クリスマス
「クリスマスって、ほんと馬鹿らしいわよね」
開口一番、カウンターの奥で食器を拭く僕に彼女はそう呟いた。
僕達がいるのは裏通りにある質素なカフェ。アンティークだがしかし整頓された内装は、寒空の下訪れる人々に暖かな印象を与える。その入口の前で肩に積もった雪を払い落としているのは僕のお客であり大切な友人でもある、美しい金髪を持つ若い女性。そして、彼女には一つ不思議な特徴がある。
彼女が首に巻いたマフラーを外すと、僅かに、しかし鋭く尖った耳がぴょこんと顔を出した。金髪、そして尖った耳───そう、彼女は僕達が言うところのエルフなのである。
外国の高名な学者が、異世界への扉を発見したというニュースが流れてから早三年。人間界とは別に生命体が存在する世界があることが分かった人間は大いに興味を示し、調査の末異世界に住む生命体と交流を持つことができた。幸い向こうの種族にも人間と同じように知識を持つものがおり、彼らを中心としてお互いの言語を理解することができたことによってお互いの世界に異世界人たちが住み着くようになった。
当初は大きな話題を呼び、街中を歩けば異世界人を囲む輪が多く見られるなど異世界が一大ブームとなったが、今となっては当たり前の生活の一部として溶け込んでおり、そして異世界人用の雇用も活発化している。異世界人を雇うということに積極的に活動を進めたのが日本である。
今日訪れた彼女もそうした異世界人の一人である。人間達で言うエルフにあたる彼女の種族は相対的にかなり高い知能を持っており、そのため彼女たちは他種族に比べ人間界での雇用が得やすく、この日本で最もよく見られる種族と言われる。彼女も、大手の広告会社でOLとして働いている。
「立ち話もなんですし、こちらのお席にどうぞ」
「ん、そうするわ。マスター、いつもの頂戴」
カウンター席にどっかと座った彼女に、入店時から準備していたコーヒーを差し出す。彼女のためだけのオリジナルブレンドだ。
静かに置かれたカップを彼女はさっと掴み取り、香りをゆっくりと堪能してから口元に運ぶ。彼女がする全ての仕草が人間離れした美貌と相まって優雅に見える。
「・・・・・・うん、このコク深い味わいがいいのよね」
「喜んでいただけて幸いです」
「それで話を戻すけど、なんで人間っていうのは自分に縁もゆかりも無い地域の、会ったことも話したこともない聖人の誕生日を祝うのかしら?特にニホンっていうのは基本的には無宗教なのでしょう?」
「リジーさんの世界でも様々な宗教があるそうですね。それもそれぞれの国ごとに国教が決まっているとか」
「まあそうね。詳しくは国ごとというより種族ごとみたいな感じだけれど」
一部を除いてね、と彼女───リジーさんはまた一口コーヒーを啜る。
「恐らくこの世界よりも私たちの世界の方が全体的に見て知能レベルは高いわ。こちらと違って多くの種族が言語を操ることができるもの。だからその分それぞれが信じる考えは大きく異なってくる。
一種族からしたら、他の種族の考え方なんて到底理解できないないものばかり。そもそもの身体の構造とかが全く違うものね。稀にある種族の習慣がが自らの宗教観からしていて異端だとして戦争が起こることもあるけど、基本的にはお互いに無視、不干渉を貫いているわ」
「だからこそ、僕たちが何故違う宗教の祭日を祝っているのか分からない、ということですね?」
リジーさんが小さく頷く。カップから立ち上る湯気を見つめる顔はどことなく真剣だ。彼女の種族は知能が高いが故に、更なる知識への強い渇望心を持っている。彼女もその特徴を見事に受け継いでいた。
「これはあくまで僕の推測にすぎませんが、リジーさんの世界とは違って地球では高度な知能を持つ生物が人間しかいないからだと思いますね。確かに人間の中でも住む国や地域によってある程度の差はあります。しかし身体の構造はどの人種も同じなので違う宗教でも似通っている部分があるのかも知れません」
「でもこちらの世界でも宗教戦争はあるんでしょう?」
「もちろんです。それぞれが崇める神や従うべき習慣は異なりますから。全ての国でクリスマスが祝われている訳でもありません。
逆に、元の宗教のようにクリスマスが祝われている国の方が少数派でしょう。日本を含め、他の宗教を信仰している国では一種のイベントとして受け入れられているようです」
「違う宗教の祭日をイベントにねぇ。私には受け入れ難い考え方だわ。多分だけど私たちの世界の住民はみんなそうよ」
「良くも悪くも多様性、ということでしょうね。それにもしそちらの世界で同じようなことをしていたら、毎日がお祭り騒ぎになってしまうでしょう」
僕の冗談を彼女は鼻で笑って流した。彼女のツボを探ろうとしてもいつもこうやってはぐらかされてしまう。
彼女はカップの中身を一気に呷ると、挑発するような目でこちらを見上げる。
「ねぇ、コーヒーが冷めてしまったわ。もう一度淹れてくださる?」
「・・・・・・分かりました」
先程と同じ要領でコーヒーを淹れる。それともう一つ、小皿を共に並べる。
「あら、これは何かしら」
「今日焼いたクッキーです。そちらのコーヒーと合わせて食べるとより美味しいですよ」
「気が利くじゃない。一つ頂こうかしら・・・・・・うん、この・・・・・・チョコチップっていうの?この甘みがコーヒーによく合うわね」
「深煎りのコーヒーには甘いものを合わせると味が引き立ちますので」
「ほんと、細かな気遣いができる男よね。マスターは顔も悪くないんだしさぞかし女の子からは人気なんじゃないかしら?」
「・・・・・・さぁ、どうでしょうか。気になる方からはそんな素振りもありませんから」
その言葉を聞いてリジーさんは少し衝撃を受けたような顔をする。
「なに、マスター好きな人いたの?そうならそう言ってくれれば良かったじゃない・・・・・・私で良ければ相談に乗るわよ?」
「お気持ちだけ頂いておきます、ですがこれは自分で解決すべきことですから」
つれない僕の言葉に拗ねたような表情をする。いじけたような顔も似合うので美人は得をするよな、と思う。
「マスターって意外とストイックな所あるわよね。でも、もたもたしてたら他の男に取られちゃうかもしれないから気をつけなさいよ?」
その言葉に微笑みで返す。この微笑みにどんな感情を抱いたのか、リジーさんはふいに顔を背けて壁掛けの時計の方を見る。
「あーっと・・・・・・もうこんな時間ね。そろそろ帰るわ。ご馳走様」
「あっ、リジーさん。ちょっと待ってください」
そう言って僕はカウンターの下から丁寧にラッピングされた小さな箱を取り出して、鞄を持ち席を立とうとするリジーさんに手渡す。
「これは?」
「クリスマスではサンタと呼ばれる人物が子供たちにプレゼントを配るんです。リジーさんはこちらの世界に来てまだ一年も経っていませんし、折角なので初クリスマスを楽しんでもらおうと思いまして」
「ふーん、そうなの。子供扱いっていうのが少し気に入らないけど、そういう事なら貰ってあげる・・・・・・今、開けてもいいかしら?」
僕は頷いてそれに答える。リジーさんが恐る恐るラッピングを破り、箱を開けるとそこには一つの髪留めが入っている。木の枝を象った、質素ながらも美しい色をした逸品。
それを見た瞬間、彼女は驚いた顔をして、自分の前髪に触れる。そこにはシンプルなピンク色の髪留めが付いていた。
「この髪留め・・・・・・私の・・・・・・?でも少し違う・・・・・・」
「先週ご来店頂いた時、少し落ち込んでましたよね。愛用されていた髪留めを付けてませんでしたから、少しでも代わりになって欲しくて選びました───以前のもの、見つけられなくて申し訳ありません」
彼女は震える手で髪留めに触れる。枝を模した髪留めは照明に照らされて翠から碧へと色を変えながら煌めく。
「あれは向こうの世界で買ったものだもの、見つけられなくて当たり前よ。あの髪留めも大事だったけど、これも同じぐらい、いいえ、それ以上に・・・・・・!」
「お付け、いたしましょうか」
彼女は手で口許を抑えながら小さく頷く。僕は小さな手の上から髪留めを取り、カウンターを回って彼女の前に立ち。今付いているものと置き換える。
彼女の美しさを体現している金髪と、生命の美しさを体現した緑の枝。
その二つの美は共鳴し、彼女の持つ美貌を更に上の段階へと押し上げた。そのあまりの美しさに僕は言葉を失ってしまう。
「どう、かしら?」
彼女の不安そうな問いかけ。僕はそれに、彼女を思い切り抱き締めることで答えた。彼女の細く尖った耳が先まで赤く染まってゆく。
「この髪留めを見たとき、私はとても嬉しかったの。この人は私のことを本当に気にかけてくれてるんだって、気付けたから」
今にも泣き出しそうな、震える声で彼女は囁く。それに応えるように、僕はまた強く抱き締める。彼女も、僕の背中に腕を回して応えてくれた。
「僕があなたにできたことはとっておきのコーヒーを出すことだけ。初めはこのカフェで話をするだけで十分だった。でも、僕の気持ちはどんどん大きくなっていって───今日、失敗したら僕はこの店から逃げ出していたかもしれない」
「逃げ出さないわよ、あなたがいるのだもの」
僕の、私の心臓の音が外まで聞こえてはいないかしら。そんな不安を抱きながらも、二人はお互いの温もりを分かちあった。
いつまでそうしていただろうか。どちらともなく離れた僕たちは、急に恥ずかしくなって顔を背けた。
「えーっと・・・・・・先程のプレゼントの話ですが、日本のクリスマスでは恋人もお互いにプレゼントを送りあうとか・・・・・・」
頬を掻きながらの僕の言葉に彼女は小さく吹き出した。僕はそれに驚いて、クスクスと笑う彼女の横顔を見つめた。
あぁ、本当に綺麗だ。
「あなたって、気が利くと思えば意外と不器用な所もあるのね。ほんと、気に入ったわ」
彼女はそう言って、僕の手を握る。そして手の甲に指先で一つ円を描いてからその中心に軽く口付けをした。そして自らの手もこちらに差し出した。
「これは私たちに伝わる契約の儀式。この儀式をした男女は共に添い遂げることを誓うの。本当は祭司も呼んでしっかりとやるんだけど、今回は簡易型ね。本番は、またいずれ・・・・・・」
「リジーさん・・・・・・」
「もう、リジーで良いわよ」
そう言って彼女はまた頬を赤く染めた。そして催促するように手を差し伸べてきたので、彼女にならって儀式を終える。
そのまま互いに見つめあっていた僕らは、またどちらともなく顔を近づけ、今度はお互いの唇に口付けを交わす。
雲の切れ目から覗く月の光が、重なった二つの人影を照らしていた。