10. 適性のある魔法
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迷宮探索から帰ってきて、少し休んだあとは剣を振る。
肉体的にも精神的にも疲労が残っているので、危険な探索にもう一度出ることはできないが、こうして訓練をするぶんにはぎりぎりまで一日を使うことができる。
当面の目標としては、武具強化をもっと自然に行うことだ。
まだかなり意識をしていないと魔力を剣先まで伝わせるのが難しいので、敵がシャドー以上になると厳しい場面もあるかもしれない。
毎日、毎日、疲れていても訓練を続けているのを見て、カミコは感心を通り越して呆れたような顔をしていたが、できることはなんでもしないといけない。
そんなことを考えながら剣を振っていると、ふと思い出したことがあった。
「シャドーっているだろ」
「え?」
カミコが疑問の声をあげた。
ちょうど彼女はホムンクルスの少女の体を動かしてやっていたところだった。
リハビリテーションである。
グレイは培養槽から出たあと、自分ひとりで無理矢理体を動かしたが、こちらのほうがリハビリとしては普通だろう。
探索でグレイがいない間にも、カミコはおりを見てはリハビリを行っている。
体に無理がかからない範囲で少しずつ、邪神を自称しているくせに世話焼きな彼女らしく丁寧な作業だ。
もっとも、体が動くようになったところで、動かそうという意思のほうが得られるかどうかはわからないが。
ともあれ、そちらに集中していたカミコは、話しかけた言葉を聞きそびれたらしい。
首を傾げてくるので、もう一度言った。
「ほら。シャドーだよ。カミコによく似てるやつ」
「……」
きょとんとされた。
返事はなく、沈黙。
不自然なほどの。
一瞬あとに、爆発した。
「はぁああああ!?」
ホムンクルスの少女を手早く寝かせると、カミコは勢いよく立ち上がった。
両手が中途半端な位置でわなわなと震えている。
カッと目が見開かれた。
「ちょっ、なっ……シャドーとわたしが? 似てる? どこが!?」
「え? いや、落ち着けって。剣、危ないから」
詰め寄ってこられて、慌てて素振りに使っていた剣を手放した。
しかし、カミコの興奮は収まらなかった。
「これが落ち着いていられますか! え? なに? あんなのっぺらぼう野郎と、わたしのどこが似てるっての!? ちゃんと見て! ほらほらほら! ぱっちりおめめと可愛いおはな。くちびるなんかツヤツヤですけど!?」
自分の顔を指し示して叫ぶカミコ。
どうやら自分はなにか失敗したらしい、と遅ればせながらグレイは気付いた。
彼女と会話をしていると、こんなふうに会話がうまくいかないことがたまにある。
パートナー、いや友人……契約相手。
なんにしても初めてだから、わからないことだらけだ。
それが女の子となれば、なおさらだった。
「もしかして、これがグレイのいた世界の美醜の判断基準? わたしもそれに合わせるべき……?」
「それはない。違う。落ち着け」
変な方向に思考がすっとんでいくので、さすがにとめた。
「カミコは美人さんだよ」
口にしたのは世辞ではない。
表情がコロコロ変わるので可愛い印象のほうが強いけれど、すました表情をしていると、とんでもなく整った顔立ちだとわかるのだ。
「カミコほどの美人は見たことない」
「え? そ……そうかな。そんなまっすぐ褒められると照れちゃうけど」
てへえへーと可愛くなるカミコ。
数秒して、はっと我に返った顔をした。
「いや。騙されないよ! だったらなんでシャドーなんていうのさ!」
詰め寄ってくる彼女に、グレイは答える。
「だって、ほら。初めて俺の前に出てきたとき。床から影みたいに立ち上がってきただろ」
初対面の印象というのは強いものだ。
そうでなくても、あの登場の仕方は印象に残っていた。
ただ、本人の言い分は違うようだった。
「ぜっ、全然違う! あんな陰気な影の魔物と一緒にしないでくれるかなあ。わたしのは水なんだから!」
そういうと、カミコは肩を掴んできた。
「わっ」
足をひっかけて、転ばされる。
ただ、倒れることはなく、ぽよんとやわらかいものに体を受けとめられた。
「……なんだ?」
見れば、平べったく大きなクッションのようなものが体の下にあった。
弾力があり、ひんやりしている。
視線を巡らせれば、カミコの下半身がかたちを失って、床に広がっていることがわかった。
「え。なんだこれ。すごい」
「わたしは元々、水を司る女神だからね。体を液体にするのなんて簡単なのさ」
ふふん! と鼻高々なカミコだが、実際これは不思議だ。
ファンタジーだ。
「どうなってるんだこれ。俺にもできる?」
「んー。難しいけど、無理ではないと思うよ。ホムンクルスは第三種存在だから」
「第三種……なに?」
「この世界の生き物の分類のひとつだよ」
それは、埋め込まれたホムンクルスの知識のなかにない。
怪訝そうにしているこちらを見て、知らないと気付いたのかカミコは説明をしてくれた。
「この世界の物質には二種類あってね。物理的な元素と、魔法的な魔素っていうのがあるんだよ。ここまではいい?」
「元素のほうは元いた世界にもあったけど……魔素のほうは、魔力の源みたいなイメージでいいのか?」
「そうそう。すべての存在は元素か魔素のどちらか、あるいは両方で構成されてるってわけ。生き物もね。
人間みたいな、肉体が純粋に物理的な存在が第一種存在って呼ばれてる。でもって、エルフみたいに魔素も肉体を構成する一部なのが第二種存在。純粋に魔素で肉体が構成されているのが第三種存在だね」
「ホムンクルスは魔法生物だから、第三種になるってことか」
「正解。でもって、魔素っていうのは普段も魔力として魔法で利用しているし、融通も利くから、同じ要領でカタチを変えることも不可能ではないわけ。こんなふうにね」
かたちを失って、いいあんばいのクッションと化した自分の下半身をカミコは示してみせた。
「ただ、これは魔素で体が構成されているからできることなんだ。第一種、第二種存在だとできない。でも、純粋に魔素で肉体が構成されている第三種存在ならできる。簡単なことではないけどね」
「なるほど」
自分が魔法生物だというのは認識していたが、そのような違いがあったらしい。
もっとも、体が魔素でできていると言われても実感はないが。
「ちなみに、わたしみたいな神柱は第四種存在って分類されてるね。神柱は本来、この世界に肉体を持たないんだ。魔素で受肉することで、物質世界に顕現してる。これがけっこう大変で、その時点で力の多くを割くことになるんだけど……まあ、これは余談だね。高次存在であること以外はグレイと同じって考えてもらえばいいよ」
「だったらあいつは?」
ホムンクルスの少女の近くで、ふよふよと飛んでいる光に目をやった。
「精霊はどの分類になるんだ?」
「あれは魂だけの存在だよ。神と違うのは、受肉できないことだね」
「へえ。いろいろあるんだな」
やりとりをしながら、カミコ・クッションに触れてみる。
色は綺麗な黒色で、透けていて、手触りはつるつるしていた。
冷たくて、触れると気持ちがいい。
つい表面を撫でると、少し慌てたふうにカミコが声をあげた。
「あっ、ひゃわっ!? ちょ、ちょっと、なにしてるの!」
「え?」
「あんまり変なところを触らないで。は、恥ずかしいじゃん」
……恥ずかしい?
どこが?
「も、もう。ひざまくらはちょっと戸惑ってたくせに、こっちはこんなに積極的だなんて、エッチなんだから」
「ええー……」
身をかき抱いて頬を染めるカミコ。
神様の羞じらいポイントがわからない。
まあ、考えてもみれば下半身がクッションになっているわけで……そう考えると、ニュアンスはわからなくもない、か?
むしろ、どこを触ってしまったんだろうか。
見た目クッションなので、全然わからない……。
「そ、それで? シャドーがどうしたの?」
珍しく頬を赤く染めて、カミコが言った。
こちらとしても、あまり変な空気になるのは面倒なので話を本筋に戻した。
「いや。ちょっと思い付いたんで見てほしいんだけど」
「なにを?」
「これを」
手を差し出すと、カミコは不可解そうな顔をした。
差し出した手にはなにも乗っていなかったから当然だ。
「あれ?」
ただ、数秒して気付いたらしい。
本当にうっすらと、炎のようにゆらめく黒い影が左手にまといついている。
「……グレイ。ちょっとこれ触っていい?」
「気を付けろよ?」
「はは。この程度じゃ問題ないよ」
カミコは一度、なにかを確かめるように手を握った。
金色の目が見開かれる。
「……やっぱり。この魔力の感じ、シャドーの?」
「わかるんだな。うん。あいつの攻撃を真似してみたんだ」
原理上、魔力はどんな現象でも起こしうる。
魔物の使っている力だって使えておかしくない。
グレイの手に発現しているのは、シャドーの攻撃と似た『弱体化と衰弱』の力だった。
「よかった。出力が弱すぎるせいか、これじゃ魔物相手にまだ効果がないから。ちゃんと再現できてるかどうかわからなかったんだ」
「だけど、どうして? グレイってば、強化以外の魔法はダメダメだったじゃん」
「……ダメダメとか言うのやめろ。これでも少しは気にしてるんだ。それに、実際、こうしてできてるだろ」
「うん。だからなんで?」
「いけそうだなって思ったんだよ。言ってただろ、カミコも。魔法に大事なのは感覚だって」
シャドーの攻撃を受けたときに、これはいけると感じたのだ。
それが、なじんだ感覚によく似ていたからだ。
「……」
いまでも克明に思い出せる――忘れられるはずもない感触。
じわじわと肉体を蝕む病魔のそれ。
本当に、とてもよく似ていた。
「ほぁー。これはまた。特殊なやつに適性があるんだねえ」
カミコは感心したように言うが、自分にしてみれば不思議もない。
親しんだものほど、魔法による再現はたやすいのだという。
死病で何年間も生死の淵をさまよい続ける経験をしたことのある人間は少ないから、特殊なのは当然と言える。
握っていた手を離すと、カミコは腕組みをして考え顔になった。
「しかし、んー。火や水とか単純なのと違って、使い方が難しいかな。飛ばすイメージは難しいだろうし、武器とか体とかにまとわせる使い方がいいのかな。なんにしても練習が必要だね」
「じゃあ、素振りしてるときに意識してみるかな」
「にしても、ずいぶん珍しいとこに目覚めたね。闇っぽい感じ?」
「邪神と契約した使徒にはふさわしいんじゃないのか?」
「そんなこと言われてもねえ。わたしは一応、もともと水の女神なんだけど」
「いまは?」
「復讐と憎悪だね」
「これ以上なく闇っぽい感じじゃねえか」
「違いない」
ケラケラとカミコは笑う。
司っているという事柄とは違って、闇っぽい感じはしない。
ひとしきり笑うと、彼女は少しだけほっとした雰囲気を見せた。
「ねえ、グレイ」
「……なんだ」
黄金の瞳が、こちらを見つめていた。
まっすぐな目。
少しだけ、この目は苦手だった。
調子が狂う感じがするから。
「邪神として司る事柄。初めて教えたけど、怖がらないんだね」
「これでも20日以上一緒にいるんだ。今更、復讐とか憎悪とか言われてもな」
「そっか。……そっか。ありがと」
礼を口にするカミコの顔は、嬉しそうなものだった。
なぜだかドキリとしてしまい、グレイは視線をわずかにそらした。
「別に礼を言うようなことじゃ……お前、復讐とか憎悪どころか、邪神にも見えないってだけで」
これまで接していて、危険は一度も感じられない。
カミコは善人だ。
自分なんかよりよっぽど陽性の人格をしている。
ハツラツとしていて、少しまぶしいくらいに。
邪神という言葉の印象とはそぐわなかった。
「じゃあ、グレイはわたしがうそをついてるって思う?」
カミコが尋ねてくる。
確かに、彼女が邪神というのは、あくまで本人の申告でしかない。
うそをつける余地はある。
だが、それはないだろう。
「いや。初めて会ったとき、お前は俺に契約を持ちかけた。そんな契約の邪魔になるようなうそをつくメリットがない。わざわざそんなことを言い出したのは、本当のことだからだろう」
「そこは信じてもらえてるんだ」
「むしろなんで黙ってなかったんだ? 俺はこの世界のことなんてろくに知らないんだから、適当に神様だとだけ言っておけば気付かないし、すんなり話も進んだだろうに」
「え? 契約をする相手にうそついちゃ駄目でしょ」
当たり前のように言ってから、こちらを見て怪訝そうにする。
「え? なに、その顔?」
「……いや」
やっぱり、邪神らしくない。
少し迷ってから、口を開いた。
会ったばかりのときには訊けなかったこと。
「……なにか事情でもあるのか?」
「まあね」
カミコの表情がかげった。
「気になる?」
「それはまあ」
正直に答えてから、首を横に振った。
「だけど、話したくないならいい」
これが生きるために必要なことなら、無遠慮に踏み込むこともやむなしかもしれない。
だが、これはそうではない。
あきらかに聞かれたくなさそうな過去を根ほり葉ほり尋ねるなんて、あまり趣味がいいとは言えない。
それくらいは、いろいろと初めてのことばかりの自分にだってわかるのだ。
とはいえ、本当に生きること以外どうでもいいのであれば、そんな気遣いだって無用のはずで……。
調子が狂う。
あるいは、これはそうではなくて……なにかが変わり始めている、のか。
よくわからない、けれど。
ただ、自分の言葉を聞いたカミコは、嬉しそうに目を細めたのだった。
「うん。いつか話すね。気を遣ってくれてありがとう」
「……別に」
なぜだか、彼女の顔を見られない。
カミコ・クッションに座り込んだまま、体ごと向きを変えた。
すると、背後から抱きつかれた。
「えへへー。照れてる?」
「あー、もう。離れろって」
ケラケラとじゃれてくるカミコの、あちこち柔らかい体から逃げようとする。
遊んでいると思ったらしい精霊が飛んできて、周りを飛び始める。
なにもかもが初めてのことで、調子が狂い続けていることを自覚する。
変わりつつあるのかもしれないと疑問する。
そんなふしに、ふと思った。
過去の自分のことを話していないのは、自分も同じだ。
みじめに死んだ経緯を話すなんてまっぴらだ。
だけど、ひょっとしたら、考えが変わる日も来るのかもしれない。
カミコがいつか話すと言ったように、自分もまた話そうと思える日が来るのかもしれない。
そんなふうに思った。