放課後の切り裂き魔 其の参
事件の捜査を始めて3日目。被害者の心身の負担を考慮して、2日間に分けて聴取を行った――対峙して、あまり必要の無い配慮だったかもしれないと思い始めているが、璃桜の様子から察するに、必要な情報は集まっているようだった。
「犯人の断定に必要な要素はまだあるから、今すぐ何かできる訳ではないんだけれど……そうね、少し別行動にしましょう。進展があったらすぐに呼ぶから」
そして、また璃桜は足早に去って行った。まるで逃走する犯人のような移動速度だった――いや、璃桜ならば、逃走する犯人を追跡する探偵の如し、とでも表現された方がずっと喜ぶだろう。
そうして3日目の朝、吾大は2日振りに事件の捜査を離れて、教室の自分の机に突っ伏していた。眠気に襲われているというのもあるが、それ以上に2日連続で犯した失態が遅効性の毒のようにジワジワと吾大を苛んでいた。
万木洋と蘇芳飛鷹。
両名から図らずも絵の感想を求められた吾大だったが、美術の知識を一切持たないために述べた感想は極めて一般的なものだった。
万木が描いた抽象画と蘇芳が描いた風景画。
「とてもお上手ですね」
作品の感想を伝えるためのボキャブラリーが圧倒的に不足していた。
友好的に接してくれていた蘇芳だけでなく、あの暴言ばかり吐く万木までもが何とも言えない表情でフォローを入れた時は心底死にたくなった。
「そんじゃ、国語の勉強を頑張らないとなあ」
自己嫌悪で机に突っ伏していた吾大に声を掛けたのは、クラスメートにして親友の大斎麦。
連続傷害事件の捜査については機密情報のため話していないが、美術部の作品に対する感想が全く言えなかったことは相談している。恥や黒歴史は包み隠さない性分だ。
「いや、いやいや……美的感覚は国語だけじゃ磨けないから」
「でも、実際のところ久那は国語得意じゃないでしょ?」
「……んー、まあ。とはいえ、改めて指摘されると腹立つけれど」
そう言って、眉間に皺を寄せる吾大。ケラケラと大斎が笑う。
「聞いたよ、例の事件調べてんだって?」
「そうなん……え? 何で?」
顔を覗き込んで訊ねる大斎を、不意を突かれた吾大がギョッと目を見開き、見つめ返す。
港楽生徒会長からは関係者以外に事件の詳細を話すことを固く禁じられている。これは警察組織においても特におかしな話ではないし、実際のところ吾大は誰にも事件の調査について一切話していない。
(一体どこで漏れた……?)
港楽からは情報漏洩に対する懲罰は特に聞き及んでいないが、良い印象は与えないだろう。そんな不安が表情に出てしまっていたのか、安心させるように優しい声色で大斎が言う。
「ほら、アタシって顔が広いからさ。何もしてなくても勝手に情報が集まるのよ」
「……高等部の事情まで? 顔、広過ぎない?」
「まあ、ね。さっきも言ったけれど、別にアタシが首を突っ込んで知った訳じゃないんだわ。けれど、あんたが何か抱えてるんなら、協力するよ」
「……気持ちだけ受け取っておくわ。情報漏洩は禁止だし、本当に助手をクビにされちゃいそうだしね――ところで、情報ってどんな?」
こんなことで助手を解雇されるのは非常に格好が悪い。恥や黒歴史は隠さないが、できることなら作りたくはないのだ。
とはいえ、厚意を無碍にするのは心が痛んだので、集められた情報については聞くことにした。
ニタリ、と大斎が口角を吊り上げる。
「そうこなくっちゃねぇ。まあ、まずは被害者同士の関係性ね」
それについては確かに気になっていた。
事情聴取を2日間に分けたのは被害者の心身の負担を考慮したため、というのは建前ではあっても間違いないのだが、それ以前に両者が揃わないというのが最たる理由だ。
***
万木洋に美術室で話を聴いた初日に、蘇芳は別の場所で絵を描いている――逆に蘇芳が美術室で絵を描いていた2日目は、万木は別の場所で作品を仕上げていたそうだ。
スペースや画材が足りないという理由ではなく、同じ場所で絵を描かない――互いに避けているのは明らか、あまりにも露骨。
「仲が悪い、という訳じゃない……まあ、良好って訳でもないんだけれど。相互不干渉ってところかな」
「他の美術部員の人とは普通に話しているところを見たんだけど、どうしてあの2人だけ?」
「端的に言うなら、ライバル関係かね。互いに公言した訳じゃないだけど、実力を認め合っていたのは事実よ。他の部員達も、あの2人の距離感に対して何も言わなかったでしょ?」
確かに、と吾大が首肯する。それどころか、万木と蘇芳に対してどこか遠慮しているような雰囲気だった。
「万木さんと蘇芳さんが美術部の中でいくつも賞を貰ってる――つまり、ツートップな訳なんだけど、だからこそ、他の部員はあの2人の関係について何も言えないのよ」
「……なるほどね。そんなこと気に知る暇があるなら、もっと絵に集中しなさいよ、って思うけど」
些か辛辣な物言いになる吾大。
道理であの2人が素人の自分にまで絵の感想を求める訳だ。既に他の部員に聞いた後かもしれないが、あの部の様子から察するに、忖度気味な感想しか返ってこなかったのだろう。
「あー……それじゃあ、ますますあんな感想は無いじゃない」
美術の教養が無いとはいえ、あれでは適当なことを言ったのと大差無い。再び吾大は頭を抱えて、机に顔が潰れる程強く押し当てる。
「それは良いんじゃない? あっちだって、素人なのは承知の上で聞いた訳だし、アンタも嘘言った訳じゃないんでしょう?」
両者の絵を上手いと評したのは本心だったし、それを聞いた両者は特別嫌そうな表情をしてもいなかった。
「だからこそ、万木さんだってフォローしたんだろうけれど……」
あれは彼女なりの友好の証だったのかもしれない。あれだけの猛毒を吐いていた万木洋の友好の表現があれなのだとすれば、落差が激しいにも程があるが――
「まあ、それを言うなら、あの気難しい芸術家がアンタを気に入ったっていうことの方に驚いたんだけど」
「そんなに? ……確かに、この学園の生徒にしては尋常じゃない口の悪さだったけれども」
「流石に常日頃から誰彼構わず噛み付くような人じゃないから――ただ、創作活動に熱中し過ぎるせいで、常時寝不足で苛々しているって話だよ」
「要するに八つ当たりじゃない、何でそういうタイプの先輩達に気に入られるのよ、私は」
吾大は机に全体重を預けて項垂れる。
「……蘇芳先輩は? あの人は、割と普通に良い先輩って感じだったけれど」
「その認識で合ってる。万木洋をライバル視しているけれど、それ以外は本当に後輩想いの真面目な先輩」
「……ライバルって言うだけなら、健全な競争相手に聞こえるけど、あの状況を見るにそんな青春している感じじゃないでしょ?」
「互いにどのくらい意識してんのかは知らないけどね。案外、裏では仲良くしてんのかもよ」
有り得ない話ではないし、その展開の方がこの先随分楽な心持ちで調査を進められるのだが――吾大は腕を組んで、首を捻る。
「結局のところ、あの先輩達の関係性が今回の通り魔と関係しているとは限らないのよね。偶然かもしれない」
偶然標的が2人共に美術部員で。
偶然標的にした2人がライバル関係だった。
「まあ、ね。都合の良い話だけど、可能性皆無とも言い切れないでしょうね。……あの探偵が納得するかはさておき」
その問題も浮上するのか、再び机に突っ伏す吾大。本日は感情と頭の起伏が激しい。
異能を持ち出してまで真実を捻じ曲げることを良しとする女だ。いざ解決した事件の真相が自分好みではなかった時、一体どんな行動を起こすか分かったものではない。
「まあ、偶然で片付けるのはまず難しくなるでしょ。あんなことが起これば」
と、大斎が独り言ちる。吾大同様に腕を組むが、その表情は嫌悪と侮蔑で歪んでいた。
気さくな親友がこんなにも怒りを露わにするのは滅多に無い――初めて話した時以来か。
「……何か、あったの?」
「……ん、知らないか。まあ、だろうね。あれだけ落ち込んでいたんなら、あんまり周囲から情報を受け付けてなさそうだったし――あの探偵様や生徒会長がその内連絡を寄越すだろうけどさ……」
確かに今朝から若干教室が騒がしかったかもしれない――頭の中は連日の失態で一杯になってしまっていたが、切り替えて耳を傾けておくべきだった。
少なくとも、探偵の助手を名乗ろうというのであれば。
「……また被害者が出た。しかも、今度は死傷者。切り裂き魔……とうとう殺人鬼に成り下がりやがった」
***
第三の被害者、東郎塗絵。瑠璃城女学園中等部3年。美術部所属。
被害状況は2件同様の放課後の帰路。死亡時刻までほぼ同じとのことだった。
しかし、前回までと異なる点は、被害者が既にこの世にいないこと――万木、蘇芳のように本人の口から証言を得られないことだ。
「今までは学園側が情報規制を敷いていたから、門にマスコミが来ることはなかったけれど、流石に死人が出るとなるとねぇ……」
黄昏れながら、大斎が教室の窓から校門の方を眺める。吾大が登校した時にはいなかったので気付かなかったが、数人のカメラを携えた記者が警備員と揉めている。
「……生活が懸かっているだろうからね、必死なのは分かるけど。生徒の取材は無理だってのが分からないのかしらね?」
警備員と記者の口論が次第に白熱しているのが、教室まで届く程の声量で容易に想像できる。教室内の生徒達が野次馬となって窓際に集まる。
「……はしたないって、先生方が来たら顔を真っ赤にするんでしょうね」
吾大が冷めた目付きでその様子を眺める。口論する記者と警備員――ではなく、今更になって集まる野次馬の生徒達の方を。
「……次は自分が被害者になるかもしれないっていうのに、呑気にも程があるわ」
吐き捨てるように吾大が呟く。普段はここまで苛立ちを見せることはない――いくら心を開いた親友を前にしているとはいえ、今日は幾分か機嫌が悪いのだろう、と適当に納得する。
「珍しいね。何か気に障ることでもあった?」
「……別に。でも、ちょっと頭を冷やしてくるわね。もし、授業が始まるまでに戻らなかったら、先生には気分が悪いのでって言っておいて」
これ以上は親友に八つ当たりをしそうな精神的コンディションだった。当然のことながら、それは望むことではないので、吾大は教室を出ようと席を立つ。
「準ちゃんにも後で伝えてもらって良い? 多分、先生の手伝いで遅れてるんでしょうけど……」
優等生で教師陣からの信頼が厚い館吹は頻繁に授業の資料運びなどを手伝わされている。それを見て吾大は『たまには断るべきだ』と言っているのだが、彼女は曖昧に頷いては苦笑で返していた。
(ここの先生方は……準ちゃんが断れないと分かってて頼るんだから……本当に腹が立つ)
思い出して、吾大は腸が煮え滾るような怒りを押し殺す。教師の全員が全員そうではないと理解しているのだが、どうしても込み上げてくる感情がある。
「どうしたの、そんな能面みたいな顔して」
「そんな怖い顔してた?」
「全然怖くないわ。アタシ、能面の顔って可愛いって思うから」
不思議な感性だ、とは敢えて言わない。
「璃桜さんに相談してくる。間違いなく、私よりも情報を掴んでいるでしょうけれど」
「……それなんだけど、一つ伝言をお願いできる?」
「ん? 何かあったの?」
真剣な面持ちで大斎が吾大を見つめる。聞き返したものの、脳が警鐘を鳴らしていた。不安材料が増えるぞ、と直感した。
「更識大義の派閥が今回の事件に出張ってくる。派閥員総出で、派閥長の更識が直々に動くわ」
中等部の生徒とはいえ、スタンガンやナイフで武装した兵士のような少女達が犯人の捜査に動く。これは最早犯人の命を奪おうとしているのと同義だろう。
(……改めて考えると、本当にとんでもないな)
護身用に所持していると言っても無理があるだろう、特にナイフ。
「なっ……何でそんなことに? 私達みたいに、生徒会長から何か命じられたの……?」
「連中が動いているのはあくまでも自主的なものよ。復讐、仇討ち、報復――目には目を歯には歯をって奴よ」
被害者の東郎塗絵は更識大義の派閥に属していた。それ故に、犯人を捕らえ、報復する――もとい、然るべき処罰を受けさせるために、動く。勿論、普通の派閥であれば、個人のためにここまで動くことはない。だからこそ、ここで動く更識のカリスマ性に拍車が掛かる。
「そ……そんな、血生臭い話なの? でも、学生でしょう? 犯人に返り討ちに遭うかもしれないじゃない。派閥員全員が動くなんて、そんな……」
「普通の派閥だったなら、まず有り得ないけどね。更識大義が率いるっていうなら、何も不思議なことはないんじゃないの」
大斎が語る、苦虫を噛み潰したような顔で。
薄々感じてはいたが、大斎麦と更識派閥の間には繋がりがある。穏当な関係性ではないのだろうが、これ以上この件に関わらせるべきではないのは間違いないだろう。
「……情報ありがとう。じゃあ、私行くから」
「そうね、そちらこそ気を遣ってくれてありがとっ。連中が動くんなら、アタシはこれ以上首は突っ込まない――けれど、そうね」
一呼吸挟んで、大斎が続ける。唇を吾大の右耳に近付けて、そっと囁く。
「最後の最後に、大事なところでアタシを頼るっていうなら、大好きな久那のために頑張ってあげる」




