後日談
「あー、それは失敗したかもねぇ」
「……やっぱ、そう思う?」
璃桜・ブラッドグラス・ファニーナイト先輩と半ば喧嘩別れになった翌日――吾大久那は自分の机に突っ伏して、深い溜め息を吐いていた。頭の上で両手を組んでいる姿は、まるでこの世終わりに神様に祈りを捧げているような有り様だったが、実際のところは親友にどうすればいいか、相談しているだけである。
時刻は正午。昼休みでクラスメート達が各々友人とランチを楽しむ中、吾大と大斎だけになった教室内が更に沈痛な空気に包まれる。昨日のランチを一緒過ごした館吹は先生から呼び出しを受けたらしく、今日は大斎からランチのお誘いを受けたの――あまりにも酷い顔をしていたらしく、半ば強引に大斎に相談をする形となったが。
こうなると後で館吹にも相談してみようかという気持ちになる。どちらも大切な親友だが、対照的な性格の大斎と館吹では所見が全く異なるので、アドバイスの幅が広く、いつも非常に助かっている。
「っていうか、昨日も同じことしてなかった?」
そして、前日と同じように相談相手である大斎麦は、腕を組んで嘆息交じりに呟く。
いつも非常に助かるアドバイスをくれる親友が心なしか呆れているように見える。
「相談内容が違うでしょ。いや、むしろ昨日よりも事態が悪化しているし……ねえ、本当にどうしたら良いと思う?」
「本気のトーンじゃん。顔も真っ青だし……え? 本当に? そんなに酷い状況なの?」
「……………………どうなんだろ?」
言いたいだけ言って逃げるように教室を後にしたものの、その後璃桜からのリアクションは何も無かった。彼女のプライドがそうさせたのか、それとも単に吾大から一切の興味を無くしてしてしまったのか――理由は分からないが、それならばこのまま関わりを絶つだけだ。
(うん、助手もこっちから志願した訳じゃないしね。あれで見限られたっていうんなら、それで清々するし……)
自分を納得させるように、色々な言い訳を頭の中で反芻させる。
親友に相談したのも、混乱している自分の頭の中を整理しようと、無意識の内に目論んでいたのかもしれない。
「……ま、ぶっちゃけ安心したっていうのが本音かね。昨日言ってた探偵の助手、クビになるかもって心配してんでしょ? 良いじゃんか、悩みの種が解消されて」
「……そうかな? 安心して良いのかな?」
一転して安堵の表情を浮かべる吾大。だが、顔を上げたところで、大斎の強張った表情が出迎えた。
「ええ、安心して。あなたは私の助手として合格したから」
吾大の背後にいつの間にか立っていた璃桜が、笑いながら言った。ポンッと吾大の肩に手を置いて。
「……え、えー? いつからそこに?」
「悩みの種が消えて良かったってところから、かな」
要するに、大斎に相談しているところからずっと聞かれて訳だが、本人の表情は非常に穏やかだった。不自然な程にニコニコしている。取り敢えず怒っている訳ではないことに安堵こそした吾大だったが、昨日の今日でどんな顔をして話せば良いのか分からず、つい顔を伏せてしまう。
「……合格って、良いんですか? 私、あなたのやり方に納得している訳じゃないですし、全部受け入れられている訳じゃないですよ?」
そもそも大斎への相談した際にも機能起こったこと全てを話した訳ではない。妖怪や結界は勿論のこと、ナイフで刺されかけたことだって、ぼかして伝えた。
璃桜のファンの生徒に逆恨みされたが、璃桜のおかげで何とか大事には至らなかった、という嘘を折り込みながらの相談になった。
(……昨日あんなことを言っておきながら、私も真実を捻じ曲げてる――何様だよって話よね)
自身への嫌悪感に苛まれながらも、もう璃桜と関わることはないだろう、と割り切ろうとした矢先に、当人から出向いてきて、現在に至る。
折角相談に乗ってくれていた大斎には席を外してもらい、璃桜と吾大は教室で2人きりになる。
「私は手に入れたいものは絶対に手にする。それは相手がどんな性格をしているかを知った上で、という意味よ」
改めておめでとう――上品な拍手と共に璃桜が言う。こんなにも有難みのない拍手や『おめでとう』はそれ程長くない人生で初めてだったが、それ以上に璃桜の言葉に嘘が無いことが分かってしまい戦慄する。
「あなたも自分の知りたい真実のために私を存分に利用すると良いわ。父親の死の真相を知りたいならね」
「……口説きや煽りとしては最低ですからね、それ」
吾大が怒気の込められた口調で言い放つ。昨日僅かに築かれた信頼関係が一気に崩れ落ちたような感覚だ。ただし、璃桜の方はそうは思っていないらしく、舌舐めずりをしながら、尚も挑発的な視線を送る。
ギラギラとした双眸で吾大を見つめ、口角を上げる――肉食獣のような牙が露わになる。ライオンに捕捉された草食動物のような構図だ。
それを理解すると同時に、沸騰していた頭が急激に冷えていく。どうしようもない虚脱感に襲われ、堪らずその場で蹲る。
「そう。その反抗的な態度が尚のこと良いのよ。この学園の生徒の多くが私のことを勝手に神格化しちゃうものだから――今のあなたみたいな目を向ける子が少ないこと少ないこと」
改めて、私の助手になってちょうだい――蹲る吾大に右手を差し伸べ、璃桜が言う。この場に他の生徒がいなくて心底良かったと思う。折角、命の危機を脱したのに、また新たな争いの火種が生まれかねない。
「……昨日、腕切られてましたよね、もう大丈夫なんですか?」
訊いておいて何だが大丈夫なのだろう、と吾大は溜め息を吐く――自分からナイフを引き抜くくらいなのだし、昨日の今日で普通に登校してきているくらいなのだから。
「……璃桜さんって、何者なんですか?」
だから、せめてそれくらいはしっかりと訊いておきたいと思った。
この自称探偵の助手になる覚悟は既に固めている。
「私は璃桜・ブラッドグラス・ファニーナイト――鮮血で謎を拭う、探偵にしてヴァンパイアよ」
宝玉のように美しく、赤い双眸が爛々と輝く。
「……………………あ?」
凡そ先輩に対して出すべきではない声色だった。
人間業ではない、推理のような何かをしてみせた時点で、真っ当な人間ではないことは想像していたが、まさかそれを超えてくるとは――
「ヴァンパイア……え? ばんぱいあ?」
「そう。ヴァンパイア――吸血鬼」
ニカッ、と年相応の笑顔を見せる璃桜――肉食獣のような鋭い牙。
人の血を啜る怪奇の王。
訊かなければ良かった、と深く後悔した後に、情報過多により吾大の意識はブツンと切れた。