第2話
実りの秋真っ盛りのグレライン王国は、鮮やかな紅葉で彩られていた。
どういうことなのよ、これ……。
馬車の中からグレライン王国の王都までの景色を眺めていて、よく分かったわ。
オールラム王国で語られているグレライン王国は、まるきり嘘だってことが。
役人たちが読む雑誌じゃ、グレライン王国は魔法を重要視する文明の遅れた国って扱いだったのに……。
実際は小さな村ですら、道路の舗装や建物の規模が違った。
さらに王都パシクトは、すべてがすべて別世界。
街並みもそうだけど、緩やかな坂をのぼった先にある王城がまたすごくて!
光り輝く白を基調に、鮮やかな紅を装飾に使った巨大なお城が、王都のど真ん中にそびえている。
オールラム王国のお城の三倍はあるはず。
こんな国に、オールラム王国が敵うわけないじゃない!?
もし私がメアリルじゃないってバレずに、無事に身代わりミッション(暗殺なんて言葉は生々しいからこう呼ぶことにした)をクリアしても、征服なんて無理よ!
私が焦る中、馬車はついに巨大な城門前に到着した。
護衛の兵士たちがヒソヒソと会話している。
「やれやれ、呪いのせいで馬や御者の交代をしたから、余計に時間がかかったな」
「しかしこんなに大きな都だとはなぁ。ウェンロッドのあの噂……傲慢で酒好きで、精力絶倫だってやつも本当だと思うか?」
それなら私もゴシップ雑誌で読んだことがある。
ウェンロッドは極度の女好きで、グレライン王国の王城には巨大な後宮があるとか。
「だとしたら、あんな小柄な生娘じゃ相手するのも大変だぞ、ウェンロッドは化け物みたいな巨体なんだろ?」
「言えてるぜ。それで精力絶倫だもんなぁ、無事に初夜を越えられるかってか? はははっ」
その下品な笑いを聞きながら、私は真っ青になっていた。
しょ……初夜!?
大変だわ、そんなことぜんぜん考えてなかった!
私、男の人と手をつないだこともないんだけど!?
どうしよう、呪いの魔女の力に即効性はないのに……。
暴れる囚人の牢の前に座らされたことは何度もあるけど、一時間ほどで無口になって寝込むから、それで終わり。
どのくらいそばにいれば、相手の生命力がつきて死んでしまうかなんて分からない……。
悩んでいるうちに馬車が動き、ついに外に出るよう声がかかった。
緊張で心臓がバクバクな中、巨大な城内を通りぬけていく。
そしてやっと大きな広間に出ると、広間の奥、大げさなくらいに長く立派な階段の先に玉座があった。
そこに燃えるように真っ赤な髪の男性がチラッと見えて、慌てて顔を伏せる。
そしてゆっくり進んでから膝をついた。
「私はオールラム王国より参りました、奇跡の聖女、メアリル・イステリナです」
ええっと、あとは時節の挨拶をするんだったような……なんだっけ?
ちゃんと覚えてきたのに、緊張しすぎて思い出せないわ!
パニックになる頭の中、やっとのことで一つだけ大事なことを思い出した。
「あのっ、一つだけお願いがあります! オールラム王国では、成人する前に、じゅ……純潔を失うと、聖女の力が消えてしまうと言われているんです。だから婚姻は半年後の十六歳の誕生日まで待っていただけないでしょうか?」
あ……これって、挨拶してすぐに言うことじゃなかったかも?
でも大事なことだからっ!
半分嘘だけど、オールラム王国では成人後に結婚するのが当たり前だしバレないはず。
ドキドキしながら待つこと数十秒。
唐突に、低く艶のある声が降ってきた。
「心配するな、俺は誰とも結婚する気はない」
「……え?」
意味が分からなくて顔を上げると、王座から大柄な男性が去っていくのが見えた。
「まったく……申し訳ありません、陛下はいつもああなんですよ」
それは圧のあるウェンロッドのものとは正反対の、人の良さげな優しい声だっだ。
玉座の右に長身の男性が立っていて、申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。
その人は軍服のような服装で、オールラム王国では見かけないアイスブルーの明るい髪を長く伸ばしハーフアップにしていた。
「私はグレライン魔法騎士団の団長を務めます、クレエド・ミンスターです。戦になれば私の上に陛下が立ちますから、団長といっても実際は参謀みたいなものですね」
「あ……の、えっと、さきほどウェンロッド陛下が、結婚する気はないって言ったような……」
「ええ、陛下は極度の女嫌いでして、なかなかご結婚相手が決まらないのです。しかし今回はまだいい方なんですよ。普段は妃候補の方がいらしても、顔すら見せませんから」
「な〜にがいい方よ、まったく! 他国の王太子の婚約者を無理やり奪ったっていうのに、あの態度、ひどすぎるわ!」
今度はややハスキーな、女性のような声だった。
玉座の反対側に、大柄で文官のような服装の……えっ、男?
その人はクレエドって人よりよっぽど軍人ぽい、逆三角形に鍛えられたマッチョな身体つきをしていた。
「彼女は尚書官のベオ・モールといいます。ベオ殿は陛下の異母兄弟で、大変仲がよろしいので側近も兼ねているんです」
「やめてよ、別に仲良くなんかないわよぉ」
ベオという人はバッチリメイクだけど、身体つきは男だし、赤茶の髪も短いからどう見ても……って、今はそれどころじゃないわ!
「あの、陛下が女嫌いって、どういうことですか?」
「ごめんなさいねぇ、国内外では女好きって噂が広まってるけど、アレ、嘘なの」
「うそぉ!?」
「とにかく、メアリルさまとの結婚は私どもがなんとか説得します。時間はかかるかもしれませんが……」
「時間がかかるって、どのくらいですか!?」
私の食い気味の質問に、二人は少し驚いた様子で顔を見合わせた。
「そうねぇ、できればひと月以内に決めたいところだけど、陛下も頑固だから半年くらいかかるかもしれないわ」
「はっ、半年も!? 私、そんなに待てません! 陛下はどこに行ったんですか?」
◇ ◇ ◇
もしウェンロッドが死なずに半年も経ったら……。
あの意地悪なセルド王太子は、待ちきれずに死刑を始めちゃうかもしれない。
でも、まさかウェンロッドが女嫌いだったなんて……どういうことなの?
それならなんでメアリルをお嫁さんに欲しがったのよ!
……あっ!
それなら私を追い返してもらえばいいんじゃない?
結婚が白紙になれば、セルド王太子も文句はないはずよね?
けれども二人に案内された場所を見て、私は内心凍りついた。
「やっぱりここにいらっしゃいましたね。陛下はこの屋根の上がお好きらしくて」
「困ったわねぇ、さっきの様子じゃ呼んでも来ないわよ?」
尖塔の階段の踊り場にある大きな窓の下に、他の尖塔とつながる回廊の屋根があった。
傾斜があって人が歩けるようには思えないけど……そこを進んだ屋根の上に、誰かが寝そべっている。
なんであんな所で寝てるの!?
「本日は長旅でお疲れでしょうから、また明日にでも……」
「いえ、早くお話がしたいんです」
だって今なら、来た時の馬車にすぐに乗って帰れるかもしれないし。
私はもう一度、窓から下を覗き込む。
この高さなら、なんとか下りれるわ。
でもこのヒールの高い靴じゃ……脱いじゃえばいいわね。
「なっ、メアリルさま!?」
「ちょっと陛下とお話してきます」
私が窓枠に手をかけてひょいと飛び降りると、二人の悲鳴が追いかけてきた。
「心配しないでください、すぐ戻りますから」
と言ったけど、これは怖いかも……。
上った階段の数からすると、かなり高いはずだし……。
でも頑張るのよ、リルシア!
ポリーおばあちゃんとビスルドおじいちゃんが、私の帰りを待ってるんだから!
そうしてヨロヨロと歩いていった先、屋根の上のウェンロッドは、両腕を枕に目を閉じて眠っていた。
その寝顔を見て、私の足が止まる。
凛々しい直線的な眉に、整った鼻筋と、ふっくらとした艶っぽい唇。
その長い髪は魔法が途絶えたオールラム王国じゃ見かけない美しい真紅で、額の左上だけが銀色にきらめいている。
さらに赤い鎧のようなものを身につけた大柄な身体はしなやかに引き締まっていて、獅子王という二つ名にピッタリだった。
びっくりなんだけど……ウェンロッドがこんなに美しい人だっだなんて!
私が見惚れていたら、急にウェンロッドがまぶたを開いた。
そしてオレンジと銀のオッドアイが、私を見つける。
「なっ、お前、なんで!?」
「あ……えっと、陛下がさっさと行っちゃうから、追いかけてきたんです。私と結婚する気がないって本当ですか?」
「追いかけてきたって、お前、ここ……」
「陛下には事情がおありなんでしょうけど、私にも事情があります。結婚しないなら国に帰してくれませんか?」
そして私はまたマルムド監獄に戻り、これまでと同じ日常を――。
そう考えると、少しだけ悲しくなった。
数年ぶりの青い空に、美味しい食事と、清潔で素敵なドレス……。
ダメダメ、私には普通の生活はできないんだから。
「私、早く国に帰りたいんです、だから……きゃあっ!」
急に片足が滑った。
グラっと身体が仰向く。
屋根から落ちると思った、その瞬間――。
私は腕を強く引かれて、前のめりに倒れ込んだ。
ついた手と膝にはなぜか弾力のある感触が……。
「え……わっ! すすす、すみません!」
私、ウェンロッドの上に乗っかってる!?
慌てて退こうとしても、左腕を大きな手でがっちりつかまれてて、びくともしない。
「はっ、はなしてください!」
「落ちるぞバカっ、大人しくしてろ!」
大人しくったって、あなたの身体の上に乗ってるのよ!?
どうしたらいいか分からず顔を上げると、前髪がふれる近さにあのウェンロッドの美貌があった。
ドキリと鼓動が高鳴り、息をのむ。
右は鮮やかなオレンジで、左はきらめく銀の瞳。
銀の方は瞳孔の周りに、星屑のような金色が散っていて、幻想的な美しさだった。
「きれい……」
思わずそうつぶやいた途端、ウェンロッドがさっと横を向く。
「……しない」
「え?」
「追い返しはしない、って言ったんだよ」
すぐ目の前にあるウェンロッドは相変わらず横を向いたまま、形良い眉はひそめられている。
その横顔の頬が、うっすらと赤くなってる気がするけど……気のせいよね?
「とにかくここは危ないから、お前はクレエドと戻れ」
その言葉にウェンロッドの視線を追えば、慌てた様子のクレエドさんがこちらに向かってくるのが見えた。
「でも、さっき結婚はしないって……」
「メアリルさま、大丈夫ですか!?」
そこでクレエドさんが到着して助け起こしてくれたから、ウェンロッドの答えは聞けないまま。
足を滑らせたばかりの私は抵抗するのも悪い気がして、渋々戻ることにした。
一応、追い返さないと言われてしまったし……。
でも結婚しないなら、どうして私をオールラム王国に帰してくれないんだろう?