放課後の切り裂き魔 其の弐
第二の被害者、蘇芳飛鷹。瑠璃城女学園高等部1年。美術部所属。
地毛か、染めているのかは不明だが、赤いポニーテールと雀斑の少女は嘆息する。
「……ん。別に話すくらいなら良いけれど――警察にはとっくに事情聴取終わってんだけれど?」
わざわざ同じことを言わなきゃ駄目なのか――と。同じ被害者の万木洋程に露骨ではなかったものの、蘇芳も璃桜達の調査に対しては消極的なようだった。
現に蘇芳はカンバスに対峙したままの会話を貫いているし、一向に璃桜と吾大に目を合わせない。
「……絵を描きながらで悪いけれど……っていうか、急に来たのはそっちな訳だし、そこは我慢してほしいのだけれど」
そう言いながらも、蘇芳はカンバスの上に筆を走らせる。
「じゃあ、そのままで良いから聞いてちょうだい。あなたを襲った通り魔について、何か見たことはない?」
「……万木から聞いた通り、本当に先輩に対してそんな感じなのね?」
「すみません、蘇芳先輩……。璃桜さんには後で私からよっく! 言ってきかせますので!」
璃桜に代わり、吾大が深々と頭を下げて謝罪する。自分の爪先を凝視するくらいに直角に、深々と。
「別に……。万木が言ってのは、ほとんどただの愚痴だったし。私はあいつ程その辺り、口煩く言うつもりはないけれど」
筆を走らせる蘇芳からクッ、と笑いを押し殺す声が漏れる。聞いた通りの尊大な態度を見せる璃桜に対する苦笑か、吾大の慌てた様子が面白かったのか――背を向けた蘇芳からは窺い知れないが。
「あなたが気にすることはないのだけれど。そもそも生徒会長が何を以てあなた達にそこまで期待しているのか分かりかねるのだけれど」
一瞬漏れ出た笑い声はやはり空耳だったのか、ようやく振り向いた蘇芳の表情は冷ややかなものだった。
懐疑的な眼差し。
万木のように完全否定、拒絶するようなスタンスではないものの、肯定的でもないという様子だ。
(……まあ、さもありなんって感じかな)
むしろこれくらいの振る舞いが調度良いかもしれない。
万木は結局吾大に対しては態度を若干軟化させたが、それでも第一印象の悪さは払拭できていない。あの態度と口の悪さは、喧嘩や争いからは遠いところにいた吾大の心を震えさせるには充分なものだった。
一方で、蘇芳は中立的なスタンスで、物静かな雰囲気なので、今のところ恐怖心は薄い。
「そこはほら、私の探偵としての才覚を買われたということかしらね」
胸を張って璃桜が答える。自信過剰に思える発言と態度だが、そろそろ指摘することすら面倒臭くなってきた吾大は無視を決め込むことにした。
「ふぅん……へぇ。だけれど、中等部の生徒がこんな物騒な事件に関わるというのは、あまり賛同できないのが本音なのよ。単純に危険だしね」
「まったくその通りですよね……」
あまりにも正論過ぎてぐうの音も出ない。
「……だけれど、警察の捜査がどうも難航しているようなのも確かなんだよね」
蘇芳が苦虫を嚙み潰したように顔を顰める。筆を握っているのは左手――手首まで包帯が巻かれていた。常に清潔な包帯に替えられているためだろう、傷の深さは見ただけでは分からない。
「気になる? 不幸中の幸いと言うべきか、筋は無事だったみたいでね。こうして筆を握って、絵を描くくらいは問題無いのよ。日常生活も……包帯を清潔に保たなくてはいけないくらいかな」
訪問者からの視線に気付いた蘇芳がカラカラと笑う。
「あ、すみません……失礼しました」
「それでも本調子じゃないでしょうに。そこまでして絵を描きたいの?」
すぐさま頭を下げる吾大とは対照的に、璃桜は心底不思議そうに疑問を投げ掛ける。予想できていた行動とはいえ、頭を下げたまま吾大は喉が胃液で焼ける痛みを感じた。
いくら蘇芳が寛容だったとしても、探偵面した後輩からこうもヅカヅカと踏み込まれては面白くないに決まっている。
「愚問よね」
果たして、蘇芳は短く、ハッキリと答えた。
「描きたい気持ちが尽きない限り、私はどれだけ傷を負っても筆を握る」
***
腕が折れようと、絵筆は折らないの――蘇芳は語るが、正直なところ吾大にはそこまでして絵を描くことを止めない理由に全く共感できなかった。
「良く分からないって顔してるね」
蘇芳が苦笑と共に呟く。筆の動きは止まらないが、目線は吾大に向けられている。少なからず、吾大への興味は沸いたようだ。
「……別に共感を求めている訳ではないのだけれど。そうね、あなたも高等部に進学したら美術部に入ってみなよ。少しは私の言いたいことが分かると思う」
「なら、私達の言いたいこともそろそろ分かってほしいものよね。事件の詳細、可能な限りでお願い」
相変わらず先輩に対して敬語を使わず、フランクな口調で訊ねる璃桜。
(これが初対面のはずなのに……この気安さが今まで許されてきたのは絶対おかしいって!)
『お願い』じゃなくて『お願いします』まで言えないのか、と激昂しかけたが、それこそ先輩後輩の立場を忘れてしまっている。
「……覚えてないのよ、生憎と。本当に一瞬の出来事だったし」
悪いけれど――口ではそう言うものの、微塵も悪びれる様子を見せない蘇芳。一刻も早く2人の調査から脱したいという気持ちが一切隠れていない。
「本当に? 万木さんはどうやら見たらしいわよ? 私達に教えてくれたもの」
「は?」
璃桜の言葉に一番驚いたのは吾大だった。璃桜が言ったことはブラフだ。
万木洋はそんなことは言っていない。
(どうしてここでそんなカマを掛けて……? え、まさか疑ってるの、蘇芳先輩を?)
自分には分からない何かを既に探偵として掴んでいるということか。
(万木先輩からの聴取で? でも、あの人は何もおかしなことは……)
思考が深みに嵌まっていく。だが、せめて動揺を表情には出さないように口を一文字にキュッと締める。
恐らく何かしら企んでいるであろう璃桜の邪魔をしないように。
『もしも役に立たないと判断したら言われずともクビにするつもりだから』
発破を掛けるとかではなく、あれは本心だろう。
例え、気に入ったから、一目惚れしたからといって、足手纏いになるようなら本当に容赦無く切り捨てる。
それならそれで良い。むしろ、邦遠連理の代替品であると理解したあの時から、その覚悟はできている。
だからこそ、吾大久那は邦遠とはまた違う助手の姿をここで示すことにした。
璃桜は父親の死の真相を餌にした。
璃桜は吾大の助手としての価値を妥協した。
邦遠連理が璃桜の助手に耐えられなかったというのであれば、吾大は最後まで食らい付き、その上で目的を成し遂げる。
そのためにまずは、見込み違いや妥協という発言を後悔させなければならない。
***
尤も、手当たり次第に関係者に何かしらカマを掛けて、突破口を得ようとしているだけかもしれない――が。
「……へえ」
蘇芳は顔色一つ変えず、聞きに徹している。璃桜の発言を嘘だと見抜いているか、まるで相手にしていない。
「あの子、あんな風に言っておきながら、覚えていた訳か。それで何て?」
「それは守秘義務ということで……と言っても、被害者にも知る権利があるでしょうから」
と、前置きを加えてから、璃桜はカンバスに向き合う蘇芳の顔を覗き込むように語る。描写の邪魔をされた蘇芳の表情が不快感で僅かに歪む。
「……犯人、どうやら女性みたいよ」
「……………………そう」
ピタリ、と蘇芳の持つ筆の動きが止まる。
「……申し訳無いのだけれど、やっぱり私は顔を見ていないから、それを聞いても何とも言えないかな」
蘇芳が言う。やはり、申し訳無さを微塵も感じさせない程に感情の籠っていない声で。今、彼女の中で意識を向けているものは、自らの作品しかないのだろう。
璃桜がどのような意図で発言したのか、吾大には判断しかねたが――推察していた、『カマを掛けて容疑者を炙り出す』という目的が真意だとすれば、それは失敗したことになる。
蘇芳飛鷹は犯人の特徴を何も見ていない。仮に万木洋の証言が本物だとして、蘇芳が見ていなかったとしても、それは矛盾しない。
(切り付けられた中で犯人の特徴を確認なんて、簡単なようでいて、そうでもないか……。普通なら、ショックでそれどころじゃないよね)
「そうね、別に事情聴取は任意だし。ここで嘘を吐かれても、冤罪を生むだけだものね」
そもそも私達は探偵であって、警察じゃないものね――そう言って璃桜はするべき事を終えたかのように、美術室から退出した。あまりにもあっさりと――璃桜にも退室を促すような素振りさえ見せずに出て行ったので、吾大は美術室に取り残されてしまった。
「え、あの……ちょっと?」
「なるほど。噂に聞きし自由人のようだけれど……あなたも苦労しそうね、吾大さん」
と、初めて蘇芳が吾大を名前を呼ぶ。
「あ、あはは……分かりますか? え、と……私の名前――そういえば、いつ名乗りましたっけ?」
「まだ名乗られてはいないわね、吾大久那さん。こちらが生徒会長様から一方的に聞かされただけよ。だけれど、そうね……」
描画が一段落着いたのか、絵筆を置いた蘇芳がゆっくりと吾大の方へと向き直る。
「聞いていた話よりも、印象は大分変わったかな」
「そうですか……。拍子抜けさせてしまいましたか?」
港楽生徒会長が一体どのように被害者達に吹き込んだのか気になるところだが――少なくとも、璃桜のキャラの濃さに意識が向けられて、自分の存在など意にも介さないだろうと高を括っていた吾大は驚きを禁じ得なかった。
学園のアイドルにして探偵の璃桜に比べれば、助手とはいえ自分の存在など脇役にも等しいのに――
(……ん、駄目だな。どうにも自分を卑下し過ぎちゃう。これじゃあ、本当に役立たずになってしまう)
吾大は軽く頭を横に振り、余分な思考を散らせる。
「いや、別に。拍子抜けも何も、あなたのことは生徒会長に言われて初めて知ったし。璃桜さんのことは……中等部に凄まじい子がいるとは聞いていたけれど。まあ、大変そうだなとは思ったけれど」
憐れむように苦笑いを浮かべる蘇芳。初対面の先輩に心配されてしまった。
「……あなたも、この状態で絵を描くのがおかしいと思う? 切られた腕を酷使してまで絵を描くことは変だと思う?」
「ん……それは、絶対安静にすべき、とかそういう話ではなくて……ですか?」
「そうね。いや、それも間違った意見ではいないのだけれど……もしも、あなただったら、描きたいものがあったら、腕に酷い怪我を負ってても絵筆を握るかしら?」
どんな答えを期待しているのか、楽しそうに蘇芳が吾大の表情を覗き込んで訊ねる。
吾大は絵を描くことが好きな訳ではないので、腕を切られたら、まずは治療を優先したいところだが、蘇芳が訊きたいのはそういうことではないのだろう。
果たして、吾大は答えることができなかった。
万木が同様に怪我を無視して絵を描く姿を見て思ったが、やはりそこまでして絵を描きたいという気持ちが良く分からなかった。
おかしいかおかしくないか、ではなく純粋に疑問だった。
(そういえば……私って、美術の成績良くなかったっけ。こういうところなのかな……?)
フッ、と蘇芳が微笑する。吾大が何を考えているのか大体察したのだろう。そして、その上で質問を重ねる。
「……じゃあ、私が今描き上げた絵だけれど、どうかな? 感想を聞かせてほしいな、率直な感想をね」




