拒絶の塊
「あ? どの面下げて私の前に姿を現した、この泥棒猫が」
今日日昼ドラでさえなかなか聞くことのない台詞を吐き捨てる――罵声を浴びせられた学園で最も有名な人気者である璃桜は、全く表情を変えない。否、あまり自分以外に見せることのない満面の笑みを浮かべている。
まさか生粋のマゾヒストの助手を務めてしまったのか、と吾大の顔から一気に血の気が引く。
「まあまあ、そう言わずに。私とあなたの仲じゃない。それに紹介したかったのよ、今の私の助手である吾大久那ちゃんを」
「……………………。あ、そ」
ジロリ、と値踏みすように鋭い眼光を吾大に向ける。
そんな目でこちらを見るのは止めてほしい、と咄嗟に視線を外そうと璃桜の方を見てしまう吾大だったが、こちらはこちらで温かい眼差しを向けていた。
(いや、そんな目でこっち見るな)
どちらに対してもそう思いながら、居心地の悪さに耐えて、吾大は視線を天井へと逃がすのだった。
***
更織大義率いる親衛隊とのいざこざから翌日。
放課後に璃桜によって呼び出された吾大は3年の教室に呼び出されていた。
「今日はお友達は一緒じゃないのね? 一応、あの子も呼んだつもりだったのだけれど」
恐る恐る教室に足を踏み入れると、教卓に腰を下ろした璃桜が訊ねてきた。彼女以外の生徒はいなかった。人払いを済ませているのか、毎日使われて、生徒達によって清掃までされているはずの教室にも拘わらず、空き教室同様の埃臭さを感じる。
「あなたから呼び出しって言ったら一目散に逃げましたよ。この学園の生徒全員があなたのファンって訳じゃないんですから」
「例えば、あの眼帯お嬢様とかね」
「更織先輩ですか……。あの、聞いていいのか分からないんですけれど、やっぱりお二人は仲が悪いんですか?」
あのギスギスとした空気感はとても学友と呼べるものではなかった。学園の人気を二分するトップが対峙していたのだから、それも仕方が無いことではあるが――
「別に仲が悪い訳ではないのよ。あの時は、あなたへの扱いが酷かったから少し睨みを利かせたけれど」
しかしながら、そう答える璃桜の表情は苦虫を噛み潰したかのようだった。ここまで璃桜が吾大以外の一個人に対して露骨に感情を表に出してくるのも珍しい。
「……訂正すると、仲は悪くないけれど、極力関わり合いたくはないってところかしら――と、まあ」
言い直しから、軽く咳払いをした後、璃桜は普段の堂々とした立ち振る舞いを取り戻す。
「まあ、今回あの子も呼んだのはね、これから会う私の友人と、あの子が気が合うと思ったからなのよ。きっと話をする時に、円滑に事が進む、と思って」
まあ、いないならいないで別に構わないのだけれど――そう言って、璃桜は人差し指を自分に向けてクイッと折り曲げる。
もっと近くに来なさい、というジェスチャー。露骨に顔を顰めた吾大は、恐る恐る璃桜に顔を寄せる。そして、耳元で璃桜が囁く。
「……ここだけの話、これから会う子に私滅茶苦茶嫌われているのよ。罵詈雑言ならまだマシな方で、最悪の場合だと……すぐに殺しに来るの」
とんでもないことを大層上機嫌に告げる璃桜。
(何をどう解釈したら、自分が嫌われている状況をそんなに楽しそうに説明できるの……?)
そして、それを耳元で告白されて、どんな反応をすれば良いのか、と吾大は表情を曇らせる。
「あの眼帯お嬢様よりはずっと好きよ」
「でも、仲が良くはないんですよね?」
「うん。向こうから殺意をぶつけられるくらいに嫌われてる」
(謎だ……)
嬉々として自分を殺そうとす生徒に自ら会いに行くと言うのだから、気が触れていると揶揄されても文句は言えないだろう。そもそも嫌味を言われたからといって文句を言うような人ではないだろうが――
「……麦ちゃんがその人と気が合いそうだから同席させようと考えていたのは分かりました――納得はしてませんけれど、理解はしました。それで、私は何のために?」
「決まっているじゃない」
回答が明白ではあったが、念のため問いを投げ掛けてみる。間もなく璃桜からの返答は一言一句吾大の想定していたものだった。
「久那ちゃんが探偵になる私の助手だからよ」
「……デスヨネー」
乾いた笑いと共に吾大が呟いた。
***
邦遠連理。
瑠璃城女学園中等部三年生。毛先が黒みがかった茶髪のポニーテールが似合う端正な顔立ちの生徒だが、それよりも左耳に付けられた多数のピアスに目を奪われる。規律に厳しい学園において、ここまで悪目立ちしそうな外見だが、少なくとも吾大の耳に彼女に関する話は入ってきたことがない。良くも悪くも。尤も、生徒の大多数からの第一印象が厳つくて、怖い人であることは相違ないだろう。
「あ? どの面下げて私の前に姿を現した、この泥棒猫が」
そして、実際に対峙した瞬間に罵声を浴びせられるのだった。対面してすぐに罵声を浴びせるような人物と自分の友人の気が合ってたまるか、と璃桜の方を見る。
「泥棒猫って、私はヴァンパイアだから。奪うのは血とか生命力とかよ」
「うるせえ、死ね」
会話が成立していない。そして、殺意や憎悪をここまで隠さないのも珍しい。短く悪態を吐いて、邦遠は椅子に座ったまま、腕を組んで璃桜を睨み付ける。その後ろでビクビクと震えてる後輩に対しては、一瞥した鑿で特に威嚇するようなことはなかった。
(今のところは……でも、私がこの人の助手だなんて知られたら……)
これだけ嫌っている璃桜と同類などと思われでもしたら、どれ程の罵詈雑言を浴びせられるのか――今までの人生で泣いた経験は数える程しかないが、過去一で号泣するかもしれない。
「この子は吾大久那ちゃん。私の探偵業を手伝ってくれる、助手よ」
邦遠の鋭い眼光が再び吾大に向けられる。即座に目を逸らす吾大。
(……この人は、本当に、嘘でしょ、もう――!)
目を逸らして尚もこちらを凝視し続ける邦遠――メデューサに睨まれたかのように、全身が石化したようにガチガチに硬直し、汗が大量が流れている。石ではなく、乾物になってしまうかもしれない。
易々と自分のポジションを説明した璃桜に対して、人生最大級の怒りを覚えた。先輩でなければ手が出てしまいそうな程に。
「……お前も大変だな、吾大だったか?」
そして、呆れの混じった口調で邦遠が吾大に向けて声を掛ける。ぶっきら棒な感じではあったが、圧はほとんど無く、どちらかというと同情されているようだった。少なくとも、先程まで璃桜に浴びせていた敵意や殺意は一向に感じられない。
(……決して私が悪意に疎いから、って訳じゃないけれど)
むしろそういう類の感情には人一倍敏感だと自負している。
「……え? あ、はい……吾大、久那です。中等部2年です」
完全に予想外の反応を見せられ、素直に返事をしてしまった。その様子を隣で見ていた璃桜がクスクスと笑い出した。この場に2人でなければ本当に手を出しているところだ。
「このクズの助手なんて正気か? こいつは自分の欲求を満たすことにしかまるで興味を示さない下衆だぞ」
正気を疑われるのは仕方が無いことではあるが、残念なことに最終的に誘いに乗ったのは吾大だった。そして、当時の自分が正気だったかといえば、全く自信が無いのも事実だ。
「……あの、邦遠先輩は、璃桜さんのこと――」
「チッ……」
露骨に舌打ちをされた。璃桜の名前を出した瞬間に、聞くことさえ嫌なのか。当人が目の前にいるというのに。
「あの……ヴァンパイアって――もしかして、先輩も……ですか?」
妖怪や怪異に関わる何か――例え、露骨に機嫌が悪くなろうと、相手の地雷を踏み抜くような質問だろうと。
まずこれだけは確認しておかなければならない。
「あ?」
今度こそ不機嫌な眼差しが吾大を射抜いた。ヒュッ、と肺の中の空気が全て漏れ出る音がした。
(何だコイツって眼してる……。ヤバい、殴り殺されるかも)
僅かでもこの人良い人かもしれない、と期待してしまった自分の愚かさを呪いつつ、吾大は全身に力を入れる。筋肉を固めて、殴られた時の衝撃を和らげようと試みる。
「……てめえ、助手だっていう割に全然説明してねえのか」
苛立ちの矛先は璃桜だった――吾大に向けられ鋭い眼差しは『何だコイツ?』ではなく、『何も知らないのかコイツ?』という不可解なものを見る目だったらしい。それに伴って、璃桜への怒りが増幅したようだ。
「吾大、これは心底親切心からお前に言うんだが」
と、前置きをしてから邦遠は言う。変わらず鋭い眼光と真顔で言うのだから、どんなことを言うのかと冷えた肝が更に凍り付くような感覚だった。
「コイツの助手なんてとっとと止めた方が良い」
「……デスヨネー」
身構えていた自分が馬鹿馬鹿しくなるくらいに、今更なことを言われた。なるほど、大斎と気が合いそうだという璃桜の見立ては正しかったらしい。
***
「ところで、吾大。お前、附属小学校から受験してる訳じゃないだろ?」
「え、あ……はい。なので、クラスメートのほとんどは顔見知りが多いみたいですけれど」
邦遠からの唐突な質問に戸惑いつつも、吾大は答える。
私立瑠璃城学園には附属小学校が存在し、大半の生徒はそこから中等部を受験、入学し、エスカレーター式に高等部へと進学していく。そのため学園の生徒は大半が知人、もしくは顔見知りとなっている。
「私は父にこの学園を紹介されて、受験してみたんです。まさか受かるとは思っていなかったですけれど……」
初めて教室に入り、既にグループが出来上がっているのを見た時には唖然したのを覚えている。人付き合いが得意ではない吾大はこの瞬間に、胸に秘めていた理想の学園生活を諦めた。
「外部組はほぼ知らないだろうが――と言っても、附属小から受験した連中でも知らない奴は多いが……」
と、そこで一呼吸を置いてから邦遠は続ける。ここで間を置いたのは、邦遠のタイミング、というよりは吾大の心の準備が整っているかと確認するためのようだった。言動の割には、意外と周囲に目が行き渡っている。
「私達みたいなのは結構いるんだよ。人外、怪物、妖怪変化、モンスター」
「そうなんですか、結構……え? あの……はい?」
一瞬冗談を言われたのかと思い、曖昧に相槌を打ってしまった。
先日の出来事から、この学園では常識が通用しない何かがあることはひとまず理解した吾大だったが、流石に許容範囲を超えそうになる。
「例えば、お前達がやり合ったって言ってた、更織大義とその取り巻き――あいつらがこの学園の最大派閥だな」
大した奴らに喧嘩売ったもんだな――呆れ果てた口調で邦遠が呟く。まさか何も知らないで喧嘩を吹っ掛けたとは思っていないのだろう。
更織の派閥の強大さはこの学園において、厳格な校則と同レベルで知れ渡っているそうだ。
璃桜・ブラッドグラス・ファニーナイトが圧倒的なカリスマ性を有しているとしたら、更織大義は圧倒的な数を束ねる統率力を有しているのだろう。
(……なるほど、人気が二分する訳だ。魅力のベクトルが全く違うんだ……)
両者の魅力について考えている内に、吾大はそんな感想に辿り着いた。邦遠から自分が陥った状況を教えられて、現実逃避するように考え込んでいる内に、こんなところまで思考を飛ばしてしまった。
「それに対してはあまり気にする必要は無いわ。私がいるもの」
「そもそもお前が吾大を助手に引き入れたから複雑になったんだろうが。巻き込むな、可愛い後輩だっつうんなら」
思わず首を縦に何度も振りそうになりそうになりながら、吾大はそもそも邦遠の元を訪れた理由を聞いていなかったことを思い出した。これではただ邦遠に喧嘩を売りに来ただけになってしまう――これ以上争いに巻き込まれるのは御免だというのに。
「璃桜さん、そろそろ本題の方をお願いします――私を含めて、しっかりと、説明を求めます」
「お前、助手にしておいて、吾大に本当に一切の説明無しなのか」
呆れを通り越して、最早憐れむような目で吾大を見る邦遠。そんな目で見られる覚えはあるが、それでも璃桜に付いて行ってしまうのは、彼女の有するカリスマ性というものなのだろうか。
「そんなに急かさないで。生き急いでもあまり良いことないわよ?」
まあ、それはそれとして――璃桜が続ける、マイペースに。
「連理には私達に協力をお願いしたいの。すぐに何か起こる訳じゃないだろうけれど、更織さんの派閥に目を付けられた以上、今後の私の探偵活動に支障が出る可能性が――」
***
「私はお前が嫌いだ。この世で唯一と言える程に――お前の死を強く願う程に」
だから、お前の願いには絶対に応えない――激せずに、静かに、それでいて腹の底から煮え滾る憎悪を吐き出すように。
協力を申し出る璃桜に対して、明確な拒絶を示す。
「それでもお前をすぐに殺さないのは、お前の連れに免じてだ。さっさと消えろ」
拒絶の言葉は全て璃桜に向けられている訳で、決して吾大に冷たく接しているのではないことは理解できている。
短い時間ではあるが、邦遠連理が決して悪人ではない――口調や態度に棘はあるが、性根が善良ことは、対峙して話せば分かることだった。
それ故に、璃桜の死を願う程の憎悪は傍から見れば異常だった。確かに性格に難がある人物ではあるが、一体過去に何があれば、璃桜をそこまで憎むのか――
「あ、あの……」
「OK。久那ちゃん。行きましょう」
質問しようとした吾大の言葉を遮るように、璃桜は退室を促す。死を望まれる程に拒絶されたのに、落ち込んだ様子は見せず、むしろ嬉々としているようにも見えた。
一切粘る様子を見せず、あっさりと引き下がる。
(……やっぱり、マゾヒストか?)
個人の、ましてや、自分が助手を務める先輩の性的趣向に対してともかく言うつもりはないが、邦遠からのアドバイスについてもっと真剣に考える必要が出てきたかもしれない――そもそも璃桜を痛め付ける身の程知らずがこの学園にいるのか、甚だ疑問である。
(あ、いるわ、目の前に――)
だからか、と吾大の中で腑に落ちる感覚があった。
教室を出る一瞬、吾大は振り返り、邦遠を見た。先程から変わらずこちらを――というよりは、璃桜を睨み付けている邦遠。
「……もう来るなよ。私に、お前の世話は荷が重過ぎる」
「そうかしら? 連理が私の元を離れなければ、助手をまた取らなきゃとか思わなかったのだけれど」
自分に言い聞かせるように呟く邦遠に応えるように、璃桜も呟いた。
***
「……やっぱり、邦遠先輩って、私の前任だった方なんですね」
教室を出て、しばらく歩いたところで、吾大は口を開く。
「ええ、正確には、私と連理ともう一人のトリオだったわ」
「だからですか? 私を邦遠先輩の所に連れて行ったのは」
前任の助手と対峙させることで、助手の心構えを説こうとしたのか――だとすれば、璃桜の助手はさっさと辞めるべき、という実に有り難い心構えを説いて頂いた訳だが。
「それもある。けれど、単純にこの学園で交友関係を増やしていってほしかったが本音かしらね。私達の活動で人脈って大切だから」
と、それらしいことを璃桜は言った。
確かに現在学園における友人が2人(それから先輩である璃桜)と少ない方である吾大だが、今回邦遠連理と少なからず親交を深めたと言えなくもないだろう。
「違う学年の生徒に顔見知りを作っておかないとね、どうしても入ってくる情報にムラが出てきちゃうもの。現に久那ちゃんは更織さんの派閥についてほとんど知らなかったでしょう?」
知っていたら、更織派閥に関わろうとはしなかった――あんなに危険な武装集団だと知っていたならば。
逆に大斎や他の生徒達はどこまで知っているのだろうか?
「……あ、今回麦ちゃんに声を掛けたのは――」
「私を警戒して来てくれなかったけれどね。それはそれで面白いから良いけど、次からは私のことをもっとアピールしておいてね」
どこか茶化すように言いながらも、璃桜は悠然と吾大の前を歩く。例え、知人から死を願われようと、まるで傷付く素振りを見せず、かえって生気に満ちている。
「まるでマゾヒストですね、って顔しているわね?」
「私ってば、そんなに顔に出てますか?」
「そんなところまで連理とそっくりよ。彼女だって、一切感情を隠さないでしょう?」
「……………………」
何と答えるべきか分からず無言で歩いていると、手洗い場があった。
「すみません、ちょっと……」
璃桜に声を掛けてから中に入り、洗面台で冷水を思いっ切り顔に浴びせる。不器用なりに、毎日それなりの時間を掛けて纏めたシニヨンが崩れても気にしない。
髪を掻き上げると同時に、鏡に映った自分の顔を凝視する。
「……………………」
凝視する。前任の助手と重ねられて、言葉が出てこなかった自分の顔を。靄が掛かったような感情を顔に上手く表せない。
(……私は今何を考えてる?)
明らかに自分の出張る場面なんて欠片も存在しないだろうに、一体何をしようとしている?
璃桜は自分が感情を隠していないと言っていた――彼女の目に、吾大久那は何をしようとしている風に映ったのだろう?
あくまでも吾大久那の目的は、父親の死の真相を知ることだったはず――それがいつの間にか、更織派閥との抗争に発展しかけている。こんな事態が起こる可能性があったのなら事前に説明してほしかった。言ってくれれば、もう少し熟考した上で――
「……助手をやっていたのか、私は。あー、くそぅ」
どうあれあの自称探偵の助手を渋々やっている姿が浮かんでしまう。
自嘲気味に呟いて、鏡像の自分の口角が吊り上がっている様を凝視する。
「前任者を引き摺りやがって、私はスペアじゃない……」
邦遠にそっくりだから選ばれたと思われたくなくて、強がるように吾大久那は無理矢理笑う。
この一瞬だけ、父親のことを忘れられた気がした。