3話 目覚めのオアシス
「サンドクイーン…だと?」
柏木の目の前にいる黒いローブの少女は、砂埃にまみれながら小さな肩を震わせていた。先ほどの叫びが嘘のように静かで、しかし確かな恐怖と切実さがその瞳に宿っていた。
「冗談を言うにはタイミングが悪いぜ」
「冗談なんかじゃない…お願い、隠して。奴らが来る」
少女の声は震えていた。ローブの中から見える手は、血で汚れており、細かく裂けた服からは逃走の激しさが読み取れる。
柏木は一瞬だけ迷った。だが、目の前の命を見捨てられるほど、彼は非情ではなかった。
「分かった。こっちに来い」
柏木はバイクの後ろの麻袋の中を空け、少女を座らせる。すぐにバイクのカバーと布で隠すと、少女の気配はその中にすっぽりと消えた。
直後――。
「おい、そこのお前!黒いローブの女を見なかったか!」
鋭い声とともに、武装した男たちが現れた。顔の半分を仮面で隠し、肩にはギルドとは異なる紋章。どうやら、彼らは少女を追っていた組織のようだ。
「ローブの女?知らんな。俺は今、旅の準備中だ。邪魔しないでもらえるか?」
柏木はバイクの横に仁王立ちし、涼しい顔を装った。だが、腰の後ろにある短剣には、すでに手がかかっている。
男たちはしばらく睨みつけていたが、やがて舌打ちをして去っていった。
「ふぅ…」
ひと息ついて、柏木は麻袋をめくる。少女はじっと黙っていたが、その目には安堵の色が浮かんでいた。
「名前は?」
「…アイシャ。サンドクイーンなんて呼び名は、もう昔の話よ」
「じゃあ、アイシャ。ひとまず、話を聞こうか」
柏木はバイクを押して、人気のない岩陰へと移動する。かつての砂漠の王国も今は朽ち果て、遺跡と瓦礫の影にしかその面影を残していない。
「私は……処刑されるはずだったの」
アイシャは岩場の隙間で、乾いたパンと水を口にしながら話し出した。
「王国が滅びたあと、私たち姉妹はそれぞれの方法で生き延びた。でも……私は、魔法の力が強すぎたせいで、”災厄の器”と呼ばれたの」
「災厄の器?」
「この力は、私が選んだものじゃない。でも、時々暴走する。……多くの人を傷つけた」
柏木は黙って話を聞いていた。
「それで、王国の残党に追われているってわけか」
「ええ。私の魔力には、ウイルスの根源――『DJIRS-5329』に関わるものが含まれているらしいの」
その名に、柏木は思わず身体を固くした。
「それ……俺の両親が作ったウイルスの名前だ」
アイシャの目が大きく見開かれる。
「あなたが、科学者の息子……!? だったら、やっぱりあなたにしか頼めない」
柏木は顔を伏せ、苦々しく笑った。
「皮肉だな。世界を滅ぼした科学者の息子が、今さら誰かを救うって?」
「でも……あなたがいなければ、私はもう終わっていた。事実よ」
アイシャの声は、静かに、そして力強かった。
沈黙が降りた。
だが、それは不快なものではなかった。ただ、お互いの背負うものの重さを測り合うような、静かな時間。
そして――。
「分かった。アイシャ、俺と一緒に来い」
柏木は立ち上がり、手を差し出した。
「この星の謎を解く旅に、お前が加わるのは悪くない。お前の”力”とやらも、きっと意味があるはずだ」
アイシャはその手を見つめ、そっと握り返した。
「ありがとう、柏木……あなたとなら、過去と向き合える気がする」
こうして、柏木結城の孤独な旅は終わりを迎え、新たな旅が始まった。
かつて人類が失い、そしてウイルスが与えた奇跡と呪い。
滅びた星で交差する運命は、静かに動き出す。
そして――アイシャの背に宿る”災厄の力”が、世界を再び大きく揺るがすことになるとは、この時の柏木はまだ知らない。