろ」
「私にそんな自由はないもの。それに大切に育てられたって言っても……」
そこで私が言い淀んだから、ウェンロッドは訝しげな顔をする。
「別に愛されて育ったわけじゃない。本当の愛をくれたのは母だけよ。父は聖女の生家に支払われる手当を受け取ったら、さっさとどこかに行っちゃったし……みんな聖女が大切なだけで、私が好きなわけじゃないの」
だからメアリルはあんな性格に育っちゃったんだと思う。
本当にメアリルのことを思ってくれる人が一人でも側にいたら、違ったかもしれない。
……でもまあ、私も似たようなものか。
今、私を思ってくれてるのは、ポリーおばあちゃんとビスルドおじいちゃんだけだし。
「それに私は人に好かれるどころか、愛想がなくて可愛くないってよく言われてるわ」
これはメアリルじゃなくて私のこと。
あまり人と近くで接して来なかったからかなぁ?
私は感情が顔に出にくいみたいで。
「でもお前、昨日は国に帰りたがっていただろ? それなのになんで……あっ、そうか、セルドに会いたいのか」
「は? セルド王太子ぃ!? あんな人、二度と会いたくないわ!」
……あっ、いけない、今の私はメアリルだったわ!
声を荒げた私に、ウェンロッドがビックリしてる。
まあいいか、セルド王太子が嫌な性格なのは確かだし。
「あ〜、えっと、セルド王太子は性格が合わなくて好きじゃないの。私が国に帰りたいのは……私にはこの世に二人だけ友達がいるわ。二人ともだいぶお年を召したご老人なんだけど、お別れも言えずにここに来てしまったから」
「お前、セルドの婚約者だったんだろ? それに友人が老人二人だけって、どういうことだ?」
「オールラム王国では、聖女は時の王の妃になることが決まっているの。聖女信仰というのがあって聖女の聖なる力を王家の血に取り込むためだとか……だから別に、好きで婚約者になっていたわけじゃないわ」
聖女信仰はここ三百年ほどで一気に盛り上がったらしい。
それまではオールラム王国にも魔法を使える人がたくさんいて軍にも重用されていたけど、聖女信仰のせいで「魔力は邪悪なもの」なんて考えが広まってしまって。
一応、今もオールラム王国には魔術師の部隊があるけど、地方の少数民族や他国の捕虜で構成されていて人数も少ない。
そもそも軍の主力は近代武器だし。
そんなだから、あっという間にグレライン王国に攻め込まれて従属国にされてしまったのよ。
「つまり……お前は周りが思うほど、幸せだったわけじゃないってことか?」
「そのとおりよ。でも私に自由がないのも、同い年の友達がいないのも、こうやって私の意思に関係なく他国に嫁に出されてしまうのも、すべて私が……聖女だから、仕方がないの。普通の女の子と違うのは当たり前、それが私の運命だから」
それは偽物の聖女としてじゃない、呪いの魔女として生きてきた十五年間で悟ったことだった。
これまで出会った理不尽のうち99%は、私のせいじゃない。
でもどうしようもないの……。
私が呪いの魔女として生まれた瞬間に、普通の女の子としての生活はすべて諦めないといけないって、決まってしまったのよ。
「不思議なやつだな、お前は。屋根の上を歩いて大胆なやつだと思えば……どうしてすべてを諦めて、そんなに悲しい顔をするんだ?」
その声に優しい響きを感じて、私はいつの間にかうつむいていた顔をあげた。
ていうか、急に声が近い。
横を見ればウェンロッドが地面にしゃがみ、座り込んだままの私に視線を合わせてくれていた。
「ここはグレライン王国だ。友人が欲しければ作ればいいし、動物が好きなら飼えばいい。誰も禁じたりなんかしないぞ」
どうしてそんなに優しい目で私を見るの?
まさか、私に同情してくれてる?
そう思ったら急に胸が苦しくなって、涙で視界が少し歪んだ。
「えっ、おいおい、泣くなって! えっと、国に帰すのは無理なんだが、結婚は……そうだった、その話をしようと思ってここまで連れて来たんだ」
ウェンロッドがそう口にした次の瞬間。
それまで気遣わしげに私を見つめていたウェンロッドの顔が強張り、素早く立ち上がる。
それに応えるように、泉の向こうの茂みから黒い影が三つ飛び出して来た。
「ウェンロッド、覚悟ぉ!」
それは敵意を剥き出しにし、抜身の剣を構えた黒ずくめの男たちだった。
けれどもウェンロッドにその剣が届くより先に、その男たちの身体が燃え盛る炎に包まれた。
「きゃあっ!」
なななな、なんなのこれ!?
頰に灼熱を感じて逃げようとしたけど、びっくりしすぎて立ち上がれない。
「そこを動くなよ、すぐ片付ける」
ウェンロッドが場違いなほど落ち着いた声でそう言うと、どうやったのか? 三人のうち一人が身体の炎を消して地面に手をつき、何やらブツブツと唱え始めた。
するとその手の周りの地面がパキキキッと白く凍りついていく。
ええっ、あれに触れたら、私まで凍っちゃうんじゃない!?
焦る私の耳に、ウェンロッドの声が届く。
「トロいぞ」
その一言で、男の周囲をぐるっと炎が囲った。
凍りついた地面もあっという間に溶けていく。
「くっ、魔法の発動が速すぎる!」
ザバァッ!
今度は私のすぐ横だ。
炎に包まれた後、泉に飛び込んでいたらしい。
全身濡れそぼり、煤まみれの顔に黒焦げになった革鎧、ギラギラとした目はウェンロッドに据えられている。
しかしその男の剣をウェンロッドが大きな長剣で薙ぎ払うと、再び男を炎が襲った。
そうして気がつけば、黒焦げになってうずくまったままの男を一人残して、他の二人の姿は消えていた。
な、なんだったの!?
あっという間すぎて、何が何だか……。
「ったく、今の奴らは旧サムハダ帝国の残党だ。俺は敵が多いからこういうことがよくあってな……驚かせて悪かった」
ウェンロッドが剣を鞘にしまいながらこっちに戻ってくる。
もうすっかり落ち着いてて、戦いがあったことが嘘みたいだけど、私はそうじゃない。
「あんなことが、よくある……? そんなっ、危険じゃない! なんで護衛もつけずにお城の外に出るのよ!」
「護衛なんて邪魔なだけだ。俺がそいつらを守らないといけなくなる」
「邪魔って、あなたは国王なのよ!? 万が一、何かあったらどうするの!」
「……ふふっ、そうやって俺を怒るのはクレエドとベオくらいなんだがな。お前は面白いやつだ。俺が今まで会ってきた女たちとはなんか違う」
ウェンロッドが楽しそうに笑ってる。
なんで笑うのよ、今は反省するところでしょ!?
「オールラム王国の聖女は、もっとお高く止まった嫌な女だと思って……うっ、ぐあっ!」
突然、ウェンロッドが左目あたりを手で押さえると、背を丸めて膝をついた。
「どっ、どうしたの!?」
もしかして、さっき攻撃を受けてたの!?
慌ててウェンロッドを助け起こそうとしたら、その頭に動物のような毛が見えてギョッとする。
「えっ、何これ!?」
動物の……耳?
猫とも犬とも取れるような、銀色の毛皮の動物の耳だった。
それが苦しむウェンロッドの髪の隙間から飛び出している。
それだけじゃない。
燃えるような真紅の髪が、少しずつ銀色に染まっていく。
「くっそ! 今日は調子がいいから魔法を使ったってのにっ……」
「とにかくお城に戻るわよ! 立てる?」
ウェンロッドの大きな身体を担ぐようにして立たせると、二人でフラフラしながら繋がれた馬のところまで歩いていった。




