4話 魔素の雨
太陽が昇るとともに、バイクのエンジン音が砂の大地を揺らす。
柏木とアイシャは、朽ちた舗装道路を抜け、かつて「ナゴヤ」と呼ばれていた旧都市の外縁部へと差しかかっていた。
「なんだこの空……やけに黒いな」
柏木が見上げると、分厚い雲が地平線から湧き上がるように押し寄せてきていた。黒紫色に染まったその雲は、空気ごと重たくしている。
「……”魔素の雨”が来るわ」
アイシャが呟いたその言葉に、柏木は眉をひそめる。
「魔素の雨?なんだそれ」
「ウイルスに侵された大気が、過剰な魔素を含んだ状態で雨になるの。浴びると、魔族でも正気を失うほどの濃度よ。生身の人間なら……」
「……なるほど、逃げるしかねぇな」
柏木はすぐにハンドルを切り、近くの廃墟へとバイクを滑り込ませた。かつてショッピングモールだった建物は天井が抜け、朽ちた看板が今にも落ちそうに揺れていたが、少なくとも雨は凌げる。
「ここで一晩、やり過ごすか」
「ありがとう……柏木」
アイシャはほっとした顔を見せた。だがその表情の奥には、どこか張りつめたものが見え隠れしていた。
柏木は焚き火を用意し、持っていた乾パンを二つに割って差し出す。
「ほら、飯でも食え」
「……ありがとう」
ふたりでパンをかじりながら、ぽつぽつと雨が天井を叩き始めた。雨音が次第に大きくなるにつれ、アイシャは焚き火の光の前で、そっと口を開いた。
「ねぇ、柏木。私……たまに夢を見るの」
「夢?」
「私が王女だった頃の夢。あの城の広間で、姉たちと笑い合ってる。でも、最後にはいつも真っ黒な炎が全部を焼き払うの」
アイシャは自分の手を見つめた。
「その炎の中心にいるのが、私なの」
柏木は焚き火の炎を見つめながら、静かに言った。
「それは過去の記憶か? それとも……予知夢みたいなものか?」
「分からない。でも最近、それが現実に近づいてる気がする。私の中の”力”が、少しずつ膨らんで……制御できなくなる日が来るんじゃないかって、怖いの」
その目は、本当に怯えていた。世界を脅かすような存在ではなく、ただ力に振り回される一人の少女の目だった。
「もし……もし私が暴走したら、その時は……」
「俺が止めるよ」
アイシャの言葉を遮るように、柏木は言った。
「お前が何者でも関係ねぇ。危なくなったら、俺が止める。でも、そうなる前に一緒に答えを探そうぜ。なぜウイルスがこんな魔力を生んだのか。どうしてお前だけが、”災厄の器”になったのか」
その声に、アイシャの目がわずかに潤む。
「……うん」
ふたりの間に、静かな炎の揺らめきがあった。外では魔素の雨が容赦なく廃墟を打ち続けている。だが、この焚き火の灯りだけは、ふたりを温かく包み込んでいた。
やがて、雨音の向こうに「ガコン」と金属音が響いた。
柏木は立ち上がり、剣に手をかける。
「誰か来たな……」
「まさか、追手……?」
アイシャも立ち上がり、ローブの奥で魔力を練る。
そして、破れたガラスの向こうから姿を現したのは――
「やれやれ、まったく……探したぜ、柏木!」
懐かしい声とともに現れたのは、全身に砂をかぶった屈強な体――エドワード潤だった。
「……エドワード!?」
「お前、ひとりでいいとこ取りする気だったろ。俺を置いていくとか、どんな正義感だっての」
柏木は唖然とし、次に吹き出した。
「……来ちまったか、お前」
「来たぜ。お前の”旅”に、面白い仲間が一人加わるってことで、頼むわ」
そう言って、エドワードは手を差し出した。
そして――その背後で、見知らぬ少女がエドワードの背に隠れるようにして立っていた。
「彼女は……?」
「拾いもんだ。変な力を持ってるらしいが、悪いやつじゃない……たぶんな」
柏木は少しだけ警戒しつつも、少女の瞳を見た。その奥には、アイシャと似た”何か”が宿っていた。
世界の終焉から芽吹いた魔の力。
そして、また一つ、”謎”が集い始めていた。