◆絆
暫く呆然とした。
何かの冗談かと何度も思ったが、そこには何もない。
悲しいという感情はなく、胸がいっぱいになり涙が出る。
涙も枯れると、今度は嗚咽が出た。
俺が何をしたっていうんだ…。
思わず机を叩いてしまった。
電流のような痛みが走る。包帯でまかれた右手は傷が開いたのかうっすらと朱が滲む。
カラーペンで塗ったような朱。もしかしてこれ全部冗談なんじゃないのか?
天使は黙って座ってる。
ぐちゃぐちゃな心は受け入れろと迫る気持ちと、何かの冗談だという否定の気持ちが入り乱れ、自分でもまともな精神じゃないと理解できた。
水は少しなら飲んでもいいと言うので、口を濡らす程度の水を含んで息をついた。
廊下からパタパタと足音が近づいてくる。
ガラッと扉が空いた。
「おっす~! 元気~?」
姉の香が来てくれた。
薔薇の大きな花束を持って、まるで結婚式かと思うようなドレス調の服。
扉の外では足を止め振り返る人がいて、少し恥ずかしかった。
「ちょっと、病院なんだからもうちょっと何とかなんないわけ?」
「いや~、仕事帰りでね。かっこいいでしょ!」
香は薔薇を花瓶に移すと、中に十円玉を入れた。
そして、ビニール袋から買ってきたよ~とビールを取り出してテーブルへ置いた。
「いや、流石に駄目だから。」
「そうなの? 勿体ないわね。」
プシュッと開けると呑みだした。
天使は何も言わない。
駄目だ、早く帰ってほしい。
かぁ~と気持ちのいい声を出して呑みだす香をみていたら、ちょっと安心してしまった自分が悔しい。
姉が二本目に手をかけた頃、また扉が開いた。
「やぁ、幹君。大変だったみたいだね。」
扉は引き戸で、天井近くまでついているのに頭を下げながら入ってきた。
香の旦那、椿満だ。
「えぇ、ご心配おかけします。」
二人が入ってくると、天使はスッといなくなった。
そんなに交流のない満さんは、まだ他人の感覚が強い。
姉に一目惚れして長男だったにも関わらず婿入り。それでかなり揉めて結婚は強行したとか。姉とは正反対の真面目と誠実さで弁護士をやっていて、未だに姉と何故くっついたのかよくわからない。
「いやいや、大変な時は心配だけじゃなくて、迷惑をかけてくれ。…義理とはいえ、弟なんだからさ。」
「…ありがとうございます。」
姉の隣に小さな椅子を持ってきて座った。並んでも座高ではちょっと満の方が高いくらいで、その分足が長いってことだろうか。羨ましい限りだ。
「そういえば、香…、あぁ香さんに頼まれて、幹君の弁護士をする事になったから、暫く出入りするけどよろしくね。」
親指を立ててグッとする。
「そうなんですか。ありがとうございます。めちゃくちゃ取ってくださいね。」
「当たり前よ、長男を仕事出来ない体にされたんだからね。これは堅いよ。」
香は指を一本立てた。
「一千万か。まぁ、それでも暫くゆっくり出来るよ。」
ふふ、と満さんは笑った。
「いやいや、幹君。1億だよ。両足切断、しかも膝から下はない。まだまだこれから不自由な事は出てくるかもしれないからね。……まぁ、僕がついたからには1億ぐらいじゃ終わらせないけど。」
満はピースサインをした。
前言撤回。やはり姉と結婚できる男だ。
しかし、遠慮なく話してくれる二人が来てくれて少し気が楽になった。
なんとなく笑ってしまう。
姉は気にせずビールを呑んでいるし、満は如何に絞るか話を続けている。
「ありがとうございます。」
なんとなく言ったその言葉に二人はにこりと笑った。
「何よ、全然元気ね。無理して見舞いにくる必要なかったじゃん。」
「そういうなよ。」
満はなだめながら、こちらに目線を送った。
「香…さん。幹君に意識が戻ったって聞いて、割と重要なパーティー切り上げて来たんだよ。連絡貰って僕もタクシーで合流してすっ飛んできたわけ。もっと素直になったほうがいいと思うんだけどな。」
一人で満は笑っている。姉は顔を真赤にして、椅子を立ち上がった。
「まぁ、無事で何より。命あれば何でも出来るさ。じゃあ、また来るから。」
「ありがとう、姉貴。」
いいって事よと手を振りながら去っていった。
満も席を立つと、一応と名刺をくれた。
「香より僕は暇だから、何か欲しい物とかあったら気軽に言ってくれよな。」
体と同じく、今日は満さんの心強さも感じた一日になった。
最後は姉貴の事、呼び捨てにしてたけどまぁいいだろう。
心の支えとか、今まで感じることはなかったけどこういう事なんだな。
…ちょっと頑張ってみるか。
気が楽になった俺は、まだ陽は登っていたが寝てしまった。
明くる日、天使とは違うナースが小さいダンボールを持ってきてくれた。
差出人は満さんだ。
中を見ると、新しいスマホと、快楽天が入っていた。
…わかってるな、満さん。




