第12話
ベオさんが私のすぐ横に立った。
ロラーナは顔をひきつらせながら後ずさる。
「そんなっ、だって、確かに聖女じゃないって……」
私もわけがわからない。
でもあれだけ痛んだ口の中も、喉も胃の辺りも、もうなんともなかった。
「……わ、分かったわ、きっとほとんど飲まないでわざとこぼしたんでしょう!」
「何言ってるの、あれはたった一滴、皮膚に触れるだけでも焼けただける猛毒のはず。それにそこのカーペットの血。毒を飲まなきゃそんなに吐血しないわ」
ベオさんが冷静にカーペットを指差す。
「でっ、でも……じゃあ今度は私の目の前で癒してもらうわ。誰か、剣をよこして!」
ロラーナが近くに立っていた女騎士の腰から、剣を抜こうとする。
「えっ、ちょ!」
まさか、剣で私を斬りつけるつもり!?
「いい加減にして! それ以上、メアリルを傷つけたら許さないんだからっ!」
私の身体を柔らかくてふわふわした、いい香りの何かが包み込む。
ぎゅっと抱きついてきた相手を見て、それがアンヌだと分かった。
「アンヌ……」
「どきなさい! あなたごと斬りつけてもいいのよ!?」
剣を持ったロラーナが脅してくる。
すると今度は私とアンヌの前に、小柄な人物が飛び出してきた。
「もうやめてください! メアリルさんは私の恩人です。これ以上、彼女に酷いことをしないで!」
それはキキナさまだった。
そういえばあの後、私が作った胃薬で胃の不調が回復したって聞いていたわ……。
「どうしてなの!? 二人してどうしてそんな罪人をっ……」
「さあ、もういいでしょう? 剣を下ろして」
そうしてベオさんがロラーナに歩み寄り、剣を取り上げた時。
バタンという扉が開け放たれる音が、サロンに響き渡った。
続いてたくさんの足音が駆け込んでくる。
「リル!」
魔法騎士団員たちの中に、真紅の鎧姿のひときわ大きな人物がいた。
「ウェン、ロッド……?」
ウェンロッドがあっという間に駆け寄ってきて、そしてロラーナとベオ、さらには床に落ちたグラスやシミに目を向ける。
「お前、リルに何をした!?」
「だ、だって……あなたは騙されているのよ? その下民の娘に!」
するとウェンロッドがロラーナとの距離を一気に詰め、手を振り上げた。
私は反射的に飛び出して、その腕にしがみつく。
「ダメよっ! 女の子に手を上げるだなんてっ……あっ!」
思ったより腕に力が入らなくて、私はそのまま床に転がってしまった。
「リル! どうした、毒のせいか!?」
「違うわよ。リルさまったらぜんぜん食事をとらないから、そのせいじゃないかしら?」
ベオさんのその一言でウェンロッドの顔が近づいてきたかと思ったら、身体が一気に浮上した。
えっ、ま、またお姫さま抱っこ!?
しかも今度は周りにいっぱい人がいるのに!?
ていうか、あなたは私のことを怒ってるんじゃなかったの!?
「お、下ろして!」
恥ずかしさのあまり叫ぶと、ロラーナも声を上げる。
「ちょっと待ってよ! どうして私じゃなくてそんな娘を選ぶの!? 私の方が美しいのに!」
「いい加減にしろっ! これだけのことをやったんだ、カーヴィナル卿もお前も処分を受けてもらう。……まったく、お前にリルの十分の一でも美しい心があればなぁ」
え? 私の……何?
私もロラーナもポカンとしている隙に、ウェンロッドは歩き出す。
「リルを休ませる。クレエド、この場は任せた」
いつの間に来たのか?
クレエドさんの「承知しました」の声を背に、私はみなの視線を浴びながらウェンロッドに運ばれていった。
◇ ◇ ◇
連れて行かれたのは、いつかプロポーズを受けたウェンロッドの部屋の一つだった。
ソファに座らされ、ベオさんはすぐに部屋を出ていく。
そうして二人きりになると、彼は私の隣に座った。
苦悩を抱えた顔で床の一点を見つめている。
「あの……ごめんなさい。私はあなたを裏切って傷つけた。どんな罰でも受けるわ」
「……これまで俺がリルに聞いた話、どこまでが嘘で、どこまでが本当なんだ?」
静かな声で問われた。
「えっと、私は聖女じゃなくて魔女の方で……実はそれ以外はほとんど嘘じゃないかも。私は九歳で母を亡くしてから、オールラム王国の王都の地下にある、マルムド監獄ってところで働いていたの」
そうして今度こそ包み隠さず、自分の過去を話した。
「だから私はロラーナの言う通り、まさしく下民の娘なのよ。大した教育も受けずに、清潔とはほど遠いところで育ったの。そんな私が聖女のふりして大国の国王のあなたに嫁ぐだなんて、笑っちゃうわね」
視線を、膝の上に重ねた手に落とした。
そしてこの半月の間のことを思い出す。
「あなたに嘘をつくのは辛かったわ……本当にごめんなさい。でもどうしたらいいのか分からなくて……この半月の間、すごく苦しんだけど、同時にとても楽しかった。数年ぶりに外に出られて、信じられないような贅沢をさせてもらって。そしてあなたと過ごす時間は、とても……」
一言では言えない。
私は最初で最後の恋をしたのだから。
「私はまた呪いの魔女として孤独に生きていくことになるけど、あなたとの思い出があれば頑張れると思う。だから、その……あなたには申し訳ない思いもあるけど、同時に感謝の気持ちでいっぱいなの」
そして気まずい沈黙が流れる。
次に口を開いたのはウェンロッドだった。
「あれから色々考えたんだが、俺が好きになったのは偽りの聖女じゃなくて、本物のリルだと思う。リルはオールラムとグレラインの両方に利用された被害者だっていうのに……辛い思いをさせて、悪かった」
「……え?」
「俺に必要なのはリル、お前だ。だから改めて言う。俺と、結婚してくれないか?」
「……なっ、け、結婚!? で、でも私は呪いの魔女なのよ? あなたのそばにはいられないし、そもそもあなたに必要なのは聖女のメアリルでっ……」
「言っただろ、俺に必要なのはリルなんだ。色んな意味で。実は俺も知らなかったんだが……そうだ、ベオ! そこにいるんだろ、入ってこい」
ウェンロッドがドアに向かって声をあげると、扉が開いてトレーを持ったベオさんが入ってきた。
その後ろにはクレエドさんもいる。
「さ、まずはミルク粥を食べてみて。果物もあるわよ。生ものは消化に悪いけど、リルさまなら大丈夫じゃないかしら」
テーブルにお粥の入ったお皿と、果物の盛りつけが置かれる。
「私なら……?」
「今まで食べ物で体調を崩したこと、ないでしょ? というか、風邪をひいたこともお腹を壊したこともないはず」
それは……まあ、確かにそうね。
母が亡くなってマルムド監獄に入れられたばかりの頃は、あまりご飯が食べられなくて少し調子が悪かったけど……。
今までに体調を崩したのはそれくらい?
「呪いの魔女は聖女と同じように、自分を治癒する能力があるのよ。そりゃそうよね、神さまから授けられた人を超えた存在だもの」
「でも……そんな話、聞いたことないですよ?」
「でしようねぇ、すべて三百年ほど前からオールラム王国で広まった聖女信仰のせいよ。それで魔女は忌まわしいものにされてしまったの」
意味がわからない。
それじゃまるで、呪いの魔女が忌まわしい存在じゃないみたいだわ。
「そして聖女信仰のせいでアタシたちも苦労したってわけ。実はね、神獣の祟りを鎮められるのは聖女じゃないの。魔女の方なのよ」
「……魔女の……ええっ!?」
驚く私の横で、ウェンロッドも「やれやれ」という感じで髪をかきあげた。
どういうことなの!?
「俺もベオとクレエドに騙されてたんだ」
「だって陛下は結婚の話になると、いつもどこかに行っちゃうじゃないの」
「そうですよ。それなら事後報告でいいでしょうとベオ殿と話を進めたんです」
クレエドさんが苦笑しながらそう言った。
「それに正直に魔女を妃にしたいだなんてオールラム王国に言えば、なぜ魔女なんだと疑念を抱かせるし、あのセルド王太子が絡んだら素直に渡すとは思えなくてね」
「それでベオ殿と相談した結果、もしかしたら聖女を求めれば、逆に魔女の方を差し出すんじゃないかと思いついたんです。オールラム王国にとって聖女はとっても大切な存在のようなので。上手くいったでしょう?」
そう言って笑うクレエドさんも、ベオさんも、晴れやかな顔をしている。
「それじゃ、二人とも私が魔女だって知っていたんですか?」
「リルシアさまが到着した翌日、お二人で外出された先で陛下が暴走しかけましたよね? あれで確信しました。暴走しかけで済んだのはリルシアさまがご一緒だったからです。もしそうでなければ、先日のように……」
「とはいえ魔女も自分を癒せるっていうのは古い文献の記載だったから、さっきの毒杯はヒヤヒヤしたわ。前に靴ずれを癒そうとしてなぜか傷が見つからなかったって話は聞いていたし、火傷を癒した騎士団員の『回復魔法の効果以上のスピードで治っていたような?』というのも聞いていたんだけどね」
そうだったの……?
じゃあ、さっきベオさんが怒ってるって思ったのは勘違いだったのね? ああ、良かったぁ。
「そうだった! ベオ、そもそもなんでお前がついていながら、リルに毒なんて飲ませたんだ!」
詰め寄るウェンロッドに、ベオさんはウインクしながら微笑む。
「でもこれでロラーナを追い出せたでしょ? 女騎士とはいえ後宮に私兵を連れ込んで、陛下の妃候補を害したんですもの。それにリルさまへの愛を再確認できたじゃない」
「だからってっ……」
「第一、リルさまに会わせろっていうのはカーヴィナル公爵直々のお話よ。私が断れるわけないじゃない? 軍事会議に状況を知らせる遣いを出すのがやっとよ」
「だからってなぁ、お前が代わりに飲むくらいしてもいいだろ?」
「あら酷い! アタシなら苦しんでもいいってわけ!?」
会話の内容の割に、ウェンロッドもベオさんも、そして静観してるクレエドさんも笑ってる。
二人に聞いた魔女の話も、ウェンロッドが私を許してくれたのも信じられない。
まだ状況が飲み込めないながらも、なぜか安心しちゃって涙が出てきた。
「ああっ、リル、泣かないでくれ! 辛い思いをさせて本当に悪かった」
「ちっ……違うわっ……悪いのは、私でっ……」
いつかと同じようにウェンロッドに優しく抱きしめられる。
それでひとしきり泣いた。
ああ、二度と会話すらできないと思ったのに……今、私は彼の腕の中にいる。
「さて、めでたしめでたしな感じだけど、そうもいかないわ。半月後に迫るパーティー、そこでセルド王太子が陛下を襲う計画を立てているらしいの」
「え? セルド王太子が? どうして……」
「よし! せっかくセルドを捕まえるチャンスだからな、しっかり策を練ろう」
ウェンロッドは話を知っていたのか、楽しそうに笑った。




