05. 探索開始
(注意)本日2回目の投稿です。(12/24)
5
――ひとつの契約が結ばれた、その瞬間。
世界のどこかで、それを感じ取った者たちがいた。
「……あら?」
冷たい石室のなか、鎖でつながれた穏やかな雰囲気の少女が、ぴくりと反応する。
豊かでたおやかな肉体を包む神官服を揺らし、ゆっくりと美しい顔があげられる。
開かれた目は、ここではないどこかを透かし見るかのようだった。
「あらあらあら。我らが奉じた至宝がついに動くのでしょうか。でしたら、わたくしは……」
もう何年も、何十年も……あるいは、それ以上の長い年月をつながれて動くことのなかった彼女は、感じ取ったものに祝福するような笑みを浮かべて――
「まさか。あやつが……?」
崩れかけた洞穴の奥底で、民族衣装を身にまとう少女がうめく。
着流しの布地は彼女自身の血にまみれていたが、弱々しい印象はかけらもない。
ひたいから生えた2本の角の下、カッと目が見開かれた。
「お……おおぉお! 妾は、貴様を!」
がちゃりと鎖が音を立てて、縛りつけられた体に喰い込んで血を流す。
なにかを求めて、ぎちぎちときしむ鎖につながれ血液にまみれた腕が伸ばされて――
「……これは、予想外でした」
そして、彼はつぶやいた。
場所は大陸の東域。
呪われた土地と言われる辺境の地である。
その東域で最大の都市デニィア。
都市神を祭る神殿で、長身の男は高い天井を見上げていた。
なにかを感じ取ったらしいその体に――鎖は、つながっていない。
刺青の刻まれた優美な顔には、思考の読めない笑みがあった。
それが、なにごともを楽しまずにはいられないような空気を生んでいるのだった。
「不安定になっているとは思っていましたが、このような事象が起こるとは。さて、どう動くべきか……」
「どうかなされましたか、我が主」
楽しげにつぶやく彼に、かたわらに侍っていた青年が声をあげた。
完全武装の騎士の装いに、たくましい体を包んだ青年である。
顔立ちは整いつつも、表情は凛々しく、まさに騎士とはかくあるべしという風情があった。
「ずいぶんと、楽しそうにしておられますが」
主の喜びを喜ぶようにかすかに声の調子をゆるめて青年が問えば、男は優美な笑みを深めた。
「予兆を感じました。――魔王の卵が、産まれるかもしれません」
「……それはそれは」
青年が驚きを表にした。
それだけ、その答えは大きな事実を意味していたからだ。
続けて青年は尋ねる。
「では、報告をされるのですか?」
「わたしが? なぜです?」
「主以外、気付いたのは封印された御方々だけではないのですか。主が報告をせねば、誰も気付けない」
「でしょうね。ですが……やめておきましょう。これは、わたしが待ち望んだものかもしれませんから」
「待ち望んだもの、ですか?」
「ええ」
不思議そうな顔をする騎士の青年に、戯れ言を口にするかのように、刺青の男は――都市神として祭られる、神の一柱は笑って言ったのだ。
「あるいは、世界が動くかもしれません」
それはあくまで、ただの戯れ言。
しかし、神の言葉である。
果たして未来はどうなるのか。
それは、神様にだってわからない。
すべては、変化をもたらす少年にかかっていた。
***
5日間。
それが、グレイがカミコの封印の部屋を出て、迷宮に足を踏み入れるまでに要した時間だった。
もっとも、迷宮から出ることができず朝昼晩の別がないので、実際は『5日間』経ったのかどうかはわからないが。
この場合の1日というのは、寝て起きたらカウントする程度のものだ。
この迷宮にいる限りはこれでいいだろう。
というわけでカッコ付きの『5日後』。
状況は大きく変わっていた。
「よし。行こう」
グレイは封印の部屋を出た。
その足取りに怪しいところはなく、動作に痛みや違和感は伴わない。
そうした事実に満足感を覚える。
毎日、真面目にホムンクルスの体を動きに慣らしていた成果だった。
素のままだと筋力が足りないのはそのままなので、魔力を利用することは必須とはいえ、人並みに跳んだり跳ねたりもできる。
これには少し仕掛けがあった。
というのも、この『人並みに跳んだり跳ねたり』という経験が、病気に苦しめられた前世を含めても、グレイにはほとんどない。
いわゆる運動神経が形成されていないのだ。
そんな彼が『人並みに跳んだり跳ねたり』ができるのは、そもそも、ホムンクルスは起動後にすぐに動けるように『肉体の動かし方』が頭のなかに埋め込まれているからだった。
お陰で動けるようになるまでは早かった。
もっとも、『早くできるようになった』からといって『楽だった』わけではない。
むしろ、逆だ。
なにせ体が、自分では覚えてもいないように動くのだ。
これは気持ち悪い。
単に知識を埋め込まれていることよりひどい。
自分が自分ではないような。
自分ではないナニカを動かしているような。
あるいは、自分がナニカに動かされているような。
吐き気をもよおす違和感。
だが、そんな気持ち悪さをグレイは呑み込んだ。
生きるために。
どんなものであっても、利用できるものは利用すると決めていたからだ。
違和感を呑み込み、苦痛を受け入れた。
その甲斐もあって、ちょっと運動神経の良い程度の動きはできるようになったわけだった。
ただし、5日前と変わったところは、それだけではない。
活動に支障がない程度の運動能力は、あくまで『生を求める転生者の魂』と『実験体ホムンクルスの体』との組み合わせによって得られたものだ。
グレイが――『邪神の契約者』としての彼が得たものは、他にある。
そのひとつ。
迷宮の通路に出て、わかりやすい変化が視界だった。
「……うん。ちゃんと見えるな」
迷宮の通路は明かりにとぼしく、歩くのにも注意が必要だった。
だが、いまの自分にとっては問題ない。
ちゃんと、見えている。
あたりが明るくなったわけではない。
感覚機能が上昇しているのだ。
魔力による身体能力向上の一環だった。
5日前まではそこまで魔力を回すことができなかったのだが、いまはできる。
契約のおかげだった。
左の腕に視線を落とせば、いかにも頼りない細腕に入れ墨のような模様がある。
使徒として契約を交わしたことで得たものだ。
この世界の『力持つ者』の体には『紋章』が現れる。
必ずしも神との契約がなければならないというわけではないが、契約を交わすことは紋章を得る近道だ。
神との契約は、ひとの可能性を開花させるものだからだ。
ただし、契約を交わすためにはそれだけの価値を神柱に認めさせる必要があるが。
グレイは邪神カミコに認められ、その身に紋章を宿した。
ちなみに、この紋章は当人の力量を示してもいる。
最も低位を一階紋といい、力を増すごとに階級が上がっていくのだ。
人によって形状こそ違うもののの、一階紋は共通してシンプルだ。
力を増すごとに、図形は複雑さを増し、階級は上がっていくというわけだった。
とはいえ、そう簡単に階級は上がらない。
契約はあくまできっかけに過ぎないからだ。
二階紋に上がれるのは、ひとにぎりの実力者だけ。
三階紋まで至れる者は、ほぼいない。
四階紋ともなれば英雄だ。
……まあ、四階紋までは必要はないのだが、危険な迷宮から外に出るためには、ある程度は力を付ける必要がある。
そのために、グレイは部屋の外に出てきていた。
「行くか」
手には錆びた剣。
武器がなにもないのはきびしいだろうと、あの祭壇に刺さっていたものをカミコが渡してきたのだった。
防具はない。
痩せた十代半ばの肉体を包んでいるのは、魔法で創り出された衣服だけだ。
かなりこころもとないが……。
泣き言を言っても仕方がない。
あるものでどうにかするしかないのだ。
大丈夫。できるだけの準備はしてある。
あとは、やってやるだけだ。
グレイは迷宮探索を開始した。
今日の目標である、魔物の単独撃破を目指して。
***
慎重に音を立てないように、迷宮の通路を進んでいく。
光源は壁にある明かりともうひとつ。
ふよふよとついてきている精霊のほのかな緑の光だけだ。
妙になつかれてしまったらしく、この精霊は基本近くをうろうろしている。
出会ったときに助けてくれたこともあり、こちらとしても愛着がめばえつつあった。
「……ひとりじゃないっていうのは気持ちが楽になるもんだな。初めて知った」
こういう発見は嬉しい。
生きているという感じがするから。
もっとも、精霊がついてきてくれたのは、つきそいのためだけではなかった。
「頼んだぞ」
声をかけると、精霊は8の字を描くように飛んだ。
任せろ、といったところだろうか。
先導する光についていく。
しばらくして、通路の向こうに動くものが見えた。
迷宮にある危険。
魔物だ。
「……本当にいたな」
緊張で乾きがちな唇を、舌で湿らせてつぶやく。
遭遇したのは、偶然ではない。
精霊が魔物を見付けて、連れてきてくれたのだった。
これは、事前に準備した作戦の成功を意味している。
というのも、精霊自身は肉体を持たず攻撃を受ける危険もないということで、索敵を頼んでおいたのだった。
結果は上々だ。
魔物の数は1体。
足音は硬く、乾いている。
カタカタと鳴るのはむき出しのあごの骨だった。
「……スケルトンか」
その姿は、人の白骨死体が歩いているように見えた。
違うのはひとつだけ。
額に短い角が生えていることだ。
形状は違うが、昨日、遭遇してしまった鬼も角が生えていた。
この角が、魔物のあかしなのだった。
このスケルトンのように、1本の角を持つものを『ひとつ角』と呼ぶ。
原則、角が多ければ多いほど魔物は強い。
紋章の話と似ているが、実際、角の数と紋章の階級とはだいたい比例関係にあるということだ。
自分の紋章の階級よりも多くの角を持つ魔物に単独で勝利することは、ほぼ不可能らしい。
思い返してみると、昨日遭ったあの鬼は額に五本の角があったので『いつつ角』ということになる。
英雄の領域である四階紋でさえも越えた第五の階級。
勇者か魔王でなければ倒せない。
ともあれ、いまは目の前のスケルトンのことだ。
スケルトンは『ひとつ角』。
魔物としては最下級に分類される。
ただし、ひとくちに階級とはいっても、強さにはかなり大きなばらつきがある。
スケルトンはこのあたりに多い魔物で『ひとつ角』では下の中あたり。
決して強くはない。
それが1体というのは、グレイが精霊に頼んだオーダー通りだった。
「ナイスだ」
精霊にねぎらいの言葉をかけてから、敵の様子をうかがう。
状況としては、ほぼ望み通り。
逆にいえば、これが駄目ならどうしようもない。
「……」
目標は魔物の撃破。
これが最初の戦闘だ。
息を吸い、吐く。
気持ちを落ち着ける。
すべては生きのびるために。
覚悟を決めて、飛び出した。
「……ちっ」
舌打ちをした。
予想はしていたが、すぐ気付かれたからだ。
スケルトンがこちらを向いて、猛然と走り出したのだ。
その動きは『ひとつ角でも弱いほう』と認識していては、度肝を抜かれるくらい速い。
基本的に、魔物というのは人が容易に相手をできるようなものではないのだ。
速度だけでも、健康的なスポーツマンの全速力くらいは余裕で出ている。
別に速度が武器の魔物でもないのにだ。
しかもスケルトンには生身の疲労がない。
全速力のまま突っ込んでくる。
骨だけの体だが、それでも2メートル近い恵まれた体格。
こちらが160センチもない未熟な体格であることを差し引いても、豪速で襲いかかってくる巨体の質量とそれを可能にする出力は大きな脅威だ。
最下級の『ひとつ角』とはいっても、魔物は魔物。
人がひとりで戦うには厳しい相手だ。
けれど、そんなことはわかっていて、こちらは戦いにきているのだ。
邪神に認められて。
契約を交わして。
生きるために。
「俺だって……!」
錆びた剣を握りしめた。
戦いを前にして、肉体が熱を帯びる。
ひときわ熱を帯びているのは、左腕に刻まれた紋章だった。
魔物のなかで同じ『ひとつ角』で力差があるように、同じ階級の紋章でも個人間で力はまちまちだ。
純粋に魔力量にも差があるが、素の肉体の強さや戦闘技術による差がありえるからだ。
この点でいうと……自分は最低といっていい。
同じ階級であれば、まず間違いなく素のスペックは最弱だ。
実験体魔法生物・ホムンクルス・No.17947。
廃棄された失敗作。
肉体面は、魔力による強化がなければまともに歩けないほど弱い。
技術面も、ホムンクルスになって生まれたてでは、積み重ねたものがあるはずもない。
生前で武道でもやっていればよかったのだが、あいにく竹刀も握ったことがない。
病床でできたことは、ただ迫りくる死に抗うことだけだった。
ただ、それだけ。
だが、それだけは。
「おおおおおお!」
雄叫びをあげて、錆びた剣を振りかぶる。
不格好でもいい。
必要なものは、スマートさじゃない。
カミコが言っていた。
紋章を次の段階に進めるのは、魂の強度だと。
かたく揺るがない意志。
困難を乗り越えた経験。
心の底からの願望。
これらが魂を強固なものにする。
だとすれば、自分は誰にも負けない。
負けるはずがない。
生きるために。
ただただ意志力だけで死に抗い続けた長い日々が、左腕の紋章を輝かせる。
その紋章は、丸みを帯びた長方形をふたつ重ねたようなかたちをしていた。
紋章の複雑さは力量を表す。
左腕で輝く紋章は複雑とはいえないが、かといって、簡潔きわまるものでもない。
ゆえに、発現した力は二階紋。
紋章持ちとしては、基礎である一階紋よりひとつ上の力。
現われる力は、もう無紋だったときの比ではない。
肉体能力が飛躍的に向上し、肉体の内側で力が燃えさかる。
「おおおおおおおお!」
飛びかかってきたスケルトンをそれ以上の速度でかわすと、思い切り錆びた剣を叩きつけた。
◆ある程度文量があったほうが面白いと思うので、まずはここまで更新しました。
ブクマいただけた方、ありがとうございます。
ブクマ・評価は励みになります。今後とも応援いただけましたらさいわいです。
◆お察しの方もいると思いますが、
このお話は邪神とされた女神な彼女たちとの契約のお話ですので、この話の頭のあたりの……は、ヒロイン先出しです。
先々になりますが、ご期待いただければさいわいです。