探偵志望
時刻は17時を過ぎ、授業は終わり、生徒達はそれぞれ委員会や部活動に向かう。そんな中で、吾大久那と璃桜・ブラッドグラス・ファニーナイトは昨日と同じ空き教室で密会していた。
本来であれば、あの場で謝罪をしてから、勧誘を断るつもりだったが、周囲のざわめきは予想を大幅に超えていたため、こうして時間を置いて、秘密裏に話し合う機会を設けることになった。
「あなたがまた私に会いに来てくれるというのは分かっていたわ」
「……それは、推理ですか?」
訝しむように吾大が言う――『私には事件の真相が最初から分かっていました』という後出しのような、探偵の常套句を聞いた気分だ。
「推理、というよりは吾大さんの印象から予想した感じかしら。あなたはモヤモヤしたら、それを放置はできない子だと思ったの。だから、昨日のあんな終わり方は望んでいないだろうなって」
推理だなんて大層なものじゃないわよ――そう言って、璃桜は軽く笑ってみせる。
「けれど、推理というならもっと飛び切り素晴らしいものを実演してみせるわ、約束してあげる」
「……………………」
大言だとは思えなかった。あまりにも堂々とした態度――恐らくそれが彼女が愛されるカリスマ性の根源なのかもしれない。
だとしたら――ゴキュッと、唾を飲み込む音が静かな教室内に響いた。
(だったら――)
その言葉が真実だというのならば、と吾大は喉元まで出かかったそれをグッと抑え込んで、質問を続ける。
(……違う。私はそんなつもりでここに来てない)
最終的な答えはノーだとしても、せめて璃桜のことをもう少し知ってからでも遅くはないと判断した。
「昨日先輩がおっしゃった『私が解決すべき事件』というのはどういう意味ですか?」
「先輩だなんて余所余所しいわ。璃桜さん、あるいはお姉様かしら」
(距離の詰め方がおかしい……)
ファンならば感涙ものだろうが、生憎とそこまでは至っていない――若干引き攣っている吾大の表情を見てか、璃桜は軽く咳払いをして、質問に答える。
「例えば、刑事って担当する事件によって部署が異なるのは知っているわよね。殺人事件か、詐欺か、交通事故か、とか――それと同じで、私が探偵として担当すべき事件はズバリ、普通の探偵では解決できない案件よ」
「全然ズバリ言えていませんよ。さっぱりです。例え話は分かりました。つまり、専門分野の話ですよね?」
普通の探偵が取り扱わない専門外の事件――つまり、どういうことだ?
言葉に出して、話を整理しようとしたが、再び首を傾げる。
(そもそも普通の探偵って何?)
推理小説に出てくるような奇天烈で、個性的な探偵以外のことか?
生憎と推理小説には詳しくないので、何とも言えないのだが――そもそも探偵が殺人事件に挑むだけ、というのが大きな間違いである。浮気調査や人探しだって請け負っていると聞く。
「詳しくは知りませんけれど」
「十分知っているじゃない。けれど、それらは大きくカテゴライズすると、人間の手で解決できる案件。私が言っている、探偵として解決するべき事件とは、人間の探偵では手に余るものよ。推理の糸口は発見できても、深窓には辿り着けない――人間の常識の埒外……」
怪異事件よ――そう言って、璃桜は妖しく笑う。
(そう来るのか……)
あまりにも突飛な話に、何の冗談ですか――そう問い掛けようと思ったが、これまで接してきた短い時間の中で、璃桜が自分に対して、いつだって心を開き切っていることを知っている。昨日の探偵志望の話や、今日の空想のような話をしている時でさえも、璃桜の目は真剣そのものだった。
(冗談じゃないのか……)
そして、正気じゃないのか――だからこそ、観念したように吾大は苦笑し、近くの椅子に座った。
こんな話を聞くには、まず落ち着いて腰を据えなければならないだろう。
***
観念した、といっても何の考えも無しに璃桜の助手になる訳ではない。
まずは試用期間ということで、探偵の助手を務めることになった――そこで助手としてあまりにも役に立たないと分かればどうなるだろうか。
(きっと私から興味を無くす。もう関わりたくないと思う程に)
ネガティブキャンペーンを実行する。望んで評価を下げるような行為に、一目惚
れとまで言ってくれた璃桜に対して罪悪感が少なからず込み上げてくる。
「怪異……十何年か前には口裂け女とか、人面犬とかいう都市伝説がありましたよね」」
「あるいは、妖怪とかクリーチャーとか、そういう類もね。意外そうね?」
「……ええ。璃桜さんってオカルトとか好きなんですか?」
趣味や嗜好は人それぞれ、とはいえ意外だったのは間違いない。ただし、そういうところも含めて、璃桜のファンは彼女を追い掛けるのだろう。
「好き……というよりは――」
言いかけて、璃桜の目線は廊下に向けられた――耳を澄ますとこちらに向かって足音が聞こえてくる。密会に際して、周囲に生徒や教師がいないことは確認していた。そもそも部活動や委員会でも使われることのない空き教室を選んでいるので、誰かが来ることはあまり想定していなかったのだが――
(……用務員の人かな)
空き教室だからこそ、定期的に清掃作業で来た可能性は十分にある。別にそれならそれで場所を移せば良いだけなのだが、変な勘繰りをされて気まずくなるのは嫌だ。
「吾大さん、丁度良いから私がどんな事件に力を注いでいるのか、お見せするわね」
「え?」
言葉の意図を汲み取れず、聞き返そうとする吾大だが、それよりも先に璃桜が動いていた。
「私達の話が終わるまでここには誰も来ないように手を打っているの。だから、用務員の方でさえもここには来ない」
淡々と説明しながら、教室の扉の前で停止する――その向こうからは人の気配がある。グニャリ、と空間が歪むような違和感を覚える。
「ねえ、吾大さん――あなたはどう思う? 私達のように秘密のお話をする以外に、こんな何も無い所に来る人は、一体どんな目的があるのだと思う?」
続いて、胸を内側から絞め付けるような不安感が襲う。璃桜の発する声のトーン、テンポ全てが自身の恐怖心を増幅させているようだ。怪談を語る時のテクニックのようだ。
だが、現在璃桜が語っているのは怪談ではなく、恐らくは――
(これは……推理、かな?)
だとしたら、一体何を推理している? 何の解説だ?
「……分かりません」
計画通り、璃桜からの質問に対して『分からない』と答える。求められている答えを導き出せず、コミュニケーションを上手く取ることができない、無能で主体性の無い後輩として接する。
これで探偵志望の先輩から失望と不興を買う。
「……………………」
対して璃桜は無言になった。背中を向けているためその表情は窺い知ることはできないが、あの時のような強烈なプレッシャーは無い。単純に吾大が次に何を言うのか、待っている様子だ。
「……璃桜さんのファンが追い掛けてきたんじゃないですか?」
渋々、吾大は答える。無能に努めると決めておいて、我ながら妥当な説だと思った。学園一の人気者である璃桜のファンならば、見知らぬ生徒――あるいは、悪名高い女生徒と逢引きしている、と勘繰ればストーカー行為も辞さないだろう。
「半分正解かしら」
半分ですか――思いの外悔しいと思っている自分に、心の中で舌打ちをしつつ、一応他の可能性についても考察してみる。
(……当たっている部分があるって言ってた。璃桜さんのファンが尾行していたのは――)
この考察が間違いあることを切に願いつつ、吾大は答える。
「……尾行されていたのは、私の方ですか」
***
自惚れがあった訳ではないということを前置きした上で、それでも自分は学園内ではそれなりに有名である自覚があった――悪目立ちという意味で。
父親の件。それに伴う、自身の悪評――尾行が必ずしもストーカー行為とイコールとは限らない。璃桜のファンのような愛情が絡むストーキングと異なり、この場合、憎悪が絡んでくる可能性がある。良くても、愛憎が絡んでくる。
(……あるいは、本当に父さんの被害者の可能性があるのか)
それが真実だった場合、娘である自分は甘んじて暴力を受けるべきか――
(……いや、それはないわ)
それさえ認識できていれば、余計なことを考えて迷うことはない。
「ええ、そこだけ間違えないのであれば――やっぱり私の目は曇っていなかったようね」
そう言って、振り返ると璃桜は自分の手柄のように胸を張り、満面の笑みを浮かべる。背中から放たれていた強烈なプレッシャーは止み、教室内の空気感が一気に変わった。張り詰めていた緊張感はそれでも未だに解消されないが――
「動機は……父の件ですか?」
「さあ?」
全く興味無しといった風に肩を竦める璃桜。興味の対象はあくまでも、吾大久那と現在進行形で発生している怪異事件の真相であって、吾大の父親には一切の関心を示さない。
吾大の顔に僅かに落胆が表れる。期待していなかった訳ではないが、ここまで無関心だと今後話題として振ることができない。
「……疑う訳ではないんですけど、やっぱり璃桜さんのファンの方が追い掛けてきた、と考えた方が自然なのでは? 私個人に対しての尾行なんてどうにもピンときませんよ」
「えー、今更それ言うの? あなた、もう少し自分に自身を持った方が良いわよ。十分に可愛いんだから」
「尾行されるくらいに、ですか? 全く嬉しくないんですけど……」
厳格な規律に縛られ、女生徒しかいない学園では、同性の恋愛は珍しくない。璃桜のファンが彼女に恋慕の感情を抱いているように。それ故に、吾大を尾行している人物が、吾大への恋愛感情を動機としていると言われても筋は通る。
「外部からの侵入者の可能性もありますよね。学園の生徒を狙った変質者、という可能性だって――」
そこまで言って、吾大は口を噤む。可能性の話とはいえ、聞いている璃桜が明らかに納得していなかった。眉間に皺を寄せ、唇を尖らせている。むくれている。
(……くそぅ。ファンが多いのも頷ける可愛さではある)
その先輩から可愛いと言ってもらえたのだから、そこは素直に喜びつつ、再び考察を始める。
璃桜は事件の動機に対しては然程興味を持たず、重視していない――いや、動機が事件の真相に繋がるケースは多々存在する。璃桜も探偵を志しているのであれば、そのことは重々理解しているはずだし、興味が一切無いからといって、推理をしていればどこかしらで動機が関わってくるだろう。
しかし、動機の話をした際に、璃桜の反応は薄かった。ただ興味が無いだけかと思ったが、単純に関係が無いからだとすれば――
(……でも、そんなことある? 犯行動機が事件に絡まないなんて……)
あるとすれば、無差別殺人のような凶悪犯の場合だが、そもそもまだこちらが何かされた訳ではない。自分が尾行されているという状況は確かに事件性を帯びているが。
「早々にここを離れるというのは?」
「……却下。折角、こうしてあなたとお話できる時間なのに、無粋な輩のせいで台無しなんて耐えられないわ」
拗ねるように言う璃桜。ようやく設けられたお気に入りの後輩との密会に横槍を入れられ、機嫌が悪いのが良く分かる。由緒正しきお嬢様学校に通う淑女に凡そ相応しくない敵意を、臆することなく不審者に対して向けている。彼女の親衛隊は恐らくそんな姿すら美しいと褒め讃えるのだろうが。
「私の楽しみを奪おうをいうのだから、相手にも目的を果たせずに消え失せるくらいの覚悟はしておいてほしいものだと思わない?」
「それは……」
同意を求められたが、素直に頷くことができない。
自分が世界の中心であると言って憚らない、エゴの塊のような理論。そこには同意しかねる。
「仮に……これが怪異事件だとして、ただの女学生である私達に、何ができるんですか?」
ただの事件だったとしても、ただの女学生にできることは警察への通報くらいなのだが。それを言ったところで、璃桜が止まるとは思えなかった。
「言ったでしょう。『約束してあげる』って」
「てっきり私は璃桜さんがまだ中二病を引き摺った、ちょっと痛々しい方なのかと」
「ハッキリ言ってくれるじゃない。心を開いてくれて何よりよ。今回はお試しってことで、特別に見せてあげる――」
私の推理を――そう言って、璃桜はギュッと体を回転させ、扉に向かって鋭い蹴りを放った。
金属が潰れる、異音を初めて聞いた。続けてゆっくりと扉が前に倒れる様子を、茫然と眺める吾大。
「……………………あ」
勿論、衝動のままに破壊に及んだという訳ではないのだろう――倒れた扉が不自然に浮き上がっている。件のストーカーが下敷きになっていた。
肉体言語、という言葉は存在するらしいが、恐らくこういうことではないだろう――少なくとも犯人を蹴り倒して事件を解決することが推理だ、と断言したならば、全国のミステリーマニアが大激怒することだろう。
そして、吾大もこれが推理だとは到底認められない。
「勘違いしないでちょうだい。流石に私もこれで謎を解いただなんて言うつもりはないわ。推理をしない探偵なんて、ただのなんちゃってに過ぎないものね」
「今のところ、あなたへの印象がまさにそのなんちゃって探偵なのですが……」
酷いことを言うのね――とは言いつつも、吾大のジットリとした視線を物ともせず、璃桜は倒れた扉の前に立ち、軽い調子で踏み付ける。えいっ、と可愛らしい声だったので、手加減をしたと思っていたが、扉の表面が拉げていた――下敷きになっていた不審者は無事では済まないだろう。扉越しにピクピクと小刻みに痙攣しているのが分かる。
「……その状態の犯人を前にして、一体どのような推理を披露されるおつもりで?」
「まあまあ。そんなに焦らなくとも、順に説明するわね――まずは、この下にいる人を見てもらおうかしら」
下にいる人――たった今、璃桜によって、蹴り倒されて押し潰された哀れなで悪趣味なストーカー。
(犯人、じゃなくて……下にいる人、という表現……)
このなんちゃって探偵が犯人の人権を尊重するような穏健派には見えない。現在、犯人を扉越しに踏み潰す様は、凶悪事件を起こした側のような邪悪ささえ見受けられる。
「……ん、あれ? この人は――」
50代半ばといった初老の男性。面識はあるのだが、記憶の端々まで探りを入れてようやく思い出すことができるレベルだ。
「用務員さんね、この学園の」
「璃桜さん、さっきここには来ないって……」
「本来なら、来る予定は無かったでしょうね。さしずめ、私達が空き教室に入るところを見て、心配になって様子を見に来た――」
「ふっ、踏み潰してますよ! 善意で様子を見に来てくれたのに!」
早く下りてください――顔面蒼白になりながら、璃桜を引き摺り下ろそうとする吾大。すると、すぐに優雅な所作で璃桜はドアから下りた。
「安心して。私の推理はこれから始まるから」
「本当なんですね? 推理を外した腹いせとかではなくて?」
「あなたの中では私の人格が相当歪められているようね」
それにまだ推理すらしていないから――慌てる吾大の表情を愛でるように、璃桜は笑う。何がおかしいのか、と沸々と怒りが込み上げてくるものの、ゆっくりと深呼吸をして、再考する。
(……この状況で、何を以て、この人は怪異事件として推理しようとしているのか?)